『等式』のスタンス
独り言
『等式』にはいくつか基本スタンスがあります。
まず、ひとつは『SMを意識しない』。
もともとはSMがしたいということで出会ったわたしたちですが、あるとき那智さんから「今後極力SMという言葉は使わないように」と忠告されたことがあります。
それは、スイッチをオンオフするような非日常のSMではなく、
手を繋ぐようにビンタをして、キスをするようにおしっこを飲ませる、愛し合うもの同士のごく自然な愛情表現にしたかったからです。
ブログをはじめるに当たって、この考え方は継続されました。
那智さんは自分をSだと思っていないし、わたしにもMだと思うなと言います。
SM行為はしているけど、SMをしている、SMの関係だとは思っていません。
ですから、一般的(?)なSMや主従観からはあり得ないことも書いているかもしれません。
SMとは、主従とは、という誰かが作った価値観ではなく、自分たちだけの言葉と価値観で綴る覚悟でもあります。
『意識するな』
『否応なくマゾ』
もうひとつは『全部書く』です。
那智さんはブログにより信憑性や真実味を持たせたいと思っていました。
わたしたちがここに存在しているという『社会性』を感じるためには、「これ、ホント?」と疑われたくなかったのです。
それには、キレイごとばかりを書くのではなく、那智さんの良くないところやわたしのぐずぐずも全部書くことが必要でした。
那智さんを普通の人として、わたしをよくつまずく女として書くことで、この人たちはたしかに存在していると思ってほしかったのです。
もちろん、好きな男のことを書くのですから『りん子フィルター』を通して、カッコよく書かれてしまっている部分があることはご了承くださいませ(笑)
『社会性』
『全部書けの弊害』
そして、最後に『全部自覚しています』。
これは『全部書け』に通じるところですが。
わたしたちはSM行為をしています、SM行為の中には反社会的行為や一般常識ではマナー違反とされるかもしれない行いもしています。
先日、那智さんと一緒にいるときに通り雨にあいました。
ちょうど目の前の工務店かなにかの軒先をお借りして雨宿りをしました。
全面ガラスの引き戸の前で雨宿りをしながら、那智さんは振り返り中にいる人に両手を合わせて「お借りしますね」と謝礼の合図を送っていました。
あまり自慢することではないと思いますが、那智さんはとても周囲に対する気遣いができる人です。
その那智さんがいろいろなことを秤にかけてマナー違反と感じられる行為をするときには、それにより不快な思いをする人がいるとわかった上でしています。
とても心苦しいのですが、那智さんは自分たちの人生を豊かにするために、どうしても叶えたいことのために、自覚してそれを選んでいます。
そして、わたしは那智さんの決定には従う関係なので、従っています。
(露出行為は子供が視界にいたらしないでほしいということだけは伝えてあります。ついでに那智さんは食品業界で仕事していたことがあるので、食品衛生に対する知識もわたしよりずっとあります)
これを書いたら不快に思う人がいると想像できても、可能な限り『全部書く』ので、反社会的行為だとわかって、不快な思いうする人もいるとわかって、書いています。
ですから、ご指摘いただいてもご意見は真摯に受け止めますし不快にさせてしまったことは申し訳なく思いますが、『わかっています、でも、変わりません』としか言えません。
もしかしたら、わたしたちと常識や判断基準とは違う新しい価値観からのご指摘があれば、違う展開になるかもしれませんが。
『薄い氷を歩くように』
以上が、『等式』のスタンスです。
万人が満足するようなものを書くことは不可能です、でも、自分に誠実でいたいと思って書いています。
読んでくださってありがとうございます。
今後、また思いついたら追加するかもしれません^^
2012年8月10日、オリンピックを楽しんでいる夏の日に。
『等式』にはいくつか基本スタンスがあります。
まず、ひとつは『SMを意識しない』。
もともとはSMがしたいということで出会ったわたしたちですが、あるとき那智さんから「今後極力SMという言葉は使わないように」と忠告されたことがあります。
それは、スイッチをオンオフするような非日常のSMではなく、
手を繋ぐようにビンタをして、キスをするようにおしっこを飲ませる、愛し合うもの同士のごく自然な愛情表現にしたかったからです。
ブログをはじめるに当たって、この考え方は継続されました。
那智さんは自分をSだと思っていないし、わたしにもMだと思うなと言います。
SM行為はしているけど、SMをしている、SMの関係だとは思っていません。
ですから、一般的(?)なSMや主従観からはあり得ないことも書いているかもしれません。
SMとは、主従とは、という誰かが作った価値観ではなく、自分たちだけの言葉と価値観で綴る覚悟でもあります。
『意識するな』
『否応なくマゾ』
もうひとつは『全部書く』です。
那智さんはブログにより信憑性や真実味を持たせたいと思っていました。
わたしたちがここに存在しているという『社会性』を感じるためには、「これ、ホント?」と疑われたくなかったのです。
それには、キレイごとばかりを書くのではなく、那智さんの良くないところやわたしのぐずぐずも全部書くことが必要でした。
那智さんを普通の人として、わたしをよくつまずく女として書くことで、この人たちはたしかに存在していると思ってほしかったのです。
もちろん、好きな男のことを書くのですから『りん子フィルター』を通して、カッコよく書かれてしまっている部分があることはご了承くださいませ(笑)
『社会性』
『全部書けの弊害』
そして、最後に『全部自覚しています』。
これは『全部書け』に通じるところですが。
わたしたちはSM行為をしています、SM行為の中には反社会的行為や一般常識ではマナー違反とされるかもしれない行いもしています。
先日、那智さんと一緒にいるときに通り雨にあいました。
ちょうど目の前の工務店かなにかの軒先をお借りして雨宿りをしました。
全面ガラスの引き戸の前で雨宿りをしながら、那智さんは振り返り中にいる人に両手を合わせて「お借りしますね」と謝礼の合図を送っていました。
あまり自慢することではないと思いますが、那智さんはとても周囲に対する気遣いができる人です。
その那智さんがいろいろなことを秤にかけてマナー違反と感じられる行為をするときには、それにより不快な思いをする人がいるとわかった上でしています。
とても心苦しいのですが、那智さんは自分たちの人生を豊かにするために、どうしても叶えたいことのために、自覚してそれを選んでいます。
そして、わたしは那智さんの決定には従う関係なので、従っています。
(露出行為は子供が視界にいたらしないでほしいということだけは伝えてあります。ついでに那智さんは食品業界で仕事していたことがあるので、食品衛生に対する知識もわたしよりずっとあります)
これを書いたら不快に思う人がいると想像できても、可能な限り『全部書く』ので、反社会的行為だとわかって、不快な思いうする人もいるとわかって、書いています。
ですから、ご指摘いただいてもご意見は真摯に受け止めますし不快にさせてしまったことは申し訳なく思いますが、『わかっています、でも、変わりません』としか言えません。
もしかしたら、わたしたちと常識や判断基準とは違う新しい価値観からのご指摘があれば、違う展開になるかもしれませんが。
『薄い氷を歩くように』
以上が、『等式』のスタンスです。
万人が満足するようなものを書くことは不可能です、でも、自分に誠実でいたいと思って書いています。
読んでくださってありがとうございます。
今後、また思いついたら追加するかもしれません^^
2012年8月10日、オリンピックを楽しんでいる夏の日に。
刺青
独特な幸福感
左手の薬指に刺青を入れる(彫るっていうのかしら)日。
はじめて降り立つ駅だ。
いつも利用している繁華街の駅から、一駅離れただけなのに、なんだか雰囲気が違う。
繁華街の雑多な空気はどこかへ消えて、ごく普通の昔からの住宅街といった趣。
刺青。
たくさんの人が経験していること。
だから、耐えられない痛みではないはずだ。
私は普通に一般人として仕事もしているし、ご近所付き合いもしている。
ファッションで彫るほど、若くもない。
まして私の仕事はどちらかといえば格式を重んじる接客業だ。
明らかに刺青とわかるものを薬指に入れるわけにはいかないから怖がるほどの量は彫らない。
本当にホクロのように、ちょっと大きめのホクロのように彫るだけだ。
一瞬で終わるはず、だから、大丈夫。大丈夫。
一生懸命自分に言い聞かせる。
那智さんについて行って、マンションの一室を訪れる。
こざっぱりと整理された部屋は、その一室ですべて事足りるように事務所兼施行場所となっているようだ。
フレームが籐でできたソファに座り、クッションを抱え込んで、成り行きを見守る。
いろいろ説明されながら、サインを書いたり、ホクロの大きさや色を決めたり。
ほとんど那智さんと彫り師の人で話が進む中、合いの手のように「痛いですよね?」「泣く人いますか?」などと、質問を繰り返す私。
怖いよお。
いまさら、やっぱりいやとも言えないし。
でも、私たちの愛し合う印は、甘美で、幸福な想像だ。
そうそう、同じ場所に那智さんも入れてくれるのです。
よくある「ご主人様」と「奴隷」のような関係と少し違うところは、こんなところに現れるのかもしれない。
同じ印がある安心を与えてくれるのだ。
そして、おそらく那智さんも同じ場所にほしいのだ(と思う)。
妙な合いの手を入れる私には選択肢を与えてくれる。
「最初か後か、選んでいいよ」
即座に「後がいいです」と答える。
だって、様子がわかるもの。
歯医者さんで座るような椅子が施行場所のようだ。
衛生的な処理をして那智さんが座る。
ここで彫り師の人が、機材と仕組みを説明してくれるから、恐る恐る覗きこむ。
「ペンの先がギザギザになっていて、それがドリルのように回転して色を付けます。」
いやあああ、そんな説明聞かなきゃよっかった!怖さが増す。
でも、聞かずにはいられない!!
さくさくと作業は終了。
作業中はなんのリアクションもしなかった那智さん。
大して痛くないのかな、と思いながら、椅子に座らされて待つ私。
ここで、私は選択を誤ったことに気付くのだ。
彫り師の人が準備をしている間「痛かったですか?」と聞く私に、嬉しそうにうなずいてみせる。
そうよね、負けず嫌いな那智さんが痛そうなリアクションするはずないよね。
だから、痛かったんだ・・。
そして那智さんは私を怖がらせて楽しむ人だ、大げさかもと予測はできても痛みの感想は充分に私を震え上がらせる。
それにしても、なぜ椅子の正面に大きな姿見があるのだろう。
怖がる自分の姿を鏡を通して見る、不思議な感じ。
鏡に映る女性は、まな板の上の鯉。
恐がりな私は、これから起きる未知の痛みを想像して冷や汗をかき。
しかし、なんとも幸せそうだ。
那智さんの意志で、一生消えない印を入れる。
その事実と、その状況を楽しむ那智さんの姿。
だから私はとても幸せそうだ。
痛くても、怖くても那智さんの満足げな表情が私を幸せにしてくれる。
結局、痛いといえば痛いし、我慢できるといえばできる痛みを数十秒。
人間なんてけっこうな痛みに耐えられるものだ。
私は恐がりだけど、割と痛みには強いのだ。(じゃあ、もっと痛いことしようと、思われませんように)
だから、私には印がある。
愛する人といつでも繋がっているという印。
所有されている印。
1人でいるとき、何気ない瞬間、ちょっと頑張れっていうとき、私は薬指の印にキスをする。
それをタイトルにしました。
ちなみに、同じ印を持っている那智さんの感想は「意味のあることだけど、ロマンチックすぎてつまらない」だそうです。
ロマンチックじゃないのは、やっぱり私にだけ新たに彫る・・・ってことになってしまうのかしら。
左手の薬指に刺青を入れる(彫るっていうのかしら)日。
はじめて降り立つ駅だ。
いつも利用している繁華街の駅から、一駅離れただけなのに、なんだか雰囲気が違う。
繁華街の雑多な空気はどこかへ消えて、ごく普通の昔からの住宅街といった趣。
刺青。
たくさんの人が経験していること。
だから、耐えられない痛みではないはずだ。
私は普通に一般人として仕事もしているし、ご近所付き合いもしている。
ファッションで彫るほど、若くもない。
まして私の仕事はどちらかといえば格式を重んじる接客業だ。
明らかに刺青とわかるものを薬指に入れるわけにはいかないから怖がるほどの量は彫らない。
本当にホクロのように、ちょっと大きめのホクロのように彫るだけだ。
一瞬で終わるはず、だから、大丈夫。大丈夫。
一生懸命自分に言い聞かせる。
那智さんについて行って、マンションの一室を訪れる。
こざっぱりと整理された部屋は、その一室ですべて事足りるように事務所兼施行場所となっているようだ。
フレームが籐でできたソファに座り、クッションを抱え込んで、成り行きを見守る。
いろいろ説明されながら、サインを書いたり、ホクロの大きさや色を決めたり。
ほとんど那智さんと彫り師の人で話が進む中、合いの手のように「痛いですよね?」「泣く人いますか?」などと、質問を繰り返す私。
怖いよお。
いまさら、やっぱりいやとも言えないし。
でも、私たちの愛し合う印は、甘美で、幸福な想像だ。
そうそう、同じ場所に那智さんも入れてくれるのです。
よくある「ご主人様」と「奴隷」のような関係と少し違うところは、こんなところに現れるのかもしれない。
同じ印がある安心を与えてくれるのだ。
そして、おそらく那智さんも同じ場所にほしいのだ(と思う)。
妙な合いの手を入れる私には選択肢を与えてくれる。
「最初か後か、選んでいいよ」
即座に「後がいいです」と答える。
だって、様子がわかるもの。
歯医者さんで座るような椅子が施行場所のようだ。
衛生的な処理をして那智さんが座る。
ここで彫り師の人が、機材と仕組みを説明してくれるから、恐る恐る覗きこむ。
「ペンの先がギザギザになっていて、それがドリルのように回転して色を付けます。」
いやあああ、そんな説明聞かなきゃよっかった!怖さが増す。
でも、聞かずにはいられない!!
さくさくと作業は終了。
作業中はなんのリアクションもしなかった那智さん。
大して痛くないのかな、と思いながら、椅子に座らされて待つ私。
ここで、私は選択を誤ったことに気付くのだ。
彫り師の人が準備をしている間「痛かったですか?」と聞く私に、嬉しそうにうなずいてみせる。
そうよね、負けず嫌いな那智さんが痛そうなリアクションするはずないよね。
だから、痛かったんだ・・。
そして那智さんは私を怖がらせて楽しむ人だ、大げさかもと予測はできても痛みの感想は充分に私を震え上がらせる。
それにしても、なぜ椅子の正面に大きな姿見があるのだろう。
怖がる自分の姿を鏡を通して見る、不思議な感じ。
鏡に映る女性は、まな板の上の鯉。
恐がりな私は、これから起きる未知の痛みを想像して冷や汗をかき。
しかし、なんとも幸せそうだ。
那智さんの意志で、一生消えない印を入れる。
その事実と、その状況を楽しむ那智さんの姿。
だから私はとても幸せそうだ。
痛くても、怖くても那智さんの満足げな表情が私を幸せにしてくれる。
結局、痛いといえば痛いし、我慢できるといえばできる痛みを数十秒。
人間なんてけっこうな痛みに耐えられるものだ。
私は恐がりだけど、割と痛みには強いのだ。(じゃあ、もっと痛いことしようと、思われませんように)
だから、私には印がある。
愛する人といつでも繋がっているという印。
所有されている印。
1人でいるとき、何気ない瞬間、ちょっと頑張れっていうとき、私は薬指の印にキスをする。
それをタイトルにしました。
ちなみに、同じ印を持っている那智さんの感想は「意味のあることだけど、ロマンチックすぎてつまらない」だそうです。
ロマンチックじゃないのは、やっぱり私にだけ新たに彫る・・・ってことになってしまうのかしら。
128文字の告白
独特な幸福感
那智さんと出会ったころは、私はプリペイドの携帯しか持っていませんでした。
このプリペイドの携帯は、メールの受送信の文字制限があり、特に送信は極端に少なく、128文字。(いまはどうなのでしょう?)
それでも、なんとか思いを伝えたくて、主語を省き、句読点を付けず、四苦八苦しながら文章を作っていました。
そのうち、携帯を新しくしたり、パソコンを使うようになって、制限なく言葉を贈ることはできるようになっていくのですが。
今回、ブログをはじめるということで、久しぶりに読み返してみました。
愛している気持ちは、数年後のいまも変わらないと、むしろもっと深い結びつきだと、誇りに思うと同時に、はじめての感情に戸惑いながらも、目の前に起こる出来事に向き合おうと必死になっている感じが新鮮で、自戒の意味も込めて「記憶」として時々載せていこうと思いました。
第一弾♪
「あなたでなければあんなふうになれない。それはSMをしているのではなく愛し合っているのだと。わかる」
自分には「支配されたい」という性癖があることは自覚していて、行為としての「SM」でなんとか満たそうとしていた時には、皮膚の上を滑るだけのマスターベーションのような感覚しか持てなかった。
「なぜだろう、縛られたりして望みは叶っているはずなのに。」
一瞬は嬉しくても、すぐ醒めてしまう自分は無我夢中になるような快感は得ることができないのだろうか、と少し諦めていた。
そんな私が那智さんと出会って、何日も何時間も誠実に向き合ってもらって(口説かれて?!)心を許し、愛していると自覚させられ、抱かれる。
恥ずかしい行為に我を忘れ、はしたなく腰を振り、大きな声を上げ、だけど、守られているような安心感も感じて、味わう快感。
心が伴う喜びを、はじめて実感した時に送ったメールです。
短めの内容で、一服程度の記事にしようとしたけれど、だらだらと長くなってしまいました〜。
でも、私の集中力はここまででです・・。
那智さんが読んだら、「簡潔に終わらないならそれなりに長くなってもいいから、ちゃんと細かく書きなさい、説明不足」と叱られそうです♪
那智さんと出会ったころは、私はプリペイドの携帯しか持っていませんでした。
このプリペイドの携帯は、メールの受送信の文字制限があり、特に送信は極端に少なく、128文字。(いまはどうなのでしょう?)
それでも、なんとか思いを伝えたくて、主語を省き、句読点を付けず、四苦八苦しながら文章を作っていました。
そのうち、携帯を新しくしたり、パソコンを使うようになって、制限なく言葉を贈ることはできるようになっていくのですが。
今回、ブログをはじめるということで、久しぶりに読み返してみました。
愛している気持ちは、数年後のいまも変わらないと、むしろもっと深い結びつきだと、誇りに思うと同時に、はじめての感情に戸惑いながらも、目の前に起こる出来事に向き合おうと必死になっている感じが新鮮で、自戒の意味も込めて「記憶」として時々載せていこうと思いました。
第一弾♪
「あなたでなければあんなふうになれない。それはSMをしているのではなく愛し合っているのだと。わかる」
自分には「支配されたい」という性癖があることは自覚していて、行為としての「SM」でなんとか満たそうとしていた時には、皮膚の上を滑るだけのマスターベーションのような感覚しか持てなかった。
「なぜだろう、縛られたりして望みは叶っているはずなのに。」
一瞬は嬉しくても、すぐ醒めてしまう自分は無我夢中になるような快感は得ることができないのだろうか、と少し諦めていた。
そんな私が那智さんと出会って、何日も何時間も誠実に向き合ってもらって(口説かれて?!)心を許し、愛していると自覚させられ、抱かれる。
恥ずかしい行為に我を忘れ、はしたなく腰を振り、大きな声を上げ、だけど、守られているような安心感も感じて、味わう快感。
心が伴う喜びを、はじめて実感した時に送ったメールです。
短めの内容で、一服程度の記事にしようとしたけれど、だらだらと長くなってしまいました〜。
でも、私の集中力はここまででです・・。
那智さんが読んだら、「簡潔に終わらないならそれなりに長くなってもいいから、ちゃんと細かく書きなさい、説明不足」と叱られそうです♪
嫉妬の効用
非日常的な日常
大好きな人が、自分の見ている前で他の人を抱く。
あるいは、大好きな人の見ているところで、他の人に抱かれる。
そんな時、どんな感情を抱くと想像しますか?
レイプなどの犯罪でないかぎり、大人同士の合意の元で行われるのだから、嫉妬も傷心も「甘美」の範疇?
那智さんは、那智さんの前で誰かに私を抱かせたいと思っているのです。
そして、おそらくそれよりも少ないけれど、私の前で他の女性を抱いてみたいとも思っているはずです。
私たちは、カップル喫茶やハプニングバーといったところに、何度か行ったことがあります。(私はカップル喫茶は一回だけですけど)
その都度、他者を交えてってことにはもちろんならず、楽しくお酒を飲むくらいのときのほうが多いし、それはそれでマイノリティなりに社会性が持てて充実した時間を過ごせます。
誰に抱かせてもいいってわけでもないですしね!
でも、そんなような嫉妬につながるような経験がないわけでもありません。
そのときの感情を書きたいと思います。
はじめて足を踏み入れた「特殊な場所」はカップル喫茶でした。
薄暗い店内は、左右を壁で仕切られたボックス席が横に並び、向かい合わせににも同じボックス席が並ぶ、それだけの狭いところ。
壁には、窓のように穴が開いています。
すでに、二組のカップルがいて静かに自分たちの世界を楽しんでいるようでした。
一組は右隣、もう一組は斜め前。
隣のカップルは、わざわざ窓を覗かないと様子は伺えないから、当然覗き込むこたはできない。
斜め前のカップルもジロジロ見るのもためらわれるから、チラって盗み見てみる。(そもそも、そういう場所に来る人たちだから、たくさん見ても失礼じゃないのかな〜でも、やっぱり恥ずかしいから堂々とは見られませんよね〜)
女性は洋服を着ているけれど、男性はTシャツだけで下半身は裸だああああ。
どぎまぎする私を楽しむように、ワンピースの肩ひもを肩から滑り落とす那智さん。
人前で下着を露わにされて、恥ずかしくていやいやと那智さんの肩に顔を埋めて逃れようとする私の耳元で、追い打ちをかけるようにご主人様が囁く。
「前の男の見てごらん、すごい大きいよ。」
そんなもの見られるわけないじゃありませんか〜〜〜大きな声を出すわけにはいかないから、小声でぱくぱくと訴えて抵抗。
そんな無駄な抵抗をよそに、今度は、ブラのホックを外されでしまう。
全部ではないけれど、はだけたワンピースと浮き上がったブラ間から胸が露出してしまう。
恥ずかしい、恥ずかしい、でも、ちょっと不思議、なんだか開放感もなくはない。
ふわっと、身軽になった感じ。
たまたまなのか、そういう場所なのか、まわりは自分たちの世界に入っていて、こちらには興味を示してはいないよう。
安堵・・・でも、一抹の寂しさを(肩すかしのような感じ?)を覚えてしまう私は、やっぱりちょっと変?!
このときは、知り合ってまだ数ヶ月だったので、この寂しさの一因は「私は那智さんのもの!」って、誇示できるような事態に発展しなかったからだなんて自覚できませんでしたけど。
愛しているということは、日々の生活の中で、言葉や優しさ、キスやエッチなこと、色々なことで伝えられるけど。
那智さんと私は、それに加えて「所有し、所有されている」を感じるとより幸福になるので、どうしたら味わえるのかと模索しているのです。
酷いことになればなるほど、その感覚を味わえるのです。
だから、カップル喫茶でとんでもないこと(どんなこと?!)にならず感じた寂しさは、これを味わえなかったからだと、いまなら言えるのですが。(単に、淫乱なだけ、と突っ込まれそうですね)
この後、カップル喫茶初体験は、どうなっていくのでしょう!!
ちょっと、休憩させてくださいませ。
ああ、全然嫉妬の話までいきません。
気長にお付き合いください。
大好きな人が、自分の見ている前で他の人を抱く。
あるいは、大好きな人の見ているところで、他の人に抱かれる。
そんな時、どんな感情を抱くと想像しますか?
レイプなどの犯罪でないかぎり、大人同士の合意の元で行われるのだから、嫉妬も傷心も「甘美」の範疇?
那智さんは、那智さんの前で誰かに私を抱かせたいと思っているのです。
そして、おそらくそれよりも少ないけれど、私の前で他の女性を抱いてみたいとも思っているはずです。
私たちは、カップル喫茶やハプニングバーといったところに、何度か行ったことがあります。(私はカップル喫茶は一回だけですけど)
その都度、他者を交えてってことにはもちろんならず、楽しくお酒を飲むくらいのときのほうが多いし、それはそれでマイノリティなりに社会性が持てて充実した時間を過ごせます。
誰に抱かせてもいいってわけでもないですしね!
でも、そんなような嫉妬につながるような経験がないわけでもありません。
そのときの感情を書きたいと思います。
はじめて足を踏み入れた「特殊な場所」はカップル喫茶でした。
薄暗い店内は、左右を壁で仕切られたボックス席が横に並び、向かい合わせににも同じボックス席が並ぶ、それだけの狭いところ。
壁には、窓のように穴が開いています。
すでに、二組のカップルがいて静かに自分たちの世界を楽しんでいるようでした。
一組は右隣、もう一組は斜め前。
隣のカップルは、わざわざ窓を覗かないと様子は伺えないから、当然覗き込むこたはできない。
斜め前のカップルもジロジロ見るのもためらわれるから、チラって盗み見てみる。(そもそも、そういう場所に来る人たちだから、たくさん見ても失礼じゃないのかな〜でも、やっぱり恥ずかしいから堂々とは見られませんよね〜)
女性は洋服を着ているけれど、男性はTシャツだけで下半身は裸だああああ。
どぎまぎする私を楽しむように、ワンピースの肩ひもを肩から滑り落とす那智さん。
人前で下着を露わにされて、恥ずかしくていやいやと那智さんの肩に顔を埋めて逃れようとする私の耳元で、追い打ちをかけるようにご主人様が囁く。
「前の男の見てごらん、すごい大きいよ。」
そんなもの見られるわけないじゃありませんか〜〜〜大きな声を出すわけにはいかないから、小声でぱくぱくと訴えて抵抗。
そんな無駄な抵抗をよそに、今度は、ブラのホックを外されでしまう。
全部ではないけれど、はだけたワンピースと浮き上がったブラ間から胸が露出してしまう。
恥ずかしい、恥ずかしい、でも、ちょっと不思議、なんだか開放感もなくはない。
ふわっと、身軽になった感じ。
たまたまなのか、そういう場所なのか、まわりは自分たちの世界に入っていて、こちらには興味を示してはいないよう。
安堵・・・でも、一抹の寂しさを(肩すかしのような感じ?)を覚えてしまう私は、やっぱりちょっと変?!
このときは、知り合ってまだ数ヶ月だったので、この寂しさの一因は「私は那智さんのもの!」って、誇示できるような事態に発展しなかったからだなんて自覚できませんでしたけど。
愛しているということは、日々の生活の中で、言葉や優しさ、キスやエッチなこと、色々なことで伝えられるけど。
那智さんと私は、それに加えて「所有し、所有されている」を感じるとより幸福になるので、どうしたら味わえるのかと模索しているのです。
酷いことになればなるほど、その感覚を味わえるのです。
だから、カップル喫茶でとんでもないこと(どんなこと?!)にならず感じた寂しさは、これを味わえなかったからだと、いまなら言えるのですが。(単に、淫乱なだけ、と突っ込まれそうですね)
この後、カップル喫茶初体験は、どうなっていくのでしょう!!
ちょっと、休憩させてくださいませ。
ああ、全然嫉妬の話までいきません。
気長にお付き合いください。
嫉妬の効用2
非日常的な日常
雨がたくさん降っていますね。
では、カップル喫茶の続きです。
カップル喫茶というところには、那智さんは過去にもあるらしいです〜(←これも、軽い甘えた嫉妬ね♪)、この日の様子は、ひとつのケースにしか過ぎないでしょうけど、「見る、見られる、関わる」というよりも、自分たちの世界に入り込むといった感じでした。
だから、那智さん自身も積極的にアクションを起こす気配はありませんでした。
それでも、指を使いかわいがり、何度か小さい声で「いかせてください。」とお願いさせるようなお遊びは楽しんでいたようです。(私はいくときは、許可を得ないといけないのです)
そのうち、隣のカップルが似たようなことをしている気配がしてきました。
それを察した那智さんは(察したのだと思う)、場所を移動して、腰掛ける私の前にしゃがみ込んで、私の両足を大きく広げます。
新たなお遊びをはじめるのかしら。
「スカートの中が前のカップルから見えちゃう!!(すでにこのときはスカートの下には何も着けていない状態)」
なんて危惧することも束の間、那智さんが楽しそうに隣に目線を動かしたのです。
両側は壁で仕切られてるけれど、席を離れてこちら側を見れば、隣を正面から見ることができるのです。
那智さんが、他の女性の裸?下着姿?おまんこ(本当はこういう言葉、口にするのも、文字にするのも苦手です。・・でも、遠回しのほうがかえって意識しているようで、かっこわるいから、さらっとね)?を見ている!!!
その瞬間、私は、目を普段より三倍くらい(当社比♪)大きく見開き、驚きとショックと嫉妬を表していました。
ほとんど無意識に無自覚に咄嗟に表れた嫉妬の表情を那智さんはずいぶんと面白がってくれたことは、不幸中の幸いです。
このときは、一瞬で終わったけれど、もしその状態が長く続くか、もっと進んでしまったら、私はどんな心理状態でどんな行動に出てしまうのか。
那智さんとその女性の間に割って入り、「やめてください。」と「私だけを見てください。」と懇願するだろうか。
それとも、嫉妬のあまり体が硬直して、為す術なく涙を流すのか。
理性やプライドが邪魔をして、苦しみながら嫉妬を押し殺すのか。
この時点では、想像でしか推し量ることはできない。
そして、どんな私の反応が那智さんの満足になるのかも、わからない。
嫉妬を露わにして那智さんを信頼していないのかと、お仕置きをされるかもしれない。
取り乱さずおとなしくできていたら、褒めてもらえてご褒美をくれるかもしれない。
嫉妬が私たちの「証探し」に、どれほどの効果をもたらすのか。
私たちは、まだわからないままだ。
次回は、ハプニングバーで感じた嫉妬についてです。
まだ、「他者を交える」は続かせていただきます♪
では、では、おやすみなさい。
雨がたくさん降っていますね。
では、カップル喫茶の続きです。
カップル喫茶というところには、那智さんは過去にもあるらしいです〜(←これも、軽い甘えた嫉妬ね♪)、この日の様子は、ひとつのケースにしか過ぎないでしょうけど、「見る、見られる、関わる」というよりも、自分たちの世界に入り込むといった感じでした。
だから、那智さん自身も積極的にアクションを起こす気配はありませんでした。
それでも、指を使いかわいがり、何度か小さい声で「いかせてください。」とお願いさせるようなお遊びは楽しんでいたようです。(私はいくときは、許可を得ないといけないのです)
そのうち、隣のカップルが似たようなことをしている気配がしてきました。
それを察した那智さんは(察したのだと思う)、場所を移動して、腰掛ける私の前にしゃがみ込んで、私の両足を大きく広げます。
新たなお遊びをはじめるのかしら。
「スカートの中が前のカップルから見えちゃう!!(すでにこのときはスカートの下には何も着けていない状態)」
なんて危惧することも束の間、那智さんが楽しそうに隣に目線を動かしたのです。
両側は壁で仕切られてるけれど、席を離れてこちら側を見れば、隣を正面から見ることができるのです。
那智さんが、他の女性の裸?下着姿?おまんこ(本当はこういう言葉、口にするのも、文字にするのも苦手です。・・でも、遠回しのほうがかえって意識しているようで、かっこわるいから、さらっとね)?を見ている!!!
その瞬間、私は、目を普段より三倍くらい(当社比♪)大きく見開き、驚きとショックと嫉妬を表していました。
ほとんど無意識に無自覚に咄嗟に表れた嫉妬の表情を那智さんはずいぶんと面白がってくれたことは、不幸中の幸いです。
このときは、一瞬で終わったけれど、もしその状態が長く続くか、もっと進んでしまったら、私はどんな心理状態でどんな行動に出てしまうのか。
那智さんとその女性の間に割って入り、「やめてください。」と「私だけを見てください。」と懇願するだろうか。
それとも、嫉妬のあまり体が硬直して、為す術なく涙を流すのか。
理性やプライドが邪魔をして、苦しみながら嫉妬を押し殺すのか。
この時点では、想像でしか推し量ることはできない。
そして、どんな私の反応が那智さんの満足になるのかも、わからない。
嫉妬を露わにして那智さんを信頼していないのかと、お仕置きをされるかもしれない。
取り乱さずおとなしくできていたら、褒めてもらえてご褒美をくれるかもしれない。
嫉妬が私たちの「証探し」に、どれほどの効果をもたらすのか。
私たちは、まだわからないままだ。
次回は、ハプニングバーで感じた嫉妬についてです。
まだ、「他者を交える」は続かせていただきます♪
では、では、おやすみなさい。