必要なのは?
独特な幸福感
『うんこを食べられるようになるのは、慣れ』
いきなり乱暴な断言ではじまりましたけど。
これは、那智さんの言葉。
愛情や心の交流は大前提。
ある程度の嗜好の一致も大切。
だけど、できないことが、できるようになることのもうひとつのキーポイントは『慣れ』だと那智さんは思っている。
確かにね、それも一理ある。
以前『体質M』というエントリーを書きました。
同じ愛情のもとに同じ痛さを加えても、それを快感に思う人と痛いだけだという人といるんじゃないか。
痛いことを快感に感じるのに、『体質』もあるんじゃないかと。
那智さんはその考え方に、ちょっと疑問を抱いていた。
なぜかというと。
那智さんは、『愛情』と『する側の力量』と『慣れ』があれば、だいたい結果は同じだろうと思っているからだ。
じゃあ、あなたがいままで付き合った女性は、みんなあの痛いバラ鞭で惚けていましたか?
乳首握り潰して、快感に浸ってる女性はいましたか?
答えはNO。
だけど、それは『愛情』と『力量』の違いだと考えている。
わたしは、きっと違う!!と思って『体質M』をエントリーしたんだ。
すんごい生意気な言い方をすれば。
痛いことを快感に変えられる体質だったわたしに感謝していただきたい!!
あの痴人状態を見ることができて、ラッキーだと思っていただきたい!!
と思うけど、あまり受け入れてもらえない(笑)
まあ、那智さんは痛いことにそれほど執着はないし、そもそも『○○したい』というより、『りん子(女性)を可愛がりたい』その手段としていろいろする人なので、『体質』などはどうでもいいと思っているのでしょうね。
要は、『愛情』と『力量』と『慣れ』。
こっちの実力も認めてよぉと思うけど。(なんの実力だ!?)
まあ、こちらの力を抜きにして判断してもらうことは、ありがたいと思うこともあるのですね。
排泄物を食する描写を目にしたときに、ほんの少し悲しくなる。
わたしは那智さんの望みの『むしゃむしゃとおいしそうに食べる』ことができないからだ。
いまだに、一欠片を飲み込むことが精一杯。
いくら那智さんが「吐き出していいからね」と言ってくれても、吐き出してしまう自分に悲しくなってしまうのだ。
那智さんのこと大好きなのに。
「どうしてわたしは食べられないのでしょう。」
しょんぼりするわたしに。
「慣れじゃない!?」
と、さらりと言ってのける。
食べられないのは、わたしのせいじゃない。
ただ単に慣れていないだけ。
そう思うと心が少し軽くなる。
あっけないほどのお返事に、拍子抜けするけれど。
この、大したことないと思わせてくれるお返事は、ありがたいのです。
一般的に『気持ちが良い』と感じないことが快感になるのは。
受け手の性癖や性格や体質によるものなの?
する側の『力量』?
それとも、『慣れ』なのでしょうか!?
わたしはわたししか知らないし、計る術もないけれど。
もしかしたら『慣れ』、ありかもしれないと、最近少し感じているわたし。
その『慣れ』のお話を、次回^^
『うんこを食べられるようになるのは、慣れ』
いきなり乱暴な断言ではじまりましたけど。
これは、那智さんの言葉。
愛情や心の交流は大前提。
ある程度の嗜好の一致も大切。
だけど、できないことが、できるようになることのもうひとつのキーポイントは『慣れ』だと那智さんは思っている。
確かにね、それも一理ある。
以前『体質M』というエントリーを書きました。
同じ愛情のもとに同じ痛さを加えても、それを快感に思う人と痛いだけだという人といるんじゃないか。
痛いことを快感に感じるのに、『体質』もあるんじゃないかと。
那智さんはその考え方に、ちょっと疑問を抱いていた。
なぜかというと。
那智さんは、『愛情』と『する側の力量』と『慣れ』があれば、だいたい結果は同じだろうと思っているからだ。
じゃあ、あなたがいままで付き合った女性は、みんなあの痛いバラ鞭で惚けていましたか?
乳首握り潰して、快感に浸ってる女性はいましたか?
答えはNO。
だけど、それは『愛情』と『力量』の違いだと考えている。
わたしは、きっと違う!!と思って『体質M』をエントリーしたんだ。
すんごい生意気な言い方をすれば。
痛いことを快感に変えられる体質だったわたしに感謝していただきたい!!
あの痴人状態を見ることができて、ラッキーだと思っていただきたい!!
と思うけど、あまり受け入れてもらえない(笑)
まあ、那智さんは痛いことにそれほど執着はないし、そもそも『○○したい』というより、『りん子(女性)を可愛がりたい』その手段としていろいろする人なので、『体質』などはどうでもいいと思っているのでしょうね。
要は、『愛情』と『力量』と『慣れ』。
こっちの実力も認めてよぉと思うけど。(なんの実力だ!?)
まあ、こちらの力を抜きにして判断してもらうことは、ありがたいと思うこともあるのですね。
排泄物を食する描写を目にしたときに、ほんの少し悲しくなる。
わたしは那智さんの望みの『むしゃむしゃとおいしそうに食べる』ことができないからだ。
いまだに、一欠片を飲み込むことが精一杯。
いくら那智さんが「吐き出していいからね」と言ってくれても、吐き出してしまう自分に悲しくなってしまうのだ。
那智さんのこと大好きなのに。
「どうしてわたしは食べられないのでしょう。」
しょんぼりするわたしに。
「慣れじゃない!?」
と、さらりと言ってのける。
食べられないのは、わたしのせいじゃない。
ただ単に慣れていないだけ。
そう思うと心が少し軽くなる。
あっけないほどのお返事に、拍子抜けするけれど。
この、大したことないと思わせてくれるお返事は、ありがたいのです。
一般的に『気持ちが良い』と感じないことが快感になるのは。
受け手の性癖や性格や体質によるものなの?
する側の『力量』?
それとも、『慣れ』なのでしょうか!?
わたしはわたししか知らないし、計る術もないけれど。
もしかしたら『慣れ』、ありかもしれないと、最近少し感じているわたし。
その『慣れ』のお話を、次回^^