まだ『NO』
独特な幸福感
那智さんの前で泣き、笑い、気持ちよさを優先させてしまうことは何にも代え難い幸せ。
だけど、それは同時に見たくない自分を見てしまうことにもなるので、苦しいし困惑する。
私は、自分のいやらしいことに罪の意識を持っているみたい。
はしたなく腰を振り、いやらしい言葉を口にする女性を、アダルトビデオなどで目にすると嫌悪感を感じていた。
私はあんなふうになれない、あんなふうになれるなんておかしい。
だけど、心を覗くようになって、ほんとうはそうなりたいのだと、薄々気づきながら嫌悪していること
漠然と自分がいやらしさのようなものを持っていると感じていた。
それは子供のころからだ。
『モンスター』と呼んでいるけど、自分の手には負えないような自分。
人と比べたことがないからたいしたモンスターじゃないかもしれないけど、そのモンスターに恐れ、罪の意識を持っていたのは確かだった。
モンスターをちゃんと見てあげられないから、性的に解放されている女性を目にすると嫌悪感を抱いて誤摩化していたんだ。
(モンスターふたつほど^^『いろんな涙4』『モンスターを抱きしめて』)
那智さんに出会って、モンスターはちょっとずつ顔を出して、解放される喜びを味わっている。
だけど、相変わらず、そういう自分を反芻すると、喜びと快感と少しの自己嫌悪に陥るのだ。
あ〜、私ったらなんて姿になってるの!!って。
乱れれば、乱れるほど、この自己嫌悪の困惑が大きい。
鞭で打たれて、大笑いする。
何度も繰り返し、その姿がいとおしいと言ってもらえて、だんだんその自分も許せるようになる。
乳首を触られるだけで腰が振れるいやらしい私を、もっと見たいと望んでもらって、はじめて解放される。
嫌悪する私を、何度も何度も解きほぐし肯定して、ひとつずつ『荷物を預ける』ことを覚えさせてもらった。
(『荷物を預ける』『荷物を預けるということ』ちょっと大事なキーワードです。よろしければお読みくださーい^^)
だけど、新しい快感を知ると、新しいモンスターも現れるんだ。
見たくなかったモンスターの新しい一面。
それを発見する度に、とてもとても困惑するのだ。
なぜなら見ないようにしていた自分だから。
数年前。
那智さんと出会って、まだ最初のころだったと思う。
話の流れで『露出』の話題になった。
コンビニに全裸で買い物をする女性の画像が話題になったのだ。
それはあり得ないと言う私に。
「りん子、ほんとはしたいんじゃないの?」と那智さんは言うのだ。
絶対ない、そんな無神経なことできないと、半ば憤りを感じながら訴えた記憶がある。
SMに憧れを抱いたとき、まず思い描いたのが『拘束と人の目』だった。
縛られることと見られること。
妄想していたのはこんな感じ。
SM緊縛ショーみたいなところで私が出演するのだ。
ステージの上で恥ずかしい姿で縛られ、何人もの男性の目に晒される。
そこで大事なことは、それをOKとする場所で、私を見守るご主人様がいるということだった。
要するに、すべてコンセンサスを得ての『拘束と人の目』。
これが妄想で、那智さんにも話していた。
だから、この妄想から発展させてコンビニ全裸も『人の目』でしたいことに繋がるんじゃないかと思ったらしい。
それは全然違っててね。
お外でわんこをする時。
恥ずかしいという気持ち以上にハードルになっていることは『ごめんなさい』という気持ち。
人に不快な思いをさせたくない私は、明らかな迷惑だけじゃなく、ちょっとした『?』さえも与えたくないと思っている。
だから、四つん這いで歩く人を見て、心を波立たせてしまうことが大きな大きなハードルなのだ。
いまでも、そう。
だからね、真相はわからないけど。
裸でコンビニに行って買い物をする神経がわからない。
恥ずかしいからというのは当然だけど、他の人の迷惑を考えられない?もしくはそれを顧みず行う無神経さに憤りを感じてしまっていたのだ。
だから、『ほんとはしたい?』の言葉に、断然『NO』だった。
お外で四つん這いは。
恥ずかしいことで興奮してしまう羞恥系だから、快感で。
足元の幸せ、従属感を満たすことができるから、できて。
歪んだ自己愛故に、焦がれている。
と思っていたし、いまでも思ってる。
(『徒然に露出のこと』)
だけど、だけど。
そうじゃないのではないかということを、突きつけられて困っている。
カラオケランチで那智さんに可愛がってもらった。
そこで、私は見たくない自分に気づかされる。
かつて嫌悪していた、姿。
私は。
人に見られてもやめないでほしくて。
人に見られることが好きだ。
と言ったらしい。
それを口にした記憶がない。
ああ、だけど、肌の上に残る快感と空を飛ぶような喜びの記憶は残り。
口にしたことが、嘘ではないように思えてしまう。
そして、それは見て見ぬふりをしていた本当の願望かもしれないと、薄々わかってしまっているから。
だけど、簡単には認められない。
だって、嫌悪していた姿なんだもの。
戸惑う私の追い打ちをかけるようにいう。
「りん子、嬉しそうだったよ。見られたいんだよね。やっぱり全裸でコンビニしたんだろ?」
「できるとかできないじゃなくて、したいと思ってるだろ?」
自己嫌悪しそうで、見るのが怖い。
そして、自分の欲望の底を覗くのが怖い。
『する、しない』よりずっと手前、欲望の底を覗く段階でもやっぱりあり得ないと私の中の私は首を振る。
だから、まだ、『NO』と答えている。
そのカラオケのお話を次にしようかな〜と思ってます^^
那智さんの前で泣き、笑い、気持ちよさを優先させてしまうことは何にも代え難い幸せ。
だけど、それは同時に見たくない自分を見てしまうことにもなるので、苦しいし困惑する。
私は、自分のいやらしいことに罪の意識を持っているみたい。
はしたなく腰を振り、いやらしい言葉を口にする女性を、アダルトビデオなどで目にすると嫌悪感を感じていた。
私はあんなふうになれない、あんなふうになれるなんておかしい。
だけど、心を覗くようになって、ほんとうはそうなりたいのだと、薄々気づきながら嫌悪していること
漠然と自分がいやらしさのようなものを持っていると感じていた。
それは子供のころからだ。
『モンスター』と呼んでいるけど、自分の手には負えないような自分。
人と比べたことがないからたいしたモンスターじゃないかもしれないけど、そのモンスターに恐れ、罪の意識を持っていたのは確かだった。
モンスターをちゃんと見てあげられないから、性的に解放されている女性を目にすると嫌悪感を抱いて誤摩化していたんだ。
(モンスターふたつほど^^『いろんな涙4』『モンスターを抱きしめて』)
那智さんに出会って、モンスターはちょっとずつ顔を出して、解放される喜びを味わっている。
だけど、相変わらず、そういう自分を反芻すると、喜びと快感と少しの自己嫌悪に陥るのだ。
あ〜、私ったらなんて姿になってるの!!って。
乱れれば、乱れるほど、この自己嫌悪の困惑が大きい。
鞭で打たれて、大笑いする。
何度も繰り返し、その姿がいとおしいと言ってもらえて、だんだんその自分も許せるようになる。
乳首を触られるだけで腰が振れるいやらしい私を、もっと見たいと望んでもらって、はじめて解放される。
嫌悪する私を、何度も何度も解きほぐし肯定して、ひとつずつ『荷物を預ける』ことを覚えさせてもらった。
(『荷物を預ける』『荷物を預けるということ』ちょっと大事なキーワードです。よろしければお読みくださーい^^)
だけど、新しい快感を知ると、新しいモンスターも現れるんだ。
見たくなかったモンスターの新しい一面。
それを発見する度に、とてもとても困惑するのだ。
なぜなら見ないようにしていた自分だから。
数年前。
那智さんと出会って、まだ最初のころだったと思う。
話の流れで『露出』の話題になった。
コンビニに全裸で買い物をする女性の画像が話題になったのだ。
それはあり得ないと言う私に。
「りん子、ほんとはしたいんじゃないの?」と那智さんは言うのだ。
絶対ない、そんな無神経なことできないと、半ば憤りを感じながら訴えた記憶がある。
SMに憧れを抱いたとき、まず思い描いたのが『拘束と人の目』だった。
縛られることと見られること。
妄想していたのはこんな感じ。
SM緊縛ショーみたいなところで私が出演するのだ。
ステージの上で恥ずかしい姿で縛られ、何人もの男性の目に晒される。
そこで大事なことは、それをOKとする場所で、私を見守るご主人様がいるということだった。
要するに、すべてコンセンサスを得ての『拘束と人の目』。
これが妄想で、那智さんにも話していた。
だから、この妄想から発展させてコンビニ全裸も『人の目』でしたいことに繋がるんじゃないかと思ったらしい。
それは全然違っててね。
お外でわんこをする時。
恥ずかしいという気持ち以上にハードルになっていることは『ごめんなさい』という気持ち。
人に不快な思いをさせたくない私は、明らかな迷惑だけじゃなく、ちょっとした『?』さえも与えたくないと思っている。
だから、四つん這いで歩く人を見て、心を波立たせてしまうことが大きな大きなハードルなのだ。
いまでも、そう。
だからね、真相はわからないけど。
裸でコンビニに行って買い物をする神経がわからない。
恥ずかしいからというのは当然だけど、他の人の迷惑を考えられない?もしくはそれを顧みず行う無神経さに憤りを感じてしまっていたのだ。
だから、『ほんとはしたい?』の言葉に、断然『NO』だった。
お外で四つん這いは。
恥ずかしいことで興奮してしまう羞恥系だから、快感で。
足元の幸せ、従属感を満たすことができるから、できて。
歪んだ自己愛故に、焦がれている。
と思っていたし、いまでも思ってる。
(『徒然に露出のこと』)
だけど、だけど。
そうじゃないのではないかということを、突きつけられて困っている。
カラオケランチで那智さんに可愛がってもらった。
そこで、私は見たくない自分に気づかされる。
かつて嫌悪していた、姿。
私は。
人に見られてもやめないでほしくて。
人に見られることが好きだ。
と言ったらしい。
それを口にした記憶がない。
ああ、だけど、肌の上に残る快感と空を飛ぶような喜びの記憶は残り。
口にしたことが、嘘ではないように思えてしまう。
そして、それは見て見ぬふりをしていた本当の願望かもしれないと、薄々わかってしまっているから。
だけど、簡単には認められない。
だって、嫌悪していた姿なんだもの。
戸惑う私の追い打ちをかけるようにいう。
「りん子、嬉しそうだったよ。見られたいんだよね。やっぱり全裸でコンビニしたんだろ?」
「できるとかできないじゃなくて、したいと思ってるだろ?」
自己嫌悪しそうで、見るのが怖い。
そして、自分の欲望の底を覗くのが怖い。
『する、しない』よりずっと手前、欲望の底を覗く段階でもやっぱりあり得ないと私の中の私は首を振る。
だから、まだ、『NO』と答えている。
そのカラオケのお話を次にしようかな〜と思ってます^^
- 関連記事
-
- 「しっ!!」 2012/06/26
- 認める 2016/01/09
- わたしのこと3『パズル』 2008/08/01