徒然に『マゾ』
140字もどき
わたしは、たぶんマゾである。
酷い行いに快感を覚えることがマゾというなら、そうだ。
まあ、その『酷い』の程度を計るすべはないので、なんとも言えないけれど。
でも、だからといって痛いことや苦しいことがうれしいのかというと、そんなことはぜんぜんない。
いつも「痛いことするのかな」と不安になるし、どちらかというと「なくてもいいかも」と思う。
鞭や洗濯バサミを取り出されると、毎回毎回怖くて逃げ出したくなる。
唯一、欲する瞬間があるとしたら、痛いことの渦中のわずかな時間だけだ。
痛みでのたうち回っているとき「ああ、このままやめないで」と、やっと思う。
「もっと」と欲するなんて、さらにその先だ。
「痛みを与えられたい」なんて、微塵も思わない。
あるのは、『酷いことが気になってしかたがない』という、惹かれるとハッキリいえないほどのもっと漠然としたものだ。
性的欲求ともすこし違う、別なものがずーっと意識の下に流れ続け、ときどき引っかかるものに出会うと暴れて困惑するというだけのものだ。
(その引っかかるものが嫌悪するものだから、困るのだ)
この『気になってしかたがない』ことを『快感の予感』ではないかと書いたこともある。
これ、マゾなんだろうか。
先日読んだ本をエントリーにした。
父親から性的虐待を受けた著者の父を受け入れたいという歪んだ愛情ゆえに男性から迫られると言いなりになってしまう『娼婦性』の記述があった。
それに『O孃の物語』を引き合いにしていた(わたし的には『O孃の物語』の解釈はまた別のものなんだけどね)
同じようなことは、岩月謙司さんの著書にも書いてある。
父親から適正な愛情をもらえない女性は『M』傾向がある、というようなことだ。
わたしなりに解釈すると
父親から適正な愛情をもらえないと、お父さんから愛情をもらいたいがために『自分がダメな子なんだ』と思うようになる。
お父さんに愛されないのはわたしがダメな子だからだと。
なぜなら、お父さんがダメな男だと気づいてしまうと、もうお父さんからの愛情を諦めないといけないから。
だから、お父さんを一所懸命好きになろうとして、愛してもらおうとして自分の卑下していく。
(で、結局大人になってもお父さんのダメな部分を好きと錯覚させてたままでダメな男ばかり選んでしまうのね)
この習性が言いなりになり『娼婦性』や自分を卑下したり、こんなダメなわたしを罰してほしいという自罰意識を生み、これが『M』と呼ばれているのだろう。
さらにいうと、不安定や依存体質からご主人様的存在に救いを求めるようなものも、『M』と呼ばれたりしているよね。
この場合は『主従』という名称のほうが多いかな。
わたしの『酷いことが気になってしまう』はこれらとは違う。
でも、わたしは依存体質もあるし、ダメな父親に愛してもらおうと自分を卑下してしまう暗闇もあった。
相手の言いなりになる『娼婦性』もある。
(ただ、この『娼婦性』は言いなりになって相手を下からコントロールして、じつは相手を言いなりにさせようという側面もあるんだよね)
でもって、自罰意識だけはない。
これは不思議とない。
いままで『M女の種類』とか書いてきたけど、何年か思考し観察した結果。
様々な要素があってひとりの人間ができ上がっているから、どれかひとつをとってなにかの記号に当てはめることはナンセンスではあるけれど、おそらく、わたしにとっての『マゾ』は、やはり『気になってしかたがない』→『快感の予感』→『快感』を指すのだろう。
自分を卑下してしまう暗闇や言いなりになる『娼婦性』は那智さんと出会い埋めて行く中でなくなっていった。
そう、なくなっていったんだ!
だから、きっとこれらは『埋めればなくなる』ものだったんだ。
だから、自分を卑下したり言いなりになる『娼婦性』はわたしにとっては、なくならない性癖のようなものとは違うのだろう。
依存体質や従属嗜好はなくならないから、先天的な嗜好だとは思うけど、依存や従属と酷いことはイコールではないから、これもわたしの『マゾ』の部分ではないな。
わたしという人間はいろいろな要素を混ぜ合わせて出来ているけれど(みんなもそうだよね)、その中の『マゾ』はごく一部にすぎないのだと改めて思う。
ただ、ごく一部であって、濃く、なくならないヤツではあるけれど。
そう思うと、やっぱり世間の『M女』のイメージとわたしの『マゾ』は重ならない部分がある。
いや、だから、なんだというわけではないのだけどね。
わたしは被虐は求めていないんだ。
被虐で感じてしまう(らしい)というだけのものだ。
これがわたしの中の『マゾ』なんだろうなと思うのだ。
と、徒然。
<関連エントリー>
被虐に感じる予感
針山
読んだ本
那智さんの指
自分を卑下する暗闇
暗闇の安息
M女の種類
「等式」「徒然にマゾ」感想です。私の心の事情で、多分1年位まともに痛覚を快感に変化させるようなことはしていない。遠ざかっても、りん子が怖がり、諭すように、甘く酷い行為は久しく、楽しい。慣れるまでどのくらい時間が必要か解らないが楽しめる。(笑)
わたしは、たぶんマゾである。
酷い行いに快感を覚えることがマゾというなら、そうだ。
まあ、その『酷い』の程度を計るすべはないので、なんとも言えないけれど。
でも、だからといって痛いことや苦しいことがうれしいのかというと、そんなことはぜんぜんない。
いつも「痛いことするのかな」と不安になるし、どちらかというと「なくてもいいかも」と思う。
鞭や洗濯バサミを取り出されると、毎回毎回怖くて逃げ出したくなる。
唯一、欲する瞬間があるとしたら、痛いことの渦中のわずかな時間だけだ。
痛みでのたうち回っているとき「ああ、このままやめないで」と、やっと思う。
「もっと」と欲するなんて、さらにその先だ。
「痛みを与えられたい」なんて、微塵も思わない。
あるのは、『酷いことが気になってしかたがない』という、惹かれるとハッキリいえないほどのもっと漠然としたものだ。
性的欲求ともすこし違う、別なものがずーっと意識の下に流れ続け、ときどき引っかかるものに出会うと暴れて困惑するというだけのものだ。
(その引っかかるものが嫌悪するものだから、困るのだ)
この『気になってしかたがない』ことを『快感の予感』ではないかと書いたこともある。
これ、マゾなんだろうか。
先日読んだ本をエントリーにした。
父親から性的虐待を受けた著者の父を受け入れたいという歪んだ愛情ゆえに男性から迫られると言いなりになってしまう『娼婦性』の記述があった。
それに『O孃の物語』を引き合いにしていた(わたし的には『O孃の物語』の解釈はまた別のものなんだけどね)
同じようなことは、岩月謙司さんの著書にも書いてある。
父親から適正な愛情をもらえない女性は『M』傾向がある、というようなことだ。
わたしなりに解釈すると
父親から適正な愛情をもらえないと、お父さんから愛情をもらいたいがために『自分がダメな子なんだ』と思うようになる。
お父さんに愛されないのはわたしがダメな子だからだと。
なぜなら、お父さんがダメな男だと気づいてしまうと、もうお父さんからの愛情を諦めないといけないから。
だから、お父さんを一所懸命好きになろうとして、愛してもらおうとして自分の卑下していく。
(で、結局大人になってもお父さんのダメな部分を好きと錯覚させてたままでダメな男ばかり選んでしまうのね)
この習性が言いなりになり『娼婦性』や自分を卑下したり、こんなダメなわたしを罰してほしいという自罰意識を生み、これが『M』と呼ばれているのだろう。
さらにいうと、不安定や依存体質からご主人様的存在に救いを求めるようなものも、『M』と呼ばれたりしているよね。
この場合は『主従』という名称のほうが多いかな。
わたしの『酷いことが気になってしまう』はこれらとは違う。
でも、わたしは依存体質もあるし、ダメな父親に愛してもらおうと自分を卑下してしまう暗闇もあった。
相手の言いなりになる『娼婦性』もある。
(ただ、この『娼婦性』は言いなりになって相手を下からコントロールして、じつは相手を言いなりにさせようという側面もあるんだよね)
でもって、自罰意識だけはない。
これは不思議とない。
いままで『M女の種類』とか書いてきたけど、何年か思考し観察した結果。
様々な要素があってひとりの人間ができ上がっているから、どれかひとつをとってなにかの記号に当てはめることはナンセンスではあるけれど、おそらく、わたしにとっての『マゾ』は、やはり『気になってしかたがない』→『快感の予感』→『快感』を指すのだろう。
自分を卑下してしまう暗闇や言いなりになる『娼婦性』は那智さんと出会い埋めて行く中でなくなっていった。
そう、なくなっていったんだ!
だから、きっとこれらは『埋めればなくなる』ものだったんだ。
だから、自分を卑下したり言いなりになる『娼婦性』はわたしにとっては、なくならない性癖のようなものとは違うのだろう。
依存体質や従属嗜好はなくならないから、先天的な嗜好だとは思うけど、依存や従属と酷いことはイコールではないから、これもわたしの『マゾ』の部分ではないな。
わたしという人間はいろいろな要素を混ぜ合わせて出来ているけれど(みんなもそうだよね)、その中の『マゾ』はごく一部にすぎないのだと改めて思う。
ただ、ごく一部であって、濃く、なくならないヤツではあるけれど。
そう思うと、やっぱり世間の『M女』のイメージとわたしの『マゾ』は重ならない部分がある。
いや、だから、なんだというわけではないのだけどね。
わたしは被虐は求めていないんだ。
被虐で感じてしまう(らしい)というだけのものだ。
これがわたしの中の『マゾ』なんだろうなと思うのだ。
と、徒然。
<関連エントリー>
被虐に感じる予感
針山
読んだ本
那智さんの指
自分を卑下する暗闇
暗闇の安息
M女の種類
「等式」「徒然にマゾ」感想です。私の心の事情で、多分1年位まともに痛覚を快感に変化させるようなことはしていない。遠ざかっても、りん子が怖がり、諭すように、甘く酷い行為は久しく、楽しい。慣れるまでどのくらい時間が必要か解らないが楽しめる。(笑)