那智さんのいる日常
独特な幸福感
那智さんと付き合って数ヶ月の頃、はじめて一晩共にできる機会に恵まれたときがあった。
早朝に別れないといけないから、旅行とは違う。
まさに「一晩を共にする」。
それでも、それまでで一番長い時間一緒にいられることになる。
付き合って数ヶ月。
すでに「白旗も上げて」「父性の毛布」にも包んでもらった(詳しくは「惹かれ合う理由」に)あととはいえ、いまのように「離れているのが不自然」なんて思えるほど深い付き合いにはなっていないから、長い時間一緒にいるのは、嬉しい反面、不安もある。
一晩一緒にいたらお互いの嫌な部分が見えてしまったなんてことになってしまうかもしれないと、ちょっと不安。
那智さんは、この時点で「深い」と認識していたかもしれないけれど(今の方がもっと深いですよ♪)、私はまだいままでの悪い癖が抜け切れておらず「嫌われちゃうかも」なんて、不安もあった。
それでも、やっぱり嬉しくてお仕事場に向かう。
お泊まりの場所はあらかじめ予約してある。
でも、そこに向かう前に、やっぱりデートもしなくちゃね。
電車で移動しながら、途中で下車してカップル喫茶へ。
はじめてのカップル喫茶体験はドキドキハラハラ、やきもちも焼いて短い時間だったけど、疲れた~って感じでした(「非日常的な日常」の「嫉妬の効用1」に詳しいことは書いてあります)。
めくるめく空間から逃れて、再び電車に乗って目的地へ。
私は、普段から電車の揺れが苦手で、つり革につかまっていてもヨロヨロしてしまうのです。
ちょうどつり革のないあたりに立って電車に揺られていると、バランスを保つのが大変で那智さんにつかまってなんとかよろけずにいられるというくらい、足腰が弱い(?)。
「なんで、そんなにヨロヨロなの?」苦笑いしながらも、腕を貸してくれるその状態も幸せ。
足腰弱いのも悪くない♪と思える瞬間。
お泊まり場所の最寄り駅に着いても、そう簡単にチェックインはさせてくれない。
駅のトイレで自分で入れてくるように、いちじく浣腸を渡される。
途中でおもらししても大丈夫なように、紙おむつも一緒に。
トイレの中の「あたふた」は、恥ずかしいから省略させてね(今更恥ずかしいなんて!?)
お泊まり場所まで歩けない距離ではない、でも、ちょっと遠い、タクシーならワンメーターですぐ着く。
さあ、ここで二択です。
あなたなら、どちらを選ぶでしょう。
ひとつは、タクシーに乗って急いでチェックインをしてしまう。
リスクは、タクシーの中で我慢できなくなることだ。
タクシーの閉ざされた空間の中、運転手さんのいるところで排泄をすることになる。
音や臭いがもれて勘付かれてしまうかもしれない。(後にわかることですが、最近の紙おむつは優秀で臭いはかなり防げるものです。・・・なぜ介護もしていないのに、それを知っているかは、またまた後日)
もうひとつは、歩いて向かう。
外なので雑音もあるから、余程のことがないかぎり、他人に知られることはないだろう。
挙動不審にさえならなけらば(笑)
ただ、かなり高い確率でチェックインまで、我慢することができないだろう。
おむつの中に排泄をしたまま歩き、チェックインをしなければならない。
私は、前者を選んだ。
タクシーの中で腹痛を起こすが、なんとか部屋に入るまで我慢できた。
(しばらく排泄話はやめようと言っていました。えっとだから、これは排泄話とは思わないでくださいね!お泊まりのお話の流れで・・・言い訳)
実は、そのときどんな風に抱かれたかはっきりとは覚えていないのです。
それより覚えているのは、お腹空いたからってルームサービスでソーセージの盛り合わせを頼んで、ビールと一緒に食べたこと、那智さんが食べやすい大きさに切ってくれたことや、一緒にシャワーを浴びながら「りん子は化粧が下手、化粧をとったほうがきれいなんておかしい。それは化粧が下手な証拠。」なんて、誉められてるのかけなされているのかわからない会話をして、甘えて「しゅん」ってしたこと、そんな他愛もないことばかりなのだ。
はじめて長い時間一緒にいる危惧など、まったく感じさせることなく、側にいる心地よさに浸る思い出ばかりなのだ。
事情があって、那智さんが先にチェックアウトをした。
私もウトウトと仮眠をとって、続けてホテルをあとにした。
まだ、早朝の澄んだ空気の中に1人で立つ。
なぜか、涙が止まらない。
1人でいることが、こんなにも心許ないなんて知らなかった。
ひとりが淋しくてしかたがない。
いままでだって、ひとりでいたはずだ(別に天涯孤独と言っているわけじゃありませんよ。いろんな人と関わりもあって支えられてもいましたけどね、迷子の部分ね)
でも、私は那智さんといる安堵を知ってしまったから、いままで立っていたことが「必死」だったことに気付いてしまったのだ。
どうしよう、それを知ってしまった私は、もう元の健気な私に戻れない。
それでも、私は大人だ。
今日も明日も、ひとりで立たなければいけない。
心は那智さんが支えてくれているではないか。
だから、実際は日常は私の二本の足で立っていられるだろう(足腰弱いけど)。
その時の私は感傷的で、心の支えだけじゃなく、贅沢にも「いま1人」さえも心許なく涙してしまったのだ。
一緒にいる安心を長い時間一緒にいることで、はからずも確認してしまった私はいまこの朝だけは、感傷的な贅沢な涙を流すことを許したい。
まだ朝早い、昨晩タクシーで通った道を、人通りがほとんどないことをいいことに涙を流して歩く。
そのうち駅に着く。
そろそろ電車が動き出すころだろう。
それと同じくして、私は泣くのをおしまいにしよう。
数時間したら、那智さんがまた「おはよう」ってメールをくれるはずだ。
私には那智さんがいてくれる。
24時間側にいられるわけじゃないけれど、できる限り安心を与えてくれている。
だから、私は「必死」にならずに立っていられるのだ。
那智さんはいつも「悲しい涙も最終的に幸せの涙に変えよう」って手伝ってくれる。
感傷的な涙をいつまでも流すのは、那智さんの本意ではないだろう。
涙を拭いて、深呼吸をして、始発電車に乗って私は那智さんのいる日常に戻っていく。
那智さんと付き合って数ヶ月の頃、はじめて一晩共にできる機会に恵まれたときがあった。
早朝に別れないといけないから、旅行とは違う。
まさに「一晩を共にする」。
それでも、それまでで一番長い時間一緒にいられることになる。
付き合って数ヶ月。
すでに「白旗も上げて」「父性の毛布」にも包んでもらった(詳しくは「惹かれ合う理由」に)あととはいえ、いまのように「離れているのが不自然」なんて思えるほど深い付き合いにはなっていないから、長い時間一緒にいるのは、嬉しい反面、不安もある。
一晩一緒にいたらお互いの嫌な部分が見えてしまったなんてことになってしまうかもしれないと、ちょっと不安。
那智さんは、この時点で「深い」と認識していたかもしれないけれど(今の方がもっと深いですよ♪)、私はまだいままでの悪い癖が抜け切れておらず「嫌われちゃうかも」なんて、不安もあった。
それでも、やっぱり嬉しくてお仕事場に向かう。
お泊まりの場所はあらかじめ予約してある。
でも、そこに向かう前に、やっぱりデートもしなくちゃね。
電車で移動しながら、途中で下車してカップル喫茶へ。
はじめてのカップル喫茶体験はドキドキハラハラ、やきもちも焼いて短い時間だったけど、疲れた~って感じでした(「非日常的な日常」の「嫉妬の効用1」に詳しいことは書いてあります)。
めくるめく空間から逃れて、再び電車に乗って目的地へ。
私は、普段から電車の揺れが苦手で、つり革につかまっていてもヨロヨロしてしまうのです。
ちょうどつり革のないあたりに立って電車に揺られていると、バランスを保つのが大変で那智さんにつかまってなんとかよろけずにいられるというくらい、足腰が弱い(?)。
「なんで、そんなにヨロヨロなの?」苦笑いしながらも、腕を貸してくれるその状態も幸せ。
足腰弱いのも悪くない♪と思える瞬間。
お泊まり場所の最寄り駅に着いても、そう簡単にチェックインはさせてくれない。
駅のトイレで自分で入れてくるように、いちじく浣腸を渡される。
途中でおもらししても大丈夫なように、紙おむつも一緒に。
トイレの中の「あたふた」は、恥ずかしいから省略させてね(今更恥ずかしいなんて!?)
お泊まり場所まで歩けない距離ではない、でも、ちょっと遠い、タクシーならワンメーターですぐ着く。
さあ、ここで二択です。
あなたなら、どちらを選ぶでしょう。
ひとつは、タクシーに乗って急いでチェックインをしてしまう。
リスクは、タクシーの中で我慢できなくなることだ。
タクシーの閉ざされた空間の中、運転手さんのいるところで排泄をすることになる。
音や臭いがもれて勘付かれてしまうかもしれない。(後にわかることですが、最近の紙おむつは優秀で臭いはかなり防げるものです。・・・なぜ介護もしていないのに、それを知っているかは、またまた後日)
もうひとつは、歩いて向かう。
外なので雑音もあるから、余程のことがないかぎり、他人に知られることはないだろう。
挙動不審にさえならなけらば(笑)
ただ、かなり高い確率でチェックインまで、我慢することができないだろう。
おむつの中に排泄をしたまま歩き、チェックインをしなければならない。
私は、前者を選んだ。
タクシーの中で腹痛を起こすが、なんとか部屋に入るまで我慢できた。
(しばらく排泄話はやめようと言っていました。えっとだから、これは排泄話とは思わないでくださいね!お泊まりのお話の流れで・・・言い訳)
実は、そのときどんな風に抱かれたかはっきりとは覚えていないのです。
それより覚えているのは、お腹空いたからってルームサービスでソーセージの盛り合わせを頼んで、ビールと一緒に食べたこと、那智さんが食べやすい大きさに切ってくれたことや、一緒にシャワーを浴びながら「りん子は化粧が下手、化粧をとったほうがきれいなんておかしい。それは化粧が下手な証拠。」なんて、誉められてるのかけなされているのかわからない会話をして、甘えて「しゅん」ってしたこと、そんな他愛もないことばかりなのだ。
はじめて長い時間一緒にいる危惧など、まったく感じさせることなく、側にいる心地よさに浸る思い出ばかりなのだ。
事情があって、那智さんが先にチェックアウトをした。
私もウトウトと仮眠をとって、続けてホテルをあとにした。
まだ、早朝の澄んだ空気の中に1人で立つ。
なぜか、涙が止まらない。
1人でいることが、こんなにも心許ないなんて知らなかった。
ひとりが淋しくてしかたがない。
いままでだって、ひとりでいたはずだ(別に天涯孤独と言っているわけじゃありませんよ。いろんな人と関わりもあって支えられてもいましたけどね、迷子の部分ね)
でも、私は那智さんといる安堵を知ってしまったから、いままで立っていたことが「必死」だったことに気付いてしまったのだ。
どうしよう、それを知ってしまった私は、もう元の健気な私に戻れない。
それでも、私は大人だ。
今日も明日も、ひとりで立たなければいけない。
心は那智さんが支えてくれているではないか。
だから、実際は日常は私の二本の足で立っていられるだろう(足腰弱いけど)。
その時の私は感傷的で、心の支えだけじゃなく、贅沢にも「いま1人」さえも心許なく涙してしまったのだ。
一緒にいる安心を長い時間一緒にいることで、はからずも確認してしまった私はいまこの朝だけは、感傷的な贅沢な涙を流すことを許したい。
まだ朝早い、昨晩タクシーで通った道を、人通りがほとんどないことをいいことに涙を流して歩く。
そのうち駅に着く。
そろそろ電車が動き出すころだろう。
それと同じくして、私は泣くのをおしまいにしよう。
数時間したら、那智さんがまた「おはよう」ってメールをくれるはずだ。
私には那智さんがいてくれる。
24時間側にいられるわけじゃないけれど、できる限り安心を与えてくれている。
だから、私は「必死」にならずに立っていられるのだ。
那智さんはいつも「悲しい涙も最終的に幸せの涙に変えよう」って手伝ってくれる。
感傷的な涙をいつまでも流すのは、那智さんの本意ではないだろう。
涙を拭いて、深呼吸をして、始発電車に乗って私は那智さんのいる日常に戻っていく。
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