無駄じゃない
独特な幸福感
小さい頃から無自覚にSM的なことに惹かれていて、大人になって自覚して、それをもっと知りたくて本を読んだり、実際に一歩踏み出して経験してみたり。
無自覚のころから計ったら、わたしの「妄想歴」は長いと思う。
それに経験も加味されて、その妄想は「純粋に妄想」や「現実味を帯びた妄想」など、バリエーションも豊富になる。
そんな「妄想歴」が長くて、バリエーション豊富なM(わたし)は、良くないクセが身に付いてしまうよう。
それは、突きつけられた提案が、どの程度かと計ってしまうの。
長い間かかって出来上がったとんでもない妄想(わたしなりにね^^;)、法に触れるか親を泣かすか!?みたいな妄想。
その非現実的なものを例えば「100」として、その提案の数値がいくつくらいかって思ってしまうの。
毎回毎回ってことではないし、あとから思えばっていうくらいの話なんだけど。
はっきりと漠然と、なにか自分の中にあるとんでもない妄想。
それとはほど遠いことでも、それを連想させる「2」、とか思っちゃう。
例えば「全裸で昼間の公道をリードを引かれて四つん這いで歩き、電信柱におしっこをする」これを「100」として(あくまでも例えばですよ、ほんとの妄想かどうかじゃなくて)、「下着を着けずに歩く」これを「2」とするような感じ。
もちろん「下着を着けずに」でも「がーん」なんだけど、できるかできないか逡巡して、するに傾く。
そのときに「100」の片鱗に触れるような感覚で、困りながらも満たされる。
そして、漠然と「2」と思うのだ。
妄想と実際するには、大きな隔たりがあるから、だいたい提示されることは「それは無理…」と思うのだけど、それが「100」に対して「2」ならできるかなとか、若干冷静に感じるわけ。(いつもそんな計ってないですよ…、あとから思えばってことです)
妄想暦が少なければ、目の前に突きつけられることをこなすことに精一杯で、そんな数値は存在しないのでしょうけど、それでもSのやり方次第でちょっとずつ「できる」ことが増えていくと思います。
わたしのような女はその「数値」があるぶん、厄介なんじゃないかな。
何も知らずに、驚いていられるほうが、可愛いかも!?
ここは、する側の裁量が重要。
「うわ!2だ!!」って思う。
その次に「下着を着けずに、ミニスカートで来て」となると「くぅ〜、ちょっと上がった!!」とか(笑)
また、「100」の片鱗に触れる感覚。
これが「セックスのスパイス的なSM」を好む方がお相手だと、わりと「2」から「5」あたりを繰り返す。(いや、そんな経験豊富じゃないけど)
M(わたし)は「がーん」ってしたいのだ。
悲しいかな、人間は慣れる生き物。
どんなに最初「がーん」としても、繰り返されれば慣れる。
だから、これだと「物足りない」と感じてしまう。
いきなり「30」とかされちゃうと、ちょっと30は行き過ぎじゃありません!?と引いてしまう。
多分きっと、そういう方は自分のしたいようにだけすると思うので、段階は関係ないのではないかしら。
だからね、匙加減が大事。
ずーっと先に「100」(この場合、那智さんやわたしや、2人の「100」、この辺は別に曖昧^^)があるような、でも「2」。
そして、少し慣れたら「3」、困るけど「2」の快感の経験があるから、踏み出せる。
時々、進んで一気に「7」、びっくりして、でも、感じてしまったり。
次に戻って「3」、「7」の快感が恋しくなる。
そんなふうにして、押したり引いたり、それでもトータルして、酷いことがちょっとずつ先に進んでいる。
「100」はあり得ないけど、その進んでいる感じが苦しくて嬉しい。
わたしは「がーん」ってしていたいのだ。
ちょっと先を行っていてほしい。
じゃあ、エスカレートするだけかっていうとそうでもなくて、妄想はいろんな「100」があるから「赤の100」とか「黄色の100」とか(笑)そうそう進まない。
それに、戻して、恋しくさせながら、戻した状態に慣れさせて、また数値アップなんてしている。
それでも、いろんな方法で「がーん」とさせてくれて、数値なんて言ってる女を満たしてくれるのだから、那智さんの匙加減に感謝しなきゃなって思うのです。
はじめて首輪を付けた。
ホテルの部屋でリード繋いで歩いた。
床に置いたお皿から手を使わずに食べた。
マ○○で尻尾を付けた。
コンビニの前で四つん這いになった。
お外で四つん這いになった。
那智さんは、どこまで計画してるかわからないけど、行ったり来たり、時々放置したりしながら、数値上げてる。
それと、わたしの「妄想歴」や「経験による妄想のバリエーション」が、那智さんの「数値上げ」にひと役買ってることも否めない。
相乗効果(笑)
那智さんには「なにも知らない無垢なりん子」にいちから教えてそのことに夢中にさせたいという妄想があるそうなんですが、もう知っちゃってるからごめんなさい、でも、それも無駄じゃなかったよねと思うのです。
小さい頃から無自覚にSM的なことに惹かれていて、大人になって自覚して、それをもっと知りたくて本を読んだり、実際に一歩踏み出して経験してみたり。
無自覚のころから計ったら、わたしの「妄想歴」は長いと思う。
それに経験も加味されて、その妄想は「純粋に妄想」や「現実味を帯びた妄想」など、バリエーションも豊富になる。
そんな「妄想歴」が長くて、バリエーション豊富なM(わたし)は、良くないクセが身に付いてしまうよう。
それは、突きつけられた提案が、どの程度かと計ってしまうの。
長い間かかって出来上がったとんでもない妄想(わたしなりにね^^;)、法に触れるか親を泣かすか!?みたいな妄想。
その非現実的なものを例えば「100」として、その提案の数値がいくつくらいかって思ってしまうの。
毎回毎回ってことではないし、あとから思えばっていうくらいの話なんだけど。
はっきりと漠然と、なにか自分の中にあるとんでもない妄想。
それとはほど遠いことでも、それを連想させる「2」、とか思っちゃう。
例えば「全裸で昼間の公道をリードを引かれて四つん這いで歩き、電信柱におしっこをする」これを「100」として(あくまでも例えばですよ、ほんとの妄想かどうかじゃなくて)、「下着を着けずに歩く」これを「2」とするような感じ。
もちろん「下着を着けずに」でも「がーん」なんだけど、できるかできないか逡巡して、するに傾く。
そのときに「100」の片鱗に触れるような感覚で、困りながらも満たされる。
そして、漠然と「2」と思うのだ。
妄想と実際するには、大きな隔たりがあるから、だいたい提示されることは「それは無理…」と思うのだけど、それが「100」に対して「2」ならできるかなとか、若干冷静に感じるわけ。(いつもそんな計ってないですよ…、あとから思えばってことです)
妄想暦が少なければ、目の前に突きつけられることをこなすことに精一杯で、そんな数値は存在しないのでしょうけど、それでもSのやり方次第でちょっとずつ「できる」ことが増えていくと思います。
わたしのような女はその「数値」があるぶん、厄介なんじゃないかな。
何も知らずに、驚いていられるほうが、可愛いかも!?
ここは、する側の裁量が重要。
「うわ!2だ!!」って思う。
その次に「下着を着けずに、ミニスカートで来て」となると「くぅ〜、ちょっと上がった!!」とか(笑)
また、「100」の片鱗に触れる感覚。
これが「セックスのスパイス的なSM」を好む方がお相手だと、わりと「2」から「5」あたりを繰り返す。(いや、そんな経験豊富じゃないけど)
M(わたし)は「がーん」ってしたいのだ。
悲しいかな、人間は慣れる生き物。
どんなに最初「がーん」としても、繰り返されれば慣れる。
だから、これだと「物足りない」と感じてしまう。
いきなり「30」とかされちゃうと、ちょっと30は行き過ぎじゃありません!?と引いてしまう。
多分きっと、そういう方は自分のしたいようにだけすると思うので、段階は関係ないのではないかしら。
だからね、匙加減が大事。
ずーっと先に「100」(この場合、那智さんやわたしや、2人の「100」、この辺は別に曖昧^^)があるような、でも「2」。
そして、少し慣れたら「3」、困るけど「2」の快感の経験があるから、踏み出せる。
時々、進んで一気に「7」、びっくりして、でも、感じてしまったり。
次に戻って「3」、「7」の快感が恋しくなる。
そんなふうにして、押したり引いたり、それでもトータルして、酷いことがちょっとずつ先に進んでいる。
「100」はあり得ないけど、その進んでいる感じが苦しくて嬉しい。
わたしは「がーん」ってしていたいのだ。
ちょっと先を行っていてほしい。
じゃあ、エスカレートするだけかっていうとそうでもなくて、妄想はいろんな「100」があるから「赤の100」とか「黄色の100」とか(笑)そうそう進まない。
それに、戻して、恋しくさせながら、戻した状態に慣れさせて、また数値アップなんてしている。
それでも、いろんな方法で「がーん」とさせてくれて、数値なんて言ってる女を満たしてくれるのだから、那智さんの匙加減に感謝しなきゃなって思うのです。
はじめて首輪を付けた。
ホテルの部屋でリード繋いで歩いた。
床に置いたお皿から手を使わずに食べた。
マ○○で尻尾を付けた。
コンビニの前で四つん這いになった。
お外で四つん這いになった。
那智さんは、どこまで計画してるかわからないけど、行ったり来たり、時々放置したりしながら、数値上げてる。
それと、わたしの「妄想歴」や「経験による妄想のバリエーション」が、那智さんの「数値上げ」にひと役買ってることも否めない。
相乗効果(笑)
那智さんには「なにも知らない無垢なりん子」にいちから教えてそのことに夢中にさせたいという妄想があるそうなんですが、もう知っちゃってるからごめんなさい、でも、それも無駄じゃなかったよねと思うのです。