那智さん仕様
独特な幸福感
『100%那智さん仕様』こんな言葉を使ったことがある。
使い方は正しくないかな?
『那智さんじゃなきゃダメ〜』ってことを言いたかっただけなんだけど。
なんとなく語呂が気に入って、そんな言葉を使ったんだ。
あれ?『那智さんじゃなきゃダメ』だったら、『100%りん子仕様』のほうが、まだ正しい?
まあ、苦手なお勉強は置いといて^^;
那智さんはずっと『那智さんじゃなきゃダメ』というりん子にしたいと思っている。
那智さんに出会う前。
いまよりもずっといろんな人に抱かれていた。
どこか回路を遮断して。
なぜ、そこまでして抱かれていたかというと、求められたから。
求められることで自尊心を満足させて、夢中になる男性をコントロールしているような快感を味わっていた。
でも、回路を遮断して、見下しているようなセックスは後味が悪く、結局は快感にはならなかった。
そのわたしが、那智さんに出会い、心の欠損も性癖も満たすような『セックス』をするわけだもの。
『那智さんじゃなきゃダメ』になるのは、あっという間だった。
那智さんじゃなきゃ、あんなふうになれない。
那智さんじゃなきゃ、痛いことも排泄関係も受け入れられないし、快感にならない。
それだけじゃない。
(男性の方、ごめんなさい)那智さん以外の男性の体に触れることさえ、いや。
(男性の方、ごめんなさい 笑)那智さん以外の男性のおちんちんなんて、見たくもない。
あの乳首を捻る力加減も。
唾液を注ぐタイミングも。
無遠慮にかき回す指も。
心の交流はもちろん、こんなことももう那智さんじゃなきゃダメ。
多分、那智さんが望んでいたことはこういうことだと思う。
だから、那智さんの望むようなわたしになっているはずだ。
そうすると、それに反するように、別な感情も那智さんに生まれる。
他の男に抱かせたら、りん子はどうなるんだろうって。
それは、わたしには『絶対無理!!』なことだった。
一方で、わたしの中には、ある妄想がずっとある。(あはは、妄想だらけのわたし^^;)
いわゆる『公衆便所』。
一度に大勢の男性の欲望の的になるということ。
(この妄想をブログの中では、ほとんど書いていないと思う。女性が虐げられているようなこの妄想は、湧き上がるくせに悲しい気持ちも比例して生まれるから、書かなかったの)
だけど、これは、わたしには無理なことだと思っていた。
まあ、現実問題、ものすごい怖がりなのでただの妄想だけなのだけど。
それでも、怖がりとかいうことを抜きにしても無理だと思っていた。
那智さんに出会う前から、自分には被虐願望があるくせに、女性が虐げられていることに傷付くという矛盾を抱えていたので、この『公衆便所』扱いは傷付く感情のほうが大きく、自分には快感にならないだろうと思っていたから。(「被虐の種類」あたりに書いてあるかな)
最終的には『大切にされながら、酷いことをしてもらう』ことで落ち着いたわけなんだけど。
だから、那智さんに出会う前から無理。
それで、那智さんに出会ってからは、みるみるうちに『那智さん仕様』になっているわけだから、傷付く以前に、無理。
ということで、那智さんに出会う前からいまに至まで、形は違うけど『無理』な妄想のままだった。
だから、那智さんが『他の男性に抱かせたら』と投げかけられても、妄想は棚に置いといて、無理という答えを出していた。
だけど、ハプバーに時々行くようになり、那智さんのそばで自分を少しだけ解放する瞬間を何度か経験するうちに、変化が起きたように思う。
男性がわたしの胸に触れるとき、見知らぬ男性にフェラチオをするとき、那智さんがそばにいて、そこに那智さんの意志が介在していると、いままで無理だと思っていたことが、受け入れられるような気がしてくるのだ。
那智さんの意志で、大勢の男性の欲望の的になるなら、それは間接的に那智さんが手を下していることになるかもしれない。
わたしは傷付かずに、快感を味わうかもしれない。
『那智さんバリア』が存在するのではと最近思う。
相変わらず、怖いし傷付きそうだし、『厳しいな〜』とは思うけど。
そうすれば、誰かに抱かせるが『絶対無理!!』事項ではなくなる日が来るかもしれないと、ちょっと思うのだ。
で、那智さんは、どうでしょう。
『100%那智さん仕様』にしたい。
それは。
『那智さんじゃなきゃダメ』と他の男性が触れてもびくともしないわたしで実感できるのか。
それとも。
那智さんの意志が介在することで受け入れられるりん子で実感できるのか。
どちらが、より『100%那智さん仕様』を満足させることができるのでしょう、ね、那智さん。
いや、結局りん子の願望を叶えてあげようとしてるだけなんですけど…と那智さんに苦笑されてしまいそうですね^^;
『100%那智さん仕様』こんな言葉を使ったことがある。
使い方は正しくないかな?
『那智さんじゃなきゃダメ〜』ってことを言いたかっただけなんだけど。
なんとなく語呂が気に入って、そんな言葉を使ったんだ。
あれ?『那智さんじゃなきゃダメ』だったら、『100%りん子仕様』のほうが、まだ正しい?
まあ、苦手なお勉強は置いといて^^;
那智さんはずっと『那智さんじゃなきゃダメ』というりん子にしたいと思っている。
那智さんに出会う前。
いまよりもずっといろんな人に抱かれていた。
どこか回路を遮断して。
なぜ、そこまでして抱かれていたかというと、求められたから。
求められることで自尊心を満足させて、夢中になる男性をコントロールしているような快感を味わっていた。
でも、回路を遮断して、見下しているようなセックスは後味が悪く、結局は快感にはならなかった。
そのわたしが、那智さんに出会い、心の欠損も性癖も満たすような『セックス』をするわけだもの。
『那智さんじゃなきゃダメ』になるのは、あっという間だった。
那智さんじゃなきゃ、あんなふうになれない。
那智さんじゃなきゃ、痛いことも排泄関係も受け入れられないし、快感にならない。
それだけじゃない。
(男性の方、ごめんなさい)那智さん以外の男性の体に触れることさえ、いや。
(男性の方、ごめんなさい 笑)那智さん以外の男性のおちんちんなんて、見たくもない。
あの乳首を捻る力加減も。
唾液を注ぐタイミングも。
無遠慮にかき回す指も。
心の交流はもちろん、こんなことももう那智さんじゃなきゃダメ。
多分、那智さんが望んでいたことはこういうことだと思う。
だから、那智さんの望むようなわたしになっているはずだ。
そうすると、それに反するように、別な感情も那智さんに生まれる。
他の男に抱かせたら、りん子はどうなるんだろうって。
それは、わたしには『絶対無理!!』なことだった。
一方で、わたしの中には、ある妄想がずっとある。(あはは、妄想だらけのわたし^^;)
いわゆる『公衆便所』。
一度に大勢の男性の欲望の的になるということ。
(この妄想をブログの中では、ほとんど書いていないと思う。女性が虐げられているようなこの妄想は、湧き上がるくせに悲しい気持ちも比例して生まれるから、書かなかったの)
だけど、これは、わたしには無理なことだと思っていた。
まあ、現実問題、ものすごい怖がりなのでただの妄想だけなのだけど。
それでも、怖がりとかいうことを抜きにしても無理だと思っていた。
那智さんに出会う前から、自分には被虐願望があるくせに、女性が虐げられていることに傷付くという矛盾を抱えていたので、この『公衆便所』扱いは傷付く感情のほうが大きく、自分には快感にならないだろうと思っていたから。(「被虐の種類」あたりに書いてあるかな)
最終的には『大切にされながら、酷いことをしてもらう』ことで落ち着いたわけなんだけど。
だから、那智さんに出会う前から無理。
それで、那智さんに出会ってからは、みるみるうちに『那智さん仕様』になっているわけだから、傷付く以前に、無理。
ということで、那智さんに出会う前からいまに至まで、形は違うけど『無理』な妄想のままだった。
だから、那智さんが『他の男性に抱かせたら』と投げかけられても、妄想は棚に置いといて、無理という答えを出していた。
だけど、ハプバーに時々行くようになり、那智さんのそばで自分を少しだけ解放する瞬間を何度か経験するうちに、変化が起きたように思う。
男性がわたしの胸に触れるとき、見知らぬ男性にフェラチオをするとき、那智さんがそばにいて、そこに那智さんの意志が介在していると、いままで無理だと思っていたことが、受け入れられるような気がしてくるのだ。
那智さんの意志で、大勢の男性の欲望の的になるなら、それは間接的に那智さんが手を下していることになるかもしれない。
わたしは傷付かずに、快感を味わうかもしれない。
『那智さんバリア』が存在するのではと最近思う。
相変わらず、怖いし傷付きそうだし、『厳しいな〜』とは思うけど。
そうすれば、誰かに抱かせるが『絶対無理!!』事項ではなくなる日が来るかもしれないと、ちょっと思うのだ。
で、那智さんは、どうでしょう。
『100%那智さん仕様』にしたい。
それは。
『那智さんじゃなきゃダメ』と他の男性が触れてもびくともしないわたしで実感できるのか。
それとも。
那智さんの意志が介在することで受け入れられるりん子で実感できるのか。
どちらが、より『100%那智さん仕様』を満足させることができるのでしょう、ね、那智さん。
いや、結局りん子の願望を叶えてあげようとしてるだけなんですけど…と那智さんに苦笑されてしまいそうですね^^;