すみれさん3
非日常的な日常
那智さんとすみれさんの関係をなんと言ったらいいのだろう。
すみれさんは、いままでほとんどSMに興味がなかった。
そして、私のブログを読んで、私たちとやり取りをしはじめた今でも、それほど興味はないはずだ。
ただ以前読んだ本で事故を起こしてバイクから体を投げ出された主人公に自分をオーバーラップさせて、その極限の状況でしか見えない景色を見てみたいという、願望を持ったことがあるそうだ。
それとはほど遠いけど、私たちのしていること、すみれさんが反応してしまうことに、重ね合わせる想像をしてくれた。
無我夢中の状態で感じたい、そう思ったのだろう。
那智さんは、もともと複数のM女と付き合いたいという願望は持っていなかった。
そんな財力も気力も体力もないというのが本音。
じゃあ、もしそれら全部がそろっていたら?大好きな「もしもシリーズ」で聞いてみたら、それはあるそうです。
(非現実的な那智さん妄想、この非現実は那智さんにはめずらしいこと!!)
私とはいまと同じように付き合って、それ以外に、ほぼ監禁にした状態でいわゆる「奴隷」を作りたいという妄想はあるそうです(でしたよね?)
なんでも言うことを聞く「奴隷」がたくさんいるのは面白いかもしれないけど、現実的じゃない。
奴隷にするまでが大変だし、簡単に奴隷になってしまうのもつまらないし、まあ、りん子で手一杯ってところでしょう。
第一、私は奴隷でもないし飼われているわけでもないので、世に言う「多頭飼い」を実現したいなら、まず私を奴隷にして飼わないといけない。
それもなかなか面倒くさいことでしょう。(奴隷的に訓練されていないからね)
そんな2人の関係。
だから、「白馬から降りた那智さん」という記事で、最後に「女性を調教している」なんで書いたけど、あれは「ちょっと言ってみたかったの」という私の戯れ言でした^^;
すみれさんは、SM嗜好もないし主従願望もない。
那智さんは、奴隷を飼いたいと思っていない。
そんな2人には調教という言葉は当てはまらないかな。
どちらかというと「先生と生徒」かな。
すみれさんとりん子を並べて遊びたいと言う那智さんの申し出に、「光栄です」とお返事をくれたすみれさん。
そこからの那智さんの対応は早かった(笑)
まず、那智さん本人からメールですみれさんに挨拶と、具体的に進めていいですねという確認。
そこにはひとつ覚悟の基準が提示されていた。
「3人で会った時に、すみれさんが私の前でオナニーをしていく努力ができること」
性的に未熟で、プライドという防壁で固めたすみれさんにとってこの提案は、SM関係なく覚悟のいることだっただろう。
そして、それと同時に3人で会う時のすみれさんの希望のポジションも聞いていた。
「私の僕になる?」「SM的な雰囲気を味わってみたい?」「おまかせ?」などなどといくつか挙げていた。
いきなりの確認と質問にすみれさんは戸惑った。
これらのメールはすべて私を通して行われていたから、すみれさんの戸惑いは手に取るようにわかる。(私がすみれさんでも、戸惑うもの)
だから、私はフォローのメールを添えて送るのだ。
那智さんの意図。
「すみれさんの崩れるところを見てみたい。りん子の反応も楽しみたい。そして、縁あって知り合ったすみれさんの幸福。もしこれをきっかけにSMをするのであれば、M女の立場は弱いから傷つかないために、たくさんいるSMのひとつのサンプルにしてもらいたい。」
こんなところ。
那智さんの心を要約して、それを添えてメールを送るのだ。
もちろん、「嫉妬しても、傷ついても責任は那智さんに取ってもらうから、すみれさんはすみれさんのことだけ考えて」と私の思惑も添えて。
そして、すみれさんから、覚悟と質問に対する答えのメールが送られて来た。
それを那智さんに転送する。
那智さんから、またメールが届く。
そこには「覚悟をすみれさん自身の口から聞きたい。」と那智さんの事務所の電話番号と「直接がよければ」と那智さんのメールアドレスが書かれていた。
それを、すみれさんに転送する。
不思議なことに、私は思惑を果たす目的があるからか、ここまでいやな気持ちになっていない。
それどころか、那智さんのすみれさんに対するテキストを読むと、少し高揚しているのだ。
那智さんが他の女性を抱いているところを見て痺れたいという願望を思うときに感じる高揚を覚えているのだ。
ただ、「電話で話す」ということが現実に起こると知ったこのときと、実際に話しているであろうその時は、少し胸が苦しかった。
でも、そこでも僅かに高揚している自分の心が不思議でしかたなかった。
3人の思惑を果たすために動き出したすみれさんと那智さんの関係。
幸い(?)すみれさんが私たちに会うには、新幹線を使わないと難しい。
そのためだけに新幹線に乗るモチベーションを高めるにも、その時にある程度「感じられる」ようになるにも、この距離による進展の遅さは、むしろ好都合だったのかもしれない。
かくして、「先生と生徒」のような関係が出来上がったのだった。
那智さんとすみれさんの関係をなんと言ったらいいのだろう。
すみれさんは、いままでほとんどSMに興味がなかった。
そして、私のブログを読んで、私たちとやり取りをしはじめた今でも、それほど興味はないはずだ。
ただ以前読んだ本で事故を起こしてバイクから体を投げ出された主人公に自分をオーバーラップさせて、その極限の状況でしか見えない景色を見てみたいという、願望を持ったことがあるそうだ。
それとはほど遠いけど、私たちのしていること、すみれさんが反応してしまうことに、重ね合わせる想像をしてくれた。
無我夢中の状態で感じたい、そう思ったのだろう。
那智さんは、もともと複数のM女と付き合いたいという願望は持っていなかった。
そんな財力も気力も体力もないというのが本音。
じゃあ、もしそれら全部がそろっていたら?大好きな「もしもシリーズ」で聞いてみたら、それはあるそうです。
(非現実的な那智さん妄想、この非現実は那智さんにはめずらしいこと!!)
私とはいまと同じように付き合って、それ以外に、ほぼ監禁にした状態でいわゆる「奴隷」を作りたいという妄想はあるそうです(でしたよね?)
なんでも言うことを聞く「奴隷」がたくさんいるのは面白いかもしれないけど、現実的じゃない。
奴隷にするまでが大変だし、簡単に奴隷になってしまうのもつまらないし、まあ、りん子で手一杯ってところでしょう。
第一、私は奴隷でもないし飼われているわけでもないので、世に言う「多頭飼い」を実現したいなら、まず私を奴隷にして飼わないといけない。
それもなかなか面倒くさいことでしょう。(奴隷的に訓練されていないからね)
そんな2人の関係。
だから、「白馬から降りた那智さん」という記事で、最後に「女性を調教している」なんで書いたけど、あれは「ちょっと言ってみたかったの」という私の戯れ言でした^^;
すみれさんは、SM嗜好もないし主従願望もない。
那智さんは、奴隷を飼いたいと思っていない。
そんな2人には調教という言葉は当てはまらないかな。
どちらかというと「先生と生徒」かな。
すみれさんとりん子を並べて遊びたいと言う那智さんの申し出に、「光栄です」とお返事をくれたすみれさん。
そこからの那智さんの対応は早かった(笑)
まず、那智さん本人からメールですみれさんに挨拶と、具体的に進めていいですねという確認。
そこにはひとつ覚悟の基準が提示されていた。
「3人で会った時に、すみれさんが私の前でオナニーをしていく努力ができること」
性的に未熟で、プライドという防壁で固めたすみれさんにとってこの提案は、SM関係なく覚悟のいることだっただろう。
そして、それと同時に3人で会う時のすみれさんの希望のポジションも聞いていた。
「私の僕になる?」「SM的な雰囲気を味わってみたい?」「おまかせ?」などなどといくつか挙げていた。
いきなりの確認と質問にすみれさんは戸惑った。
これらのメールはすべて私を通して行われていたから、すみれさんの戸惑いは手に取るようにわかる。(私がすみれさんでも、戸惑うもの)
だから、私はフォローのメールを添えて送るのだ。
那智さんの意図。
「すみれさんの崩れるところを見てみたい。りん子の反応も楽しみたい。そして、縁あって知り合ったすみれさんの幸福。もしこれをきっかけにSMをするのであれば、M女の立場は弱いから傷つかないために、たくさんいるSMのひとつのサンプルにしてもらいたい。」
こんなところ。
那智さんの心を要約して、それを添えてメールを送るのだ。
もちろん、「嫉妬しても、傷ついても責任は那智さんに取ってもらうから、すみれさんはすみれさんのことだけ考えて」と私の思惑も添えて。
そして、すみれさんから、覚悟と質問に対する答えのメールが送られて来た。
それを那智さんに転送する。
那智さんから、またメールが届く。
そこには「覚悟をすみれさん自身の口から聞きたい。」と那智さんの事務所の電話番号と「直接がよければ」と那智さんのメールアドレスが書かれていた。
それを、すみれさんに転送する。
不思議なことに、私は思惑を果たす目的があるからか、ここまでいやな気持ちになっていない。
それどころか、那智さんのすみれさんに対するテキストを読むと、少し高揚しているのだ。
那智さんが他の女性を抱いているところを見て痺れたいという願望を思うときに感じる高揚を覚えているのだ。
ただ、「電話で話す」ということが現実に起こると知ったこのときと、実際に話しているであろうその時は、少し胸が苦しかった。
でも、そこでも僅かに高揚している自分の心が不思議でしかたなかった。
3人の思惑を果たすために動き出したすみれさんと那智さんの関係。
幸い(?)すみれさんが私たちに会うには、新幹線を使わないと難しい。
そのためだけに新幹線に乗るモチベーションを高めるにも、その時にある程度「感じられる」ようになるにも、この距離による進展の遅さは、むしろ好都合だったのかもしれない。
かくして、「先生と生徒」のような関係が出来上がったのだった。