ある日の記録6
りん子的独り言(エラそう)
わたしたちにとって、ではあるけれど、なんだかいろいろあったような日の記憶。
ある日を延々順を追って書いていきます。
大きな出来事があるわけではないので盛り上がりに欠ける連続エントリーになりますが、ご了承ください。
さて、長々と続いた続き物もこれでおしまいです。
話はわたしの『フェミ論』に^^
那智さんの『男の子』沽券の恩恵に預かるわたしは那智さんを尊敬し立てることで良好な関係を保っている。
この男女における役割分担こそ幸福のモデルケースだと思っている那智さんは『草食系』やら『強い女性』やらの最近の男女における多様性を嘆くのだ(笑)
だからさ、そういう文化がいいと思うんだけど、どうしてなくすんだろう?
子どもの頃からテレビやいろいろで『男とは、女とは』を見てきた。
男は度胸、女は愛嬌。
男は黙って。
女は3歩下がって。
男の子は泣いちゃいけません。
女の子はかわいく。
なんでもいいや(笑)
とにかく、男女の性差による美意識やそれをよしとする社会、『強い男が弱い女を守り、守ってもらう女はその男を立てる』文化。
その教えを美徳とし、その文化が好きな那智さんからしたら多様化していく社会に疑問を持っているのだ。
昔のドラマのお父さんのように頑固だけど、いざとなったら家族を命がけで守る。
そんなふうに日本社会としての一本柱になる理想のモデルケースがなくなっていくことを嘆いている。
だから、強い女や頼りない男が描かれはじめた最近の風潮に否定的。
だから、『女だけの戦隊もの』を嘆く。
まあ、戦隊ものはひとつの事例であって、自分は『男とは、女とは』に影響を受けて育ったから、そういう柱になるようなものが『フェミ』やら『多様化』やらでなくなっていくと、世の中の大きな指針がなくなって全体的に不幸になっていくのではないかと思っているわけ。
その嘆きに対して、わたしはいつも多様化するほうがいいと話している。
だって、誰かが作った『男とは、女とは』で幸せを感じられない人がいるはずだから。
たとえ、そういう人がいたとしても大多数の人にとって幸福なのであれば、それが唯一の幸せだというモデルケースを示したほうがいいというのが那智さんの意見。
いや、それが多数の意見だったとしても、それを唯一の幸福モデルケースにするのではなく、ひとりでもそれが不幸に感じる人がいるのだったら幸せの形がたくさんあればいいではないですか。
たくさんあると説得力なくなる
説得力がないと確立しないモデルケースなんて、そもそも唯一の幸せとは言えません(笑)
こんなやり取りを何度したことか(笑)
この日も同じような流れだった。
わたしはもともとそれほどフェミニズムを勉強しているわけではない(遙洋子さんと北原みのりさんの著作を数冊読んだくらい^^;)ので、このときも少しの知識と想像で話していたのだけど、なかなかうまい具合に話しがまとまっていった。
まず、『男が女を守り、その男を立てる』価値感を否定はしていません。
いろいろな幸せの形があるほうがいいと思っているのです。
女が稼いで男が家事を担ってもいいじゃない。
同性同士が結婚してもいいじゃない。
子どもがいてもいなくても、結婚してもしなくても、それぞれが幸せと思う形を作ればいい。
そう思っています。
なぜなら、人は自分が我慢すると、そうじゃない人を妬むからです。
わたしは、人のマイナス感情の多くはこの妬みだと思っています。
個々の幸せの形を選べずに無理をしていると、無理をしていない(ように見える)人を妬むのです。
この妬みから生まれる弊害がキライだから、わたしは、たぶんフェミを考えるのだと思う。
たとえばね。
『男の子は泣いちゃいけません』と言われて育てられた男は泣くことを我慢します。
だけど、みんながみんな我慢できるとは限りませんよね。
ちょっと頑張れば『男』でいられる男性もいるけど、相当無理しないと『男』を保てない男性もいるだろうし、中にはできないレッテルを貼られちゃう男性も出てきます。
そんな男性からしたら『男の子は泣いちゃいけません』の文化こそ唯一の幸福だと脅迫されることはけして幸福とはいえないでしょう。
それでも、きっと頑張るんだよね。
男なんだから強くなきゃって。
で、それを頑張り通すことには原動力が必要になるわけです。
メソメソ泣く女はいいよなという妬みを『女は弱い=劣っている』と思うことでなんとか頑張るわけです。
俺だって泣きたいのに泣けないんだから、泣いていい女なんか弱っちくてダメ〜、俺エラい〜と『女を卑下して男尊ぶ』ように思わないとやってられないのでしょう。
無理をする原動力は他者を攻撃したりバカにしたりすることなのです。
すごーく無理しないといけない男の子が「いいよ、男も女も関係ないから泣いちゃいなよ」って言われたら、どんなにラクだろう。
だから、人が人を妬むようなことがないように幸せの形はたくさんあったほうがいいと思うのです。
これは何も男女間のことだけではないですよね。
たとえばね、専業主婦に対して働いている既婚女性が苦言を呈するのも、その逆も、よくよく探れば、自分の立場が大変だから、そうじゃない人に対する妬み。
自分が苦労したはずなのに、姑になったら嫁に厳しくなるなんていうのも、これと同じ構図。
男同士だって似たようなことはあるはずです。
とにかく妬むという感情は人を攻撃的にするし、優劣をつけようとするのですが、これがわたしはイヤなんだな^^
だから、那智さんのいうような唯一のモデルケースしかない社会はイヤなのですね。
でもね、『男だから、女だから』という性差で区別し立場を決める社会はダメだけど、普遍的に大切なモデルケースはあると思っています。
それは強い立場が弱い立場を守るという価値感。
これはいつでもどこでも揺るがないことだと思っている。
でも、それを短絡的に男女としてしまうのは違うよね。
概ね、男の人のほうが力は強いけど、中には腕力のない男性もいるかもしれないし、たまたま具合が悪くてダメなこともある。
そういう場合は、わたし(女)が荷物を持てばいい。
腕力や体力以外で強い立場になる場合だってある。
強いか弱いかは単純に男女ではなく、その時々、対峙した相手で刻々と変化していくもの。
だから、わたしたちはいま自分が強い側にいるか、この人に手を差し伸べたほうがいいか、その都度頭を使わないといけない。
個々に頭を使って対峙するしかないのだ。
手を抜いてカテゴライズしようとするから、妬みや優劣をつけたくなるような社会になるのだと思う。
自分が手を差し伸べる側にいると判断したらできるだけ謙虚にしたいし、差し伸べてもらえる側だと理解したら感謝の気持ちを持ちたい。
そういう社会だったらいいと思わない?
きっと、イジメも女性蔑視のヤジもなくなるんじゃないかな〜。
これがわたしの『フェミ』。
でね、個々で対峙したときに、わたしを守る那智さんはステキだし、その那智さんに可愛がってもらうことがわたしは好きなのだ(笑)
これをいうといつも那智さんに突っ込まれるけど^^;
仮にね、わたし、那智さんが弱っていたら全力で支えるもん^^
それも男も女も関係ないのです。
こんなお話をお酒の肴にするわたしたちなのでした(笑)
長々お付き合いいただきありがとうございました〜^^
「等式」感想です。難しい事言います。(笑)40年前のサザエさんと今のサザエさんは昔の方が幸せだったと思う。少し宗教みたいだが、多くの人と価値観が共有出来る社会の方が安心し誇りを持つことができたと思う。どなたか見方になって下さい!(笑)
わたしたちにとって、ではあるけれど、なんだかいろいろあったような日の記憶。
ある日を延々順を追って書いていきます。
大きな出来事があるわけではないので盛り上がりに欠ける連続エントリーになりますが、ご了承ください。
さて、長々と続いた続き物もこれでおしまいです。
話はわたしの『フェミ論』に^^
那智さんの『男の子』沽券の恩恵に預かるわたしは那智さんを尊敬し立てることで良好な関係を保っている。
この男女における役割分担こそ幸福のモデルケースだと思っている那智さんは『草食系』やら『強い女性』やらの最近の男女における多様性を嘆くのだ(笑)
だからさ、そういう文化がいいと思うんだけど、どうしてなくすんだろう?
子どもの頃からテレビやいろいろで『男とは、女とは』を見てきた。
男は度胸、女は愛嬌。
男は黙って。
女は3歩下がって。
男の子は泣いちゃいけません。
女の子はかわいく。
なんでもいいや(笑)
とにかく、男女の性差による美意識やそれをよしとする社会、『強い男が弱い女を守り、守ってもらう女はその男を立てる』文化。
その教えを美徳とし、その文化が好きな那智さんからしたら多様化していく社会に疑問を持っているのだ。
昔のドラマのお父さんのように頑固だけど、いざとなったら家族を命がけで守る。
そんなふうに日本社会としての一本柱になる理想のモデルケースがなくなっていくことを嘆いている。
だから、強い女や頼りない男が描かれはじめた最近の風潮に否定的。
だから、『女だけの戦隊もの』を嘆く。
まあ、戦隊ものはひとつの事例であって、自分は『男とは、女とは』に影響を受けて育ったから、そういう柱になるようなものが『フェミ』やら『多様化』やらでなくなっていくと、世の中の大きな指針がなくなって全体的に不幸になっていくのではないかと思っているわけ。
その嘆きに対して、わたしはいつも多様化するほうがいいと話している。
だって、誰かが作った『男とは、女とは』で幸せを感じられない人がいるはずだから。
たとえ、そういう人がいたとしても大多数の人にとって幸福なのであれば、それが唯一の幸せだというモデルケースを示したほうがいいというのが那智さんの意見。
いや、それが多数の意見だったとしても、それを唯一の幸福モデルケースにするのではなく、ひとりでもそれが不幸に感じる人がいるのだったら幸せの形がたくさんあればいいではないですか。
たくさんあると説得力なくなる
説得力がないと確立しないモデルケースなんて、そもそも唯一の幸せとは言えません(笑)
こんなやり取りを何度したことか(笑)
この日も同じような流れだった。
わたしはもともとそれほどフェミニズムを勉強しているわけではない(遙洋子さんと北原みのりさんの著作を数冊読んだくらい^^;)ので、このときも少しの知識と想像で話していたのだけど、なかなかうまい具合に話しがまとまっていった。
まず、『男が女を守り、その男を立てる』価値感を否定はしていません。
いろいろな幸せの形があるほうがいいと思っているのです。
女が稼いで男が家事を担ってもいいじゃない。
同性同士が結婚してもいいじゃない。
子どもがいてもいなくても、結婚してもしなくても、それぞれが幸せと思う形を作ればいい。
そう思っています。
なぜなら、人は自分が我慢すると、そうじゃない人を妬むからです。
わたしは、人のマイナス感情の多くはこの妬みだと思っています。
個々の幸せの形を選べずに無理をしていると、無理をしていない(ように見える)人を妬むのです。
この妬みから生まれる弊害がキライだから、わたしは、たぶんフェミを考えるのだと思う。
たとえばね。
『男の子は泣いちゃいけません』と言われて育てられた男は泣くことを我慢します。
だけど、みんながみんな我慢できるとは限りませんよね。
ちょっと頑張れば『男』でいられる男性もいるけど、相当無理しないと『男』を保てない男性もいるだろうし、中にはできないレッテルを貼られちゃう男性も出てきます。
そんな男性からしたら『男の子は泣いちゃいけません』の文化こそ唯一の幸福だと脅迫されることはけして幸福とはいえないでしょう。
それでも、きっと頑張るんだよね。
男なんだから強くなきゃって。
で、それを頑張り通すことには原動力が必要になるわけです。
メソメソ泣く女はいいよなという妬みを『女は弱い=劣っている』と思うことでなんとか頑張るわけです。
俺だって泣きたいのに泣けないんだから、泣いていい女なんか弱っちくてダメ〜、俺エラい〜と『女を卑下して男尊ぶ』ように思わないとやってられないのでしょう。
無理をする原動力は他者を攻撃したりバカにしたりすることなのです。
すごーく無理しないといけない男の子が「いいよ、男も女も関係ないから泣いちゃいなよ」って言われたら、どんなにラクだろう。
だから、人が人を妬むようなことがないように幸せの形はたくさんあったほうがいいと思うのです。
これは何も男女間のことだけではないですよね。
たとえばね、専業主婦に対して働いている既婚女性が苦言を呈するのも、その逆も、よくよく探れば、自分の立場が大変だから、そうじゃない人に対する妬み。
自分が苦労したはずなのに、姑になったら嫁に厳しくなるなんていうのも、これと同じ構図。
男同士だって似たようなことはあるはずです。
とにかく妬むという感情は人を攻撃的にするし、優劣をつけようとするのですが、これがわたしはイヤなんだな^^
だから、那智さんのいうような唯一のモデルケースしかない社会はイヤなのですね。
でもね、『男だから、女だから』という性差で区別し立場を決める社会はダメだけど、普遍的に大切なモデルケースはあると思っています。
それは強い立場が弱い立場を守るという価値感。
これはいつでもどこでも揺るがないことだと思っている。
でも、それを短絡的に男女としてしまうのは違うよね。
概ね、男の人のほうが力は強いけど、中には腕力のない男性もいるかもしれないし、たまたま具合が悪くてダメなこともある。
そういう場合は、わたし(女)が荷物を持てばいい。
腕力や体力以外で強い立場になる場合だってある。
強いか弱いかは単純に男女ではなく、その時々、対峙した相手で刻々と変化していくもの。
だから、わたしたちはいま自分が強い側にいるか、この人に手を差し伸べたほうがいいか、その都度頭を使わないといけない。
個々に頭を使って対峙するしかないのだ。
手を抜いてカテゴライズしようとするから、妬みや優劣をつけたくなるような社会になるのだと思う。
自分が手を差し伸べる側にいると判断したらできるだけ謙虚にしたいし、差し伸べてもらえる側だと理解したら感謝の気持ちを持ちたい。
そういう社会だったらいいと思わない?
きっと、イジメも女性蔑視のヤジもなくなるんじゃないかな〜。
これがわたしの『フェミ』。
でね、個々で対峙したときに、わたしを守る那智さんはステキだし、その那智さんに可愛がってもらうことがわたしは好きなのだ(笑)
これをいうといつも那智さんに突っ込まれるけど^^;
仮にね、わたし、那智さんが弱っていたら全力で支えるもん^^
それも男も女も関係ないのです。
こんなお話をお酒の肴にするわたしたちなのでした(笑)
長々お付き合いいただきありがとうございました〜^^
「等式」感想です。難しい事言います。(笑)40年前のサザエさんと今のサザエさんは昔の方が幸せだったと思う。少し宗教みたいだが、多くの人と価値観が共有出来る社会の方が安心し誇りを持つことができたと思う。どなたか見方になって下さい!(笑)
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COMMENT
りん子さんの仰りたい事凄くよく分かります。
私は恋愛の対象が女性で、男性があまり好きではなかった事も有り(それは「女は損だ」と、子供の頃から思い続けていた所為もあります。)
色々な「不都合な事」について思いを巡らせていたので、その考え方には賛同します。
今の私は男性であるご主人様を愛していますので、立てるべき相手なのだと認識して行動に気をつけなきゃって思ってますが・・・(^^;
(虚勢を張るような方では無いんですけどね。一応ね。)
しかしながら、これもりん子さん達と同じで、私はイエスマンでいるべきとは思って無いので「私はそうは思いません」と、ハッキリ言います。
勿論ご主人様も持論を述べますし、お互いに意見を言える関係で居て下さいます。
そういう所に包容力を強く感じます。
白い物を黒だと言い通す強さもあるのかも知れないけど、自分の非を認めるくらいの事では揺るがない柔軟な強さもあると思います。
私のご主人様はそういう方なんですよね。
色んな事を話題にできるって良いですね。(^-^)
私は恋愛の対象が女性で、男性があまり好きではなかった事も有り(それは「女は損だ」と、子供の頃から思い続けていた所為もあります。)
色々な「不都合な事」について思いを巡らせていたので、その考え方には賛同します。
今の私は男性であるご主人様を愛していますので、立てるべき相手なのだと認識して行動に気をつけなきゃって思ってますが・・・(^^;
(虚勢を張るような方では無いんですけどね。一応ね。)
しかしながら、これもりん子さん達と同じで、私はイエスマンでいるべきとは思って無いので「私はそうは思いません」と、ハッキリ言います。
勿論ご主人様も持論を述べますし、お互いに意見を言える関係で居て下さいます。
そういう所に包容力を強く感じます。
白い物を黒だと言い通す強さもあるのかも知れないけど、自分の非を認めるくらいの事では揺るがない柔軟な強さもあると思います。
私のご主人様はそういう方なんですよね。
色んな事を話題にできるって良いですね。(^-^)
よーし、そしたら、私は那智さんの意見に一票です!
それというのも、私自身が、自由にしていいよ、なんでもいいよと言われるととても困ってしまい、動けなくなってしまうからですw
私のような決められない人間には、これに沿っていればひとまず幸せになれる(可能性が高い)よという型があった方が、それに沿うにせよ、逸脱するにせよ、助かり、安心出来ます。
現代社会(話を広げた!)そういう型を取っ払い過ぎのきらいがあるなぁと感じています。
でもそれは、世代の差もあるかもしれないですよね~。
いわゆるフェミの考え方で奮闘された先達がいたからこそ、窮屈に思わず、ぼんやりと不安になるほどの自由が生まれたのですよね。
もちろん多様性は必須です。
それが認められることは当たり前の前提として、共通観念での型も欲しいです~w
それというのも、私自身が、自由にしていいよ、なんでもいいよと言われるととても困ってしまい、動けなくなってしまうからですw
私のような決められない人間には、これに沿っていればひとまず幸せになれる(可能性が高い)よという型があった方が、それに沿うにせよ、逸脱するにせよ、助かり、安心出来ます。
現代社会(話を広げた!)そういう型を取っ払い過ぎのきらいがあるなぁと感じています。
でもそれは、世代の差もあるかもしれないですよね~。
いわゆるフェミの考え方で奮闘された先達がいたからこそ、窮屈に思わず、ぼんやりと不安になるほどの自由が生まれたのですよね。
もちろん多様性は必須です。
それが認められることは当たり前の前提として、共通観念での型も欲しいです~w
梨梨子さん
賛同してくださってありがと^^
『〜であるべき』を生まれ持った性差(基本は変えようのないパーソナリティ)でカテゴライズすることがイヤなのですね。(これは肌の色や身体的特徴などにもいえます)
そうはいっても、自分もついそういう目で見てしまう可能性もあるかもしれないので、戒めの意味も込めて、それが知性だと思うのです^^
尊敬する人は自然と立てます^^
それは男だからじゃなくて、その人だから。
そもそもこちらが意見できないような関係を作ろうとする相手に対して尊敬の念なんてわきませんよね^^
梨梨子さんが意見できるということは、きっとお二人の関係も良好なのだろうなと思います。
よかったね^^
そういう関係を作ってくれるからついていきたいなって思うのだもんね♪
賛同してくださってありがと^^
『〜であるべき』を生まれ持った性差(基本は変えようのないパーソナリティ)でカテゴライズすることがイヤなのですね。(これは肌の色や身体的特徴などにもいえます)
そうはいっても、自分もついそういう目で見てしまう可能性もあるかもしれないので、戒めの意味も込めて、それが知性だと思うのです^^
尊敬する人は自然と立てます^^
それは男だからじゃなくて、その人だから。
そもそもこちらが意見できないような関係を作ろうとする相手に対して尊敬の念なんてわきませんよね^^
梨梨子さんが意見できるということは、きっとお二人の関係も良好なのだろうなと思います。
よかったね^^
そういう関係を作ってくれるからついていきたいなって思うのだもんね♪
モンブランさん
おお、那智さん、よろこぶよ〜^^
もんちゃんはバランスが取れた人だと思う。
きっと視野が広いんだよね。
もんちゃんのおっしゃることも理解します。
たしかに『これ』というものがない人にはモデルケースが示されたほうが安心感がありますよね。
きっと那智さんもそういうことが言いたいのだろうなと思います。
かくいうわたしも那智さんとの関係は、かなり那智さん好みのモデルケースだったりするし^^;
でも、でも、やっぱり『〜であるべき』はイヤなの〜〜〜(笑)
と突っぱねたいところだけど、もんちゃんが先人たちのことまで思いを馳せてくれるもんだから、これ以上言えないよ(笑)
おかげで丸く治まりました。
そのバランスと視野の広さに感謝です^^
窮屈であるから自由を求め、自由が前提だと確固たるものがほしくなる、そんな感じかな〜^^
おお、那智さん、よろこぶよ〜^^
もんちゃんはバランスが取れた人だと思う。
きっと視野が広いんだよね。
もんちゃんのおっしゃることも理解します。
たしかに『これ』というものがない人にはモデルケースが示されたほうが安心感がありますよね。
きっと那智さんもそういうことが言いたいのだろうなと思います。
かくいうわたしも那智さんとの関係は、かなり那智さん好みのモデルケースだったりするし^^;
でも、でも、やっぱり『〜であるべき』はイヤなの〜〜〜(笑)
と突っぱねたいところだけど、もんちゃんが先人たちのことまで思いを馳せてくれるもんだから、これ以上言えないよ(笑)
おかげで丸く治まりました。
そのバランスと視野の広さに感謝です^^
窮屈であるから自由を求め、自由が前提だと確固たるものがほしくなる、そんな感じかな〜^^
多様性のない生物は自ずと滅んでいくもので、それを防ぐ為に誕生したのがXY遺伝子を持つ雄なのではないかと言うのが定説らしいです。
所謂シャッフル機能ですよね。ひとつのモデルケースで良ければXX遺伝子が細胞分裂すればいいだけの話でY遺伝子の意味はなくなってしまいます。
選択肢の多さは自由でもあり選択眼を持つ必要性もでてきます。その場その場で考える力が必要になってくる、大人力が試されるのかなと思います。
成熟した社会ならではの現象かもしれません。
モデルタイプの中身の良し悪しは別として、ひとつのモデルケースにすがるのは共産的な社会や宗教的な社会によくみられるものですから。
また、SMはこうあるべき!と言う括りに囚われない柔軟な思考を持たれているのを考えるとちょっと不思議な気もします。世の中の動きはどうだろうと俺はこう生きる。他は関係ない…みたいなスタンスなのかなぁと思っていました。
ちなみに私は「男は強い。だから弱い女を守る」と言う男性は比較的転がし易かったので最近の草食男子は「ちっ!知恵をつけやがったぜ( `Д´)/」と残念に思ってます( ̄▽ ̄;)
所謂シャッフル機能ですよね。ひとつのモデルケースで良ければXX遺伝子が細胞分裂すればいいだけの話でY遺伝子の意味はなくなってしまいます。
選択肢の多さは自由でもあり選択眼を持つ必要性もでてきます。その場その場で考える力が必要になってくる、大人力が試されるのかなと思います。
成熟した社会ならではの現象かもしれません。
モデルタイプの中身の良し悪しは別として、ひとつのモデルケースにすがるのは共産的な社会や宗教的な社会によくみられるものですから。
また、SMはこうあるべき!と言う括りに囚われない柔軟な思考を持たれているのを考えるとちょっと不思議な気もします。世の中の動きはどうだろうと俺はこう生きる。他は関係ない…みたいなスタンスなのかなぁと思っていました。
ちなみに私は「男は強い。だから弱い女を守る」と言う男性は比較的転がし易かったので最近の草食男子は「ちっ!知恵をつけやがったぜ( `Д´)/」と残念に思ってます( ̄▽ ̄;)
熟桃さん
きゃあ、熟桃さん、ネコパンチならぬ熟桃パンチ、ステキです♪
わたしがコメントレスをすることをお許しいただいて^^
おっしゃる通りで多様性を認めることは知性を駆使する成熟が求めらますよね。
それは放棄したくない^^
那智さんはね、理性的判断と自分の好みを混ぜちゃっていると思うのです。
だから、様々な選択肢があるのはいいけれど、ひとつのモデルケースがあったほうがいいという不思議な話になってしまうの^^;
じゃあ、ひとつのモデルケース=多様性で話は済むはずなんだけど、それを納得してくれないのは『強い男と立てる女』が好きだからなんだと思うんです。
男女に優劣なし。
選択肢は多いほうがいい。
でも、わたしは那智さんに守られているのが好き!!と、わたしのようにずっこいこと言っちゃえば矛盾しないのにね(笑)
そうそう、案外『草食系男子』なんてほうが御し難しかもしれないので、これもある一定数いる既存の男像に対する男子の反抗かもしれないよね(笑)
そうやってじわじわと多様化がスタンダードな社会になって行っていると思うのです〜^^
今度、わたしが読んだフェミ系の何冊かを那智さんにプレゼントする予定ですので、何か変わるかな〜(笑)
きゃあ、熟桃さん、ネコパンチならぬ熟桃パンチ、ステキです♪
わたしがコメントレスをすることをお許しいただいて^^
おっしゃる通りで多様性を認めることは知性を駆使する成熟が求めらますよね。
それは放棄したくない^^
那智さんはね、理性的判断と自分の好みを混ぜちゃっていると思うのです。
だから、様々な選択肢があるのはいいけれど、ひとつのモデルケースがあったほうがいいという不思議な話になってしまうの^^;
じゃあ、ひとつのモデルケース=多様性で話は済むはずなんだけど、それを納得してくれないのは『強い男と立てる女』が好きだからなんだと思うんです。
男女に優劣なし。
選択肢は多いほうがいい。
でも、わたしは那智さんに守られているのが好き!!と、わたしのようにずっこいこと言っちゃえば矛盾しないのにね(笑)
そうそう、案外『草食系男子』なんてほうが御し難しかもしれないので、これもある一定数いる既存の男像に対する男子の反抗かもしれないよね(笑)
そうやってじわじわと多様化がスタンダードな社会になって行っていると思うのです〜^^
今度、わたしが読んだフェミ系の何冊かを那智さんにプレゼントする予定ですので、何か変わるかな〜(笑)