既成概念をぶっ壊せ
りん子的独り言(生意気)
今日のエントリーは、拷問のようなものでしか興奮できないサディストさんはまったく関係ないお話ですし、『奴隷に快楽はない』とか『主のよろこびは奴隷のよろこび』とかおっしゃるご主人様とそのお付き合いに満足されている女性に方は関係のないお話になっちゃいますので興味があれば読む程度にしてください(笑)
拷問でしか満足できないようなサディストさんは、どうか犯罪を犯すことなく、すこしでも願望に近づけますようにと願いますし、『奴隷に快楽はない』ご主人様はどうかご自分のよろこびを追求していただければと思います^^
SMカテゴリで出会い良好な関係を築き、パートナーの女性を大事に思う男性とちょっぴり物足りないと思う女性へ。
(この前提が今日のポイントです^^)
普通(?)のS的嗜好を持っている男性やちょっと刺激的なセックスをしたい男性は、きっとそんなに拷問のようなものを欲してはいないと思う。
苦痛に顔を歪ませさせるようなことしてもそこから拷問には発展しないだろうし、恥ずかしげな仕草くらいがちょうどよい興奮材料になるくらいだよね。
女がちょっと痛がり、ちょっと恥ずかしがり、そして、快感というのが正解なんだと思う。
まして、それが好意を抱いている女性であればあるほど、痛がったり怖がったりより幸福そうな表情を見たいと思うのは、当然の感情だ。
那智さんのようなS的嗜好のある男性でも苦痛のあとに必ず快感が来るほうが満足なのだから、道筋はどうあれ好きな女を喜ばせたい可愛がりたいと思うのは、まあ、普通の感情だよね。
仮にSMカテゴリで出会ったとしても、好きな女が痛がったり恥ずかしくて「いやいや」したら、そりゃあ、この辺でおしまいにしてあげようって、恋人同士の性行為に流れていくのも自然なこと。
酷いことをしたいと幸福を感じてほしいのバランスが崩れて、じつは男性の踏み込む力が弱くなってしまうのではないだろうか。
人格破綻者、もしくは、その女が大事でない以外は、痛いことするって勇気がいると思うしね。
でもね、前エントリーに書いたように、じつは女の欲は深いもの。
痛いと泣きついても恥ずかしくて「無理!!」と首を振っても、痛いのも恥ずかしいのも本当だとしても、もう一方の心では、やめないでほしい、あと一押し限界を広げてほしいものなのだ。
だとすると、女としてはとても残念ではあるけれど『物足りない』。
まして、SMや『育てる』意味合いでの調教を求めたカテゴリで出会ったのならなおさら。
やっと痛いことをしてもらえた、とても恐いけど徐々にその恐さにも慣れてきて、痛いことを受け入れ快感に繋げられるかもしれない。
調教というくらいなんだから、段階を踏んでいまより追いつめてくれるはずだと期待してしまうのはしかたないこと。
その期待を『エゴマゾ』と称するのだとしたら、当たり前だ、叶えるために踏み出したんだ、やらないこと、できないことをこちらの意識のせいにしないで、こちらがエゴを表に出さずにすむくらい追いつめていただきたいものです(あら、また毒? 笑)
最初はSMや調教っぽいことをしていてもいつのまにかSM行為をしなくなってしまう男性はちょっとSMっぽいことしたかったけど、やってみたら飽きちゃったってこともあると思うけど。
もしかしたら、最初はSMで付き合いはじめたけど、その女性がとても好きになってしまって酷いことをするより普通の愛し合うセックスのほうがしたくなっちゃうという人もいるかもしれない。
勝手に『女の限界』を設定してしまっているのだとしたら。
そういう男性には『等式』の専売特許『可愛がるSM』をオススメしたい!!
酷いことは、けしてその女性を虐待しているのではなく、可愛がっているのだ。
キスをしたり髪を撫でたりすることと同じ行為で靴べらで打ちビンタをする。
SMの既成概念を覆し、厳しい調教でも冷徹な行為でもなく、可愛がる行為だと意識を変えればごく普通のセックスと同じ気持ちでSM行為ができる。
痛そうでかわいそうにならない、痛くてうれしいねになる。
既成のSM的雰囲気を捨ててしまえば、とても楽しく心地よくSM行為ができますよ。
ということで、SMカテゴリで出会った女性をとても好きになってしまったら『可愛がるSM』をオススメいたします^^
でね。
『等式』は圧倒的に女性読者さんが多いと思うので、上の部分は理解あるパートナーに読んでいただくとして。
こちら側にもできることがあると思うんだ。
それは『可愛がられるSM』を目指すの!!
痛いけど感じるとか、恥ずかしいことの先に快感があるとか。
とにかく、まず『マイナスから入り、最後のほうにプラスになる』、もっというと『マイナスから入り、我慢と葛藤の末、ご主人様への気持ちがプラスに変える』というお決まりルート、そういう既成概念を女側もやめてしまおう。
恥ずかしいことをする。
恥ずかしいのは恥ずかしいけど、でも、同時に数%は喜んでいるよね?
その喜びも伝えるんだ。
痛がって痛がって、泣いても、それがうれしいとプラスの感情を毎度つけ加えるのだ。
恥ずかしいことを喜んだらSMじゃない?
葛藤の後じゃないと快感を得ちゃダメ?
そんなことないよね。
だって追いつめてほしいんだもん、追いつめはじめてくれたことを素直に喜ぼう。
恥ずかしいくて心臓が飛び出そう、でも、うれしい!!
痛くてもう無理かもしれないけど、こうしてほしかった、またしてほしい。
同時進行で喜びを伝える。
後日、満足を伝える。
だから、SM行為で可愛がってもらうように女が自らを縛っているかもしれないM女や女の既成概念を壊してみよう。
那智さんは、もともと痛いことに特化した嗜好はなかった。
わたしを可愛がる行為のうちのひとつとして痛いことがあったくらいだった。
だから、最近まで鞭の登場率はそれほど高くなかった。
半年鞭をしないなんていうこともあったしね。
それが、最近は痛いことが可愛がる行為のひとつから、痛いことで可愛がりたいという意識に変わってきている。
昔は「普通のりん子もマゾのりん子も好き」と平均的に言葉にしていたけれど、「マゾのりん子が好き」とあえて特別視してくれるようになった。
痛いことでおかしくなるほど感じるわたしのマゾを可愛いと思うようになってくれたのだ。
那智さんの中ではっきりと可愛がるSMを認識したこともあるし、(『溺愛』のころかな)、那智さんのやり方によりわたしが徐々に感じられるようになっていったことも要因だけど、その何%かはわたしの働きかけもあると思っている。
日々の会話やブログの内容や最中の態度、それらの中に『その行為がうれしい、気持ちいい』『またしてほしい』というメッセージをたくさんたくさんチリバメタ。
酷いことで可愛がってもらえるように、限界を広げてもらえるように。
それも那智さんの痛いことで可愛がりたいという気持ちを大きくする手助けになったのではないかと思う。
もし、『あなたの限界』をパートナーが勝手に設定してしまっているなら、こちらは喜びを表現しよう。
足りないことを伝えるんじゃないよ、うれしいこと気持ちいいことを伝えるんだ。
嫌がった末の快感なんて、誰かが決めた道筋なんてヤメちゃおう。
『もっと』と思うなら、『もっと』と言おう。
『ご主人様が与えてくれる痛み』なんて長ったらしく注釈つけずに、追いつめてもらうこと自体がうれしいことを伝えよう。
だって、好きな男にしてもらうことがいいなんてこと、大大大前提だもん^^
注釈つけちゃうと、そこ止まりになっちゃうよ(笑)
わたしは痛くされてうれしい、もっと追いつめてもらえるともっとうれしい!!
その女性が好きならば好きな女が喜ぶことをしたいと思う男性は多いはずだ。
理想のM女像を押し付けることなく理想のM女じゃないと萎えちゃうことのない柔軟な発想と好奇心と探究心が旺盛なステキなパートナーだったらきっと楽しんでくれるはず。
そんなパートナーのためにもこちらの限界を示して差し上げよう。
既成概念をぶっ壊し『可愛がられるSM』を目指すのだ^^
<関連エントリー>
『スイッチのないSM』
『溺愛1 2 3』
ちりばめる〜。
『紅を差す』
『M女の快感』
『徒然に『M女の快感』』
『徒然に『女の快感』』
「等式」感想です。可愛がる行為に画一性なんて必要ない、色んな行為や言葉で可愛がる事が出来たら素敵です。おとなしい感想でした(笑)
今日のエントリーは、拷問のようなものでしか興奮できないサディストさんはまったく関係ないお話ですし、『奴隷に快楽はない』とか『主のよろこびは奴隷のよろこび』とかおっしゃるご主人様とそのお付き合いに満足されている女性に方は関係のないお話になっちゃいますので興味があれば読む程度にしてください(笑)
拷問でしか満足できないようなサディストさんは、どうか犯罪を犯すことなく、すこしでも願望に近づけますようにと願いますし、『奴隷に快楽はない』ご主人様はどうかご自分のよろこびを追求していただければと思います^^
SMカテゴリで出会い良好な関係を築き、パートナーの女性を大事に思う男性とちょっぴり物足りないと思う女性へ。
(この前提が今日のポイントです^^)
普通(?)のS的嗜好を持っている男性やちょっと刺激的なセックスをしたい男性は、きっとそんなに拷問のようなものを欲してはいないと思う。
苦痛に顔を歪ませさせるようなことしてもそこから拷問には発展しないだろうし、恥ずかしげな仕草くらいがちょうどよい興奮材料になるくらいだよね。
女がちょっと痛がり、ちょっと恥ずかしがり、そして、快感というのが正解なんだと思う。
まして、それが好意を抱いている女性であればあるほど、痛がったり怖がったりより幸福そうな表情を見たいと思うのは、当然の感情だ。
那智さんのようなS的嗜好のある男性でも苦痛のあとに必ず快感が来るほうが満足なのだから、道筋はどうあれ好きな女を喜ばせたい可愛がりたいと思うのは、まあ、普通の感情だよね。
仮にSMカテゴリで出会ったとしても、好きな女が痛がったり恥ずかしくて「いやいや」したら、そりゃあ、この辺でおしまいにしてあげようって、恋人同士の性行為に流れていくのも自然なこと。
酷いことをしたいと幸福を感じてほしいのバランスが崩れて、じつは男性の踏み込む力が弱くなってしまうのではないだろうか。
人格破綻者、もしくは、その女が大事でない以外は、痛いことするって勇気がいると思うしね。
でもね、前エントリーに書いたように、じつは女の欲は深いもの。
痛いと泣きついても恥ずかしくて「無理!!」と首を振っても、痛いのも恥ずかしいのも本当だとしても、もう一方の心では、やめないでほしい、あと一押し限界を広げてほしいものなのだ。
だとすると、女としてはとても残念ではあるけれど『物足りない』。
まして、SMや『育てる』意味合いでの調教を求めたカテゴリで出会ったのならなおさら。
やっと痛いことをしてもらえた、とても恐いけど徐々にその恐さにも慣れてきて、痛いことを受け入れ快感に繋げられるかもしれない。
調教というくらいなんだから、段階を踏んでいまより追いつめてくれるはずだと期待してしまうのはしかたないこと。
その期待を『エゴマゾ』と称するのだとしたら、当たり前だ、叶えるために踏み出したんだ、やらないこと、できないことをこちらの意識のせいにしないで、こちらがエゴを表に出さずにすむくらい追いつめていただきたいものです(あら、また毒? 笑)
最初はSMや調教っぽいことをしていてもいつのまにかSM行為をしなくなってしまう男性はちょっとSMっぽいことしたかったけど、やってみたら飽きちゃったってこともあると思うけど。
もしかしたら、最初はSMで付き合いはじめたけど、その女性がとても好きになってしまって酷いことをするより普通の愛し合うセックスのほうがしたくなっちゃうという人もいるかもしれない。
勝手に『女の限界』を設定してしまっているのだとしたら。
そういう男性には『等式』の専売特許『可愛がるSM』をオススメしたい!!
酷いことは、けしてその女性を虐待しているのではなく、可愛がっているのだ。
キスをしたり髪を撫でたりすることと同じ行為で靴べらで打ちビンタをする。
SMの既成概念を覆し、厳しい調教でも冷徹な行為でもなく、可愛がる行為だと意識を変えればごく普通のセックスと同じ気持ちでSM行為ができる。
痛そうでかわいそうにならない、痛くてうれしいねになる。
既成のSM的雰囲気を捨ててしまえば、とても楽しく心地よくSM行為ができますよ。
ということで、SMカテゴリで出会った女性をとても好きになってしまったら『可愛がるSM』をオススメいたします^^
でね。
『等式』は圧倒的に女性読者さんが多いと思うので、上の部分は理解あるパートナーに読んでいただくとして。
こちら側にもできることがあると思うんだ。
それは『可愛がられるSM』を目指すの!!
痛いけど感じるとか、恥ずかしいことの先に快感があるとか。
とにかく、まず『マイナスから入り、最後のほうにプラスになる』、もっというと『マイナスから入り、我慢と葛藤の末、ご主人様への気持ちがプラスに変える』というお決まりルート、そういう既成概念を女側もやめてしまおう。
恥ずかしいことをする。
恥ずかしいのは恥ずかしいけど、でも、同時に数%は喜んでいるよね?
その喜びも伝えるんだ。
痛がって痛がって、泣いても、それがうれしいとプラスの感情を毎度つけ加えるのだ。
恥ずかしいことを喜んだらSMじゃない?
葛藤の後じゃないと快感を得ちゃダメ?
そんなことないよね。
だって追いつめてほしいんだもん、追いつめはじめてくれたことを素直に喜ぼう。
恥ずかしいくて心臓が飛び出そう、でも、うれしい!!
痛くてもう無理かもしれないけど、こうしてほしかった、またしてほしい。
同時進行で喜びを伝える。
後日、満足を伝える。
だから、SM行為で可愛がってもらうように女が自らを縛っているかもしれないM女や女の既成概念を壊してみよう。
那智さんは、もともと痛いことに特化した嗜好はなかった。
わたしを可愛がる行為のうちのひとつとして痛いことがあったくらいだった。
だから、最近まで鞭の登場率はそれほど高くなかった。
半年鞭をしないなんていうこともあったしね。
それが、最近は痛いことが可愛がる行為のひとつから、痛いことで可愛がりたいという意識に変わってきている。
昔は「普通のりん子もマゾのりん子も好き」と平均的に言葉にしていたけれど、「マゾのりん子が好き」とあえて特別視してくれるようになった。
痛いことでおかしくなるほど感じるわたしのマゾを可愛いと思うようになってくれたのだ。
那智さんの中ではっきりと可愛がるSMを認識したこともあるし、(『溺愛』のころかな)、那智さんのやり方によりわたしが徐々に感じられるようになっていったことも要因だけど、その何%かはわたしの働きかけもあると思っている。
日々の会話やブログの内容や最中の態度、それらの中に『その行為がうれしい、気持ちいい』『またしてほしい』というメッセージをたくさんたくさんチリバメタ。
酷いことで可愛がってもらえるように、限界を広げてもらえるように。
それも那智さんの痛いことで可愛がりたいという気持ちを大きくする手助けになったのではないかと思う。
もし、『あなたの限界』をパートナーが勝手に設定してしまっているなら、こちらは喜びを表現しよう。
足りないことを伝えるんじゃないよ、うれしいこと気持ちいいことを伝えるんだ。
嫌がった末の快感なんて、誰かが決めた道筋なんてヤメちゃおう。
『もっと』と思うなら、『もっと』と言おう。
『ご主人様が与えてくれる痛み』なんて長ったらしく注釈つけずに、追いつめてもらうこと自体がうれしいことを伝えよう。
だって、好きな男にしてもらうことがいいなんてこと、大大大前提だもん^^
注釈つけちゃうと、そこ止まりになっちゃうよ(笑)
わたしは痛くされてうれしい、もっと追いつめてもらえるともっとうれしい!!
その女性が好きならば好きな女が喜ぶことをしたいと思う男性は多いはずだ。
理想のM女像を押し付けることなく理想のM女じゃないと萎えちゃうことのない柔軟な発想と好奇心と探究心が旺盛なステキなパートナーだったらきっと楽しんでくれるはず。
そんなパートナーのためにもこちらの限界を示して差し上げよう。
既成概念をぶっ壊し『可愛がられるSM』を目指すのだ^^
<関連エントリー>
『スイッチのないSM』
『溺愛1 2 3』
ちりばめる〜。
『紅を差す』
『M女の快感』
『徒然に『M女の快感』』
『徒然に『女の快感』』
「等式」感想です。可愛がる行為に画一性なんて必要ない、色んな行為や言葉で可愛がる事が出来たら素敵です。おとなしい感想でした(笑)
COMMENT
拍手(笑)。
ゆう。さん
やった、拍手ありがとうです^^
される側からのこういう視点、あんまりないと思うけど、自由でいていいんだよね^^
やった、拍手ありがとうです^^
される側からのこういう視点、あんまりないと思うけど、自由でいていいんだよね^^
ってりん子さんのところで始めて見てなるほどーとなった感覚です。
私の主様は…痛い事はまだまだセーブされてるようなのですが
(私の耐性がまだ足りないと思われてるしかなり陶酔状態にならないとまだまだ気持ち良くなれない)
私が『とっても、とっても、痛かったけど気持ち良くなれて喜んでもらえて幸せでした』とお伝えすれば
ココまではクリアと少しづつレベルあげ?をしてくれてます。
主様の中では『痛いけど気持ちいいよー』となって陶酔から没頭になって我に帰ってはずかしがるまでがワンセットで可愛いからもっとしたくなるらしいです。
成る程可愛がるSM。
普及したらもっと私も幸せだし幸せになる女の人増えるだろうなーと思います。
私の主様は…痛い事はまだまだセーブされてるようなのですが
(私の耐性がまだ足りないと思われてるしかなり陶酔状態にならないとまだまだ気持ち良くなれない)
私が『とっても、とっても、痛かったけど気持ち良くなれて喜んでもらえて幸せでした』とお伝えすれば
ココまではクリアと少しづつレベルあげ?をしてくれてます。
主様の中では『痛いけど気持ちいいよー』となって陶酔から没頭になって我に帰ってはずかしがるまでがワンセットで可愛いからもっとしたくなるらしいです。
成る程可愛がるSM。
普及したらもっと私も幸せだし幸せになる女の人増えるだろうなーと思います。
のぞみさん
『可愛がるSM』っていうのをはじめて見たと聞いて、わたし、なんだかうれしくなっちゃいました^^
で、それが普及したらいいなと思うのぞみさんにもうれしい気持ちです。
のぞみさんの主様は反応を見てレベルを変えたり、可愛いと思ったりするなら、のぞみさんは自由にご自分の感情や快感を表現できますね。
女性が伸び伸びとできるのって男性の度量が大きさを感じます^^
いっぱい表現して、痛いことの快感をもっと感じられるようになるといいですね^^
その段階を踏むことも主様と一緒に楽しんでくださいね〜。
『可愛がるSM』っていうのをはじめて見たと聞いて、わたし、なんだかうれしくなっちゃいました^^
で、それが普及したらいいなと思うのぞみさんにもうれしい気持ちです。
のぞみさんの主様は反応を見てレベルを変えたり、可愛いと思ったりするなら、のぞみさんは自由にご自分の感情や快感を表現できますね。
女性が伸び伸びとできるのって男性の度量が大きさを感じます^^
いっぱい表現して、痛いことの快感をもっと感じられるようになるといいですね^^
その段階を踏むことも主様と一緒に楽しんでくださいね〜。