本当の心
独り言
最近、よく一緒にお仕事をする担当者。
彼女なりにお客様の印象にわたしの特性を当てはめているようで「りん子さんを選ぶだろうな〜と思ってたら、やっぱり選んだ(笑)」なんて話してくれる。
案の定、小規模istに相応しいほのぼのカップルからご指名をいただくことが多い気がする。
そんな担当が「りん子さんを選びそう」と表しながらも、「イマイチ本心を見せない」と感じる新婦と初対面。
担当からのこういったマイナスの詳細は参考になる一方で、わたしはあまり意識しないように努めている。
むしろ、普段通り接するほうが、そのマイナスな部分を軟化させることができているように思うからだ。
とはいえ、ほんのちょっとのプロ根性で『楽しんでもらおう』と思って顔合わせに臨んだ。
担当から聞いた『本心を見せない』からは想像つかないような、少女のようにかわいらしい新婦。
汚れない少女のような印象は年齢が若いだけではない彼女の特性のようだった。
この少女のような風貌から、どうしてあのような印象を担当は持ったのだろう?と不思議に思いながら話しを進める、と、なんとなく、わかるような感じがしてきた。
たぶん、人に対して丁寧にしてしまうのだろう。
もちろん丁寧であることはいいことだけど、『過ぎる』のだ。
世代は近いけどお世話になる担当者、年上の初対面の司会者、彼女はお客なのだからある程度の甘えの馴れ馴れしさは許されるはずなのに、元来の丁寧過ぎる特性だと、それができないのかもしれない。
ちょっとわかるな。
わたしも割りと『丁寧』だ。
先日、前の披露宴が押していて、わたしが会場入りしたときにまだ前の司会者がいたことがあった。
知り合いの司会者だったので普通に挨拶を交わし、そのまま会場を出る彼女は「おつかれっす〜」と親しげにサービスたちに手を振っていた。
アシスタント(サービスの上の立場の人)の男性も「◯さん、いつもかわいいね〜」なんて軽口を叩いている。
あー、わたし、これができないんだよな〜^^;と羨ましい気持ちをそのやり取りを見ていた。
わたし、もう何年もこの会場でこのスタッフと一緒にお仕事しているけど、毎度毎度、会場を出るときは
お疲れさまでした
お先に失礼します
ありがとうございました
の3点セットだ(笑)
年齢も立場も関係なく、どんなに慣れた会場でも毎度この丁寧な挨拶しかしない。
きっと本番前や最中にも適度に雑談をしてアシスタントやサービス(キャプテンともだろうなあ)と慣れ親しんだ関係を作っているんだろう、最低限の雑談しかしない(だって仕事中だもん)わたしとは、そりゃあ親しくなる度合いは違うよね。
円滑な人間関係を築くには、きっとある程度そういう部分があったほうがいいことは理解しているのだけど、丁寧以外ができないものはできないのだ。
もっと普通にすればいいのにと言われることもあるけど、いやいや、これがわたしの『普通』なのだよと、時々苦笑いすることもある。
まあ、これしかできないから、わたしはひたすらわたしの誠実を通すしかないのだけど、先の司会者が軽口を交わしていた担当がいなくなった途端に「わたし、あの人苦手なんだよね」と言っているのを聞いていたりするので、何が正解か、わからないね^^;(それでも軽口叩けることも評価ともいう^^;)
まあ、一事が万事、そういう人間なのでお仕事以外の付き合いでも人によっては『イマイチ本心を見せない』ように見えているかもしれないなと、新婦をすこし自分に重ねて想像していた。
聞けば高校を卒業してから上京して一人暮らしをしてきたらしい、かわいらしくて幼げな見た目より芯がしっかりしているように見えるのは、その見た目ゆえに逆にしっかりせざるを得なかったのかなと思うし、それが『イマイチ本心を見せない』ような印象を与えているのかもしれない。
たぶんね、もう少し年齢が上だったり、見た目が違っていたら同じ態度でも『本心見せない』とは思われなかったのかもしれないよね。
幼い印象は、人に何かしらの固定観念を植え付けるからね(逆もしかり)
アタリかどうかはわからないけど、わたしの見立てで新婦に接しよう。
丁寧過ぎる新婦には、わたしも丁寧にほんのわずかだけ親しさを差し込む。
会場の良い点、良い雰囲気を作る秘訣、わたしの主観を入れながら経験に基づいた提案を丁寧にする。
新婦の表情がほんのすこし和らぎ、あれこれを質問が出てきて、もしかしたら彼女なりにリラックスしてきてくれたかな〜と顔合わせや打ち合わせをこなし、当日を迎えた。
砕けすぎない雰囲気も彼女らしく、滞りなく披露宴は進んだ。
年齢的に、わたしとそう変わらない!?であろう新婦両親は遠く離れた都会に我が娘を送り出し、今日はどんな気持ちでここにいるんだろう。
新婦を大切に扱う新郎の優しげな表情を見て安心してくれるといいな。
お開きも近づき。
新婦手紙と花束贈呈。
手紙には高校卒業後親元を離れる新婦を最初は反対しながらも快く送り出してくれた両親に感謝と、自分の道を選んだ決意、新郎と出会って得た安心などが綴られていた。
とても静かで強い手紙だった。
がんばって生きてきたんだね〜、新郎に出会えてよかったね〜。
なんとなく自分を重ねてしまっていたからちょっとウルッとしながら花束贈呈。
小さい会場だったから、両親立ち位置と司会台は1mくらしか離れていない。
そこに手紙を読んだ新婦が歩いてくる。
泣いてはいなかったけど目が光っているのはわかる。
きっと、案外泣けない人なのかもね^^
冷たい人とか言われたこともあるかもね^^
わたしも気を引き締め贈呈を促すアナウンスを入れる。
新婦、母親に花束を渡す。
そして、そのままお母さんに抱きついた、花束つぶれるほど。
間近だから横顔が見える、泣いている。
わーー、やめてくれ!!
ここにきて目の前でわかりやすい『本心』を見せないでくれ(笑)
引き締めた気持ちが一気に決壊しそうだ。
なんとかやり過ごしたいけど、小さい会場だからわたしゲストの視界にたぶん入っている。
鼻の穴を膨らまし途切れることなくアナウンスを入れ、なんとか凌いだ(笑)
丁寧過ぎる人は『イマイチ本心を見せない』と思われる、『おつかれっす』っていえない、だけど、ちゃんと真摯な気持ちは持っている。
熱い思いも持っているのだ。
『おつかれっす』っていえないわたしはちょっとだけ共感しながらたくさんの祝福をするのでした^^
「等式」感想です。私がくだける時が多いのでりん子は丁寧にお願いします。でも、私がくだけるとあわせて来るときも場合によってはあるね~
最近、よく一緒にお仕事をする担当者。
彼女なりにお客様の印象にわたしの特性を当てはめているようで「りん子さんを選ぶだろうな〜と思ってたら、やっぱり選んだ(笑)」なんて話してくれる。
案の定、小規模istに相応しいほのぼのカップルからご指名をいただくことが多い気がする。
そんな担当が「りん子さんを選びそう」と表しながらも、「イマイチ本心を見せない」と感じる新婦と初対面。
担当からのこういったマイナスの詳細は参考になる一方で、わたしはあまり意識しないように努めている。
むしろ、普段通り接するほうが、そのマイナスな部分を軟化させることができているように思うからだ。
とはいえ、ほんのちょっとのプロ根性で『楽しんでもらおう』と思って顔合わせに臨んだ。
担当から聞いた『本心を見せない』からは想像つかないような、少女のようにかわいらしい新婦。
汚れない少女のような印象は年齢が若いだけではない彼女の特性のようだった。
この少女のような風貌から、どうしてあのような印象を担当は持ったのだろう?と不思議に思いながら話しを進める、と、なんとなく、わかるような感じがしてきた。
たぶん、人に対して丁寧にしてしまうのだろう。
もちろん丁寧であることはいいことだけど、『過ぎる』のだ。
世代は近いけどお世話になる担当者、年上の初対面の司会者、彼女はお客なのだからある程度の甘えの馴れ馴れしさは許されるはずなのに、元来の丁寧過ぎる特性だと、それができないのかもしれない。
ちょっとわかるな。
わたしも割りと『丁寧』だ。
先日、前の披露宴が押していて、わたしが会場入りしたときにまだ前の司会者がいたことがあった。
知り合いの司会者だったので普通に挨拶を交わし、そのまま会場を出る彼女は「おつかれっす〜」と親しげにサービスたちに手を振っていた。
アシスタント(サービスの上の立場の人)の男性も「◯さん、いつもかわいいね〜」なんて軽口を叩いている。
あー、わたし、これができないんだよな〜^^;と羨ましい気持ちをそのやり取りを見ていた。
わたし、もう何年もこの会場でこのスタッフと一緒にお仕事しているけど、毎度毎度、会場を出るときは
お疲れさまでした
お先に失礼します
ありがとうございました
の3点セットだ(笑)
年齢も立場も関係なく、どんなに慣れた会場でも毎度この丁寧な挨拶しかしない。
きっと本番前や最中にも適度に雑談をしてアシスタントやサービス(キャプテンともだろうなあ)と慣れ親しんだ関係を作っているんだろう、最低限の雑談しかしない(だって仕事中だもん)わたしとは、そりゃあ親しくなる度合いは違うよね。
円滑な人間関係を築くには、きっとある程度そういう部分があったほうがいいことは理解しているのだけど、丁寧以外ができないものはできないのだ。
もっと普通にすればいいのにと言われることもあるけど、いやいや、これがわたしの『普通』なのだよと、時々苦笑いすることもある。
まあ、これしかできないから、わたしはひたすらわたしの誠実を通すしかないのだけど、先の司会者が軽口を交わしていた担当がいなくなった途端に「わたし、あの人苦手なんだよね」と言っているのを聞いていたりするので、何が正解か、わからないね^^;(それでも軽口叩けることも評価ともいう^^;)
まあ、一事が万事、そういう人間なのでお仕事以外の付き合いでも人によっては『イマイチ本心を見せない』ように見えているかもしれないなと、新婦をすこし自分に重ねて想像していた。
聞けば高校を卒業してから上京して一人暮らしをしてきたらしい、かわいらしくて幼げな見た目より芯がしっかりしているように見えるのは、その見た目ゆえに逆にしっかりせざるを得なかったのかなと思うし、それが『イマイチ本心を見せない』ような印象を与えているのかもしれない。
たぶんね、もう少し年齢が上だったり、見た目が違っていたら同じ態度でも『本心見せない』とは思われなかったのかもしれないよね。
幼い印象は、人に何かしらの固定観念を植え付けるからね(逆もしかり)
アタリかどうかはわからないけど、わたしの見立てで新婦に接しよう。
丁寧過ぎる新婦には、わたしも丁寧にほんのわずかだけ親しさを差し込む。
会場の良い点、良い雰囲気を作る秘訣、わたしの主観を入れながら経験に基づいた提案を丁寧にする。
新婦の表情がほんのすこし和らぎ、あれこれを質問が出てきて、もしかしたら彼女なりにリラックスしてきてくれたかな〜と顔合わせや打ち合わせをこなし、当日を迎えた。
砕けすぎない雰囲気も彼女らしく、滞りなく披露宴は進んだ。
年齢的に、わたしとそう変わらない!?であろう新婦両親は遠く離れた都会に我が娘を送り出し、今日はどんな気持ちでここにいるんだろう。
新婦を大切に扱う新郎の優しげな表情を見て安心してくれるといいな。
お開きも近づき。
新婦手紙と花束贈呈。
手紙には高校卒業後親元を離れる新婦を最初は反対しながらも快く送り出してくれた両親に感謝と、自分の道を選んだ決意、新郎と出会って得た安心などが綴られていた。
とても静かで強い手紙だった。
がんばって生きてきたんだね〜、新郎に出会えてよかったね〜。
なんとなく自分を重ねてしまっていたからちょっとウルッとしながら花束贈呈。
小さい会場だったから、両親立ち位置と司会台は1mくらしか離れていない。
そこに手紙を読んだ新婦が歩いてくる。
泣いてはいなかったけど目が光っているのはわかる。
きっと、案外泣けない人なのかもね^^
冷たい人とか言われたこともあるかもね^^
わたしも気を引き締め贈呈を促すアナウンスを入れる。
新婦、母親に花束を渡す。
そして、そのままお母さんに抱きついた、花束つぶれるほど。
間近だから横顔が見える、泣いている。
わーー、やめてくれ!!
ここにきて目の前でわかりやすい『本心』を見せないでくれ(笑)
引き締めた気持ちが一気に決壊しそうだ。
なんとかやり過ごしたいけど、小さい会場だからわたしゲストの視界にたぶん入っている。
鼻の穴を膨らまし途切れることなくアナウンスを入れ、なんとか凌いだ(笑)
丁寧過ぎる人は『イマイチ本心を見せない』と思われる、『おつかれっす』っていえない、だけど、ちゃんと真摯な気持ちは持っている。
熱い思いも持っているのだ。
『おつかれっす』っていえないわたしはちょっとだけ共感しながらたくさんの祝福をするのでした^^
「等式」感想です。私がくだける時が多いのでりん子は丁寧にお願いします。でも、私がくだけるとあわせて来るときも場合によってはあるね~
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COMMENT
りん子さん
こんにちは。
丁寧すぎる。自分では決して丁寧すぎ
とは、思ってないのだけど、
丁寧だよね。とか礼儀正しいとか
周りからは
本音がみえない、、、
なんて、風に見えているのかな?
なんて、思いながら読んでいました。
りん子さんが、自分の事を重ねながら、
新婦さんに、気持ちを添わせる事が
出来るようになったのは、
自分を客観的に見れるようになった。
て、事なんだなぁ。なんて、思いました。
こんにちは。
丁寧すぎる。自分では決して丁寧すぎ
とは、思ってないのだけど、
丁寧だよね。とか礼儀正しいとか
周りからは
本音がみえない、、、
なんて、風に見えているのかな?
なんて、思いながら読んでいました。
りん子さんが、自分の事を重ねながら、
新婦さんに、気持ちを添わせる事が
出来るようになったのは、
自分を客観的に見れるようになった。
て、事なんだなぁ。なんて、思いました。
ここさん
わからないんだけど、人が人をどう見るか、見られているか。
わたしが自分の経験なりを重ねて、こんなふうに感じたエントリーでした。
自分や周りからのいろいろを考えること好きなので^^;
でも客観視できることはいいことだよね。
ここさんのおっしゃるように自分の足下がしっかり固まってきたからこそできるものなのだろうなと思います^^
わからないんだけど、人が人をどう見るか、見られているか。
わたしが自分の経験なりを重ねて、こんなふうに感じたエントリーでした。
自分や周りからのいろいろを考えること好きなので^^;
でも客観視できることはいいことだよね。
ここさんのおっしゃるように自分の足下がしっかり固まってきたからこそできるものなのだろうなと思います^^