食べる
非日常的な日常
「覚悟してね、今度は必ず食べさせるから。」
もう、止まらない、どんどんいっちゃえ〜。
最後は「うんこを食べる」だ〜。
苦手な方はスルーしてね。
「覚悟してね、今度は必ず食べさせるから。むしゃむしゃと食べるんだよ。」
電話でそう聞かされたとき、私の心はどう動いただろう。
とうとう来てしまったなのか、やっと来たなのか、とても複雑な長いため息を付く。
知り合って数年。
はじめの頃からそれは、那智さんの望みだった。
「那智さんのうんこを美味しそうに食べるりん子」
手で受け、舌で掬い、体に塗られ、口で受け、舌で舐めてきれいにした。
那智さんが大好きで、那智さんのしてくれることが嬉しくて、那智さんがしたいと思ってくれることが嬉しくて、それらは私の快感になっていた。
手で受けるとき那智さんの足下に座ることが嬉しい。
舌で掬って「べー」ってしたまま見せることは、誇らしい。
胸の辺りが茶色く染まって、那智さんのうんこにまみれる姿はもっと誇らしい。
口を開け、困惑と期待を交錯させて待つことは、それだけで快感だ。
いつの間にかここまできたんだな〜と、心の片隅が冷静に思う。
でも、それ以外は嬉しいやら困るやら、ジタバタとしている。
「食べるって、どれくらいを考えてますか?」
大多数のジタバタをそっちのけで、一部の冷静な私が聞く。
でも、うわずった声が、その冷静さの気弱な感じを物語っている。
「そうだな、長さで言えば、最低でも煙草一本分くらいかな。」
「むしゃむしゃと食べるのですよね。」
「そうだね。」
声はうわずっているけれど、業務連絡のように会話は進んで、ここでまた長いため息を吐く。
生理現象なので、それがいつ訪れるのか私にはわからない。
宣告したのだから、次の機会には必ず食べることになるだろう。
困惑と期待で、待つ。
その宣告をされてから、どれくらいの時間が過ぎたのかはっきりとわからない。
数週間だったか、数ヶ月だったか。
でも、その日はやってきた。
「りん子、アナル舐めて」
いわゆる「ご奉仕」(全身ペロペロね)をするときも私のしたいようにさせるから、こういう具体的な指示は滅多にない。
まして、流れの中ではない唐突なこの指示は、何か特別な意味を感じてしまう。
腕枕からずるずると足下に動いて、那智さんの足の間に顔を埋める。
ペロペロと舐めていると、おならが出た(だから、スルーしてね!!)
そこで、はじめて気が付いた。
ああ、うんこするんだ。
ということは、食べるんだ。
「おいで」
言われるままに付いて行く。
バスルームに先に入った那智さんが、熱いシャワーを床に置き温めて準備してくれている。
私は髪を束ね、ドアの所でそれを見ている。
「シャワーキャップにすればいいのに。」
「いいんです、シャワーキャップ可愛くないから…。」
いつも思う、凄いことをする前って、なんでこんなに淡々とした空気になるんだろう。
那智さんはいつでもどこでも淡々としてるんだけど、私まで静かにこんな会話をしている。
「寝て」
温められた固い床に仰向けに寝転ぶ。
那智さんが一瞬迷って、私の胸の上に跨がった。
お口じゃないんだ。
寂しいような、安堵のような。
那智さんが私の胸の上に排泄をしはじめた。
温かいものが、ごろり、ごろり、と落ちてくる。
このあたりから、はっきりとそれが嬉しくて感じてしまっていることとを自覚している。
嬉しい、那智さんのうんこ。
私の胸の上にある。
ふと、見るとおちんちんが顔の間近にある。
いつも体に出されるときは、お腹の辺りのほうが多いから、こんなに近くにあることははじめてかもしれない。
それをお口に入れたい。
胸にうんこを出してもらっているときに、目の前のおちんちんをくわえたい。
だって、大好きなんだもの、もっと感じたいのだもの。
「那智さん、お口に入れてもいいですか?」
そう言って、目の前のものをくわえる。
ああ、幸せ。
那智さんの体が反応してくれて、嬉しい。
私に排泄することを喜んでくれていることが、更に私を幸せにさせる。
気持ち良く感じながらお口にふくんでいると、あっけなく抜かれてしまった。
おしまいになったのね。
食べるんだ。
胸の上にあるいくつかの固まりのうちのひとつを指でつまんで、私の口元に持ってくる。
お口をあーんと開けて、それをふくむ。
ほんとだ、煙草くらいの長さはある。
太さはウインナーくらいかな。
その状態で那智さんは私を抱いた。
口を半開きにしてうんこをふくみ、胸にはうんこを乗せた私を抱く。
気持ちがいい。
胸と一緒にうんこが揺さぶられて、それに合わせるように半開きの口から喘ぎ声が漏れる。
気持ち良くて、嬉しくて、我を忘れてしまいそう。
ひとしきり抱いて、那智さんが離れた。
次は、これを食べる番だ。
でも、これを一度に食べる勇気はない。
「吐いてもいいからね。」
私が拒絶反応して悲しくなってしまう気持ちを緩和してくれているんだ。
でも、一度には無理。
そう思って、舌で転がし、歯に挟み噛んだ。
噛み千切って、半分を持ち、口を閉じた。
残った口の中のうんこを舌で探って、噛む。
むしゃむしゃとしてみるけど、やっぱりおえってなってしまう。
「吐いてもいいからね。」
那智さんは、吐かせたいのかしら。
おえってなる私を見たいのかしら。
でも、やっぱりだめ。
吐き出したくない。
でも、飲み込めない。
涙目になっていると、那智さんがコップに水を汲んでくれた。
それを口に持ってきてくれたから、水と一緒に流し込む。
私の意気地なし。
吐いていいっていってもらっているのに、吐けないじゃない。
拒否したくないという思い。
それと、「嘔吐」するということに対する、本能的な理性(そんな言葉ない!?無意識の理性かな)が邪魔をしてしまう。
普通は、誰だって嘔吐したくないもの。
苦しいし、みっともないし、汚いし、人に迷惑が掛かる。
幼いころから、自然に植え付けられた理性が邪魔をするんだ。
意気地なし、その理性を那智さんが取り払おうとしてくれているのに、できない。
手に残った半分も口に入れて、水で流し込んでしまった。
委ねられていないなと、少し残念になる。
そんな気持ちをよそに、那智さんは胸の上にあるものを塗り広げている。
ああ、嬉しい。
那智さんのうんこが体にいっぱいになってる。
少しの残念な気持ちはどこかへ消え、うんこにまみれて幸せを取り戻した。
いつの間にか、那智さんがカメラを持って来ていた。
手を洗ったのですか?
私もすこし正気に戻る。
「あれ?電池切れだ。」
え?そうなの?残念。
そう思って素直に口にした、残念そうに、不満そうに。
「なんで電池ないのですか。撮ってほしかったのに。」
いつも写真を撮られるのは恥ずかしいくせに、なんだかこの写真だけは撮りたくなってしまう。
というよりか、その私を私が見たいんだ。
うんこにまみれて、汚いはずなのに、誇らしい女の姿を見たいんだ。
トイレットペーパーで丁寧に体を拭いて、泡立てたスポンジで体を洗ってもらう。
相変わらず、言葉少なく淡々と流れているけど、体を洗ってもらうもは保護されているみたいで大好きなこと。
「はい、あとは好きなように。」
スポンジを私に預けて、さっさとバスルームを後にする。
そっけない那智さん、だから、いつも大好きなこの時間はちょっとだけ。
それでも、その余韻を味わうように、きれいにしてしまうのを惜しむように、ゆっくりと体を流す。
舌で掬う程度ではなくて、はじめて「食べた」。
むしゃむしゃと美味しそうにとはいかなかった。
何より、「吐いていい」という那智さんに委ねることができなくて、ちょっと残念だった。
その常識を取っ払いたい。
それを取り払って、その先にあるものを那智さんと見てみたい。
欲望は底なしだ。
委ねる踏み絵は、繰り返す。
「覚悟してね、今度は必ず食べさせるから。」
もう、止まらない、どんどんいっちゃえ〜。
最後は「うんこを食べる」だ〜。
苦手な方はスルーしてね。
「覚悟してね、今度は必ず食べさせるから。むしゃむしゃと食べるんだよ。」
電話でそう聞かされたとき、私の心はどう動いただろう。
とうとう来てしまったなのか、やっと来たなのか、とても複雑な長いため息を付く。
知り合って数年。
はじめの頃からそれは、那智さんの望みだった。
「那智さんのうんこを美味しそうに食べるりん子」
手で受け、舌で掬い、体に塗られ、口で受け、舌で舐めてきれいにした。
那智さんが大好きで、那智さんのしてくれることが嬉しくて、那智さんがしたいと思ってくれることが嬉しくて、それらは私の快感になっていた。
手で受けるとき那智さんの足下に座ることが嬉しい。
舌で掬って「べー」ってしたまま見せることは、誇らしい。
胸の辺りが茶色く染まって、那智さんのうんこにまみれる姿はもっと誇らしい。
口を開け、困惑と期待を交錯させて待つことは、それだけで快感だ。
いつの間にかここまできたんだな〜と、心の片隅が冷静に思う。
でも、それ以外は嬉しいやら困るやら、ジタバタとしている。
「食べるって、どれくらいを考えてますか?」
大多数のジタバタをそっちのけで、一部の冷静な私が聞く。
でも、うわずった声が、その冷静さの気弱な感じを物語っている。
「そうだな、長さで言えば、最低でも煙草一本分くらいかな。」
「むしゃむしゃと食べるのですよね。」
「そうだね。」
声はうわずっているけれど、業務連絡のように会話は進んで、ここでまた長いため息を吐く。
生理現象なので、それがいつ訪れるのか私にはわからない。
宣告したのだから、次の機会には必ず食べることになるだろう。
困惑と期待で、待つ。
その宣告をされてから、どれくらいの時間が過ぎたのかはっきりとわからない。
数週間だったか、数ヶ月だったか。
でも、その日はやってきた。
「りん子、アナル舐めて」
いわゆる「ご奉仕」(全身ペロペロね)をするときも私のしたいようにさせるから、こういう具体的な指示は滅多にない。
まして、流れの中ではない唐突なこの指示は、何か特別な意味を感じてしまう。
腕枕からずるずると足下に動いて、那智さんの足の間に顔を埋める。
ペロペロと舐めていると、おならが出た(だから、スルーしてね!!)
そこで、はじめて気が付いた。
ああ、うんこするんだ。
ということは、食べるんだ。
「おいで」
言われるままに付いて行く。
バスルームに先に入った那智さんが、熱いシャワーを床に置き温めて準備してくれている。
私は髪を束ね、ドアの所でそれを見ている。
「シャワーキャップにすればいいのに。」
「いいんです、シャワーキャップ可愛くないから…。」
いつも思う、凄いことをする前って、なんでこんなに淡々とした空気になるんだろう。
那智さんはいつでもどこでも淡々としてるんだけど、私まで静かにこんな会話をしている。
「寝て」
温められた固い床に仰向けに寝転ぶ。
那智さんが一瞬迷って、私の胸の上に跨がった。
お口じゃないんだ。
寂しいような、安堵のような。
那智さんが私の胸の上に排泄をしはじめた。
温かいものが、ごろり、ごろり、と落ちてくる。
このあたりから、はっきりとそれが嬉しくて感じてしまっていることとを自覚している。
嬉しい、那智さんのうんこ。
私の胸の上にある。
ふと、見るとおちんちんが顔の間近にある。
いつも体に出されるときは、お腹の辺りのほうが多いから、こんなに近くにあることははじめてかもしれない。
それをお口に入れたい。
胸にうんこを出してもらっているときに、目の前のおちんちんをくわえたい。
だって、大好きなんだもの、もっと感じたいのだもの。
「那智さん、お口に入れてもいいですか?」
そう言って、目の前のものをくわえる。
ああ、幸せ。
那智さんの体が反応してくれて、嬉しい。
私に排泄することを喜んでくれていることが、更に私を幸せにさせる。
気持ち良く感じながらお口にふくんでいると、あっけなく抜かれてしまった。
おしまいになったのね。
食べるんだ。
胸の上にあるいくつかの固まりのうちのひとつを指でつまんで、私の口元に持ってくる。
お口をあーんと開けて、それをふくむ。
ほんとだ、煙草くらいの長さはある。
太さはウインナーくらいかな。
その状態で那智さんは私を抱いた。
口を半開きにしてうんこをふくみ、胸にはうんこを乗せた私を抱く。
気持ちがいい。
胸と一緒にうんこが揺さぶられて、それに合わせるように半開きの口から喘ぎ声が漏れる。
気持ち良くて、嬉しくて、我を忘れてしまいそう。
ひとしきり抱いて、那智さんが離れた。
次は、これを食べる番だ。
でも、これを一度に食べる勇気はない。
「吐いてもいいからね。」
私が拒絶反応して悲しくなってしまう気持ちを緩和してくれているんだ。
でも、一度には無理。
そう思って、舌で転がし、歯に挟み噛んだ。
噛み千切って、半分を持ち、口を閉じた。
残った口の中のうんこを舌で探って、噛む。
むしゃむしゃとしてみるけど、やっぱりおえってなってしまう。
「吐いてもいいからね。」
那智さんは、吐かせたいのかしら。
おえってなる私を見たいのかしら。
でも、やっぱりだめ。
吐き出したくない。
でも、飲み込めない。
涙目になっていると、那智さんがコップに水を汲んでくれた。
それを口に持ってきてくれたから、水と一緒に流し込む。
私の意気地なし。
吐いていいっていってもらっているのに、吐けないじゃない。
拒否したくないという思い。
それと、「嘔吐」するということに対する、本能的な理性(そんな言葉ない!?無意識の理性かな)が邪魔をしてしまう。
普通は、誰だって嘔吐したくないもの。
苦しいし、みっともないし、汚いし、人に迷惑が掛かる。
幼いころから、自然に植え付けられた理性が邪魔をするんだ。
意気地なし、その理性を那智さんが取り払おうとしてくれているのに、できない。
手に残った半分も口に入れて、水で流し込んでしまった。
委ねられていないなと、少し残念になる。
そんな気持ちをよそに、那智さんは胸の上にあるものを塗り広げている。
ああ、嬉しい。
那智さんのうんこが体にいっぱいになってる。
少しの残念な気持ちはどこかへ消え、うんこにまみれて幸せを取り戻した。
いつの間にか、那智さんがカメラを持って来ていた。
手を洗ったのですか?
私もすこし正気に戻る。
「あれ?電池切れだ。」
え?そうなの?残念。
そう思って素直に口にした、残念そうに、不満そうに。
「なんで電池ないのですか。撮ってほしかったのに。」
いつも写真を撮られるのは恥ずかしいくせに、なんだかこの写真だけは撮りたくなってしまう。
というよりか、その私を私が見たいんだ。
うんこにまみれて、汚いはずなのに、誇らしい女の姿を見たいんだ。
トイレットペーパーで丁寧に体を拭いて、泡立てたスポンジで体を洗ってもらう。
相変わらず、言葉少なく淡々と流れているけど、体を洗ってもらうもは保護されているみたいで大好きなこと。
「はい、あとは好きなように。」
スポンジを私に預けて、さっさとバスルームを後にする。
そっけない那智さん、だから、いつも大好きなこの時間はちょっとだけ。
それでも、その余韻を味わうように、きれいにしてしまうのを惜しむように、ゆっくりと体を流す。
舌で掬う程度ではなくて、はじめて「食べた」。
むしゃむしゃと美味しそうにとはいかなかった。
何より、「吐いていい」という那智さんに委ねることができなくて、ちょっと残念だった。
その常識を取っ払いたい。
それを取り払って、その先にあるものを那智さんと見てみたい。
欲望は底なしだ。
委ねる踏み絵は、繰り返す。