普通のひとで愛し合おう10
頭ではわかっていても感情がどうにもならないことはよくあることで、このときの那智さんも本当にその通りだった。
ある日は『いまの居住空間を快適にする』ことに支配された。
もちろん、住んでいるところを快適にするのは当たり前のことだけど、こちらから見ると過剰な強迫観念に駆られているように見えるのだ。
わたしにインテリアを任せてきた。
わたしが雑貨や家具が好きなことを知っていたし、りん子が作った部屋であることが那智さんのプラスになるという気持ちがあったようだ。
それを『楽しみながら』してほしいのだ。
わたしは楽しみとプレッシャーの両輪でインテリアを選んだ。
組み立て家具が届いて少しでも那智さんが楽しい気分になってほしい、それをわたしに見せてわたしが喜ぶ様子を見て明るい気持ちになってほしい。
すべては那智さんの心を癒すため、わたしは行動した。
またあるときはわたしが習い事に出かけると予定を告げただけで急に恐怖に支配されることもあった。
まるでママがお出かけするのを嫌がる子どものような思考回路になる。
わたしがどこに出かけようと「いってらっしゃーい」と送り出してくれた人が。
そんなときは冷静に判断して伝える
那智さん、それ傷のせいではないですか?
と、受け止めつつも視線の先を変えて差し上げると
ああ、そうか
と理解してくれる。
俺、どうしちゃったんだろう(笑)
とほんの少し気持ちを軽くしてくれる。
こういうことをくり返した。
でも、これはまだ最初の一歩にすぎない。
一旦気持ちが軽くなっても、相変わらず不安や得体の知れない恐怖に苦しめられているのは変わらなかった。
あのときから、わたしは感性のボリュームを絞った。
なぜなら、わたしの心が少しでも揺れると那智さんが途端に不安定になってしまうからだ。
感性のボリュームを絞り、寂しいも悲しいも「その言葉はイヤですよ」もすべて封印し、感情をコントロールして常に一定の良好な機嫌を保つ。
たくさんのことを冷凍保存して、わたしは那智さんを支える一点にのみ感性のボリュームを上げていた。
日常できる限り繋がり、ほぼすべての言葉はそのときの那智さんの様子に合わせて選び、楽しい話題を振り、不安になる那智さんにわたしは離れないと愛の言葉を伝え、負の感情に捉われそうになったときは『傷がそうさせているだけだ』と毎回毎回引き戻す。
いままでいかに自分は那智さんを頼り甘えていたのだと気づく。
それまでもちろん言葉やタイミングを選んでいたけれど、それは『伝える』ためだった。
このときのわたしは『伝えない、表さない』ための感情のコントロールをした。
こんな芸当ができるなんて自分でも驚きだったけど、13年かけて那智さんが言っていた『とことん依存させ、俺が死んだ瞬間からひとりで立てるようにする』わたしになれていたのだろう。
わたしの成長はこのときのためにあったのではないかと思うほどだ。
那智さんは苦しそうにわたしに体重をかけている。
そんな自分はふがいなく、そんな自分からりん子が離れてしまうのではないという不安も感じていた。
大丈夫です、那智さん。
わたし、あなたのおかげで立てるようになっています。
そんなわたしが愛する人を支えるのは当然のことですし、これは那智さんが何年もわたしにしてくれたことと同じことをしているだけですから、安心して受け取ってください。
あのときのわたしは自分の感情なんて二の次だった。
<関連エントリー>
ひとりで立てるように
補助なし自転車
全身全霊
ある日は『いまの居住空間を快適にする』ことに支配された。
もちろん、住んでいるところを快適にするのは当たり前のことだけど、こちらから見ると過剰な強迫観念に駆られているように見えるのだ。
わたしにインテリアを任せてきた。
わたしが雑貨や家具が好きなことを知っていたし、りん子が作った部屋であることが那智さんのプラスになるという気持ちがあったようだ。
それを『楽しみながら』してほしいのだ。
わたしは楽しみとプレッシャーの両輪でインテリアを選んだ。
組み立て家具が届いて少しでも那智さんが楽しい気分になってほしい、それをわたしに見せてわたしが喜ぶ様子を見て明るい気持ちになってほしい。
すべては那智さんの心を癒すため、わたしは行動した。
またあるときはわたしが習い事に出かけると予定を告げただけで急に恐怖に支配されることもあった。
まるでママがお出かけするのを嫌がる子どものような思考回路になる。
わたしがどこに出かけようと「いってらっしゃーい」と送り出してくれた人が。
そんなときは冷静に判断して伝える
那智さん、それ傷のせいではないですか?
と、受け止めつつも視線の先を変えて差し上げると
ああ、そうか
と理解してくれる。
俺、どうしちゃったんだろう(笑)
とほんの少し気持ちを軽くしてくれる。
こういうことをくり返した。
でも、これはまだ最初の一歩にすぎない。
一旦気持ちが軽くなっても、相変わらず不安や得体の知れない恐怖に苦しめられているのは変わらなかった。
あのときから、わたしは感性のボリュームを絞った。
なぜなら、わたしの心が少しでも揺れると那智さんが途端に不安定になってしまうからだ。
感性のボリュームを絞り、寂しいも悲しいも「その言葉はイヤですよ」もすべて封印し、感情をコントロールして常に一定の良好な機嫌を保つ。
たくさんのことを冷凍保存して、わたしは那智さんを支える一点にのみ感性のボリュームを上げていた。
日常できる限り繋がり、ほぼすべての言葉はそのときの那智さんの様子に合わせて選び、楽しい話題を振り、不安になる那智さんにわたしは離れないと愛の言葉を伝え、負の感情に捉われそうになったときは『傷がそうさせているだけだ』と毎回毎回引き戻す。
いままでいかに自分は那智さんを頼り甘えていたのだと気づく。
それまでもちろん言葉やタイミングを選んでいたけれど、それは『伝える』ためだった。
このときのわたしは『伝えない、表さない』ための感情のコントロールをした。
こんな芸当ができるなんて自分でも驚きだったけど、13年かけて那智さんが言っていた『とことん依存させ、俺が死んだ瞬間からひとりで立てるようにする』わたしになれていたのだろう。
わたしの成長はこのときのためにあったのではないかと思うほどだ。
那智さんは苦しそうにわたしに体重をかけている。
そんな自分はふがいなく、そんな自分からりん子が離れてしまうのではないという不安も感じていた。
大丈夫です、那智さん。
わたし、あなたのおかげで立てるようになっています。
そんなわたしが愛する人を支えるのは当然のことですし、これは那智さんが何年もわたしにしてくれたことと同じことをしているだけですから、安心して受け取ってください。
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