ずっとの理由
独特な幸福感
年の瀬のある日、いきなり那智さんが
りん子のすごいことを発見した!!
とチャットの文字。
なになに、どうしたのですか?
年始の大きなイベントとプライベートのゴタゴタが重なって、このところの那智さんはめずらしく余裕が持てない中の発言に。
針が振り切ってしまってのハイテンションか?と訝しく思う(笑)
とはいえ、褒めてもらっているようなので、うれしいことはうれしいわけで
なんですか?なんですか?
と前のめりでお返事する。
忙しいから後で!!
いやん、引っぱらないで(笑)
いや、待て、「忙しいから後で」ということは簡単に話せるようなことではないか?!
長々と説明するようなすごいところを発見したということなのだろうか!!
那智さん、それはわたしのようです。
那智さんのことをしつこいほど長々と説明する、まるで『等式』ではありませんか!!
引っぱられてうずうずしつつも、期待も膨らみ、とにかくひとり身悶えしていた。
そこから音沙汰なし…(笑)
って、ことで頃合いを見て
(頃合いがどれくらいの時間の経過かは、秘密 笑)
さっきのすごいところってなんですか?
と自分で聞く始末(恥ずかしい^^;が、わたしたちはこれでうまく回っております)
すると、しばらくして
おしっこの時恥ずかし続けるの!
俺が見ると恥ずかしがるのがすごい、ずっとだよ。
ということだ。
たしかに、わたしはずっと恥ずかしがっている。
照れくさそうにしている。
一度のホテルで3回入るとして、それが月3〜4回、まあひと月で平均10回としよう、年間にすると120回、12年の付き合いで1440回。
最初の頃は毎回だったけど、最近は2/3回くらいになっているので、それでもざっくりと1000回はお見せしているとして。
1000回ずっと変わらず恥ずかしがることがすごいということだ。
うーん、これってすごいことかなぁ。
まあ、そもそも、トイレの姿を見る、見せるという習慣自体が、一般常識から外れているので、外れていること自体恥ずかしいわけで、まして、好きな人にトイレの姿を見せることは、いつまでも恥ずかしいことだと思うのだけど。
まあ、その習慣を続けることが、そもそもすごいことなのかもしれないとは思うよね。
(ということは、わたしだけじゃなくて那智さんもすごいのだ 笑)
ただ、そのお話を聞きながら、この『恥ずかしい』はおしっこしている姿を見られて恥ずかしいという単純なものだけではないと、わたしはほくそ笑んでいた(笑)
それは那智さんとわたしの関係性と排泄姿を晒す意味合いが関係している。
ご存知の通り。
SMの世界の排泄姿は辱めや被虐や羞恥を煽る目的があったり、主従的な排泄も管理されているみたいな意味合いがあったりするみたいだけど、わたしたちのそれはすこし違っている。
(主従的な管理に似ているように見えるけど、似て非なるものだと思う)
もちろん、那智さんも最初のうちは羞恥心を煽るとか支配欲みたいなものはあったと思うのだけど、いつのまにか、見てもらうことは幸せなことだと変わっていった。
これはわたしたちの上下の一面である『庇護するものと、されるもの』、わたしのお好みの言葉でいえば『お父さんと娘』の関係性の、幸せな行為であることが、いつまでも恥ずかしがることに繋がっている。
おしっこを見てもらうことは那智さんの庇護のもとである幸福。
それさえも許容してもらえているという幸福。
だからね。
おしっこ見てもらうことがうれしいと思ってしまう自分に照れているのだ。
だって、普通は見られたくないものでしょ?
それなのに、見てもらいたいと思ってしまって、見てもらうとうれしくなちゃうなんて、恥ずかしいじゃないか!!
だから、ずーっと恥ずかしいのだ。
おしっこ見てもらってうれしいわたしが恥ずかしいので、けして、わたしがすごいってことだけじゃないの(笑)とひとりほくそ笑んでおりました^^
ところで、なぜ、排泄姿を見せてうれしいと思うのだろう。
それは那智さんに蔑みの気持ちがないからだ。
おしっこしている姿を見ることも『可愛がっていること』だから、うれしくて幸福になる。
排泄姿を見ることに蔑みはなく、見られることに屈辱を感じないのが、わたしたちなのだ。
那智さんがわたしの排泄姿を可愛がっている意味合いで見ていてくれ続ければ、わたしはずっとずっと恥ずかしがっていられるということなのでした^^
わたしも昔は『強制排泄』なんて被虐の言葉にうずうずしていたはずなんだけど、いつの間にかやわやわなSM行為になってしまったものだな〜(笑)
「等式」感想です。難しいような、簡単なような、まあ、確かにマイナスな感情を続けるのは飽きるし、大変かもしれません。プラスの感情なら飽きづらいし、おきまりだとしても、黄金の予定調和で大変ではないかも?
年の瀬のある日、いきなり那智さんが
りん子のすごいことを発見した!!
とチャットの文字。
なになに、どうしたのですか?
年始の大きなイベントとプライベートのゴタゴタが重なって、このところの那智さんはめずらしく余裕が持てない中の発言に。
針が振り切ってしまってのハイテンションか?と訝しく思う(笑)
とはいえ、褒めてもらっているようなので、うれしいことはうれしいわけで
なんですか?なんですか?
と前のめりでお返事する。
忙しいから後で!!
いやん、引っぱらないで(笑)
いや、待て、「忙しいから後で」ということは簡単に話せるようなことではないか?!
長々と説明するようなすごいところを発見したということなのだろうか!!
那智さん、それはわたしのようです。
那智さんのことをしつこいほど長々と説明する、まるで『等式』ではありませんか!!
引っぱられてうずうずしつつも、期待も膨らみ、とにかくひとり身悶えしていた。
そこから音沙汰なし…(笑)
って、ことで頃合いを見て
(頃合いがどれくらいの時間の経過かは、秘密 笑)
さっきのすごいところってなんですか?
と自分で聞く始末(恥ずかしい^^;が、わたしたちはこれでうまく回っております)
すると、しばらくして
おしっこの時恥ずかし続けるの!
俺が見ると恥ずかしがるのがすごい、ずっとだよ。
ということだ。
たしかに、わたしはずっと恥ずかしがっている。
照れくさそうにしている。
一度のホテルで3回入るとして、それが月3〜4回、まあひと月で平均10回としよう、年間にすると120回、12年の付き合いで1440回。
最初の頃は毎回だったけど、最近は2/3回くらいになっているので、それでもざっくりと1000回はお見せしているとして。
1000回ずっと変わらず恥ずかしがることがすごいということだ。
うーん、これってすごいことかなぁ。
まあ、そもそも、トイレの姿を見る、見せるという習慣自体が、一般常識から外れているので、外れていること自体恥ずかしいわけで、まして、好きな人にトイレの姿を見せることは、いつまでも恥ずかしいことだと思うのだけど。
まあ、その習慣を続けることが、そもそもすごいことなのかもしれないとは思うよね。
(ということは、わたしだけじゃなくて那智さんもすごいのだ 笑)
ただ、そのお話を聞きながら、この『恥ずかしい』はおしっこしている姿を見られて恥ずかしいという単純なものだけではないと、わたしはほくそ笑んでいた(笑)
それは那智さんとわたしの関係性と排泄姿を晒す意味合いが関係している。
ご存知の通り。
SMの世界の排泄姿は辱めや被虐や羞恥を煽る目的があったり、主従的な排泄も管理されているみたいな意味合いがあったりするみたいだけど、わたしたちのそれはすこし違っている。
(主従的な管理に似ているように見えるけど、似て非なるものだと思う)
もちろん、那智さんも最初のうちは羞恥心を煽るとか支配欲みたいなものはあったと思うのだけど、いつのまにか、見てもらうことは幸せなことだと変わっていった。
これはわたしたちの上下の一面である『庇護するものと、されるもの』、わたしのお好みの言葉でいえば『お父さんと娘』の関係性の、幸せな行為であることが、いつまでも恥ずかしがることに繋がっている。
おしっこを見てもらうことは那智さんの庇護のもとである幸福。
それさえも許容してもらえているという幸福。
だからね。
おしっこ見てもらうことがうれしいと思ってしまう自分に照れているのだ。
だって、普通は見られたくないものでしょ?
それなのに、見てもらいたいと思ってしまって、見てもらうとうれしくなちゃうなんて、恥ずかしいじゃないか!!
だから、ずーっと恥ずかしいのだ。
おしっこ見てもらってうれしいわたしが恥ずかしいので、けして、わたしがすごいってことだけじゃないの(笑)とひとりほくそ笑んでおりました^^
ところで、なぜ、排泄姿を見せてうれしいと思うのだろう。
それは那智さんに蔑みの気持ちがないからだ。
おしっこしている姿を見ることも『可愛がっていること』だから、うれしくて幸福になる。
排泄姿を見ることに蔑みはなく、見られることに屈辱を感じないのが、わたしたちなのだ。
那智さんがわたしの排泄姿を可愛がっている意味合いで見ていてくれ続ければ、わたしはずっとずっと恥ずかしがっていられるということなのでした^^
わたしも昔は『強制排泄』なんて被虐の言葉にうずうずしていたはずなんだけど、いつの間にかやわやわなSM行為になってしまったものだな〜(笑)
「等式」感想です。難しいような、簡単なような、まあ、確かにマイナスな感情を続けるのは飽きるし、大変かもしれません。プラスの感情なら飽きづらいし、おきまりだとしても、黄金の予定調和で大変ではないかも?
COMMENT
って、続けるのもたいへんだけど
それについて初心を持ち続けたり
方向は変わっても「羞恥心」をもてるって
すごいこと、ですよ
人間は「慣れる」生き物なので
どんな方面からでも恥ずかしがり続けるって酷く困難なことです。
露出も慣れすぎて過激にならないとあのヒヤヒヤ感がない
とか言う人いますしね…
それについて初心を持ち続けたり
方向は変わっても「羞恥心」をもてるって
すごいこと、ですよ
人間は「慣れる」生き物なので
どんな方面からでも恥ずかしがり続けるって酷く困難なことです。
露出も慣れすぎて過激にならないとあのヒヤヒヤ感がない
とか言う人いますしね…
灯里さん
方向性は変わっていくけど「羞恥心」は変わらない、たしかにいまのわたしはそうだなぁ。
先日、あることでひさしぶりにたくさん抵抗したら(性的なことじゃないんだけど 笑)「自意識過剰過ぎ!!」と笑われました^^;
たぶん、わたしは人の目がすごく気になるのだと思う、それは那智さんとふたりの空間でも那智さんと自分の目を気にしているのでしょう。
だから、いつまでたっても恥ずかしいのかな。
慣れないことはいいことだけど、自意識過剰過ぎは双方それなりに疲れます(笑)
方向性は変わっていくけど「羞恥心」は変わらない、たしかにいまのわたしはそうだなぁ。
先日、あることでひさしぶりにたくさん抵抗したら(性的なことじゃないんだけど 笑)「自意識過剰過ぎ!!」と笑われました^^;
たぶん、わたしは人の目がすごく気になるのだと思う、それは那智さんとふたりの空間でも那智さんと自分の目を気にしているのでしょう。
だから、いつまでたっても恥ずかしいのかな。
慣れないことはいいことだけど、自意識過剰過ぎは双方それなりに疲れます(笑)