飴と鞭
りん子的独り言(生意気)
どこかで聞いた話で、もしかしたら間違っているかもしれないけれど。
一匹のマウスの箱には甘い水と口をつけると電流が流れる水を両隅に用意し、もう一匹のマウスの箱には甘い水だけ置いておいて行動を観察するという実験をしたそうだ。
もちろん、甘い水だけのマウスは活発に動き回り正常に育成するのだけど、甘い水と電流の方のマウスは最初こそ両方に口をつけ活動していたのだけど、最終的にはまったく動かなくなってしまったそうだ。
どちらが甘くてどちらが電流か、何度か繰り返せばいくらマウスでもわかると思うのだけど、それでも結局甘い方にも行かなくなってしまったのだ。
生き物は『恐怖』があると、活動停止してしまうらしい。
(多分、箱の中じゃなければ自由に恐怖から逃げられるから、また違うと思うけど)
これは仕事上での『飴と鞭』の話に繋がるらしいのですね。
能力を発揮し成果を上げるための上に立つ人間の心得なんですって。
もちろん、注意するべきところはする必要はあるけれど、それは純粋に注意であって、例えば『減給』などのペナルティや『罵倒』などの恐怖に繋がることをすると、それを回避しようとすることだけに思考が働き萎縮し仕事の成果は上がらないのだそうだ。
人を動かし良い結果を生むには、鞭は必要なくて飴だけでいいらしい。
ただ動かすだけじゃなくて、成果を上げるということがこの話のポイントですよ。
で、わたしとマウスの実験を一緒にしてしまうのも強引かもしれないけど、わたしは時々この実験の話を思い出す。
『愛される価値がない』
もう枕詞のように使ってますが、これは恋愛に於いて幸せになりきれなかった原因のひとつとして登場させてます。
だから、それイコール悲劇のヒロインというつもりはなくて、アレルギー体質とかみたいな特徴のひとつくらいで思ってます。
(とりあえず『怒らない私、2、3、4』シリーズで!!)
で、そこから来ると思われる『依存願望』『同化願望』を持っている女性を『わたしのような』ということで一括りにしています。
そんな、わたしに那智さんは飴しかくれていないな〜と思う。
『飴』というと甘いだけのような印象を持つけど。
『甘やかす』と『甘えさせる』というのは違うもので、那智さんのくれる飴は『甘えさせる』のほう。
わたしの場合。
飴というのは全肯定なんじゃないかと思う。
この肯定が、それをくれる相手に尽くしたいという気持ちにさせてくれる。
逆に鞭は、条件付きの肯定。(条件付けた時点で肯定じゃない気もするけど)
『減給』のように、これができなければ〜するという条件付きの肯定、これはわたしのような女には脅しになってしまう。
『〜しなければ捨てる』とか『〜できたら〜してあげる』とか『できないと怒られる』というもの。
捨てられる恐怖や、条件が付かないと愛されないという恐怖。
こういうことが『鞭』だと思う。
もちろん、ふたりの間には上下関係のようなものがあるので、不得意なことは対処方法を教えてもらったり、間違いを指摘されたりすることはあるので、甘えさせる=何でもいいよ〜というものではないのね。
ただ思う存分甘えさせてくれる。
尻尾を振っていたいわたしは、基本的に那智さん大好きで、那智さんの幸せを願い、本人以上にやきもきしてしまうほど那智さんに快適でいてほしいと思ってる。
マッサージをして心地良さそうにしてくれれば、嬉しいし。
お仕事が大変なときは、喜んでお手伝いする。
那智さんが快適に過ごせるように、心を砕く。
いつまでも魅力的でいたいと自分も磨く。
街中で四つん這いになるのもうんこを食べるのも、結果的には快感に繋がってしまうけど、性的なことに於いては拒否権がないという関係が大きなきっかけになっている。
那智さんが快適にと思うのも拒否権なしの関係も、別に那智さんが厳しく躾けているから従っているわけではないのだ。
それが喜びだからする。
ここに『鞭』というものが加わってしまうと、わたしのような女はむしろ逆効果だと思う。
鞭という恐怖があると思うと、多分わたしは途端に萎縮して発想も行動も貧困なものになってしまって、結局『那智さんの快適』にならないと思うのだ。
飴だけくれていれば那智さんの喜ぶことを考えるのは楽しいことになる、伸び伸びと柔軟な発想が湧く、結果的にはより豊かな『那智さんの快適』のために行動できると思うのだ。
『飴』だけで『鞭』はないほうが成果が上がると思う。
先にも書いたけど、那智さんは決して甘やかしはしないの。
ダメなときはダメというし。
女性に求めるものはけっこう高度だと思う。
だけど、それは鞭じゃないので、わたしは怖がることなくいられるのだ。
唯一わたしが恐れるとしたら、いまの信頼関係や心地よい関係にシミを残すことだと思ってる。
だから、那智さんにはウソは付きたくないし、裏切るようなこともしたくない。
これは那智さんが厳しいからじゃない、肯定という飴をくれる人との関係がとても幸福だからだ。
わたしのような女は、『大好き大好き』と尻尾を振ってその人の幸福を誰よりも願い、その人のためにと尽くす、けっこう健気なやつなんだ。
だけど、『価値がない』という刷り込み故か、条件付きの『鞭』を見せられると途端に萎縮してしまう。
相手の顔色を伺ってしまうのだ。
女性を怯えさせることが好きな男性や『捨てられるかも』というギリギリの状態萌えな女性には、このやり方は当てはまらないと思うけど。
わたしのような女を従わせ、喜んで好き勝手にしてほしいと思わせたいなら。
あなたのためにと、誠心誠意尽くさせたいと思うなら。
そういう成果を上げたいなら。
思う存分甘えさせてくれて肯定という飴をくれていればいい。
『飴』ころころ口の中で転がして十分味わわせてもらっていれば、ずーっとあなたが大好きで、あなたのために成果を上げることができる。
なんてたって犬気質洋犬型(下の子改め>命名笹の葉さん^^)なんだもの。
甘えん坊でも根は一生懸命、けっこう『いい仕事』いたしますよ^^
だから、わたしのような女には鞭はいらないのだ。
あ、違う鞭ならほしいけど^^
どこかで聞いた話で、もしかしたら間違っているかもしれないけれど。
一匹のマウスの箱には甘い水と口をつけると電流が流れる水を両隅に用意し、もう一匹のマウスの箱には甘い水だけ置いておいて行動を観察するという実験をしたそうだ。
もちろん、甘い水だけのマウスは活発に動き回り正常に育成するのだけど、甘い水と電流の方のマウスは最初こそ両方に口をつけ活動していたのだけど、最終的にはまったく動かなくなってしまったそうだ。
どちらが甘くてどちらが電流か、何度か繰り返せばいくらマウスでもわかると思うのだけど、それでも結局甘い方にも行かなくなってしまったのだ。
生き物は『恐怖』があると、活動停止してしまうらしい。
(多分、箱の中じゃなければ自由に恐怖から逃げられるから、また違うと思うけど)
これは仕事上での『飴と鞭』の話に繋がるらしいのですね。
能力を発揮し成果を上げるための上に立つ人間の心得なんですって。
もちろん、注意するべきところはする必要はあるけれど、それは純粋に注意であって、例えば『減給』などのペナルティや『罵倒』などの恐怖に繋がることをすると、それを回避しようとすることだけに思考が働き萎縮し仕事の成果は上がらないのだそうだ。
人を動かし良い結果を生むには、鞭は必要なくて飴だけでいいらしい。
ただ動かすだけじゃなくて、成果を上げるということがこの話のポイントですよ。
で、わたしとマウスの実験を一緒にしてしまうのも強引かもしれないけど、わたしは時々この実験の話を思い出す。
『愛される価値がない』
もう枕詞のように使ってますが、これは恋愛に於いて幸せになりきれなかった原因のひとつとして登場させてます。
だから、それイコール悲劇のヒロインというつもりはなくて、アレルギー体質とかみたいな特徴のひとつくらいで思ってます。
(とりあえず『怒らない私、2、3、4』シリーズで!!)
で、そこから来ると思われる『依存願望』『同化願望』を持っている女性を『わたしのような』ということで一括りにしています。
そんな、わたしに那智さんは飴しかくれていないな〜と思う。
『飴』というと甘いだけのような印象を持つけど。
『甘やかす』と『甘えさせる』というのは違うもので、那智さんのくれる飴は『甘えさせる』のほう。
わたしの場合。
飴というのは全肯定なんじゃないかと思う。
この肯定が、それをくれる相手に尽くしたいという気持ちにさせてくれる。
逆に鞭は、条件付きの肯定。(条件付けた時点で肯定じゃない気もするけど)
『減給』のように、これができなければ〜するという条件付きの肯定、これはわたしのような女には脅しになってしまう。
『〜しなければ捨てる』とか『〜できたら〜してあげる』とか『できないと怒られる』というもの。
捨てられる恐怖や、条件が付かないと愛されないという恐怖。
こういうことが『鞭』だと思う。
もちろん、ふたりの間には上下関係のようなものがあるので、不得意なことは対処方法を教えてもらったり、間違いを指摘されたりすることはあるので、甘えさせる=何でもいいよ〜というものではないのね。
ただ思う存分甘えさせてくれる。
尻尾を振っていたいわたしは、基本的に那智さん大好きで、那智さんの幸せを願い、本人以上にやきもきしてしまうほど那智さんに快適でいてほしいと思ってる。
マッサージをして心地良さそうにしてくれれば、嬉しいし。
お仕事が大変なときは、喜んでお手伝いする。
那智さんが快適に過ごせるように、心を砕く。
いつまでも魅力的でいたいと自分も磨く。
街中で四つん這いになるのもうんこを食べるのも、結果的には快感に繋がってしまうけど、性的なことに於いては拒否権がないという関係が大きなきっかけになっている。
那智さんが快適にと思うのも拒否権なしの関係も、別に那智さんが厳しく躾けているから従っているわけではないのだ。
それが喜びだからする。
ここに『鞭』というものが加わってしまうと、わたしのような女はむしろ逆効果だと思う。
鞭という恐怖があると思うと、多分わたしは途端に萎縮して発想も行動も貧困なものになってしまって、結局『那智さんの快適』にならないと思うのだ。
飴だけくれていれば那智さんの喜ぶことを考えるのは楽しいことになる、伸び伸びと柔軟な発想が湧く、結果的にはより豊かな『那智さんの快適』のために行動できると思うのだ。
『飴』だけで『鞭』はないほうが成果が上がると思う。
先にも書いたけど、那智さんは決して甘やかしはしないの。
ダメなときはダメというし。
女性に求めるものはけっこう高度だと思う。
だけど、それは鞭じゃないので、わたしは怖がることなくいられるのだ。
唯一わたしが恐れるとしたら、いまの信頼関係や心地よい関係にシミを残すことだと思ってる。
だから、那智さんにはウソは付きたくないし、裏切るようなこともしたくない。
これは那智さんが厳しいからじゃない、肯定という飴をくれる人との関係がとても幸福だからだ。
わたしのような女は、『大好き大好き』と尻尾を振ってその人の幸福を誰よりも願い、その人のためにと尽くす、けっこう健気なやつなんだ。
だけど、『価値がない』という刷り込み故か、条件付きの『鞭』を見せられると途端に萎縮してしまう。
相手の顔色を伺ってしまうのだ。
女性を怯えさせることが好きな男性や『捨てられるかも』というギリギリの状態萌えな女性には、このやり方は当てはまらないと思うけど。
わたしのような女を従わせ、喜んで好き勝手にしてほしいと思わせたいなら。
あなたのためにと、誠心誠意尽くさせたいと思うなら。
そういう成果を上げたいなら。
思う存分甘えさせてくれて肯定という飴をくれていればいい。
『飴』ころころ口の中で転がして十分味わわせてもらっていれば、ずーっとあなたが大好きで、あなたのために成果を上げることができる。
なんてたって犬気質洋犬型(下の子改め>命名笹の葉さん^^)なんだもの。
甘えん坊でも根は一生懸命、けっこう『いい仕事』いたしますよ^^
だから、わたしのような女には鞭はいらないのだ。
あ、違う鞭ならほしいけど^^