お尻のこと
独特な幸福感
自分の願望に気付いて少ないながら情報を得ていくうちに、これは無理だろうな〜というものもわかっていた。
血が出るような行為とスカトロ。
ピアスさえ怖くてできないのだから、血が出るような痛いことは耐えられない(じゃあ、血が出なくて痛ければ耐えられるのかというと、そのころは血=痛いと想像していて血が出なくても痛いことがあるという認識がありませんでした)だろうと思っていたのと、うんこを塗ったり食べたりは「酔えない」だろうなと思ったのだ。
「汚い!変態!!」というよりも、う〜ん引いてしまいそうみたいな感じ。
徐々に慣らされていって、受け入れ望んでしまっていることは、いろいろ書いてありますから、いまは違う話題
。
無理だろうなというよりも、想像の外にあったものが、お尻。
アナルセックスというものの存在は、なんとなく知っていたけれど、なぜだかそれとSMが結びついていなかったの。
だから、してみたいとかそれは無理とか、そんな意識するというレベルのものではなかったのです。
SMをする相手に四つん這いになって恥ずかしいところを丸見えにする…私にとってのSM的お尻使用はこの程度の認識だった。
SMをした人に、はじめてお尻の穴を指でいじられたとき、びっくりして恥ずかしくてくすぐったくって、それでも嫌じゃなかった、その感情すべてが驚きだった。
その人はあるとき、なんの前触れもなく私のお尻の穴でセックスをしようとしてきた。
急に固いもので押し広げられそうになって、恐怖と僅かな痛みに飛び退いて拒否して、それは未遂に終わった。
そのときから、いままで意識の外にあった「アナルセックス」は私にとっては怖いことになってしまったのだ。
那智さんとはじめて会ってホテルに行った時は、はじめてなのにほんとにいろんなことをした(笑)
そこにアナルセックスも含まれていたのです。(そのあたりのことは『非日常的な日常』の『なんのことだかわかりますか?』にちょっとだけ書いてあります。)
それから、時々それをするようになって、もう私にとっては怖いものではなくなっている。
単純におちんちんを入れてセックスをするときもあるし(恥ずかしいから、いたって普通に書こうとするとそれはそれで恥ずかしい…)、指を使ったりおまんこにおちんちんを入れながら指を入れたりとかもある。
お尻の穴に何かを(ここは「那智さんの何かを」と言っておきましょう)入れるのは、気持ちが良い。
指でもおちんちんでも、圧迫されるような一瞬息苦しさを感じるのが、気持ち良い。
これはおまんこでは感じない感覚。
さらに、ここで感じるという背徳感も加味されて、喜んで暗闇に落ちていく感じだ。
そこに他の刺激を加えられると、もう何が何だかわからないくらいになってしまう。
例えば、(名前あるのよね、しらないけど)私は横向きに寝て那智さんが私の片足を持ち上げるようにしてする体位でセックスをして、右手はクリトリス左手はお尻の穴。
例えば、アナルセックスをして、その他を指で刺激。
そうなると、なにでどこをどうされているのか、わからなくなってしまう。
そのあたり全部が気持ちいい。
いつもより低い声で呻いていることだけは自覚して、その可愛らしくない声を出してしまう自分の堕落していく感じで、また感じる。
ごめんなさい、もう、許してください、はしたない私を許してください。
言葉にならないお願いを繰り返して、苦しいくらいの快感に飛び込んでしまう。
この手放せる瞬間がたまらない。
以前怖い思いをしたときに、それは気持ち良いものになるのかと考えたことがあった。
だって、妊娠しなくて気持ち良いのなら、もっとメジャーになっているはずと思ったからだ。
アブノーマルな行為と認識していたから、メジャーじゃないそれは、やっぱり快感ではないのだろうと思った。
被虐としての行為なのかなと。
那智さんさんじゃなきゃってばかり言ってしまっているけれど、これも那智さんしか知らないし、那智さんさん以外でしてほしいとも思わないのだけど。
純粋に体が気持ち良いのと、背徳感で気持ち良いのと、あなたにしてもらうから気持ちが良い、と結局いつものような結論になってしまいます。
それと、メジャーにならないのは、それをしたいと思う男性が多くないから?と思って納得するのでした。
自分の願望に気付いて少ないながら情報を得ていくうちに、これは無理だろうな〜というものもわかっていた。
血が出るような行為とスカトロ。
ピアスさえ怖くてできないのだから、血が出るような痛いことは耐えられない(じゃあ、血が出なくて痛ければ耐えられるのかというと、そのころは血=痛いと想像していて血が出なくても痛いことがあるという認識がありませんでした)だろうと思っていたのと、うんこを塗ったり食べたりは「酔えない」だろうなと思ったのだ。
「汚い!変態!!」というよりも、う〜ん引いてしまいそうみたいな感じ。
徐々に慣らされていって、受け入れ望んでしまっていることは、いろいろ書いてありますから、いまは違う話題
。
無理だろうなというよりも、想像の外にあったものが、お尻。
アナルセックスというものの存在は、なんとなく知っていたけれど、なぜだかそれとSMが結びついていなかったの。
だから、してみたいとかそれは無理とか、そんな意識するというレベルのものではなかったのです。
SMをする相手に四つん這いになって恥ずかしいところを丸見えにする…私にとってのSM的お尻使用はこの程度の認識だった。
SMをした人に、はじめてお尻の穴を指でいじられたとき、びっくりして恥ずかしくてくすぐったくって、それでも嫌じゃなかった、その感情すべてが驚きだった。
その人はあるとき、なんの前触れもなく私のお尻の穴でセックスをしようとしてきた。
急に固いもので押し広げられそうになって、恐怖と僅かな痛みに飛び退いて拒否して、それは未遂に終わった。
そのときから、いままで意識の外にあった「アナルセックス」は私にとっては怖いことになってしまったのだ。
那智さんとはじめて会ってホテルに行った時は、はじめてなのにほんとにいろんなことをした(笑)
そこにアナルセックスも含まれていたのです。(そのあたりのことは『非日常的な日常』の『なんのことだかわかりますか?』にちょっとだけ書いてあります。)
それから、時々それをするようになって、もう私にとっては怖いものではなくなっている。
単純におちんちんを入れてセックスをするときもあるし(恥ずかしいから、いたって普通に書こうとするとそれはそれで恥ずかしい…)、指を使ったりおまんこにおちんちんを入れながら指を入れたりとかもある。
お尻の穴に何かを(ここは「那智さんの何かを」と言っておきましょう)入れるのは、気持ちが良い。
指でもおちんちんでも、圧迫されるような一瞬息苦しさを感じるのが、気持ち良い。
これはおまんこでは感じない感覚。
さらに、ここで感じるという背徳感も加味されて、喜んで暗闇に落ちていく感じだ。
そこに他の刺激を加えられると、もう何が何だかわからないくらいになってしまう。
例えば、(名前あるのよね、しらないけど)私は横向きに寝て那智さんが私の片足を持ち上げるようにしてする体位でセックスをして、右手はクリトリス左手はお尻の穴。
例えば、アナルセックスをして、その他を指で刺激。
そうなると、なにでどこをどうされているのか、わからなくなってしまう。
そのあたり全部が気持ちいい。
いつもより低い声で呻いていることだけは自覚して、その可愛らしくない声を出してしまう自分の堕落していく感じで、また感じる。
ごめんなさい、もう、許してください、はしたない私を許してください。
言葉にならないお願いを繰り返して、苦しいくらいの快感に飛び込んでしまう。
この手放せる瞬間がたまらない。
以前怖い思いをしたときに、それは気持ち良いものになるのかと考えたことがあった。
だって、妊娠しなくて気持ち良いのなら、もっとメジャーになっているはずと思ったからだ。
アブノーマルな行為と認識していたから、メジャーじゃないそれは、やっぱり快感ではないのだろうと思った。
被虐としての行為なのかなと。
那智さんさんじゃなきゃってばかり言ってしまっているけれど、これも那智さんしか知らないし、那智さんさん以外でしてほしいとも思わないのだけど。
純粋に体が気持ち良いのと、背徳感で気持ち良いのと、あなたにしてもらうから気持ちが良い、と結局いつものような結論になってしまいます。
それと、メジャーにならないのは、それをしたいと思う男性が多くないから?と思って納得するのでした。