夏休みのつぶやき1
独り言
『等式』も夏休みをいただきます。
しばらく夏休みバージョン。
日頃思っていることをつぶやきます。
夏休みゆえ読み直しなしの書き放し諸々配慮に欠けることもあるかもしれませんが、寛大な心でお読みいただけると嬉しいです。
いつか掘り下げるかもしれないし、そのまま流れていくだけになるかもしれません。
通常営業は8/20の予定。
コメントレス、メールのお返事など遅れる場合がありますが待っていてくださいね。
『いいセックス』
昔、『女が化粧をしたり着飾ったりするのはとどのつまり、いいセックスがしたいからだ』と書いてある本を読んだことがある。
そのときはピンと来なかった。
男性からモテたいとか好かれたいという気持ちから自分を着飾ることはよくわかるけど、それが『いいセックス』というゴールに結びつけることがどうも理解できなかったんだよね。
まったくピンと来なかった。
だけど、いま、少しわかる気がする。
男性の性衝動のようなものとは違うかもしれないけど、女にもセックスは必要だ。
(すみません、性衝動で正しいかわからないです^^;)
広義でのセックスなので人によって色々だろうけど。
たとえば、SM行為がそうかもしれないし、前後のイチャイチャもセックスな人もいるかもしれないよね。
だから、色々だと思うけど。
正直にいうと、わたしのそれは『入れてもらうこと』だと、最近とても思う。
わたしには挿入が必要だ。
と、さりげなく、とても大胆なことをつぶやいてみる。
(文字では書けるんだな〜)
女にもセックスは大事なことなんだよ。
しかも『いいセックス』、限定。
『いいセックス』は心の交流のあるセックスだと思っているのだけど、さて、あなたにとってのいいセックスや心の交流ってなんだろう?
と、寝苦しい夏の夜に思いを馳せる。
今朝の「等式」感想です。
「心の交流のあるSEX」に必要なのは男性としての「基礎体力と最後までがんばれる持続力」(笑)今まで衰えなんて感じたことも無かったですが・・・。「その気」になっても心に身体がついていかなきゃ厳しいですから。(笑)
『等式』も夏休みをいただきます。
しばらく夏休みバージョン。
日頃思っていることをつぶやきます。
夏休みゆえ読み直しなしの書き放し諸々配慮に欠けることもあるかもしれませんが、寛大な心でお読みいただけると嬉しいです。
いつか掘り下げるかもしれないし、そのまま流れていくだけになるかもしれません。
通常営業は8/20の予定。
コメントレス、メールのお返事など遅れる場合がありますが待っていてくださいね。
『いいセックス』
昔、『女が化粧をしたり着飾ったりするのはとどのつまり、いいセックスがしたいからだ』と書いてある本を読んだことがある。
そのときはピンと来なかった。
男性からモテたいとか好かれたいという気持ちから自分を着飾ることはよくわかるけど、それが『いいセックス』というゴールに結びつけることがどうも理解できなかったんだよね。
まったくピンと来なかった。
だけど、いま、少しわかる気がする。
男性の性衝動のようなものとは違うかもしれないけど、女にもセックスは必要だ。
(すみません、性衝動で正しいかわからないです^^;)
広義でのセックスなので人によって色々だろうけど。
たとえば、SM行為がそうかもしれないし、前後のイチャイチャもセックスな人もいるかもしれないよね。
だから、色々だと思うけど。
正直にいうと、わたしのそれは『入れてもらうこと』だと、最近とても思う。
わたしには挿入が必要だ。
と、さりげなく、とても大胆なことをつぶやいてみる。
(文字では書けるんだな〜)
女にもセックスは大事なことなんだよ。
しかも『いいセックス』、限定。
『いいセックス』は心の交流のあるセックスだと思っているのだけど、さて、あなたにとってのいいセックスや心の交流ってなんだろう?
と、寝苦しい夏の夜に思いを馳せる。
今朝の「等式」感想です。
「心の交流のあるSEX」に必要なのは男性としての「基礎体力と最後までがんばれる持続力」(笑)今まで衰えなんて感じたことも無かったですが・・・。「その気」になっても心に身体がついていかなきゃ厳しいですから。(笑)
夏休みのつぶやき2
独特な幸福感
『等式』夏休みバージョン。
日頃思っていることをつぶやきます。
夏休みゆえ読み直しなしの書き放し諸々配慮に欠けることもあるかもしれませんが、寛大な心でお読みいただけると嬉しいです。
『つがい』
以前お会いした人に『那智さんと一緒にいるりん子さんは可愛い。二人で話していたときとは違う雰囲気になるのですね』と言われたことがある。
このときは、最初にその人とわたしと二人でいて、後から那智さんが合流したんだ。
これって『ぶりっ子』?(笑)
そんなふうに思わなくもないけれど、これは好意的な意味でおっしゃっていると受け取ることにした^^
たぶん、わたしは那智さんといるとふにゃんってなるんだ(笑)
このときは、わたしがお店にご案内したりだったので気持ちは少しエスコート役。
特別肩に力を入れているつもりはなかったけど、それでも常識の範囲でいい意味で緊張感を保っていたんだと思う。
それが、途中から那智さんが合流したら、一気に安心モードになっちゃって、ふにゃんとしてしまったのだろう。
それだっていちおう周囲に気遣う気持ちは持ち続けていた(つもりだ 笑)けど、きっとね、那智さんといるときのわたしの基本人格が『ふにゃん』になっちゃっているんだね。
お酒の席などでは、酔っ払いさんになってしまってわたしがしっかりしなきゃなんてことはままあることだけど、根本的に頼っていることの安心感みたいなものは、状況はどうあれ変わらないのだね。
多分その根本的な安心感が那智さんがいると現れてしまうのだろう。
『等式』のりん子のイメージは、エスコートできる人?それとも『ふにゃん』な人?
どちらなんだろう。
そういえば、別の機会に。
このときは、わたしがいなくて那智さんとカップルさんだけお会いして、しかも時間の都合で道ばたでご挨拶だけってことがあったのだけど。
後からカップルさんの女性の人に『ブログの那智さんとリアルな那智さんが結びつかなかった〜』と残念がってくれた。
まあ、一瞬のご挨拶だけなので、それも仕方ないことだよな〜と思いながら。
もしかしたら、わたしたちは、ふたりでいることでより一層『那智とりん子』になれるのかもしれないなと思った。
わたしは那智さんと一緒にいて、わたしになれて。
那智さんはわたしがいると、那智さんらしくなれる。
つがい。
それぞれの方の印象で、こんな言葉が浮かんでちょっといい気分になれたのでした^^
今朝の「等式」感想です。
りん子に同意です。このブログから連想する「二人は」どうやら同席した方が想像に合っているようです。私としてはしっかりしているりん子に会いたいとも思うのですが。(笑)
『等式』夏休みバージョン。
日頃思っていることをつぶやきます。
夏休みゆえ読み直しなしの書き放し諸々配慮に欠けることもあるかもしれませんが、寛大な心でお読みいただけると嬉しいです。
『つがい』
以前お会いした人に『那智さんと一緒にいるりん子さんは可愛い。二人で話していたときとは違う雰囲気になるのですね』と言われたことがある。
このときは、最初にその人とわたしと二人でいて、後から那智さんが合流したんだ。
これって『ぶりっ子』?(笑)
そんなふうに思わなくもないけれど、これは好意的な意味でおっしゃっていると受け取ることにした^^
たぶん、わたしは那智さんといるとふにゃんってなるんだ(笑)
このときは、わたしがお店にご案内したりだったので気持ちは少しエスコート役。
特別肩に力を入れているつもりはなかったけど、それでも常識の範囲でいい意味で緊張感を保っていたんだと思う。
それが、途中から那智さんが合流したら、一気に安心モードになっちゃって、ふにゃんとしてしまったのだろう。
それだっていちおう周囲に気遣う気持ちは持ち続けていた(つもりだ 笑)けど、きっとね、那智さんといるときのわたしの基本人格が『ふにゃん』になっちゃっているんだね。
お酒の席などでは、酔っ払いさんになってしまってわたしがしっかりしなきゃなんてことはままあることだけど、根本的に頼っていることの安心感みたいなものは、状況はどうあれ変わらないのだね。
多分その根本的な安心感が那智さんがいると現れてしまうのだろう。
『等式』のりん子のイメージは、エスコートできる人?それとも『ふにゃん』な人?
どちらなんだろう。
そういえば、別の機会に。
このときは、わたしがいなくて那智さんとカップルさんだけお会いして、しかも時間の都合で道ばたでご挨拶だけってことがあったのだけど。
後からカップルさんの女性の人に『ブログの那智さんとリアルな那智さんが結びつかなかった〜』と残念がってくれた。
まあ、一瞬のご挨拶だけなので、それも仕方ないことだよな〜と思いながら。
もしかしたら、わたしたちは、ふたりでいることでより一層『那智とりん子』になれるのかもしれないなと思った。
わたしは那智さんと一緒にいて、わたしになれて。
那智さんはわたしがいると、那智さんらしくなれる。
つがい。
それぞれの方の印象で、こんな言葉が浮かんでちょっといい気分になれたのでした^^
今朝の「等式」感想です。
りん子に同意です。このブログから連想する「二人は」どうやら同席した方が想像に合っているようです。私としてはしっかりしているりん子に会いたいとも思うのですが。(笑)
夏休みのつぶやき3
非日常的な日常
『等式』夏休みバージョン。
日頃思っていることをつぶやきます。
夏休みゆえ読み直しなしの書き放し諸々配慮に欠けることもあるかもしれませんが、寛大な心でお読みいただけると嬉しいです。
『都合良く解釈する』
『スパンキングとイラマチオもどき』に『くわえ込むのはイラマチオではなくてディープスロートではないですか?』と拍手コメントいただいた。
うん。
そうなんだよね。
男性が動いて女性の喉を突くようにするのがイラマチオで、自ら深くくわえる行為はディープスロートと言うんだよね。
どちらが主体で動くかで名称は変わる。
書きながら、これ厳密には違うかなとは思っていたんだ^^
ただちょっと曖昧で。
那智さんが両手で顔を挟んで上下させている中で深くくわえ込んだわけで、まあどちらも主体(のはず)なんだ。
だからわたしは『イラマチオ』を選んだ(いちおう『もどき』をつけて誤摩化した^^)
なぜかというと、那智さん主体でえずくほうが萌えだから!!
自ら動いて快楽も貪る官能より、無理やり押し込まれる被虐感のほうが自分が気持ちいいから!!
人は、何ごとも自分に都合良く解釈するという一例(笑)
で、後日那智さんにその話をしたら。
あれはイラマチオとは言わないだろ、という見解。
なぜなら
りん子、くわえてひとり遊びしてただろ?
あうう、バレていた^^;
それでも、あれはわたしにとってはイラマチオ。
那智さんに好きなように無理やり突かれてえずくのだ(笑)
今朝の「等式」感想です。
本日のエントリーも同感です。りん子の頭に手を置き、りん子のリズムにほんの少し合わせるのはサービスです。私の意志ですることも稀にはありますがね。あんなに長時間一人遊びをしているのを邪魔する必要もないから、そのとき、基本りん子は自由です。(笑)
『等式』夏休みバージョン。
日頃思っていることをつぶやきます。
夏休みゆえ読み直しなしの書き放し諸々配慮に欠けることもあるかもしれませんが、寛大な心でお読みいただけると嬉しいです。
『都合良く解釈する』
『スパンキングとイラマチオもどき』に『くわえ込むのはイラマチオではなくてディープスロートではないですか?』と拍手コメントいただいた。
うん。
そうなんだよね。
男性が動いて女性の喉を突くようにするのがイラマチオで、自ら深くくわえる行為はディープスロートと言うんだよね。
どちらが主体で動くかで名称は変わる。
書きながら、これ厳密には違うかなとは思っていたんだ^^
ただちょっと曖昧で。
那智さんが両手で顔を挟んで上下させている中で深くくわえ込んだわけで、まあどちらも主体(のはず)なんだ。
だからわたしは『イラマチオ』を選んだ(いちおう『もどき』をつけて誤摩化した^^)
なぜかというと、那智さん主体でえずくほうが萌えだから!!
自ら動いて快楽も貪る官能より、無理やり押し込まれる被虐感のほうが自分が気持ちいいから!!
人は、何ごとも自分に都合良く解釈するという一例(笑)
で、後日那智さんにその話をしたら。
あれはイラマチオとは言わないだろ、という見解。
なぜなら
りん子、くわえてひとり遊びしてただろ?
あうう、バレていた^^;
それでも、あれはわたしにとってはイラマチオ。
那智さんに好きなように無理やり突かれてえずくのだ(笑)
今朝の「等式」感想です。
本日のエントリーも同感です。りん子の頭に手を置き、りん子のリズムにほんの少し合わせるのはサービスです。私の意志ですることも稀にはありますがね。あんなに長時間一人遊びをしているのを邪魔する必要もないから、そのとき、基本りん子は自由です。(笑)
夏休みのつぶやき4
りん子的独り言(生意気)
『等式』夏休みバージョン。
日頃思っていることをつぶやきます。
夏休みゆえ読み直しなしの書き放し諸々配慮に欠けることもあるかもしれませんが、寛大な心でお読みいただけると嬉しいです。
『奴隷』
ああ、むちゃ毒です。
このブログを読んでくれている人の中にも『奴隷』さんはいるはずなので、とてもためらうのだけど、でも書きます。
いろいろなところで目にしたことだけ、断片的なことだけで、『奴隷』とは何かという定義をまったく議論せずに書かせていただきます。
奴隷から愛奴に昇格したと喜んでいる女性がいた。
奴隷としてではなく、女としてご主人様を愛し過ぎてしまったと多頭の苦しさを語っている女性がいた。
奴隷としてお仕えしたご主人様と一度お別れしてから『奴隷ではなく一人の女性として愛する』と宣言されよりを戻した女性の話を聞いた。
奴隷は愛奴より嬉しくないものなの?
奴隷はご主人様をたくさん愛しちゃいけないの?
一人の女性として愛されることでよりを戻すということは、奴隷はイヤだったの?
奴隷さんって幸せなのかな。
ずっと昔那智さんが教えてくれた『誓約書』のお手本フォーマットに『女の幸せを捨てて奴隷として仕える』というようなこことが書いてあったけど、わたしはそれはイヤだった。
『那智さんのもの』だと思いたいけれど、わたしは女として愛されたい。
いつも思う。
性癖や嗜好として『奴隷扱い』を望む、もしくは性的に奴隷のように囚われる以外、恐らく漠然とした関係性としての奴隷は苦しそうだ。
それは奴隷という定義が曖昧なものに拘束され、女としての恋愛感情に蓋をしないといけない場合があるからなんじゃないかなと思う。
奴隷さんの中にはご主人様とよく話し合いいろいろ自覚してその立場を選んでいる人もいると思うけど、どうも奴隷と女であることに苦しんでいるように見えることが多い気がする。
それでも『奴隷』は否定しない。
ただ女としての恋愛感情に蓋をすることは苦しいと理解した上で、それでもかまわないと自覚していたほうがいい。
この自覚がないと、目を瞑っているぶん二重に苦しい。
『いい奴隷であり、いい女であり、いい人でいる』というような内容を見たことがある。
それぞれの定義は曖昧であることを承知の上で言わせてもらえば、これはキレイごとだ。
そもそも誰かに支配されている人がいい人でいられるわけない。
百歩譲って、支配されている様子が官能に映り『いい女』と一部の人から思われるかもしれないけど。
誰かに支配されることは、とてもわがままで自分勝手な自分を作り出すことだと思うのだ。
だってご主人様が絶対な人は、それ中心になるわけだから他者を慮れなくなるよね?
『いい奴隷であり、いい女であり、いい人でいる』
これを目指すことは否定しないけど、本当は矛盾を孕んでいるのではないかと思う。
わたしはご主人様に支配されているから、それ以外は二の次です。
自分だけの奴隷になるのだからダメ人間になりなさい。
こんな言葉をほうがウソがないように感じられる。
奴隷は至高でも万能でもないと思う。
ひとつの性癖というだけだ。
奴隷がいいなら、『奴隷はやめて女として愛する』というご主人様に『いいえ、奴隷でいさせてください』と断る奴隷さんがいてもいいと思うのだけど、わたしはあまり知らない。
(あまりということは『そうかな〜』と感じられる人も多少はいます。でも、やはりそういう方は性癖や嗜好が『奴隷』さんなんだろうなと感じています)
世の中のご主人様たち、もし奴隷さんを持ちたいと思うなら、ご自分の奴隷さんが『奴隷がいい』と言えるようにしてあげてほしいなと思うのだ。
夏休みの書き放しエントリーでした。
いつもと変わらない?(笑)
次回からは通常営業。
えっと、ネタ出し切っちゃった!!どうしよう^^;
今朝の「等式」感想です。
お願いだから過去の「奴隷誓約書」の話をネタにするのは勘弁してください。私にとっては羞恥プレイです、恥ずかしくて仕方がない。(笑)なぜ、書かせたかはここでは言いませんがリクエストがあれば書きます。全般的に今日のは過激な発言ですね~色々あるとは思いますが、りん子がここま書けるのは素晴らしいですね。多分、普段思っていることをズバリ書いているから、文章に勢いと力があるように思う。途中、私にも意味不明な部分がありましたが、それは熱意の現れでと言うことで。(笑)
(リクエストをいただた後)
ううう、再び羞恥プレイ。(笑)リクエストされると基本サービスしたいので包み隠さずお話ししますよ。
因みに、書いたのは付き合い始めの頃でした。
①エントリーにも書かれていますが「りん子が私を全肯定して欲しい。」文面でお互いが納得できるものを見たかった。
②りん子を私の「もの」にしかった、そして独占したかった。紙1枚に頼らなければならない程に、恥ずかしい行為と知りながらもしたかったのです。
③その時のお互いの愛情を目に見える「形」にしたかった。目に見える物なんて限界があり、それだけしかないのに。
以上が「奴隷契約書」なんて恥かしいものを作った理由です、懐かしいので、少し見たいのですが何年か前にPCがクラッシュしたので永遠に封印することに成功しました。今なら、「2人のルールまとめ」を作ってもおもしろいかもしれません。(笑)
『等式』夏休みバージョン。
日頃思っていることをつぶやきます。
夏休みゆえ読み直しなしの書き放し諸々配慮に欠けることもあるかもしれませんが、寛大な心でお読みいただけると嬉しいです。
『奴隷』
ああ、むちゃ毒です。
このブログを読んでくれている人の中にも『奴隷』さんはいるはずなので、とてもためらうのだけど、でも書きます。
いろいろなところで目にしたことだけ、断片的なことだけで、『奴隷』とは何かという定義をまったく議論せずに書かせていただきます。
奴隷から愛奴に昇格したと喜んでいる女性がいた。
奴隷としてではなく、女としてご主人様を愛し過ぎてしまったと多頭の苦しさを語っている女性がいた。
奴隷としてお仕えしたご主人様と一度お別れしてから『奴隷ではなく一人の女性として愛する』と宣言されよりを戻した女性の話を聞いた。
奴隷は愛奴より嬉しくないものなの?
奴隷はご主人様をたくさん愛しちゃいけないの?
一人の女性として愛されることでよりを戻すということは、奴隷はイヤだったの?
奴隷さんって幸せなのかな。
ずっと昔那智さんが教えてくれた『誓約書』のお手本フォーマットに『女の幸せを捨てて奴隷として仕える』というようなこことが書いてあったけど、わたしはそれはイヤだった。
『那智さんのもの』だと思いたいけれど、わたしは女として愛されたい。
いつも思う。
性癖や嗜好として『奴隷扱い』を望む、もしくは性的に奴隷のように囚われる以外、恐らく漠然とした関係性としての奴隷は苦しそうだ。
それは奴隷という定義が曖昧なものに拘束され、女としての恋愛感情に蓋をしないといけない場合があるからなんじゃないかなと思う。
奴隷さんの中にはご主人様とよく話し合いいろいろ自覚してその立場を選んでいる人もいると思うけど、どうも奴隷と女であることに苦しんでいるように見えることが多い気がする。
それでも『奴隷』は否定しない。
ただ女としての恋愛感情に蓋をすることは苦しいと理解した上で、それでもかまわないと自覚していたほうがいい。
この自覚がないと、目を瞑っているぶん二重に苦しい。
『いい奴隷であり、いい女であり、いい人でいる』というような内容を見たことがある。
それぞれの定義は曖昧であることを承知の上で言わせてもらえば、これはキレイごとだ。
そもそも誰かに支配されている人がいい人でいられるわけない。
百歩譲って、支配されている様子が官能に映り『いい女』と一部の人から思われるかもしれないけど。
誰かに支配されることは、とてもわがままで自分勝手な自分を作り出すことだと思うのだ。
だってご主人様が絶対な人は、それ中心になるわけだから他者を慮れなくなるよね?
『いい奴隷であり、いい女であり、いい人でいる』
これを目指すことは否定しないけど、本当は矛盾を孕んでいるのではないかと思う。
わたしはご主人様に支配されているから、それ以外は二の次です。
自分だけの奴隷になるのだからダメ人間になりなさい。
こんな言葉をほうがウソがないように感じられる。
奴隷は至高でも万能でもないと思う。
ひとつの性癖というだけだ。
奴隷がいいなら、『奴隷はやめて女として愛する』というご主人様に『いいえ、奴隷でいさせてください』と断る奴隷さんがいてもいいと思うのだけど、わたしはあまり知らない。
(あまりということは『そうかな〜』と感じられる人も多少はいます。でも、やはりそういう方は性癖や嗜好が『奴隷』さんなんだろうなと感じています)
世の中のご主人様たち、もし奴隷さんを持ちたいと思うなら、ご自分の奴隷さんが『奴隷がいい』と言えるようにしてあげてほしいなと思うのだ。
夏休みの書き放しエントリーでした。
いつもと変わらない?(笑)
次回からは通常営業。
えっと、ネタ出し切っちゃった!!どうしよう^^;
今朝の「等式」感想です。
お願いだから過去の「奴隷誓約書」の話をネタにするのは勘弁してください。私にとっては羞恥プレイです、恥ずかしくて仕方がない。(笑)なぜ、書かせたかはここでは言いませんがリクエストがあれば書きます。全般的に今日のは過激な発言ですね~色々あるとは思いますが、りん子がここま書けるのは素晴らしいですね。多分、普段思っていることをズバリ書いているから、文章に勢いと力があるように思う。途中、私にも意味不明な部分がありましたが、それは熱意の現れでと言うことで。(笑)
(リクエストをいただた後)
ううう、再び羞恥プレイ。(笑)リクエストされると基本サービスしたいので包み隠さずお話ししますよ。
因みに、書いたのは付き合い始めの頃でした。
①エントリーにも書かれていますが「りん子が私を全肯定して欲しい。」文面でお互いが納得できるものを見たかった。
②りん子を私の「もの」にしかった、そして独占したかった。紙1枚に頼らなければならない程に、恥ずかしい行為と知りながらもしたかったのです。
③その時のお互いの愛情を目に見える「形」にしたかった。目に見える物なんて限界があり、それだけしかないのに。
以上が「奴隷契約書」なんて恥かしいものを作った理由です、懐かしいので、少し見たいのですが何年か前にPCがクラッシュしたので永遠に封印することに成功しました。今なら、「2人のルールまとめ」を作ってもおもしろいかもしれません。(笑)
夏休み明けのつぶやき
独特な幸福感
少し前、継続してコンスタントにエントリーを書き続けていることを評価していただくことがあった。
とても嬉しいし励みになる。
わたしはもともと頭の中であれこれ考えることが好きだったのだろう。
日々アンテナに引っかかる様々なことを頭でこねることは、きっと自然にしているらしい。
文章の上手下手は置いといて^^;それをブログという形で残すことは大変だけど不可能なことではなかったのだ。
だからネタはあるけどどう書いたらいいか困ったな〜とか、上手にまとめられないな〜とかでは苦労はするけど、書きたいネタは尽きることなくいられている。
ゆっくりパソコンに向ける環境であることと、那智さんとの日々のコミュニケーションがあるからといのはもちろんのこと。
これが学生時代の勉学や仕事のキャリアアップで発揮されていたら、また違った人生を歩んでいたのかな〜とうだるような日差しを横目にパソコンに向かう。
今日から通常営業。
『夏休みのつぶやき』は夏休み前に一気にダダダッと書いたもので、けっこうラクに楽しんで書けました。
で、通常営業になってみて、ひさしぶりにパソコンに向かってみるけど…
なんだか書く気が起きなーい(笑)
まだ夏休み気分が抜けないからか
この暑さで脳がキリッとしてくれないからか
『夏休みのつぶやき』で吐き出して、とりあえず満足してしまったからか
ということで、しばらく『夏休みのつぶやき夏休み後も継続』にしようかな。
わたしたちのツイッターは那智さんのアカウントだ。
基本那智さんのもので、わたしは那智さんを絡めたものか呼びかけに反応するときだけつぶやいていいというルールになっている。
これはツイッター依存してしまいそうなわたしを心配してくれたことが主な理由だけど、140文字でも頭の中のことを言葉にするとそれである程度満足してしまい『等式』を書く欲が減ってしまうことに対する危惧も理由のひとつだった。
りん子はエントリーアップしろ〜ってこと(笑)
思いついたものを、その場でポンポン投げ出すことはきっととても気持ちがいい。
それでコミュニケーションが広がる楽しさも伝わってくる。
だけどわたしは、それとブログを使い分けるほど器用ではないらしい。
今回『夏休みのつぶやき』で、『ポンポン投げ出す』ブログ内ツイート的なことをしてみた結果、あっちこっち寄り道して繰り返して掘り下げる本来の『等式』欲みたいなものが明らかに減っているのだ。
読んでいる皆さんには普段との違いはないかもしれないけど、わたしの中では『書く気起きなーい』になっていて、ああ、わたしはどっちもは無理なんだな〜と改めて感じたのでした。
ということで、ダラダラ書いて、なんとなくリハビリ中(笑)
夏休みの間、那智さんとは会えずにいた。
合間にお話ししたり、メールやSkypeで文字のコミュニケーションは多少は取れていたけれど、やっぱり普段に比べたら圧倒的に少ない。
ゴールが見えているので寂しいというスイッチは切ることはできたけど、やはりもうすぐ会える日が迫ると恋しい気持ちがたまらなく溢れる。
那智さんに会いたいです。
抱いてほしいです。
入れてほしいです。
いいこいいこってしてほしいです。
恋しい気持ちを溢れるままに文字で送ると。
もっと欲情して。
とのお返事。
う〜ん、欲情とは、ちょっと違うんですよね。
欲情っていうと、なんだか『はあはあ』していそうなイメージだけど、そうじゃないのだ。
ぐぐっとおまんこの辺りが『入れてほしい』と収縮する波はあるけど、それと『はあはあ』は違うの。
『欲情とは少し違います。』と正直にお伝えしたら。
『じゃあ、わかるように解説して(笑)』とのお返事。
これは欲情よりも恋しいが近い。
恋しい気持ちって、心許ない小さな不安と、でも那智さんは存在しているという確かな仄かな温かい気持ちをミックスしたような感じなんだ。
だからね、この気持ちを言葉に表してみる。
那智さん不足。
ぽつんとひとりでたたずむ感じ。
夜道の街灯。
思いつくままに感情を言葉にして送る。
なんだか俺まで寂しくなるから、それ全部『欲情』って言葉に変換して!!(笑)
あれこれ書いたら那智さんに笑われてしまった^^;
解説してと言われたからしたんですけど、きっともっと『はあはあ』なことを想像していたのかもしれない。
思いのほかセンシティブな言葉が並んでしまったので苦笑だったのでしょう^^
でもね、那智さん、わたしはこんな人だからここで長々書けるのだと思うのですよ〜(笑)
わたしからこれを取ったらなんにも残らないから苦笑されても、このまま『欲情』や『恋しい』だけでは済まさない女でいようと思うのだ。
ということで、これがリハビリになっているかは不明のダラダラエントリーでした^^
今朝の「等式」感想です。
①等式は私の為に書いてくれている。だから普通に書いている時は楽しいよと表現し感想をツイートする、そして大変そうな時に書き上がると「ありがとうね」と声を掛ける。
②りん子が何かにつまづいた時には「自分の心を素直に表現しなね」と言っている、今回は「書く気が起きない」だったので、そのネタで良いのではと提案した、忠実に素直でした。
少し前、継続してコンスタントにエントリーを書き続けていることを評価していただくことがあった。
とても嬉しいし励みになる。
わたしはもともと頭の中であれこれ考えることが好きだったのだろう。
日々アンテナに引っかかる様々なことを頭でこねることは、きっと自然にしているらしい。
文章の上手下手は置いといて^^;それをブログという形で残すことは大変だけど不可能なことではなかったのだ。
だからネタはあるけどどう書いたらいいか困ったな〜とか、上手にまとめられないな〜とかでは苦労はするけど、書きたいネタは尽きることなくいられている。
ゆっくりパソコンに向ける環境であることと、那智さんとの日々のコミュニケーションがあるからといのはもちろんのこと。
これが学生時代の勉学や仕事のキャリアアップで発揮されていたら、また違った人生を歩んでいたのかな〜とうだるような日差しを横目にパソコンに向かう。
今日から通常営業。
『夏休みのつぶやき』は夏休み前に一気にダダダッと書いたもので、けっこうラクに楽しんで書けました。
で、通常営業になってみて、ひさしぶりにパソコンに向かってみるけど…
なんだか書く気が起きなーい(笑)
まだ夏休み気分が抜けないからか
この暑さで脳がキリッとしてくれないからか
『夏休みのつぶやき』で吐き出して、とりあえず満足してしまったからか
ということで、しばらく『夏休みのつぶやき夏休み後も継続』にしようかな。
わたしたちのツイッターは那智さんのアカウントだ。
基本那智さんのもので、わたしは那智さんを絡めたものか呼びかけに反応するときだけつぶやいていいというルールになっている。
これはツイッター依存してしまいそうなわたしを心配してくれたことが主な理由だけど、140文字でも頭の中のことを言葉にするとそれである程度満足してしまい『等式』を書く欲が減ってしまうことに対する危惧も理由のひとつだった。
りん子はエントリーアップしろ〜ってこと(笑)
思いついたものを、その場でポンポン投げ出すことはきっととても気持ちがいい。
それでコミュニケーションが広がる楽しさも伝わってくる。
だけどわたしは、それとブログを使い分けるほど器用ではないらしい。
今回『夏休みのつぶやき』で、『ポンポン投げ出す』ブログ内ツイート的なことをしてみた結果、あっちこっち寄り道して繰り返して掘り下げる本来の『等式』欲みたいなものが明らかに減っているのだ。
読んでいる皆さんには普段との違いはないかもしれないけど、わたしの中では『書く気起きなーい』になっていて、ああ、わたしはどっちもは無理なんだな〜と改めて感じたのでした。
ということで、ダラダラ書いて、なんとなくリハビリ中(笑)
夏休みの間、那智さんとは会えずにいた。
合間にお話ししたり、メールやSkypeで文字のコミュニケーションは多少は取れていたけれど、やっぱり普段に比べたら圧倒的に少ない。
ゴールが見えているので寂しいというスイッチは切ることはできたけど、やはりもうすぐ会える日が迫ると恋しい気持ちがたまらなく溢れる。
那智さんに会いたいです。
抱いてほしいです。
入れてほしいです。
いいこいいこってしてほしいです。
恋しい気持ちを溢れるままに文字で送ると。
もっと欲情して。
とのお返事。
う〜ん、欲情とは、ちょっと違うんですよね。
欲情っていうと、なんだか『はあはあ』していそうなイメージだけど、そうじゃないのだ。
ぐぐっとおまんこの辺りが『入れてほしい』と収縮する波はあるけど、それと『はあはあ』は違うの。
『欲情とは少し違います。』と正直にお伝えしたら。
『じゃあ、わかるように解説して(笑)』とのお返事。
これは欲情よりも恋しいが近い。
恋しい気持ちって、心許ない小さな不安と、でも那智さんは存在しているという確かな仄かな温かい気持ちをミックスしたような感じなんだ。
だからね、この気持ちを言葉に表してみる。
那智さん不足。
ぽつんとひとりでたたずむ感じ。
夜道の街灯。
思いつくままに感情を言葉にして送る。
なんだか俺まで寂しくなるから、それ全部『欲情』って言葉に変換して!!(笑)
あれこれ書いたら那智さんに笑われてしまった^^;
解説してと言われたからしたんですけど、きっともっと『はあはあ』なことを想像していたのかもしれない。
思いのほかセンシティブな言葉が並んでしまったので苦笑だったのでしょう^^
でもね、那智さん、わたしはこんな人だからここで長々書けるのだと思うのですよ〜(笑)
わたしからこれを取ったらなんにも残らないから苦笑されても、このまま『欲情』や『恋しい』だけでは済まさない女でいようと思うのだ。
ということで、これがリハビリになっているかは不明のダラダラエントリーでした^^
今朝の「等式」感想です。
①等式は私の為に書いてくれている。だから普通に書いている時は楽しいよと表現し感想をツイートする、そして大変そうな時に書き上がると「ありがとうね」と声を掛ける。
②りん子が何かにつまづいた時には「自分の心を素直に表現しなね」と言っている、今回は「書く気が起きない」だったので、そのネタで良いのではと提案した、忠実に素直でした。