咀嚼したピザ
独特な幸福感
那智さんは、わたしに色々な物を食べさせる。
咀嚼して。
咀嚼したピザ。
咀嚼したおにぎり。
咀嚼したハンバーガー。
サラダとおにぎりやコーヒーとデニッシュみたいに、複数を咀嚼して食べさせることもある。
口移しで。
時には、咀嚼して、それを手のひらに出して、そこにわたしが顔を埋めて食べるなんていうこともある。
遊園地などで、咀嚼したポテトを手のひらに出されたときなどは、恥ずかしくて、でも、人前で手のひらから食べ物をもらうということに何とも言えない喜びも感じたものだ。
那智さんが咀嚼した物を食べさせるモチベーションは、基本的に『あげる』だ。
那智さんが噛み砕いて、那智さんの唾液にまみれた食べ物を『あげる』ね、という感じ。
ただ、那智さんはわたしの心を揺らすのが好きなので、普通に『あげる』時もあるし、わざとぐちゃぐちゃにして、わたしに『うう、厳しい』という感情にさせて遊んだりもする。
那智さんがくれたもので、喜ぶわたし。
咀嚼した食べ物をもらって喜ぶ自分を恥ずかしがるわたし。
ちょっと不味くなるように噛み砕いて、厳しそうに、でも嬉しくモグモグするわたし。
那智さんは、自分が施すことでわたしの心が上下し、最後には必ず『幸せ〜』になることが好きなんだな。
で、そこに『落とす』とか『汚す』という欲はほとんどないはずだ。
だから、基本的に『あげるね』。
親鳥がヒナに餌をあげている感覚の、じゃれ合いみたいなものなんだろうな。
他人の噛み砕いた食べ物を口移しされて、果たしておいしいのだろうか。
もちろん『好きな人』という大前提の、それなんだけど。
美味しいと感じるか、不味いと感じるかは、お互いのそれを欲する気持ちで変わってくるように思う。
『汚したい』『落としたい』と欲すると、自ずと噛むほうが『汚す』道具としての咀嚼物になるわけで、そうなると美味しそうな具合に噛むと、汚れるからは遠ざかってしまうよね。
だから、きっと、不味そうな具合に噛むんじゃないかな。
で、わたしたちのように、それで『幸せ〜』を感じ合いたい者の場合は、基本的にそれを『美味しい』と思わせたいのだから、美味しくなるように噛むと思うのだ。
逆に、不味くなるように噛めば、美味しくないもの。
いくら那智さんがくれてもペースト状のポップコーンは美味しいわけないよね^^;
ただ、基本『あげるね』のモチベーションなので美味しく感じられることのほうが多い。
(えっと、汚す方が『幸せ』じゃないなんて思っていませんよ。どちらも喜びに繋がっているけど、ルートが違うってことかな)
どの噛み方が美味しくて、不味いかなんて、わからないけど、でも、咀嚼するほうのモチベーションは噛み具合に影響して、味を左右するんじゃないかな〜と思うのです。
好きな人というのは大前提。
だけど、好きな人だったら、なんでもかんでも美味しくなるというものでもない。
逆に、美味しく感じられないのは、愛がないからだ、とも思わない。
そんなに人の味覚はバカじゃないよね。
だから、美味しいか否かは、モチベーションによって変わってくるとも思うのです。
でもね、実は、咀嚼のスイートスポットがあるのですよ。
好きな人がくれているというのは大前提でも、好きな人だからという割増し感差し引いても『美味しい』瞬間があるのだ。
自分で咀嚼していて、食べ物の旨味が唾液と共に口の中で広がっていく瞬間ってあるでしょ?
あれを那智さんに再現してもらうの。
厳密にいうと、その一歩手前くらいでいただくのだ。
食べ物の旨味が唾液に絡まってジュワッとする瞬間にいただいて、あとひと噛みくらいして『美味しさ』完成状態を口の中で再現してもらう。
そうすると、最初から美味しいというラッキーなことになるのです。
この、噛んでいて『一番美味しくなる』一歩手前で口移しする瞬間が、咀嚼のスイートスポット^^
これは、掛け値なしで美味しい。
ほんとだよ。
でも、このスイートスポットは、那智さんしかわからなくて、でも、那智さん自身も完全に習得できているものでもないようなので、割と『たまたま』だったりする。
それでも、咀嚼した物のほうが美味しいと純粋に言える希有な瞬間も、多分存在するの。
もちろん、好きな人という大前提(しつこい^^)
ちなみに、先日は羊羹と緑茶の組み合わせ。
これは一見ナイスな組み合わせに見えるけど、羊羹と緑茶があまり混ざり合ってくれないらしく、個々の味しかしなかった。
どうせ混ぜるなら、凶と出るか吉と出るか、なほうが楽しいです^^
他人の咀嚼した『おにぎりとコーヒー』とか『サラダとおにぎり』とか、これってかなり『凶』なんだけど、スイートスポットにはまれば『大吉』になるんだ。
信じてもらえるかしら♪
まったく関係ないけど、おにぎり多いぞ、これはコンビニ→ホテルパターンってこと?*^^*
那智さんは、わたしに色々な物を食べさせる。
咀嚼して。
咀嚼したピザ。
咀嚼したおにぎり。
咀嚼したハンバーガー。
サラダとおにぎりやコーヒーとデニッシュみたいに、複数を咀嚼して食べさせることもある。
口移しで。
時には、咀嚼して、それを手のひらに出して、そこにわたしが顔を埋めて食べるなんていうこともある。
遊園地などで、咀嚼したポテトを手のひらに出されたときなどは、恥ずかしくて、でも、人前で手のひらから食べ物をもらうということに何とも言えない喜びも感じたものだ。
那智さんが咀嚼した物を食べさせるモチベーションは、基本的に『あげる』だ。
那智さんが噛み砕いて、那智さんの唾液にまみれた食べ物を『あげる』ね、という感じ。
ただ、那智さんはわたしの心を揺らすのが好きなので、普通に『あげる』時もあるし、わざとぐちゃぐちゃにして、わたしに『うう、厳しい』という感情にさせて遊んだりもする。
那智さんがくれたもので、喜ぶわたし。
咀嚼した食べ物をもらって喜ぶ自分を恥ずかしがるわたし。
ちょっと不味くなるように噛み砕いて、厳しそうに、でも嬉しくモグモグするわたし。
那智さんは、自分が施すことでわたしの心が上下し、最後には必ず『幸せ〜』になることが好きなんだな。
で、そこに『落とす』とか『汚す』という欲はほとんどないはずだ。
だから、基本的に『あげるね』。
親鳥がヒナに餌をあげている感覚の、じゃれ合いみたいなものなんだろうな。
他人の噛み砕いた食べ物を口移しされて、果たしておいしいのだろうか。
もちろん『好きな人』という大前提の、それなんだけど。
美味しいと感じるか、不味いと感じるかは、お互いのそれを欲する気持ちで変わってくるように思う。
『汚したい』『落としたい』と欲すると、自ずと噛むほうが『汚す』道具としての咀嚼物になるわけで、そうなると美味しそうな具合に噛むと、汚れるからは遠ざかってしまうよね。
だから、きっと、不味そうな具合に噛むんじゃないかな。
で、わたしたちのように、それで『幸せ〜』を感じ合いたい者の場合は、基本的にそれを『美味しい』と思わせたいのだから、美味しくなるように噛むと思うのだ。
逆に、不味くなるように噛めば、美味しくないもの。
いくら那智さんがくれてもペースト状のポップコーンは美味しいわけないよね^^;
ただ、基本『あげるね』のモチベーションなので美味しく感じられることのほうが多い。
(えっと、汚す方が『幸せ』じゃないなんて思っていませんよ。どちらも喜びに繋がっているけど、ルートが違うってことかな)
どの噛み方が美味しくて、不味いかなんて、わからないけど、でも、咀嚼するほうのモチベーションは噛み具合に影響して、味を左右するんじゃないかな〜と思うのです。
好きな人というのは大前提。
だけど、好きな人だったら、なんでもかんでも美味しくなるというものでもない。
逆に、美味しく感じられないのは、愛がないからだ、とも思わない。
そんなに人の味覚はバカじゃないよね。
だから、美味しいか否かは、モチベーションによって変わってくるとも思うのです。
でもね、実は、咀嚼のスイートスポットがあるのですよ。
好きな人がくれているというのは大前提でも、好きな人だからという割増し感差し引いても『美味しい』瞬間があるのだ。
自分で咀嚼していて、食べ物の旨味が唾液と共に口の中で広がっていく瞬間ってあるでしょ?
あれを那智さんに再現してもらうの。
厳密にいうと、その一歩手前くらいでいただくのだ。
食べ物の旨味が唾液に絡まってジュワッとする瞬間にいただいて、あとひと噛みくらいして『美味しさ』完成状態を口の中で再現してもらう。
そうすると、最初から美味しいというラッキーなことになるのです。
この、噛んでいて『一番美味しくなる』一歩手前で口移しする瞬間が、咀嚼のスイートスポット^^
これは、掛け値なしで美味しい。
ほんとだよ。
でも、このスイートスポットは、那智さんしかわからなくて、でも、那智さん自身も完全に習得できているものでもないようなので、割と『たまたま』だったりする。
それでも、咀嚼した物のほうが美味しいと純粋に言える希有な瞬間も、多分存在するの。
もちろん、好きな人という大前提(しつこい^^)
ちなみに、先日は羊羹と緑茶の組み合わせ。
これは一見ナイスな組み合わせに見えるけど、羊羹と緑茶があまり混ざり合ってくれないらしく、個々の味しかしなかった。
どうせ混ぜるなら、凶と出るか吉と出るか、なほうが楽しいです^^
他人の咀嚼した『おにぎりとコーヒー』とか『サラダとおにぎり』とか、これってかなり『凶』なんだけど、スイートスポットにはまれば『大吉』になるんだ。
信じてもらえるかしら♪
まったく関係ないけど、おにぎり多いぞ、これはコンビニ→ホテルパターンってこと?*^^*