感情教育2
惹かれ合う理由
理由が説明できなくても「淋しい」と言っていい。
これを少しずつできるようになってきて、随分と楽になってきた。
人間、訴えるだけで救われるもののようだ。
那智さんも、私の心を探ることなく把握できて、快適なはずだ。
「淋しい」「それはいやだ」と訴えることはできてきた。
もうひとつ、対処に困っていたのは、「那智さんの意見を素直に受け入れられず、どう感情を持っていってよいかわからない」状態。
ほとんどのことは、那智さんの言うことは納得できる。
ただ、納得できていても、感情がついていかれず「モヤモヤ」して、「はい、その通りです。」と言えないときがあるのだ。
「淋しい」などの、はっきりした負の感情よりも、もう少し漠然としたいろんな要素が混じったような「モヤモヤ」した感情。
これなんて、不穏な空気が苦手な私は、どうやって収めてよいかわからず、困る。
ある時、私の作ったビーフシチューを那智さんに食べさせる機会があった。
那智さんは「美味しい、美味しくない」をはっきり言う人で、本当は私の手料理を振る舞うことはためらうのだけど。
案の定「しょっぱい」と言われてしまった。
このビーフシチューは、那智さんのために作ったのではない。
少し前に作ったもので、何度か火を通すうちに煮詰まってしょっぱくなってしまったことは否めない。
それでも、少し傷つく。
那智さんはいつも言う。
私に対して、「これを言ったら機嫌悪くなるかなとか思って付き合いたくないから、嘘は付かない。面倒だから言うのやめようと思わずに話せる唯一の人間がりん子だ。」と。
これは、私の自信になる。
相手の顔色を伺ってばかりいた私が安心していられるのは、那智さんは本当のことを言ってくれているからだ。
だから、その「しょっぱい」も、那智さんが嘘を付かずに言ってくれたことだ。
私は、那智さんが言う内容を選んで私と接して欲しくはない(言葉を選ぶのは大事ですけどね)。
ここで私がしょげたり、不機嫌になったり、悲しがっては、那智さんが面倒になって本当のことを言ってくれなくなってしまうのではないか、と危惧して、なんとかその意見を受け入れ、素直に自分なりに消化して、この場をいやな空気にしたくない。
「これは、りん子が俺のために作ったものではないから、あまり言いたくないけれど「しょっぱい」。なぜ言うかというと、本当のことを言っていたいし、りん子に俺の好みも知ってほしいからだ。」
わかっています。
私だって、那智さんが言いたいことをセーブしてほしくない。
でも、私も悲しい。
こんなとき、どうしたらいいのだろう。
「これからは、気を付けますね♪」とかわいく言えばいいの?
「じゃあ、私の手料理なんて期待しないで、奥さんの召し上がっていれば〜」と冗談っぽく皮肉を言えばいいの?
せっかく、伝えてくれた那智さんの感想にたいして、どんな感情を持ったらいいのかわからずに、グチャグチャになってしまう。
「那智さんに本当のことを言ってもらいたいから、素直になりたいです。でも、一生懸命素直になろうとしても、モヤモヤしてどうすることもできません。」
どうにもならない感情をどう表して良いかわからず、頭を抱えてしゃがみ込むしかできない。
「それでいいんだよ。」
「モヤモヤして、どうしようもないって言えばいい。俺も本当のことを言った、それによってりん子が素直になれず困っている、お互いに、その素直な気持ちを言えればそれでいいだよ。」
「お互い言えれば、それで安心するよね。」
「これがbetterな解決方法じゃなくて、bestなんだよ。いままで、こういう話し合いは電話ですることが多かっただろ?だから、この機会を待っていたんだ。一緒にいるときにある意味「衝突」したかった。一度一緒にいるときに「bestな解決方法」がわかれば、これからは大丈夫だろ。」
私は何度この幸福の涙を流しただろう。
那智さんは道標だ。
私を、強く、自由に、幸福にしてくれる道標。
那智さんがしゃがみ込む足元に、背が高い私が膝を抱え、小さくうずくまる。
よしよしと包み込むように背中を優しく叩いてくれる。
那智さんは、私に負の感情をきちんと表して良いことを教えてくれた。
いまは那智さんにはできるようになっている。
訓練して、私の周りの大切な人、嘘を付いて付き合いたくない人にも、徐々にできるようになるだろう。
姉にも、できるようになってきているはずだ。
歪んだシスターコンプレックスから、解放される日はもうきているのかもしれない。
理由が説明できなくても「淋しい」と言っていい。
これを少しずつできるようになってきて、随分と楽になってきた。
人間、訴えるだけで救われるもののようだ。
那智さんも、私の心を探ることなく把握できて、快適なはずだ。
「淋しい」「それはいやだ」と訴えることはできてきた。
もうひとつ、対処に困っていたのは、「那智さんの意見を素直に受け入れられず、どう感情を持っていってよいかわからない」状態。
ほとんどのことは、那智さんの言うことは納得できる。
ただ、納得できていても、感情がついていかれず「モヤモヤ」して、「はい、その通りです。」と言えないときがあるのだ。
「淋しい」などの、はっきりした負の感情よりも、もう少し漠然としたいろんな要素が混じったような「モヤモヤ」した感情。
これなんて、不穏な空気が苦手な私は、どうやって収めてよいかわからず、困る。
ある時、私の作ったビーフシチューを那智さんに食べさせる機会があった。
那智さんは「美味しい、美味しくない」をはっきり言う人で、本当は私の手料理を振る舞うことはためらうのだけど。
案の定「しょっぱい」と言われてしまった。
このビーフシチューは、那智さんのために作ったのではない。
少し前に作ったもので、何度か火を通すうちに煮詰まってしょっぱくなってしまったことは否めない。
それでも、少し傷つく。
那智さんはいつも言う。
私に対して、「これを言ったら機嫌悪くなるかなとか思って付き合いたくないから、嘘は付かない。面倒だから言うのやめようと思わずに話せる唯一の人間がりん子だ。」と。
これは、私の自信になる。
相手の顔色を伺ってばかりいた私が安心していられるのは、那智さんは本当のことを言ってくれているからだ。
だから、その「しょっぱい」も、那智さんが嘘を付かずに言ってくれたことだ。
私は、那智さんが言う内容を選んで私と接して欲しくはない(言葉を選ぶのは大事ですけどね)。
ここで私がしょげたり、不機嫌になったり、悲しがっては、那智さんが面倒になって本当のことを言ってくれなくなってしまうのではないか、と危惧して、なんとかその意見を受け入れ、素直に自分なりに消化して、この場をいやな空気にしたくない。
「これは、りん子が俺のために作ったものではないから、あまり言いたくないけれど「しょっぱい」。なぜ言うかというと、本当のことを言っていたいし、りん子に俺の好みも知ってほしいからだ。」
わかっています。
私だって、那智さんが言いたいことをセーブしてほしくない。
でも、私も悲しい。
こんなとき、どうしたらいいのだろう。
「これからは、気を付けますね♪」とかわいく言えばいいの?
「じゃあ、私の手料理なんて期待しないで、奥さんの召し上がっていれば〜」と冗談っぽく皮肉を言えばいいの?
せっかく、伝えてくれた那智さんの感想にたいして、どんな感情を持ったらいいのかわからずに、グチャグチャになってしまう。
「那智さんに本当のことを言ってもらいたいから、素直になりたいです。でも、一生懸命素直になろうとしても、モヤモヤしてどうすることもできません。」
どうにもならない感情をどう表して良いかわからず、頭を抱えてしゃがみ込むしかできない。
「それでいいんだよ。」
「モヤモヤして、どうしようもないって言えばいい。俺も本当のことを言った、それによってりん子が素直になれず困っている、お互いに、その素直な気持ちを言えればそれでいいだよ。」
「お互い言えれば、それで安心するよね。」
「これがbetterな解決方法じゃなくて、bestなんだよ。いままで、こういう話し合いは電話ですることが多かっただろ?だから、この機会を待っていたんだ。一緒にいるときにある意味「衝突」したかった。一度一緒にいるときに「bestな解決方法」がわかれば、これからは大丈夫だろ。」
私は何度この幸福の涙を流しただろう。
那智さんは道標だ。
私を、強く、自由に、幸福にしてくれる道標。
那智さんがしゃがみ込む足元に、背が高い私が膝を抱え、小さくうずくまる。
よしよしと包み込むように背中を優しく叩いてくれる。
那智さんは、私に負の感情をきちんと表して良いことを教えてくれた。
いまは那智さんにはできるようになっている。
訓練して、私の周りの大切な人、嘘を付いて付き合いたくない人にも、徐々にできるようになるだろう。
姉にも、できるようになってきているはずだ。
歪んだシスターコンプレックスから、解放される日はもうきているのかもしれない。