補助なし自転車
140字もどき
長い『140字もどき』です(笑)
『大人123』はわたしの言いたいことから那智さんの考えに変わっていって、自分でもちょっと伝わりにくいことだったかな~と思ってた。
ただ、那智さんとわたしの間ではおしゃべりでの補足もあるので、おそらく共有できている。
で、那智さんはちょっと戸惑っていた(笑)
『怒るってことは相手を信頼していないからだよね』とか那智さんの言葉を書いたから。
怒りの感情が湧くすべての人を敵に回すような文字だから(って、湧くの普通だからほとんどの人を敵に回したか 笑)
まあ、那智さんは『怒り』を否定しているわけじゃない。
まだ自分の快不快がわからないわたしには『もっと怒れ』って言っていたし。
自分が信頼すると決めた人にのみ、その感情は持たずにいるということだし、人によって付き合い方は色々だから、『那智さんはこういう人』というだけの話なので、今回に限りなんだかわたしのほうが腹がすわっているみたいだった(笑)
後日。
ここ半年くらいでわたしが自分の機嫌を取れるようになってきたことについて
りん子が我慢して、そういうふうにしているのであれば、それは本意ではない
自然にできているならこのままでもいいけど、我慢しているならいままで通りにしていいんだよ
と、話してくれた。
ああ、那智さんにわたしの機嫌を持ってもらうの、気持ちいいんだよな~。
思わずふらっとそちら側に戻っている甘い感情がよぎる。
でも、違うんだな。
我慢しているのかと言われれば、多少我慢している場合もあるかもしれないのだけど、もうわたしはある程度それができるようになっているので、スッと気持ちを収めることが普通のことになっているのだ。
で、それが『普通』のことになったいま、また持ってもらうことは不自然な感じがしてしまう。
例えば。
ずっと補助輪つきの自転車に乗っていて、もうだいぶ乗れるようになってきたとき、意図せず補助輪なしの自転車に乗ってみたら『なんだ乗れるじゃん!!』という状況だったわけ。
それで、自分が補助輪なしで乗れるとわかってからは、補助輪つきに乗ることはしないよね。
仮に乗ってみたら案外漕ぎにくかったり、小回り利かなくて不自由だったりして、やっぱり補助輪つきには戻らない。
たまに道が悪くていつもより力がいるなと思っても、そのまま補助輪なしを乗るでしょ。
そんな感じ。
もちろん、ダメなときは那智さんに持ってもらうこともあるでしょうけど、いまのところはそういう感じ。
いまどきの主従関係事情はわからないけど、ブログをはじめた10年前とかそこから数年の間、目にしていたその関係は『すべてを支配する』と言いながら『恋愛感情は持つな(ゆえに依存するな)』という矛盾を孕んだものが多かった。
『奴隷』という立場を選ぶ女性の中には、性的嗜好としてではなく誰かに依存して不安を解消したいという性質の人も多かったと思う。
そんな人に『依存するな、自立しろ』という主従関係は酷だよなと思っていた(だから、ご主人様じゃなくてお父さん見つけてみたら?と書いていた)
以前、『自分が目指すのは自立だ』と依存願望を語るわたしに自身の持論を展開したご主人様がいた。
たしかに、誰かに寄りかからないと辛くなっちゃうより、自分の足で立てたほうがいいだろう。
だけど、『自立しろ』と言われても、できないものはできないので(笑)
まあ、いうのは簡単だよなと思う。
そんなわたしが『大人』なんてエントリーを書いたわけだ。
昔、那智さんは『とことん依存させて、俺が死んだらその瞬間から立てるようにする』と言っていた。
そう考えると、いまのわたしは那智さんの言ったようになっている。
図らずも『死んだ瞬間』じゃなかったけど(笑)
スパルタ自立手引きも好きな人はいいけどね。
わたしは一度も『自立しろ』なんて言われたことないけど、気がつけば、こうなっている。
一切、無理せず、ぬくぬくしながら。
でね、こうして自然に得られた自立は、わたしの自信になるし、那智さんが大好きなままなのだ(強制されたり、無理させられたないから、那智さんを恨んでない 笑)
またノロケるけど(笑)
これが那智さんのやり方^^
でもって、さらにノロケるけど(笑)
那智さんは『俺が死んだらその瞬間から立てるようにする』と言っていたのよ。
当然『立てるようになれ』は論外だけど、『立てるようにさせる』でもないの。
『立てるようにする』なの。
国語の文法的にどうかはわからないけど。
『させる』より『する』のほうがより那智さん主体的に感じるよね。
おそらく本人は無意識かもしれないけど、この言葉選んでいるだよね。
(覚えているわたしも大概だけど 笑)
本当に、あくまで那智さん主体である。
こういうところが那智さんらしいし、わたしはこういう那智さんが大好きなのでした。
ああ、昨日のかっこいい新婦エントリーに比べたら、那智さん主体が好きというわたしのヘタレエントリー^^;
でも、いざとなったら、ちゃんとしますから、那智さん安心してくださいね~。
補助なし自転車はスピードが出せて、気持ちがいい^^
那智さんと一緒に遠くまで行かれる。
「等式」「補助なし自転車」感想です。補助輪が取れたからなんでも出来る訳じゃない。 補助輪無しの「自由さ」を実感しただけかな。おめでとう!
りん子(^-^)『いまは補助輪なしの良さをはじめて感じているところで、だからといって世界一周ができるわけではないから、無理はしないように。とにかく、補助輪なしの快適を味わえておめでとう!』という意味の感想のようです(笑)
長い『140字もどき』です(笑)
『大人123』はわたしの言いたいことから那智さんの考えに変わっていって、自分でもちょっと伝わりにくいことだったかな~と思ってた。
ただ、那智さんとわたしの間ではおしゃべりでの補足もあるので、おそらく共有できている。
で、那智さんはちょっと戸惑っていた(笑)
『怒るってことは相手を信頼していないからだよね』とか那智さんの言葉を書いたから。
怒りの感情が湧くすべての人を敵に回すような文字だから(って、湧くの普通だからほとんどの人を敵に回したか 笑)
まあ、那智さんは『怒り』を否定しているわけじゃない。
まだ自分の快不快がわからないわたしには『もっと怒れ』って言っていたし。
自分が信頼すると決めた人にのみ、その感情は持たずにいるということだし、人によって付き合い方は色々だから、『那智さんはこういう人』というだけの話なので、今回に限りなんだかわたしのほうが腹がすわっているみたいだった(笑)
後日。
ここ半年くらいでわたしが自分の機嫌を取れるようになってきたことについて
りん子が我慢して、そういうふうにしているのであれば、それは本意ではない
自然にできているならこのままでもいいけど、我慢しているならいままで通りにしていいんだよ
と、話してくれた。
ああ、那智さんにわたしの機嫌を持ってもらうの、気持ちいいんだよな~。
思わずふらっとそちら側に戻っている甘い感情がよぎる。
でも、違うんだな。
我慢しているのかと言われれば、多少我慢している場合もあるかもしれないのだけど、もうわたしはある程度それができるようになっているので、スッと気持ちを収めることが普通のことになっているのだ。
で、それが『普通』のことになったいま、また持ってもらうことは不自然な感じがしてしまう。
例えば。
ずっと補助輪つきの自転車に乗っていて、もうだいぶ乗れるようになってきたとき、意図せず補助輪なしの自転車に乗ってみたら『なんだ乗れるじゃん!!』という状況だったわけ。
それで、自分が補助輪なしで乗れるとわかってからは、補助輪つきに乗ることはしないよね。
仮に乗ってみたら案外漕ぎにくかったり、小回り利かなくて不自由だったりして、やっぱり補助輪つきには戻らない。
たまに道が悪くていつもより力がいるなと思っても、そのまま補助輪なしを乗るでしょ。
そんな感じ。
もちろん、ダメなときは那智さんに持ってもらうこともあるでしょうけど、いまのところはそういう感じ。
いまどきの主従関係事情はわからないけど、ブログをはじめた10年前とかそこから数年の間、目にしていたその関係は『すべてを支配する』と言いながら『恋愛感情は持つな(ゆえに依存するな)』という矛盾を孕んだものが多かった。
『奴隷』という立場を選ぶ女性の中には、性的嗜好としてではなく誰かに依存して不安を解消したいという性質の人も多かったと思う。
そんな人に『依存するな、自立しろ』という主従関係は酷だよなと思っていた(だから、ご主人様じゃなくてお父さん見つけてみたら?と書いていた)
以前、『自分が目指すのは自立だ』と依存願望を語るわたしに自身の持論を展開したご主人様がいた。
たしかに、誰かに寄りかからないと辛くなっちゃうより、自分の足で立てたほうがいいだろう。
だけど、『自立しろ』と言われても、できないものはできないので(笑)
まあ、いうのは簡単だよなと思う。
そんなわたしが『大人』なんてエントリーを書いたわけだ。
昔、那智さんは『とことん依存させて、俺が死んだらその瞬間から立てるようにする』と言っていた。
そう考えると、いまのわたしは那智さんの言ったようになっている。
図らずも『死んだ瞬間』じゃなかったけど(笑)
スパルタ自立手引きも好きな人はいいけどね。
わたしは一度も『自立しろ』なんて言われたことないけど、気がつけば、こうなっている。
一切、無理せず、ぬくぬくしながら。
でね、こうして自然に得られた自立は、わたしの自信になるし、那智さんが大好きなままなのだ(強制されたり、無理させられたないから、那智さんを恨んでない 笑)
またノロケるけど(笑)
これが那智さんのやり方^^
でもって、さらにノロケるけど(笑)
那智さんは『俺が死んだらその瞬間から立てるようにする』と言っていたのよ。
当然『立てるようになれ』は論外だけど、『立てるようにさせる』でもないの。
『立てるようにする』なの。
国語の文法的にどうかはわからないけど。
『させる』より『する』のほうがより那智さん主体的に感じるよね。
おそらく本人は無意識かもしれないけど、この言葉選んでいるだよね。
(覚えているわたしも大概だけど 笑)
本当に、あくまで那智さん主体である。
こういうところが那智さんらしいし、わたしはこういう那智さんが大好きなのでした。
ああ、昨日のかっこいい新婦エントリーに比べたら、那智さん主体が好きというわたしのヘタレエントリー^^;
でも、いざとなったら、ちゃんとしますから、那智さん安心してくださいね~。
補助なし自転車はスピードが出せて、気持ちがいい^^
那智さんと一緒に遠くまで行かれる。
「等式」「補助なし自転車」感想です。補助輪が取れたからなんでも出来る訳じゃない。 補助輪無しの「自由さ」を実感しただけかな。おめでとう!
りん子(^-^)『いまは補助輪なしの良さをはじめて感じているところで、だからといって世界一周ができるわけではないから、無理はしないように。とにかく、補助輪なしの快適を味わえておめでとう!』という意味の感想のようです(笑)
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