割れ鍋にとじ蓋?
独特な幸福感
那智さんは「少数派に価値がある」と思っている。
もっと乱暴な言い方をすれば、「人と違うことのほうが、えらい」と言っている。
それは、わたしたちの間で行われる行為でも同じ。
わたしが他者と比較して悲しくなっているときは、「他者と比べることは無意味だ」なんていうくせに、自分は「人と違うことのほうがえらい」なんて思い切り比較してるじゃない!!
そう意見すると、それは違うのだそう。
別に誰と比較してるというものではなくて、俺がいままで見聞きしたことがないことを思いつくと、その発想が俺の中で「価値がある」という評価になって、それをすることが満足なだけ。
だから、他と比較して、どうこう言っているんじゃない、のだそう。
那智さんの自己満足評価として、「えらい」ということ。
それがオリジナルかどうかなんて、知る術もないし、世の中いろんなAVやエッチ小説もあるし、ブログやサイトでもみなさんいろんなことをされてるので、きっとオリジナルなんてないと思う。
だから、誰もしていないことがいいというのではなくて、那智さん自身の既存の形にはない、新しい発想が好きだということのようです。
うう、別に「えらい」ことを選んでしなくても…したいことをすればいいのに、と思うけど、それが那智さんのしたいことのようなので、しかたない。
例えば…。
タッパーに排泄物を入れて持ち歩く「一番シリーズ(恥ずかしい編)」
(排泄する姿を見せるのとはひと味違う恥ずかしさ)
紙おむつをして排泄しながら街を歩く「一番困ったこと1、2」
(ああ、これはされてる方いそうですけど?)
観光地のお城の柱に拘束する「殿のご乱心」
(こういう端から見て「?」というのがお好き^^;)
お外で頭から水をかける「夢が叶うとき1、2、3」
(これはわたしの夢から生まれたものですけど…)
お馴染みの一般道で四つん這い「またわんこです^^;1、2、3」
(裸にしないで一般道というのが、ミソらしい。えといつも同じわんこの話をリンクしてるから、ちょっと変えて、これはお店でわんこです)
(あはは、那智さんの脳の中がわかりますね^^;お外と排泄好き*^^*。せっかくなので、過去エントリーもお楽しみくださいませ)
うう、確かに、ちょっとオリジナル?
行為って、結果を求める過程に過ぎないと思うのです。
「恥ずかしがらせたい」とか「我を忘れさせたい」とか「かまいたい」とか、答えが先にあって、そのための手段が行為だと思うのだけど、那智さんの場合、それが自分の「いままで思いつかなかった」ことがより満足に繋がるということなのです。
SM的行為ってエスカレートしていくものですけど、「エスカレート」というよりも「新しい発想」や「新しい展開」が面白いという感じかな。
だから、世の中には、もっとすごいことをされてるかたは、いっぱいいるはずで、わたしたちはハイレベルではないと思ってます^^;
結果への道「A」「B」「C」はやったことあるし見たこともある、で、新しい「D」という道を思いつき、それを遂行させるために想像を広げ、抵抗するわたしとの攻防を楽しみ、いつのまにかわたしに染み込ませたりする、その時間も那智さんの満足のひとつなのでしょう。
だから、いますぐするというものでもないみたい(けっこう、「いつか必ずする」確率は高いですけど^^;)
「デパートでわんこ」が最近の那智さんの楽しい発想。
シミュレーションしてわたしに聞かせてくれる。
わたしは、いろいろ言って抵抗する。
妄想の中の隅っこのわたしは、そのシミュレーションを喜んでるのはわかってるけど、実際するとなると、それは大きな大きな障害があるもの。
そういうとき、那智さんはよくこんなふうに聞く。
「デパートで四つん這いになって買い物する人なんて、聞いたことある?」
「ないです…」
「いままでそういうことした人いるかな〜?」
「さあ、わかりません…」
「何人くらいいるかな?」
「…」
瞬時に、思考フル回転。
こんなとき、お返事を間違うととんでもないことになるのよ。
『そんなことする人いませんよ!!』なんて言ったら、『じゃあ、最初だね^^』ってなるし。
『2、3人くらい…』これも危ない、『まだそれくらいしかやってないなら!!』と勢いついちゃう。
『100人くらいはしてるんじゃないですか?』と敢えて多数派にしてしまう作戦も、逆効果。
『そんなにしてるなら、りん子もできるね』となってしまう。
「10人くらい…かな…」
などという、ぬるーい数字を言って、やる気を萎えさせるのが正解なの。
いえいえ、そんな攻防はどうでもいいのですけど。
SMとして、可愛がりかたとして。
結果が大事?
過程が楽しい?
両方、楽しむ?
どれも、ありだと思うけど。
その過程が「新しい思いつき」のほうが価値があるという価値観を持つのは、いかがなものでしょうか。
付き合うわたしはとても大変。
だけど、じゃあ、「那智さん自身の新しい発想を楽しむ」ではなく、既存のものの「エスカレート形」がいいのかというと、それも、わからない。
もう数年に渡って、これにお付き合いしているので、果たしてそれ以外がわたしの望みだったのかどうか、ちょっとわからなくなっているから。
「お水をかけるなんてりん子の夢からの発想だし、相乗効果なんだよ」とまで言われてるし。
だけど、臆病者のわたしには「エスカレート」することは怖いことのひとつ。
ピアスや拡張などは、どうしてもエスカレートしていくものだと思う。
もちろん、わたしたちだって、少しずつエスカレートはしてるけど、ときどき新しい発想が生まれて、そこで一から始めるなんてことも多々あるから、もしかしたら、怖がりのわたしには那智さん式のほうが合ってるのかもしれないな、なんて思いました。
ああ、でも、とっても大変ですけども…。
那智さんは「少数派に価値がある」と思っている。
もっと乱暴な言い方をすれば、「人と違うことのほうが、えらい」と言っている。
それは、わたしたちの間で行われる行為でも同じ。
わたしが他者と比較して悲しくなっているときは、「他者と比べることは無意味だ」なんていうくせに、自分は「人と違うことのほうがえらい」なんて思い切り比較してるじゃない!!
そう意見すると、それは違うのだそう。
別に誰と比較してるというものではなくて、俺がいままで見聞きしたことがないことを思いつくと、その発想が俺の中で「価値がある」という評価になって、それをすることが満足なだけ。
だから、他と比較して、どうこう言っているんじゃない、のだそう。
那智さんの自己満足評価として、「えらい」ということ。
それがオリジナルかどうかなんて、知る術もないし、世の中いろんなAVやエッチ小説もあるし、ブログやサイトでもみなさんいろんなことをされてるので、きっとオリジナルなんてないと思う。
だから、誰もしていないことがいいというのではなくて、那智さん自身の既存の形にはない、新しい発想が好きだということのようです。
うう、別に「えらい」ことを選んでしなくても…したいことをすればいいのに、と思うけど、それが那智さんのしたいことのようなので、しかたない。
例えば…。
タッパーに排泄物を入れて持ち歩く「一番シリーズ(恥ずかしい編)」
(排泄する姿を見せるのとはひと味違う恥ずかしさ)
紙おむつをして排泄しながら街を歩く「一番困ったこと1、2」
(ああ、これはされてる方いそうですけど?)
観光地のお城の柱に拘束する「殿のご乱心」
(こういう端から見て「?」というのがお好き^^;)
お外で頭から水をかける「夢が叶うとき1、2、3」
(これはわたしの夢から生まれたものですけど…)
お馴染みの一般道で四つん這い「またわんこです^^;1、2、3」
(裸にしないで一般道というのが、ミソらしい。えといつも同じわんこの話をリンクしてるから、ちょっと変えて、これはお店でわんこです)
(あはは、那智さんの脳の中がわかりますね^^;お外と排泄好き*^^*。せっかくなので、過去エントリーもお楽しみくださいませ)
うう、確かに、ちょっとオリジナル?
行為って、結果を求める過程に過ぎないと思うのです。
「恥ずかしがらせたい」とか「我を忘れさせたい」とか「かまいたい」とか、答えが先にあって、そのための手段が行為だと思うのだけど、那智さんの場合、それが自分の「いままで思いつかなかった」ことがより満足に繋がるということなのです。
SM的行為ってエスカレートしていくものですけど、「エスカレート」というよりも「新しい発想」や「新しい展開」が面白いという感じかな。
だから、世の中には、もっとすごいことをされてるかたは、いっぱいいるはずで、わたしたちはハイレベルではないと思ってます^^;
結果への道「A」「B」「C」はやったことあるし見たこともある、で、新しい「D」という道を思いつき、それを遂行させるために想像を広げ、抵抗するわたしとの攻防を楽しみ、いつのまにかわたしに染み込ませたりする、その時間も那智さんの満足のひとつなのでしょう。
だから、いますぐするというものでもないみたい(けっこう、「いつか必ずする」確率は高いですけど^^;)
「デパートでわんこ」が最近の那智さんの楽しい発想。
シミュレーションしてわたしに聞かせてくれる。
わたしは、いろいろ言って抵抗する。
妄想の中の隅っこのわたしは、そのシミュレーションを喜んでるのはわかってるけど、実際するとなると、それは大きな大きな障害があるもの。
そういうとき、那智さんはよくこんなふうに聞く。
「デパートで四つん這いになって買い物する人なんて、聞いたことある?」
「ないです…」
「いままでそういうことした人いるかな〜?」
「さあ、わかりません…」
「何人くらいいるかな?」
「…」
瞬時に、思考フル回転。
こんなとき、お返事を間違うととんでもないことになるのよ。
『そんなことする人いませんよ!!』なんて言ったら、『じゃあ、最初だね^^』ってなるし。
『2、3人くらい…』これも危ない、『まだそれくらいしかやってないなら!!』と勢いついちゃう。
『100人くらいはしてるんじゃないですか?』と敢えて多数派にしてしまう作戦も、逆効果。
『そんなにしてるなら、りん子もできるね』となってしまう。
「10人くらい…かな…」
などという、ぬるーい数字を言って、やる気を萎えさせるのが正解なの。
いえいえ、そんな攻防はどうでもいいのですけど。
SMとして、可愛がりかたとして。
結果が大事?
過程が楽しい?
両方、楽しむ?
どれも、ありだと思うけど。
その過程が「新しい思いつき」のほうが価値があるという価値観を持つのは、いかがなものでしょうか。
付き合うわたしはとても大変。
だけど、じゃあ、「那智さん自身の新しい発想を楽しむ」ではなく、既存のものの「エスカレート形」がいいのかというと、それも、わからない。
もう数年に渡って、これにお付き合いしているので、果たしてそれ以外がわたしの望みだったのかどうか、ちょっとわからなくなっているから。
「お水をかけるなんてりん子の夢からの発想だし、相乗効果なんだよ」とまで言われてるし。
だけど、臆病者のわたしには「エスカレート」することは怖いことのひとつ。
ピアスや拡張などは、どうしてもエスカレートしていくものだと思う。
もちろん、わたしたちだって、少しずつエスカレートはしてるけど、ときどき新しい発想が生まれて、そこで一から始めるなんてことも多々あるから、もしかしたら、怖がりのわたしには那智さん式のほうが合ってるのかもしれないな、なんて思いました。
ああ、でも、とっても大変ですけども…。