ぐずりweek3
独特な幸福感
「所有している、所有されている」お伽噺のような感覚。
世間には、もっと過酷なことをして「所有物」であることを模索しているカップルがいっぱいいて、その方たちに比べたら(特にSM的なことでは)全然大したことない私が、それでも所有されていると思いたいと願っているのは、おこがましいかもしれないけれど。
簡単に口にできる言葉じゃないから、日々確認したいともがいている。
那智さんは、何事にも型にはめたり、人と比べたりしない人。
ううん、私が、人一倍そうしてしまう人間なのかもしれない。
SMのお決まりパターンは苦手なくせに、自分の感じていることに「証拠」みたいなものが欲しくて、「こうだったら、所有してる?これができれば凄い?」なんて、無意味に掟を決めて、結果辛くなっている^^;
那智さんは「俺の物」と思えればそうだし、「あなたのもの」と思っていればそうだと言う。
お腹が空いたからご飯を食べるように、愛しいと思ったら手を握るように、意識することなく「りん子は俺の物」なのだそうだ。
だから、どうしたら「俺の物」と思えるかなんて、考えたこともないのでしょう。
付き合いはじめのころは、それでも「証」を探していたようですが、いまは自然なことになっている。
(ただ、以前チラッと「俺がいくら俺の物と思っても、所有されているほうがそうじゃないと思ったら、その関係は成り立たない。逆に「俺の物じゃない」と思っていても「私はあなたのもの」とりん子が思っていれば、それは俺の物。だから、りん子の気持ちで左右する部分が大きい」と言っていたこのがあったな…。これって、那智さんにしてはりん子任せのちょっと珍しい意見でした)
一部(もう所有とか、あなたのものとか面倒だから、とりあえず総称して、一部で!)と思える事柄の相違を話せる間もなく、時間が経っている。
アンテナを張り巡らし、何か引っ掛からないか探しているけれど、見つからない。
だんだんと私の「素直になれない」雪だるまがころころと大きくなってくる。
素直になれないって、何も那智さんの言う通りにしていることじゃなくて、喜怒哀楽を伝えることなのです。
だから、いつものメールのやり取りでも、いちいち言葉尻につまずいて心にシミを作ってしまう。
素直な時は「その言い方はいや」とか「もっとこう言って」とか言えて、シミにならない。
もちろん私がそんなことを言っても、そこから先は那智さん次第で、訂正したり謝罪したり窘められたり、解決方法は色々なのです。
ちゃんと伝えることが大事なのです。
そんなつまずきが、3つくらい続いて(しかも3つのうちのひとつは、那智さんが一部と感じる社会性に関する大事な行事を忘れてたの!)、その他にもちょっとあって(端折っちゃってる 笑)ああ、もうだめ、全然メールの言葉が可愛くなれない。
またもや静かに爆発。
「全然素直になれません」
「なぜ素直になれないの?」
ここでまず、シミになったメールのやり取りひとつひとつを訴える。
「あの言葉は悲しかった」「あの言葉の真意がわからない」(どう?うっとうしいでしょう!!)、それにひとつずつ答えてくれる。
「そう、悲しかったんだ、でも、俺に他意はないよ」
その答えは特別ものじゃないけれど、私は気持ちを伝えるだけて、心は落ち着くのだ。
それで、シミの部分は消すことができた。
「もうシミはない?」
その言葉に甘えて、私は心にくすぶっていた、最大の気持ちを一気に吐き出してしまった。
「那智さん、私、あなたのものって思えなくなるかもしれない」
「所有している、所有されている」お伽噺のような感覚。
世間には、もっと過酷なことをして「所有物」であることを模索しているカップルがいっぱいいて、その方たちに比べたら(特にSM的なことでは)全然大したことない私が、それでも所有されていると思いたいと願っているのは、おこがましいかもしれないけれど。
簡単に口にできる言葉じゃないから、日々確認したいともがいている。
那智さんは、何事にも型にはめたり、人と比べたりしない人。
ううん、私が、人一倍そうしてしまう人間なのかもしれない。
SMのお決まりパターンは苦手なくせに、自分の感じていることに「証拠」みたいなものが欲しくて、「こうだったら、所有してる?これができれば凄い?」なんて、無意味に掟を決めて、結果辛くなっている^^;
那智さんは「俺の物」と思えればそうだし、「あなたのもの」と思っていればそうだと言う。
お腹が空いたからご飯を食べるように、愛しいと思ったら手を握るように、意識することなく「りん子は俺の物」なのだそうだ。
だから、どうしたら「俺の物」と思えるかなんて、考えたこともないのでしょう。
付き合いはじめのころは、それでも「証」を探していたようですが、いまは自然なことになっている。
(ただ、以前チラッと「俺がいくら俺の物と思っても、所有されているほうがそうじゃないと思ったら、その関係は成り立たない。逆に「俺の物じゃない」と思っていても「私はあなたのもの」とりん子が思っていれば、それは俺の物。だから、りん子の気持ちで左右する部分が大きい」と言っていたこのがあったな…。これって、那智さんにしてはりん子任せのちょっと珍しい意見でした)
一部(もう所有とか、あなたのものとか面倒だから、とりあえず総称して、一部で!)と思える事柄の相違を話せる間もなく、時間が経っている。
アンテナを張り巡らし、何か引っ掛からないか探しているけれど、見つからない。
だんだんと私の「素直になれない」雪だるまがころころと大きくなってくる。
素直になれないって、何も那智さんの言う通りにしていることじゃなくて、喜怒哀楽を伝えることなのです。
だから、いつものメールのやり取りでも、いちいち言葉尻につまずいて心にシミを作ってしまう。
素直な時は「その言い方はいや」とか「もっとこう言って」とか言えて、シミにならない。
もちろん私がそんなことを言っても、そこから先は那智さん次第で、訂正したり謝罪したり窘められたり、解決方法は色々なのです。
ちゃんと伝えることが大事なのです。
そんなつまずきが、3つくらい続いて(しかも3つのうちのひとつは、那智さんが一部と感じる社会性に関する大事な行事を忘れてたの!)、その他にもちょっとあって(端折っちゃってる 笑)ああ、もうだめ、全然メールの言葉が可愛くなれない。
またもや静かに爆発。
「全然素直になれません」
「なぜ素直になれないの?」
ここでまず、シミになったメールのやり取りひとつひとつを訴える。
「あの言葉は悲しかった」「あの言葉の真意がわからない」(どう?うっとうしいでしょう!!)、それにひとつずつ答えてくれる。
「そう、悲しかったんだ、でも、俺に他意はないよ」
その答えは特別ものじゃないけれど、私は気持ちを伝えるだけて、心は落ち着くのだ。
それで、シミの部分は消すことができた。
「もうシミはない?」
その言葉に甘えて、私は心にくすぶっていた、最大の気持ちを一気に吐き出してしまった。
「那智さん、私、あなたのものって思えなくなるかもしれない」