萌えポイントの続き
独り言
さてさて、前エントリーの人によって萌えポイントは違うみたいだよね〜というお話。
この着衣で緊縛放置の萌えポイントをもう少し詳しくお話ししてみます^^
『放置される喜び』
那智さんがスタッフと楽しそうに話している声を聞きながら、私は遠くで、ちょっと焦がれて、声に感じて、ひとり内側で噛みしめるような快感。
本格的な『放置』とは違うでしょうし、放置の仕方でも感じ方はそれぞれでしょうけど。
那智さんが『わざと』でも『本気で』放置して、それを楽しんでいるというのがわかるのがいい。
それで焦がれていることが快感^^
飼い主が来客をもてなしている間、じっと待ってる犬のよう。
必ず後でかまってくれることがわかっているから、かまってほしいなとうずうずする気持ちを飴玉のようにコロコロ転がして楽しんでるのだ。
(この辺は『片手間』と『片手間なわけ』にも書いてるね)
ここには、私の場合『放置される蔑まれ感』も『放置される不安感(故にご主人様が頼り的な)』もほとんどない。
『焦がれる』という言葉が一番合うかな。
2人して、テレパシーで遊んでる快感^^
これは安定した土台の上でだから成立するものですね。
そして、実は『着衣緊縛』もっというと『カジュアル着衣で緊縛』も重要だったりするのだ。
着衣で緊縛も色っぽいとは思うけど、この時は遊園地帰りで超カジュアルスタイルだったし、例えばボタンを多く外してとか肩をはだけてとかのエロ要素もゼロ。
普通の長Tとカーキ色のミニの私が正座して後ろ手で上半身だけ縛られてるだけ。
だから色っぽくしようと思っての着衣緊縛でもなかったのだけど、それが(『が』ね^^)よかったのだ。
多分ハプバーという場所柄『エロ』が普通だよね。
おしゃべりを楽しむだけじゃなくて『緊縛』みたいにエロ的行為をする場合、裸じゃないにしても、下着やコスプレ、露出の多い服装なほうが、多分普通。
それなのに、エロ行為(緊縛)をエロ要素ゼロでする違和感。
その違和感が照れ臭いような、居たたまれないような快感なのだ。
そして違和感で感じてしまうことで生まれる羞恥心。
で、更にその羞恥心で感じる。
那智さんと私の間で『放置して遊ぶ』ことは、特別エロ要素を混ぜなくても充分快感になる面白さ。
(多分、縛りも檻もなくても『いまから放置ね』ってだけで、うう感じてしまいそうだ^^;)
こんな感じが萌えだったのです。
『放置』と称してコミュニケーションをサボって苦しい思いをさせているご主人様は論外だけど^^(ちょっと太字、ここだけ『りん子的生意気独り言」^^)
『放置の』といっても、蔑まれる快感や私のような焦がれる快感と、快感の種類も様々だろう。
また人前で縛るという行為も『裸で緊縛』と『カジュアル着衣で緊縛』のように『エロ要素有りでエロ行為』と『エロ要素なしでエロ行為』と、シチュエーションは様々だ。
どちらも恥ずかしいと思うけど、恥ずかしいの種類が違うと思う。
もちろん私だってその最中に『違和感→快感→羞恥→また快感』なんて理解しながら放置されているわけじゃない^^
そんなことしてたら気持ちよくない(笑)
こうやって言葉にするときに感情の記憶を掘り起こすのだ。
で、掘り起こすと人の心にはいくつもの感情があって、その感情も光の当て方で見えるものは違ってくるのがわかる。
それがたくさんあってその違いもわかっているのは、とても贅沢をしている気がする。
だから感情の記憶を掘り起こすことは、とても楽しい。
と、『萌えポイント』から始まって、なんとなく続きっぽく書いてますが、これはまだ続きます。
これは、いわゆるM女?従者?に浣腸をさせるという暴挙に出た那智さんのフォローに繋がっていく予定です^^
なんとなーくそんな感じで読んでみても面白いかもしれませんね〜^^
追伸:
実は、これほとんど下書きし終わっていたんだけど、前エントリーのコメントを読んでほんの少し手直ししました。
ああ、『そういう見方もあるよね〜』とか『そうそう、その言葉のほうが合ってる』なんて思って^^
自分のたくさんの感情と光の当て方で違う色になる感情、それをたくさん知っていることはとても楽しいし、自分にない光り方を持っている人を知るのも、とても楽しいことなんだ。
こういうこともあるから、自分で書くのも他の人の気持ちを聞くのも読むのも、私はとても好きなのです^^
さてさて、前エントリーの人によって萌えポイントは違うみたいだよね〜というお話。
この着衣で緊縛放置の萌えポイントをもう少し詳しくお話ししてみます^^
『放置される喜び』
那智さんがスタッフと楽しそうに話している声を聞きながら、私は遠くで、ちょっと焦がれて、声に感じて、ひとり内側で噛みしめるような快感。
本格的な『放置』とは違うでしょうし、放置の仕方でも感じ方はそれぞれでしょうけど。
那智さんが『わざと』でも『本気で』放置して、それを楽しんでいるというのがわかるのがいい。
それで焦がれていることが快感^^
飼い主が来客をもてなしている間、じっと待ってる犬のよう。
必ず後でかまってくれることがわかっているから、かまってほしいなとうずうずする気持ちを飴玉のようにコロコロ転がして楽しんでるのだ。
(この辺は『片手間』と『片手間なわけ』にも書いてるね)
ここには、私の場合『放置される蔑まれ感』も『放置される不安感(故にご主人様が頼り的な)』もほとんどない。
『焦がれる』という言葉が一番合うかな。
2人して、テレパシーで遊んでる快感^^
これは安定した土台の上でだから成立するものですね。
そして、実は『着衣緊縛』もっというと『カジュアル着衣で緊縛』も重要だったりするのだ。
着衣で緊縛も色っぽいとは思うけど、この時は遊園地帰りで超カジュアルスタイルだったし、例えばボタンを多く外してとか肩をはだけてとかのエロ要素もゼロ。
普通の長Tとカーキ色のミニの私が正座して後ろ手で上半身だけ縛られてるだけ。
だから色っぽくしようと思っての着衣緊縛でもなかったのだけど、それが(『が』ね^^)よかったのだ。
多分ハプバーという場所柄『エロ』が普通だよね。
おしゃべりを楽しむだけじゃなくて『緊縛』みたいにエロ的行為をする場合、裸じゃないにしても、下着やコスプレ、露出の多い服装なほうが、多分普通。
それなのに、エロ行為(緊縛)をエロ要素ゼロでする違和感。
その違和感が照れ臭いような、居たたまれないような快感なのだ。
そして違和感で感じてしまうことで生まれる羞恥心。
で、更にその羞恥心で感じる。
那智さんと私の間で『放置して遊ぶ』ことは、特別エロ要素を混ぜなくても充分快感になる面白さ。
(多分、縛りも檻もなくても『いまから放置ね』ってだけで、うう感じてしまいそうだ^^;)
こんな感じが萌えだったのです。
『放置』と称してコミュニケーションをサボって苦しい思いをさせているご主人様は論外だけど^^(ちょっと太字、ここだけ『りん子的生意気独り言」^^)
『放置の』といっても、蔑まれる快感や私のような焦がれる快感と、快感の種類も様々だろう。
また人前で縛るという行為も『裸で緊縛』と『カジュアル着衣で緊縛』のように『エロ要素有りでエロ行為』と『エロ要素なしでエロ行為』と、シチュエーションは様々だ。
どちらも恥ずかしいと思うけど、恥ずかしいの種類が違うと思う。
もちろん私だってその最中に『違和感→快感→羞恥→また快感』なんて理解しながら放置されているわけじゃない^^
そんなことしてたら気持ちよくない(笑)
こうやって言葉にするときに感情の記憶を掘り起こすのだ。
で、掘り起こすと人の心にはいくつもの感情があって、その感情も光の当て方で見えるものは違ってくるのがわかる。
それがたくさんあってその違いもわかっているのは、とても贅沢をしている気がする。
だから感情の記憶を掘り起こすことは、とても楽しい。
と、『萌えポイント』から始まって、なんとなく続きっぽく書いてますが、これはまだ続きます。
これは、いわゆるM女?従者?に浣腸をさせるという暴挙に出た那智さんのフォローに繋がっていく予定です^^
なんとなーくそんな感じで読んでみても面白いかもしれませんね〜^^
追伸:
実は、これほとんど下書きし終わっていたんだけど、前エントリーのコメントを読んでほんの少し手直ししました。
ああ、『そういう見方もあるよね〜』とか『そうそう、その言葉のほうが合ってる』なんて思って^^
自分のたくさんの感情と光の当て方で違う色になる感情、それをたくさん知っていることはとても楽しいし、自分にない光り方を持っている人を知るのも、とても楽しいことなんだ。
こういうこともあるから、自分で書くのも他の人の気持ちを聞くのも読むのも、私はとても好きなのです^^
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