那智さんより
独特な幸福感
めずらしく、那智さんのエントリー(?)です。
たまには趣向を変えて^^(文中リンク作業はりん子^^;)
いつも薬指の刺青に訪問いただきありがとうございます。
パイパン大好きさんのコメントを拝見して、私がなぜ頑張ったねと言わないのかを考えてみました。
パイパン大好きさんは、女性が恥ずかしがりながらもそれに耐える姿がお好きで 、それにより心の繋がりを感じるとおっしゃています。
それはよくわかります。
でも、私が好み、より深く心の繋がりを感じる方法は違います。
違うというより、好みが変わったというほうが正しいかもしれません。
りん子はブログの中で恥ずかしいことや痛いことを書いています。
彼女は、主にその結果を書いていますが、そこに至るまでにはたくさんの葛藤や 恐怖心との闘いがあります。
ジーンズにチェーンを付けるだけでも恥ずかしがるくらいですから、面白いくらいの羞恥心の持ち主です。
でも、そのりん子が、恐らく私が命じれば、どんなに恥ずかしくても耐えて頑張って従うでしょう。
そして、それに喜びも見いだせるはずです。
そういう心の繋りや性的な成熟はもうできています。
だから、命令してそれに頑張って従うというのは、できてしまうのがわかってるから面白くない(笑)
それに、私は彼女が大切なので、彼女にその種の我慢を強いることをしたいとも思いません。
では、どうすれば、より深く心の繋がりを感じられ、私も満足できるかというと 。
それは 私の意図することを望ませることでした。
元々強い羞恥心を持っているりん子ですが、それに耐え私の命令に従うことが幸せだという関係はもうできている。
だから、そうではなく、恥ずかしさを上回るほど、それをしたいと望ませるよう に仕込むことのほうが、耐え従うよりも私としてはやり甲斐がありますし、より深い繋がりを感じるので、私が好みの方法なのです。
りん子もそのほうが楽でしょう?(笑)
りん子が、それを望むまで、それをネタに煽り餌をまき、快感を植え付け、時には一緒になって葛藤や闘いに付き合い、充分こちらから愛情や手をかけ、機が熟したときに実行に移すわけです。
羞恥心や嫌悪感を捨てることができない彼女が、それを上回るほど望んでしまう状況まで持っていきたいのです。
それがりん子のいう「預ける」という状況だと思います。
ですから、私は命令をしません。
機が熟すまで作り上げているわけですがら、それは「実行」や「決定」という感じです。
もしかしたらきっかけを作ってあげているということかもしれません。
ということは、私たちの間に「頑張ったね」はないわけです。
頑張らずにできる、したいと思うようになるまで仕込んだのですから。
たくさん荷物を抱えているりん子がそれを上回るほど望み荷物を預けたときの姿は 、私が言うのも照れますがとても美しく、満足に繋がります。
もし堪え忍ぶことがSMや主従関係ならば、私たちは主流から外れているでしょう 。
そもそも私はその土俵に上がるつもりもありませんし、りん子にも話しています。
ただ、どちらが好みかというと、私はこちらを選びますね。
目下のところ、百貨店で四つん這いになって買い物をすることを、りん子が切望し私が許可するという状況を作ろうとしているところです。
「那智さん、お願いします。ここでわんこにしてください!!」
「まあまあ、いま、人がいっぱいいるから、もう少し待ってからね。」
なんていう会話、いいと思うのです(笑)
今度はそれを切望させておいて我慢させるのも面白そうです。
那智
パイパン大好きさん、お名前を出させていただきまして、ありがとうございました。
いつも率直な感想、しかもわたし自身が勇気を出して書いたことに何かしらのコメントをくださって、それにはわたしも那智さんも感謝しています^^
今回も那智さんエントリーなんて、わたしには豪華おまけ付き♪
辛いけど頑張るよりは、辛いことを望めることのほうが、たしかに『楽』ですね。
でも、それを望んでしまっているという事実が、もうすでにわたしにとっては、辛かったり恥ずかしかったりで。
なーんか、どう転んでも恥ずかしいじゃん!!
だけど、『わたしが我慢する』より『那智さんが仕込んでくれる』という、那智さん主体那智さん能動のほうが、わたしは嬉しいな〜と思うのです。
する側、される側。
好みはそれぞれあると思います。
那智さんも、好みが変わってきたと言ってるし。
みなさんの好みはどういうものなのかなって、思いました^^
めずらしく、那智さんのエントリー(?)です。
たまには趣向を変えて^^(文中リンク作業はりん子^^;)
いつも薬指の刺青に訪問いただきありがとうございます。
パイパン大好きさんのコメントを拝見して、私がなぜ頑張ったねと言わないのかを考えてみました。
パイパン大好きさんは、女性が恥ずかしがりながらもそれに耐える姿がお好きで 、それにより心の繋がりを感じるとおっしゃています。
それはよくわかります。
でも、私が好み、より深く心の繋がりを感じる方法は違います。
違うというより、好みが変わったというほうが正しいかもしれません。
りん子はブログの中で恥ずかしいことや痛いことを書いています。
彼女は、主にその結果を書いていますが、そこに至るまでにはたくさんの葛藤や 恐怖心との闘いがあります。
ジーンズにチェーンを付けるだけでも恥ずかしがるくらいですから、面白いくらいの羞恥心の持ち主です。
でも、そのりん子が、恐らく私が命じれば、どんなに恥ずかしくても耐えて頑張って従うでしょう。
そして、それに喜びも見いだせるはずです。
そういう心の繋りや性的な成熟はもうできています。
だから、命令してそれに頑張って従うというのは、できてしまうのがわかってるから面白くない(笑)
それに、私は彼女が大切なので、彼女にその種の我慢を強いることをしたいとも思いません。
では、どうすれば、より深く心の繋がりを感じられ、私も満足できるかというと 。
それは 私の意図することを望ませることでした。
元々強い羞恥心を持っているりん子ですが、それに耐え私の命令に従うことが幸せだという関係はもうできている。
だから、そうではなく、恥ずかしさを上回るほど、それをしたいと望ませるよう に仕込むことのほうが、耐え従うよりも私としてはやり甲斐がありますし、より深い繋がりを感じるので、私が好みの方法なのです。
りん子もそのほうが楽でしょう?(笑)
りん子が、それを望むまで、それをネタに煽り餌をまき、快感を植え付け、時には一緒になって葛藤や闘いに付き合い、充分こちらから愛情や手をかけ、機が熟したときに実行に移すわけです。
羞恥心や嫌悪感を捨てることができない彼女が、それを上回るほど望んでしまう状況まで持っていきたいのです。
それがりん子のいう「預ける」という状況だと思います。
ですから、私は命令をしません。
機が熟すまで作り上げているわけですがら、それは「実行」や「決定」という感じです。
もしかしたらきっかけを作ってあげているということかもしれません。
ということは、私たちの間に「頑張ったね」はないわけです。
頑張らずにできる、したいと思うようになるまで仕込んだのですから。
たくさん荷物を抱えているりん子がそれを上回るほど望み荷物を預けたときの姿は 、私が言うのも照れますがとても美しく、満足に繋がります。
もし堪え忍ぶことがSMや主従関係ならば、私たちは主流から外れているでしょう 。
そもそも私はその土俵に上がるつもりもありませんし、りん子にも話しています。
ただ、どちらが好みかというと、私はこちらを選びますね。
目下のところ、百貨店で四つん這いになって買い物をすることを、りん子が切望し私が許可するという状況を作ろうとしているところです。
「那智さん、お願いします。ここでわんこにしてください!!」
「まあまあ、いま、人がいっぱいいるから、もう少し待ってからね。」
なんていう会話、いいと思うのです(笑)
今度はそれを切望させておいて我慢させるのも面白そうです。
那智
パイパン大好きさん、お名前を出させていただきまして、ありがとうございました。
いつも率直な感想、しかもわたし自身が勇気を出して書いたことに何かしらのコメントをくださって、それにはわたしも那智さんも感謝しています^^
今回も那智さんエントリーなんて、わたしには豪華おまけ付き♪
辛いけど頑張るよりは、辛いことを望めることのほうが、たしかに『楽』ですね。
でも、それを望んでしまっているという事実が、もうすでにわたしにとっては、辛かったり恥ずかしかったりで。
なーんか、どう転んでも恥ずかしいじゃん!!
だけど、『わたしが我慢する』より『那智さんが仕込んでくれる』という、那智さん主体那智さん能動のほうが、わたしは嬉しいな〜と思うのです。
する側、される側。
好みはそれぞれあると思います。
那智さんも、好みが変わってきたと言ってるし。
みなさんの好みはどういうものなのかなって、思いました^^
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