夏休みのつぶやき4
りん子的独り言(生意気)
『等式』夏休みバージョン。
日頃思っていることをつぶやきます。
夏休みゆえ読み直しなしの書き放し諸々配慮に欠けることもあるかもしれませんが、寛大な心でお読みいただけると嬉しいです。
『奴隷』
ああ、むちゃ毒です。
このブログを読んでくれている人の中にも『奴隷』さんはいるはずなので、とてもためらうのだけど、でも書きます。
いろいろなところで目にしたことだけ、断片的なことだけで、『奴隷』とは何かという定義をまったく議論せずに書かせていただきます。
奴隷から愛奴に昇格したと喜んでいる女性がいた。
奴隷としてではなく、女としてご主人様を愛し過ぎてしまったと多頭の苦しさを語っている女性がいた。
奴隷としてお仕えしたご主人様と一度お別れしてから『奴隷ではなく一人の女性として愛する』と宣言されよりを戻した女性の話を聞いた。
奴隷は愛奴より嬉しくないものなの?
奴隷はご主人様をたくさん愛しちゃいけないの?
一人の女性として愛されることでよりを戻すということは、奴隷はイヤだったの?
奴隷さんって幸せなのかな。
ずっと昔那智さんが教えてくれた『誓約書』のお手本フォーマットに『女の幸せを捨てて奴隷として仕える』というようなこことが書いてあったけど、わたしはそれはイヤだった。
『那智さんのもの』だと思いたいけれど、わたしは女として愛されたい。
いつも思う。
性癖や嗜好として『奴隷扱い』を望む、もしくは性的に奴隷のように囚われる以外、恐らく漠然とした関係性としての奴隷は苦しそうだ。
それは奴隷という定義が曖昧なものに拘束され、女としての恋愛感情に蓋をしないといけない場合があるからなんじゃないかなと思う。
奴隷さんの中にはご主人様とよく話し合いいろいろ自覚してその立場を選んでいる人もいると思うけど、どうも奴隷と女であることに苦しんでいるように見えることが多い気がする。
それでも『奴隷』は否定しない。
ただ女としての恋愛感情に蓋をすることは苦しいと理解した上で、それでもかまわないと自覚していたほうがいい。
この自覚がないと、目を瞑っているぶん二重に苦しい。
『いい奴隷であり、いい女であり、いい人でいる』というような内容を見たことがある。
それぞれの定義は曖昧であることを承知の上で言わせてもらえば、これはキレイごとだ。
そもそも誰かに支配されている人がいい人でいられるわけない。
百歩譲って、支配されている様子が官能に映り『いい女』と一部の人から思われるかもしれないけど。
誰かに支配されることは、とてもわがままで自分勝手な自分を作り出すことだと思うのだ。
だってご主人様が絶対な人は、それ中心になるわけだから他者を慮れなくなるよね?
『いい奴隷であり、いい女であり、いい人でいる』
これを目指すことは否定しないけど、本当は矛盾を孕んでいるのではないかと思う。
わたしはご主人様に支配されているから、それ以外は二の次です。
自分だけの奴隷になるのだからダメ人間になりなさい。
こんな言葉をほうがウソがないように感じられる。
奴隷は至高でも万能でもないと思う。
ひとつの性癖というだけだ。
奴隷がいいなら、『奴隷はやめて女として愛する』というご主人様に『いいえ、奴隷でいさせてください』と断る奴隷さんがいてもいいと思うのだけど、わたしはあまり知らない。
(あまりということは『そうかな〜』と感じられる人も多少はいます。でも、やはりそういう方は性癖や嗜好が『奴隷』さんなんだろうなと感じています)
世の中のご主人様たち、もし奴隷さんを持ちたいと思うなら、ご自分の奴隷さんが『奴隷がいい』と言えるようにしてあげてほしいなと思うのだ。
夏休みの書き放しエントリーでした。
いつもと変わらない?(笑)
次回からは通常営業。
えっと、ネタ出し切っちゃった!!どうしよう^^;
今朝の「等式」感想です。
お願いだから過去の「奴隷誓約書」の話をネタにするのは勘弁してください。私にとっては羞恥プレイです、恥ずかしくて仕方がない。(笑)なぜ、書かせたかはここでは言いませんがリクエストがあれば書きます。全般的に今日のは過激な発言ですね~色々あるとは思いますが、りん子がここま書けるのは素晴らしいですね。多分、普段思っていることをズバリ書いているから、文章に勢いと力があるように思う。途中、私にも意味不明な部分がありましたが、それは熱意の現れでと言うことで。(笑)
(リクエストをいただた後)
ううう、再び羞恥プレイ。(笑)リクエストされると基本サービスしたいので包み隠さずお話ししますよ。
因みに、書いたのは付き合い始めの頃でした。
①エントリーにも書かれていますが「りん子が私を全肯定して欲しい。」文面でお互いが納得できるものを見たかった。
②りん子を私の「もの」にしかった、そして独占したかった。紙1枚に頼らなければならない程に、恥ずかしい行為と知りながらもしたかったのです。
③その時のお互いの愛情を目に見える「形」にしたかった。目に見える物なんて限界があり、それだけしかないのに。
以上が「奴隷契約書」なんて恥かしいものを作った理由です、懐かしいので、少し見たいのですが何年か前にPCがクラッシュしたので永遠に封印することに成功しました。今なら、「2人のルールまとめ」を作ってもおもしろいかもしれません。(笑)
『等式』夏休みバージョン。
日頃思っていることをつぶやきます。
夏休みゆえ読み直しなしの書き放し諸々配慮に欠けることもあるかもしれませんが、寛大な心でお読みいただけると嬉しいです。
『奴隷』
ああ、むちゃ毒です。
このブログを読んでくれている人の中にも『奴隷』さんはいるはずなので、とてもためらうのだけど、でも書きます。
いろいろなところで目にしたことだけ、断片的なことだけで、『奴隷』とは何かという定義をまったく議論せずに書かせていただきます。
奴隷から愛奴に昇格したと喜んでいる女性がいた。
奴隷としてではなく、女としてご主人様を愛し過ぎてしまったと多頭の苦しさを語っている女性がいた。
奴隷としてお仕えしたご主人様と一度お別れしてから『奴隷ではなく一人の女性として愛する』と宣言されよりを戻した女性の話を聞いた。
奴隷は愛奴より嬉しくないものなの?
奴隷はご主人様をたくさん愛しちゃいけないの?
一人の女性として愛されることでよりを戻すということは、奴隷はイヤだったの?
奴隷さんって幸せなのかな。
ずっと昔那智さんが教えてくれた『誓約書』のお手本フォーマットに『女の幸せを捨てて奴隷として仕える』というようなこことが書いてあったけど、わたしはそれはイヤだった。
『那智さんのもの』だと思いたいけれど、わたしは女として愛されたい。
いつも思う。
性癖や嗜好として『奴隷扱い』を望む、もしくは性的に奴隷のように囚われる以外、恐らく漠然とした関係性としての奴隷は苦しそうだ。
それは奴隷という定義が曖昧なものに拘束され、女としての恋愛感情に蓋をしないといけない場合があるからなんじゃないかなと思う。
奴隷さんの中にはご主人様とよく話し合いいろいろ自覚してその立場を選んでいる人もいると思うけど、どうも奴隷と女であることに苦しんでいるように見えることが多い気がする。
それでも『奴隷』は否定しない。
ただ女としての恋愛感情に蓋をすることは苦しいと理解した上で、それでもかまわないと自覚していたほうがいい。
この自覚がないと、目を瞑っているぶん二重に苦しい。
『いい奴隷であり、いい女であり、いい人でいる』というような内容を見たことがある。
それぞれの定義は曖昧であることを承知の上で言わせてもらえば、これはキレイごとだ。
そもそも誰かに支配されている人がいい人でいられるわけない。
百歩譲って、支配されている様子が官能に映り『いい女』と一部の人から思われるかもしれないけど。
誰かに支配されることは、とてもわがままで自分勝手な自分を作り出すことだと思うのだ。
だってご主人様が絶対な人は、それ中心になるわけだから他者を慮れなくなるよね?
『いい奴隷であり、いい女であり、いい人でいる』
これを目指すことは否定しないけど、本当は矛盾を孕んでいるのではないかと思う。
わたしはご主人様に支配されているから、それ以外は二の次です。
自分だけの奴隷になるのだからダメ人間になりなさい。
こんな言葉をほうがウソがないように感じられる。
奴隷は至高でも万能でもないと思う。
ひとつの性癖というだけだ。
奴隷がいいなら、『奴隷はやめて女として愛する』というご主人様に『いいえ、奴隷でいさせてください』と断る奴隷さんがいてもいいと思うのだけど、わたしはあまり知らない。
(あまりということは『そうかな〜』と感じられる人も多少はいます。でも、やはりそういう方は性癖や嗜好が『奴隷』さんなんだろうなと感じています)
世の中のご主人様たち、もし奴隷さんを持ちたいと思うなら、ご自分の奴隷さんが『奴隷がいい』と言えるようにしてあげてほしいなと思うのだ。
夏休みの書き放しエントリーでした。
いつもと変わらない?(笑)
次回からは通常営業。
えっと、ネタ出し切っちゃった!!どうしよう^^;
今朝の「等式」感想です。
お願いだから過去の「奴隷誓約書」の話をネタにするのは勘弁してください。私にとっては羞恥プレイです、恥ずかしくて仕方がない。(笑)なぜ、書かせたかはここでは言いませんがリクエストがあれば書きます。全般的に今日のは過激な発言ですね~色々あるとは思いますが、りん子がここま書けるのは素晴らしいですね。多分、普段思っていることをズバリ書いているから、文章に勢いと力があるように思う。途中、私にも意味不明な部分がありましたが、それは熱意の現れでと言うことで。(笑)
(リクエストをいただた後)
ううう、再び羞恥プレイ。(笑)リクエストされると基本サービスしたいので包み隠さずお話ししますよ。
因みに、書いたのは付き合い始めの頃でした。
①エントリーにも書かれていますが「りん子が私を全肯定して欲しい。」文面でお互いが納得できるものを見たかった。
②りん子を私の「もの」にしかった、そして独占したかった。紙1枚に頼らなければならない程に、恥ずかしい行為と知りながらもしたかったのです。
③その時のお互いの愛情を目に見える「形」にしたかった。目に見える物なんて限界があり、それだけしかないのに。
以上が「奴隷契約書」なんて恥かしいものを作った理由です、懐かしいので、少し見たいのですが何年か前にPCがクラッシュしたので永遠に封印することに成功しました。今なら、「2人のルールまとめ」を作ってもおもしろいかもしれません。(笑)
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