最後に
独特な幸福感
あらためて、どうして大丈夫だったんだろうと思う。
那智さんがすみれさんとやり取りをして、すみれさんを抱いて、それでも嫌な気持ちにならないのは。
もちろん、一点の曇りもなく快晴!!ってわけじゃない。
那智さんが「いとしい」と感じたのではないかと思う瞬間は胸がチクリとした。
それでも、心に澱を残すような嫌な感覚がないのはなぜだろう。
先日、私はあるとってもくだらないことで、やきもちを焼いて泣いた(今度くだらない話で記事にします^^)
そんなことに比べたら、目の前ですみれさんを抱くほうが、ずっとずっと苦しいことのはずなのに。
自分の精神構造がよくわからない。
でも、そのやきもちで、ひとつわかったことは、「比べられる」ことが大嫌いだってこと。
那智さんは、すみれさんとのこと以前から、「比べる」という行為をしない人。
「○○と比べて、りん子がいい」という言葉はほとんどゼロに近いほど聞いたことがない。
「りん子がいい」だ。
でも、煩悩の塊の私は、つい「以前付き合った女性」と比べていかが?と聞いて、その返答で一喜一憂してしまう。
付き合った当初は「比べることは意味がないし、品がない」とあまり答えてくれなかった。
付き合いがこなれてきて、それを私が聞いて悲しくなっても「素直」に伝えて、上手に解決できるようになってからは、答えてくれるようになってきたけど。
それでも、私から聞かない限り、比べることはしない。
だから、那智さんはすみれさんと私を一度も比べなかった。
(すみれさんには失礼な言い方になるかもしれないけど)もちろん私を愛してるという大前提のもとなんだけど、一度も比べなかった。
どの場面でも、「りん子<すみれ」もしなかったし、実はほとんど「りん子>すみれ」的な発言もしてない。
だからといって、「りん子=すみれ」ではないし、「りん子」と「すみれ」はまったく違う存在として扱ってたんだと思う。
違うものだから「比べない」という姿勢が私を安心させたのではないかな。
女心としてはね、比べられて優位に立つということで満たされる部分は、いやらしいけどある。
でも、那智さんは、それをほとんどしてない。
「りん子は愛してる、それはそれ、それだけ」という姿勢。
すみれさんの存在は、また別。
そして、仲介役という役割りを与えて、比べないから私も張り合う気持ちもなく、すみれさんの幸福を考えられたのだと思う(もちろん私とすみれさんの心の交流が重要)
そういうふうに、「うまくいく」スパイラルが出来上がったんじゃないかな、だから、嫌な気持ちを残さずに済んでるんじゃないかな。
比べられて勝つことは気持ちいいだろう。
でも、それは、裏返しで負けるという心配も付きまとう。
それをしないでいてくれたから、私はフラットでいられたのではないかなと思う。
役に立つことで那智さんの一部のようにしていられたことも、良かったのだろう。
そして、3人の思惑の一致や、人間関係の構築、更には与えられないで得られる強烈な快感、それらが重なり合っていまの私の心になっているのだと思う。
さてさて、このブログをたくさん盛り上げてくれたすもれさんのお話もひとまずこれでおしまいです。
私を信じてくれて書くことを許してくれたすみれさんには感謝しています。
また何かあったら、登場していただきましょう^^
で、那智さんは、私が「嫉妬で泣き狂う」ことがなかったことが、面倒くさくないから良かったと思う反面、つまらないな〜とも僅かに感じているようです。
「今度はわざと比べちゃおっかな〜」なんて意地悪を言ってます。
那智さんとしては、私の前で他の女性を抱くという、ひとつの目的を果たし満足したからすぐどうってこともないでしょうし、まあ、現実問題すぐ次に、すみれさんのような女性が現れる可能性も低いから、冗談で意地悪言えてるんでしょうけどね。
ああ、でも、比べられたときのことを想像すると、嫌な気持ちになるわ。
こればっかりは「嫌なこと」=「嬉しいこと」じゃないと思うんだよね。
あらためて、どうして大丈夫だったんだろうと思う。
那智さんがすみれさんとやり取りをして、すみれさんを抱いて、それでも嫌な気持ちにならないのは。
もちろん、一点の曇りもなく快晴!!ってわけじゃない。
那智さんが「いとしい」と感じたのではないかと思う瞬間は胸がチクリとした。
それでも、心に澱を残すような嫌な感覚がないのはなぜだろう。
先日、私はあるとってもくだらないことで、やきもちを焼いて泣いた(今度くだらない話で記事にします^^)
そんなことに比べたら、目の前ですみれさんを抱くほうが、ずっとずっと苦しいことのはずなのに。
自分の精神構造がよくわからない。
でも、そのやきもちで、ひとつわかったことは、「比べられる」ことが大嫌いだってこと。
那智さんは、すみれさんとのこと以前から、「比べる」という行為をしない人。
「○○と比べて、りん子がいい」という言葉はほとんどゼロに近いほど聞いたことがない。
「りん子がいい」だ。
でも、煩悩の塊の私は、つい「以前付き合った女性」と比べていかが?と聞いて、その返答で一喜一憂してしまう。
付き合った当初は「比べることは意味がないし、品がない」とあまり答えてくれなかった。
付き合いがこなれてきて、それを私が聞いて悲しくなっても「素直」に伝えて、上手に解決できるようになってからは、答えてくれるようになってきたけど。
それでも、私から聞かない限り、比べることはしない。
だから、那智さんはすみれさんと私を一度も比べなかった。
(すみれさんには失礼な言い方になるかもしれないけど)もちろん私を愛してるという大前提のもとなんだけど、一度も比べなかった。
どの場面でも、「りん子<すみれ」もしなかったし、実はほとんど「りん子>すみれ」的な発言もしてない。
だからといって、「りん子=すみれ」ではないし、「りん子」と「すみれ」はまったく違う存在として扱ってたんだと思う。
違うものだから「比べない」という姿勢が私を安心させたのではないかな。
女心としてはね、比べられて優位に立つということで満たされる部分は、いやらしいけどある。
でも、那智さんは、それをほとんどしてない。
「りん子は愛してる、それはそれ、それだけ」という姿勢。
すみれさんの存在は、また別。
そして、仲介役という役割りを与えて、比べないから私も張り合う気持ちもなく、すみれさんの幸福を考えられたのだと思う(もちろん私とすみれさんの心の交流が重要)
そういうふうに、「うまくいく」スパイラルが出来上がったんじゃないかな、だから、嫌な気持ちを残さずに済んでるんじゃないかな。
比べられて勝つことは気持ちいいだろう。
でも、それは、裏返しで負けるという心配も付きまとう。
それをしないでいてくれたから、私はフラットでいられたのではないかなと思う。
役に立つことで那智さんの一部のようにしていられたことも、良かったのだろう。
そして、3人の思惑の一致や、人間関係の構築、更には与えられないで得られる強烈な快感、それらが重なり合っていまの私の心になっているのだと思う。
さてさて、このブログをたくさん盛り上げてくれたすもれさんのお話もひとまずこれでおしまいです。
私を信じてくれて書くことを許してくれたすみれさんには感謝しています。
また何かあったら、登場していただきましょう^^
で、那智さんは、私が「嫉妬で泣き狂う」ことがなかったことが、面倒くさくないから良かったと思う反面、つまらないな〜とも僅かに感じているようです。
「今度はわざと比べちゃおっかな〜」なんて意地悪を言ってます。
那智さんとしては、私の前で他の女性を抱くという、ひとつの目的を果たし満足したからすぐどうってこともないでしょうし、まあ、現実問題すぐ次に、すみれさんのような女性が現れる可能性も低いから、冗談で意地悪言えてるんでしょうけどね。
ああ、でも、比べられたときのことを想像すると、嫌な気持ちになるわ。
こればっかりは「嫌なこと」=「嬉しいこと」じゃないと思うんだよね。
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