ぐずりweek2
独特な幸福感
カラオケボックスでフェラチオをして崩れ落ち、切実に「従属感」を必要としていると気付く。
そんなこといままでだって、当然のように思っていたことのはずなのに、突然目の前に大きな壁になってそそり立ち、私を途方に暮れさせる。
SMをしてほしいのか、ただの欲求不満なのか、わからない。
でも、お尻を叩けば、それでOKって思えそうもなくて、どう伝えたらよいか頭を抱える。
「私に集中してほしい」
その気持ちをこう表現して、那智さんに伝えた。
「悲しい、素直になれない。もっと私に集中してほしい。」
とても照れ臭い話だけど、那智さんは毎朝お仕事場の最寄り駅からお仕事場に向かって歩いている間電話をくれる、そして、お仕事の合間、煙草を吸う度に電話をくれる。
帰り道も同じように歩きながら電話をしてくれる。
もうひとつのお仕事場に戻って来て、また夜お話ししてくれる、この時は多いときで2時間くらい、少ないときは「おやすみ」だけ。(2時間なんてときはたまにね)
お仕事が変わって、ひとりの時間が減った那智さんの、これ以上どうすることもできないくらい私と繋がるようにしてくれている表れだ。
そして、いままでひとりでお仕事をしていたときには、いまよりも少したくさんお話しできていたとはいえ、仕事しながらとか、パソコンで遊びながらだったりしていたから、私の「もっと私に集中して」という言葉は、摩訶不思議な理解不能な言葉だったようだ。
これ以上どうしろと、それにいままでだってけっこう「ながら」だったから、集中している時間なんて、それほど変わっていないだろう?
その集中の意味がわからないから、整理して説明のメールを送りなさい。
そう言って、電話を切りフィットネスに行ってしまった。
涙を拭き、コーヒーを煎れ深呼吸して、パソコンへ向かう。
前の記事に書いたようなことを、ノロノロとキーボードを叩きながら進めていく。
本当はメールをそのまま載せようかと思ったのだけど、それこそ羞恥プレイになってしまうから、やめときます。
それに、私の支離滅裂を晒しているようで、これも恥ずかしい。
まとめてみるけど、上手にできるかな〜。
まず、電話やメールの頻度については、これ以上ないくらい与えてもらっているかな、本当に感謝していること。
そして、「愛」や「快感」とは別に「あなたのもの」と感じることが、私を幸福にさせとても必要だ。
SMをすれば感じられやすいのだけど、那智さんが「俺の物」と感じてそれを表してくれれば、それだけでも感じられる。
日々、電話や抱かれることで、愛と快感をもらいながら、アンテナを張り巡らし「あなたのもの」と思える瞬間を探している。
那智さんが「俺の物」と自然発生して表してくれている(と私が感じられる)ことは、酷いことじゃなくても、会話の端々ででも感じられるので、長い時間(パソコンや仕事しながらでも)お話ししていたり会っていたりすると、アンテナに引っ掛かりやすいのだ。
「私に集中してほしい」という言葉は、最近の多忙でそうなりにくい最近の状態を意味していたみたい、そしてそれが欲しいということ。(ああ、ここまで書いていて、ただ長話がしたいだけか!?と自分でツッコミ入れときます^^;)
「射精してすっきりみたいな感じになれないのは、女だからなのか、「従属感」が必要な女だからなのか、計りかねるのですが。
甘えさせてくださって、ありがとうございました。
そして、整理してメールするように、指示してくださってありがとうございました。
落ち着きました。」
最後はこんな言葉で、長いメールをおしまいにして送信する。
那智さんは「集中」の感覚が理解できて、そこは納得できたみたい。
「いま、できる限り最大限時間を使っているから、これ以上の頻度や時間は無理」
わかっています。
でも、何か救いはないものか、私のこの寂しさが治まる言葉は何なのか。
自分でも答えがわからず、いろんな餌を蒔き何か引っ掛からないかともがいてみる。
「那智さんが『俺の物』って、思える瞬間はどんなときですか?」
しばらく考えている、きっと那智さんにとって「そう思える」ことが重要で、どうしたらというような方法は考えたことがあまりないみたい。
「社会性かな。」
不倫の関係だから、二人と世間に社会性を持たせることは難しい。
ただ、広い意味で言えば、お外デートもハプニングバーも那智さんにとっては社会性のようだ。
実は、那智さんの信頼できる友人には私のことは話している、那智さんにとってはそれが「俺の物」と感じる一例。
私は、違う。
どちらかというと、二人だけの濃密な空気の中で、行われることで感じる。
ああ、とても残念なことに、ここに違いが生じている。
もう、違うの、私はあなたに翻弄されたいの、どうしてわかってくれないの!?
ただの欲求不満と言われてしまえば、それまでなんだけど、私には那智さんの波に揉まれることがとても必要なの、それが時間的にできないなら、せめて言葉で示して、りん子をどうしたいか聞かせて。
この違いに打ちのめされ、私は泣きながら訴える。
「那智さん、今度私を抱く時には、もう蹴っ飛ばして引きずり回して、髪を引っ張って、グチャグチャのボロボロにしてください。」
情けない、でも、那智さんにしれもらわないと、まったく意味がないんだもの。
那智さんも、それには「はい、はい」と答えてくれるけれど、まだ私の悲しさの原因が掴めていないようで釈然としていない様子。
だって、私自身も、何が何だかわかっていないのだもの。
それから、会える時間の話になる。
ランチデート以外で、おそらくひと月に一回くらいだろうということだ。
「じゃあ、一年間で12回しかきちんと抱いてもらえないの?10年間で120回しかきちんと抱いてもらえないの?20年間で…。」
馬鹿な話をしているのはわかっていても、涙が溢れて止まらない。(この時点で、20年…まだいけるのか?とか、20年で240回って数だけ見ればいっぱいね、なんて思ったりもしている 笑)
那智さんも、呆れてるだろう。
でも、こうやって感傷的な涙を流せたということは、私たちの間では「素直なりん子」ということになるだろうから、よしよしという気持ちにもなっているはずだ。
多分、寂しいの一部はこれだったみたい。
会えないのは、寂しい。
でも、進路を提示されれば、人は落ち着けるものだ。
お仕事が変わって、先の話をきちんとしたことがなかったから、その部分の不安は拭い去れた。
これで今日は大丈夫そうだ。
そして、これからも落ち着けるだろう。
この日は電話を切った。
一部が払拭されて、すっきりした。
でも、私の心の中には、二人の相違点が残り、これもいつか悲しい原因に成長しちゃうだろうなと想像ができていた。
大きな悲しみに育つ前に、那智さんに聞いてもらおう。
その日は、それで眠りに就いた。
結局、その話をする時間がなかなか取れず、気がつけば大きな「寂しい」に成長してしまっていた。
まだ、根本のくすぶりは解決できていなかった。
りん子(^-^)今日も過去エントリーに拍手たくさんいただけた。うれしいな。忘れているエントリーもあって新鮮です。
で、ひとつがこれ。7年前の2007年。当時のわたしはぐずぐず全開(笑)いまでもぐるぐるはあるけれど訓練のお陰でずいぶん感情を整理し心を言葉にできるようになったと思う。ずっと受け止めてくれた那智さんの力なんだけど、でも、人は変わりたいと思い続ければ変われるんだよね。
ぐずぐずのわたし恥ずかしいけど、人は変われるよって気持ちを込めて、今日の掘り出し(笑)
「等式」感想、番外編。わ~~懐かしい。俺もこの愚図愚図を良くフォローしていたと思います。(笑)う~ん、確かにりん子は俺が育てたかなと確信できるようなエントリーでした。今読んでも、どうしてくれようと思うようなりん子の話、そうです、人間は性も性格も成長できる生き物なのですね。(笑)
カラオケボックスでフェラチオをして崩れ落ち、切実に「従属感」を必要としていると気付く。
そんなこといままでだって、当然のように思っていたことのはずなのに、突然目の前に大きな壁になってそそり立ち、私を途方に暮れさせる。
SMをしてほしいのか、ただの欲求不満なのか、わからない。
でも、お尻を叩けば、それでOKって思えそうもなくて、どう伝えたらよいか頭を抱える。
「私に集中してほしい」
その気持ちをこう表現して、那智さんに伝えた。
「悲しい、素直になれない。もっと私に集中してほしい。」
とても照れ臭い話だけど、那智さんは毎朝お仕事場の最寄り駅からお仕事場に向かって歩いている間電話をくれる、そして、お仕事の合間、煙草を吸う度に電話をくれる。
帰り道も同じように歩きながら電話をしてくれる。
もうひとつのお仕事場に戻って来て、また夜お話ししてくれる、この時は多いときで2時間くらい、少ないときは「おやすみ」だけ。(2時間なんてときはたまにね)
お仕事が変わって、ひとりの時間が減った那智さんの、これ以上どうすることもできないくらい私と繋がるようにしてくれている表れだ。
そして、いままでひとりでお仕事をしていたときには、いまよりも少したくさんお話しできていたとはいえ、仕事しながらとか、パソコンで遊びながらだったりしていたから、私の「もっと私に集中して」という言葉は、摩訶不思議な理解不能な言葉だったようだ。
これ以上どうしろと、それにいままでだってけっこう「ながら」だったから、集中している時間なんて、それほど変わっていないだろう?
その集中の意味がわからないから、整理して説明のメールを送りなさい。
そう言って、電話を切りフィットネスに行ってしまった。
涙を拭き、コーヒーを煎れ深呼吸して、パソコンへ向かう。
前の記事に書いたようなことを、ノロノロとキーボードを叩きながら進めていく。
本当はメールをそのまま載せようかと思ったのだけど、それこそ羞恥プレイになってしまうから、やめときます。
それに、私の支離滅裂を晒しているようで、これも恥ずかしい。
まとめてみるけど、上手にできるかな〜。
まず、電話やメールの頻度については、これ以上ないくらい与えてもらっているかな、本当に感謝していること。
そして、「愛」や「快感」とは別に「あなたのもの」と感じることが、私を幸福にさせとても必要だ。
SMをすれば感じられやすいのだけど、那智さんが「俺の物」と感じてそれを表してくれれば、それだけでも感じられる。
日々、電話や抱かれることで、愛と快感をもらいながら、アンテナを張り巡らし「あなたのもの」と思える瞬間を探している。
那智さんが「俺の物」と自然発生して表してくれている(と私が感じられる)ことは、酷いことじゃなくても、会話の端々ででも感じられるので、長い時間(パソコンや仕事しながらでも)お話ししていたり会っていたりすると、アンテナに引っ掛かりやすいのだ。
「私に集中してほしい」という言葉は、最近の多忙でそうなりにくい最近の状態を意味していたみたい、そしてそれが欲しいということ。(ああ、ここまで書いていて、ただ長話がしたいだけか!?と自分でツッコミ入れときます^^;)
「射精してすっきりみたいな感じになれないのは、女だからなのか、「従属感」が必要な女だからなのか、計りかねるのですが。
甘えさせてくださって、ありがとうございました。
そして、整理してメールするように、指示してくださってありがとうございました。
落ち着きました。」
最後はこんな言葉で、長いメールをおしまいにして送信する。
那智さんは「集中」の感覚が理解できて、そこは納得できたみたい。
「いま、できる限り最大限時間を使っているから、これ以上の頻度や時間は無理」
わかっています。
でも、何か救いはないものか、私のこの寂しさが治まる言葉は何なのか。
自分でも答えがわからず、いろんな餌を蒔き何か引っ掛からないかともがいてみる。
「那智さんが『俺の物』って、思える瞬間はどんなときですか?」
しばらく考えている、きっと那智さんにとって「そう思える」ことが重要で、どうしたらというような方法は考えたことがあまりないみたい。
「社会性かな。」
不倫の関係だから、二人と世間に社会性を持たせることは難しい。
ただ、広い意味で言えば、お外デートもハプニングバーも那智さんにとっては社会性のようだ。
実は、那智さんの信頼できる友人には私のことは話している、那智さんにとってはそれが「俺の物」と感じる一例。
私は、違う。
どちらかというと、二人だけの濃密な空気の中で、行われることで感じる。
ああ、とても残念なことに、ここに違いが生じている。
もう、違うの、私はあなたに翻弄されたいの、どうしてわかってくれないの!?
ただの欲求不満と言われてしまえば、それまでなんだけど、私には那智さんの波に揉まれることがとても必要なの、それが時間的にできないなら、せめて言葉で示して、りん子をどうしたいか聞かせて。
この違いに打ちのめされ、私は泣きながら訴える。
「那智さん、今度私を抱く時には、もう蹴っ飛ばして引きずり回して、髪を引っ張って、グチャグチャのボロボロにしてください。」
情けない、でも、那智さんにしれもらわないと、まったく意味がないんだもの。
那智さんも、それには「はい、はい」と答えてくれるけれど、まだ私の悲しさの原因が掴めていないようで釈然としていない様子。
だって、私自身も、何が何だかわかっていないのだもの。
それから、会える時間の話になる。
ランチデート以外で、おそらくひと月に一回くらいだろうということだ。
「じゃあ、一年間で12回しかきちんと抱いてもらえないの?10年間で120回しかきちんと抱いてもらえないの?20年間で…。」
馬鹿な話をしているのはわかっていても、涙が溢れて止まらない。(この時点で、20年…まだいけるのか?とか、20年で240回って数だけ見ればいっぱいね、なんて思ったりもしている 笑)
那智さんも、呆れてるだろう。
でも、こうやって感傷的な涙を流せたということは、私たちの間では「素直なりん子」ということになるだろうから、よしよしという気持ちにもなっているはずだ。
多分、寂しいの一部はこれだったみたい。
会えないのは、寂しい。
でも、進路を提示されれば、人は落ち着けるものだ。
お仕事が変わって、先の話をきちんとしたことがなかったから、その部分の不安は拭い去れた。
これで今日は大丈夫そうだ。
そして、これからも落ち着けるだろう。
この日は電話を切った。
一部が払拭されて、すっきりした。
でも、私の心の中には、二人の相違点が残り、これもいつか悲しい原因に成長しちゃうだろうなと想像ができていた。
大きな悲しみに育つ前に、那智さんに聞いてもらおう。
その日は、それで眠りに就いた。
結局、その話をする時間がなかなか取れず、気がつけば大きな「寂しい」に成長してしまっていた。
まだ、根本のくすぶりは解決できていなかった。
りん子(^-^)今日も過去エントリーに拍手たくさんいただけた。うれしいな。忘れているエントリーもあって新鮮です。
で、ひとつがこれ。7年前の2007年。当時のわたしはぐずぐず全開(笑)いまでもぐるぐるはあるけれど訓練のお陰でずいぶん感情を整理し心を言葉にできるようになったと思う。ずっと受け止めてくれた那智さんの力なんだけど、でも、人は変わりたいと思い続ければ変われるんだよね。
ぐずぐずのわたし恥ずかしいけど、人は変われるよって気持ちを込めて、今日の掘り出し(笑)
「等式」感想、番外編。わ~~懐かしい。俺もこの愚図愚図を良くフォローしていたと思います。(笑)う~ん、確かにりん子は俺が育てたかなと確信できるようなエントリーでした。今読んでも、どうしてくれようと思うようなりん子の話、そうです、人間は性も性格も成長できる生き物なのですね。(笑)