手が掛かります
独特な幸福感
「あなたを愛している」と「私はあなたのもの、私はあなたの一部」。
SMをしているけれど、ただ愛する人に所有されていると思いたいと、日々切磋琢磨している。
「あなたを愛している」と「私はあなたのもの」というのは、同時に成り立つけれど同じものではないみたい。
これから先「愛しているけど所有していない」、「愛する量関係なく所有されている」というような関係になる可能性もあるはずだ。
でも、そのふたつがバランス良く一緒になっていることは、私たちにはとても居心地良く代え難い関係。
人を愛する気持ちは他者にはどうすることもできない流れはあるけれど、それでも努力は忘れてはいけない。
だけど、「あなたのもの」という関係には、もっと努力と勇気が必要だと思う。
「私はあなたのもの」という、ちょっと特殊でなかなかあり得ないことを、普通に真剣に口にするには、とても勇気がいる。
そして、それを公言させるにはそれ相応の努力をしてもらえないと、できない。
どんな時も変わらずに私の幸せを考えてくれて、助けてくれる、私の存在そのものを愛してくれている。
そんな中で、私は一生懸命じたばたしながら、那智さんを愛している。
でも、根底にある土台の愛しているにはなんら変わりなくても、残念なことに「従属感」には多少の上下がある。(こんなこと言ったら怒られるかな、これ以上俺にどうしろって言うんだ〜って)
それは、りん子を「ああしたい、こうしたい」と思っていることが伝わると上昇して、そういう空気が少ないと下がるみたい。
よく書いているけれど、酷いことをされればされるほど、「あなたのもの」と思える私がいるから、それから遠ざかっている時間が長くなると、「はい、あなたのものです」と言いづらくなるの。(別に那智さんはいちいち確認しないけど)
実際に、行為をしなくても、あれこれ私に施すことを知らされたり、話題になったりするだけでも、そう思えるのです。
胸がぎゅっとなって、あなたのものと思えるのです。
単に、欲求不満!?
う〜ん、そうかもしれない。
でも、そう思うのだからしょうがない。
でも、人が人を所有するなんてこと、努力なしではできないでしょ?
その努力というのが「酷いことの話題」っていうのも、ツッコミどころですが^^;
そう思うには、根底の愛情と、継続して手を掛け続けていただくことが必要なのですね。
那智さん的にはSM関係なくぐずるりん子の相手だけでも充分手を掛けているでしょうし、その努力のほうがずっと大変なのでしょうけどね。
そして、本当はこちらの「手を掛ける」ことのほうが、愛しているにも所有にも必要なことなのでしょうけどね。
ひさしぶりにちょっとだけ会える。
那智さん大好きは変わらないけれど、どこか心が開ききれていない感じ。
「わん♪」って気分になりにくい。
しばらく忙しかったから、「ああしたい、こうしたい」から離れているしね。
そういう時はちょっとうっとうしいメールを送る。
「久しぶりにくっつけますね。でも、なんだか那智さんがお忙しいみたいだからこの数日気持ちを抑え込んでいたみたいで、素直に表現できない感じです。照れくさいという感じ。」
そんなメールを送ったあとの逢瀬は、会うなり胸を掴まれて、乳首をぎゅーっと潰される。
ひさしぶりだからって、キスや抱擁なんてなし。
痛くて気持ち良くて、素直になれないなんて、どっかにいっちゃう。
そのあとは、ずっとずっと「那智さんのもの〜」の時間。
やっぱり欲求不満だったの!?
忘れてた、今日はバレンタインデー!!
愛の告白のときにこんな話題!!
しかも那智さんには何も用意していない!!
自分勝手にもほどがある!?
しょうがないですね、私はあなたのもの、一部が本体にプレゼントなんておかしいですものね♪