答えの出ていない仮説^^;
独り言
ああ、今回は(も!?)まとまっていません^^;
もう何度書いているかわからないけど。
わたしは那智さんによって、父性を感じ、女の子として可愛がられ、そうすることで女として愛される価値があると思えるようになってきた。
父親から適正な愛情をもらえなかったとわたしが感じていることで、無価値観が植え付けられてしまった大きな要因だと思っている。
姉を溺愛する子供のような父、その父から愛されなかったから、わたしが陥ってしまっていたのは『女として愛される価値がない』と感じてしまうことだった。
幸いなことに、母からは適正な愛情をもらえていたので、わたしは全自己否定をせずに育つことができた。
世の中にはもっと厳しい状況を生き抜いている人がたくさんいるので、わたしは自分がすごい不幸だったとは思っていません。
ただ、そこを見つめるのが好きだからスポットを当ててみています。
女として愛される価値がない。
幼稚園に入る前後の子供の頃の写真。
そこに写る小さい子は、仮面ライダーのTシャツを着て半ズボンを履いている。
靴は青色の運動靴。
その写真を見るたび母がよく言っていた。
「りん子は男の子みたいな格好ばかり着たがった。」
お決まりの家族の笑い話。
わたしはその男の子のような格好を自ら選んで着ていたのだ。
仮面ライダー、ウルトラマン。
ふと、またパズルのピースがはまった。
わたしの父は子供のような人だった。
幼い頃よく言われた。
「俺は男の子が欲しかった」
「一人目が女だったから、次は男がほしかった」
「俺はりん子が生まれたとき、産院の受付で男か女かを聞いて、女だって言われたからそのまま引き返した」
子供のような父は、これを言ったら相手がどう思うかなんて考えない人。
そして、そのときの発言が本心かも定かではないような人。
子供が、ふと思ったことを口にするように、ただ『そのとき』『そう』思ったから言っただけ。
明日になったら忘れているような人だった。
実際、父の看病をしているときは「娘でよかった〜」としみじみ言っていたし^^;
わたしと姉は「お父さん昔は息子がほしかったって言ってたくせに〜」とからかっていた。
だけど、父親からの愛情が不可欠な幼い少女はその言葉を笑い飛ばすことができず、必死に愛情を求めようとしてしまうことは仕方がないこと。
もしかして。
男の子になればお父さんが喜ぶかもしれないと思ったのかもしれない。
喜んでもらえれば、わたしを好きになってくれるかもしれない。
もっというと、男になれば愛してもらえるかも。
そんなふうに、3、4才のわたしが思ったとしてもおかしくない。
幼稚園に入って、お遊戯会でバレリーナの衣装を着るときすごくすごく喜んだ。
七五三の振り袖が嬉しくて、母親に「頼むから脱いでくれ」と言われるまで着ていた。
そのわたしは仮面ライダーのTシャツを選ぶわたしとギャップがある。
本当はかわいらしいものが好きなのに、お父さんに好かれたいから無意識に仮面ライダーを選んでいたのかもしれない。
行事が免罪符になって、そのときはかわいらしいものを堪能していたとも言える。
こうして、わたしは父親(男性)から『女の子』として可愛がられる時期がすっぽりと抜け落ち。
思春期を迎える。
相変わらず、ショートカットの女子。(でもね、性格は全然男っぽくないし、運動音痴だし、結局かっこいい女の子にもなれなかった^^;)
わたしが中学高校のころはぶりっこ大全盛で、『守ってあげたくなるような』かわいい子がもてはやされた。
背の高いわたしは、そのかわいいからはほど遠い。
後ろを歩く男子から「でっけーなー」と言われたことも。
思春期のわたしも『守ってあげたくなるような』可愛がられる子にはなれなかった。
働きはじめて、華やかな職場で背が高いことはメリットにもなるとはじめて知った。
背が高いと洋服が似合う。
背が高いのはかっこいい。
男性からちやほやさせる。
『女として愛される価値がない』と思っているわたしは、求められれば応じる。
きっと愛してほしいからだ。
だけど、わたしは大人の女だから、男性はわたしを『女』として扱う。
当たり前なんだけど、わたしの根底にあるのは幼い頃にもらえなかった父性の愛情なので、その男性たちがくれようとするものは、必要なかったのね。
だから同じようなことを何度も繰り返す。
男性は、わたしを必要とする。
だけど、その人はわたしが欲しいものはくれない。
求められれば応じ、自分も望んでいたつもりなのに虚無感だけが残るようなセックスをする。
『女の子』として可愛がられる経験ができないまま、男性に『女』を求められても、『愛される価値観』を持つことはできないようだ。
感じることができた『価値』は『商品価値』というものだった。
体を売るということではもちろんないのだけど、わたしの中でわたしは体や尊厳やらをあげないと愛される価値がないのだと思うようになる。
わたしは『女の子として可愛がられ』それにより『女として愛される価値がある』と思えるようなチャンスを逃したまま、大人になったみたいなのだ。
だから、わたしは那智さんに出会って、ずっとずっと『女の子のわたし』を可愛がってもらうことを望んでいる。
女の子のわたしを認めて、愛して、可愛がって。
お父さん、わたしだけを見ていて、わたしだけを可愛いと言って。
女の子のわたしを。
ここでサンプルがふたつしかない大胆な答えのない仮説^^;
にこねこさんは性癖としてMではありますが、同時に内在するS性も自覚されていて、ご自身が苦痛を与えているときにそのS性がそれを与えている視点もお持ちのようです。
その内在する反対の性を『とげぬきぶろぐ』の『<とげぬき>(2)』では、わたしよりも100倍わかりやすく書いていらっしゃいます^^
そこでにこねこさんは、S視点で女である自分を罰しているとおっしゃっています。
それがすべてではないけれどひとつの要因としてこう分析されています。
にこねこさんはお母様に「男の子がほしかった」と、いかに「女であることが損か」と言われ続けたそうです。
それで、女である自分を罰するという視点ができたのではないかと推測されています。(ああ、ごめんなさい、要約下手です)
同じように「男が欲しかった」と言われたM性を持った女がふたりいて。
にこねこさんは、罰するという方法でご自分を肯定する。
だから、罰する側のS男性の視点が生まれる?
わたしは、すっぽりと抜け落ちた『女の子』になり認めてもらうことで、自らを再生しようとした。
自分中心に『わたしだけを見て』と、それ以外の視点が生まれず、自分を見つめるM性の『わたし』しか存在しないのではないでしょうか。
内在する反対の性の有無、道を分けたのはキーパーソンが母か父かということじゃないかなと。
じゃあ、なぜ母親だと『罰して』父親だと『女の子を認めて!!』になるのか?
それがね〜、わからない^^;
だから、大胆で答えのない仮説止まりなの。
すみません。
(にこねこさん、こんな仮説に登場させてしまって、すみません^^;答えのない仮説なので、適当にスルーしていただいてもかまいませんm--m)
だけど、「男の子がほしかった」と言われ続けた記憶と男の子のような身なり、そのふたつが当てはまっていて、とてもすんなりとピースがはまってしまった。
それなのに、視点の違いが不思議で、こんな仮説。
答えは出ていないけど。
すんごい悔しいのだけど、
影響を受けた親の反対の性別で自らを許そうとしているところが、まだ、わたしお父さんに媚びてるの!?と思いたくないけど、そうなのかもしれないなと感じられて、なんだか悔しい(笑)
ああ、今回は(も!?)まとまっていません^^;
もう何度書いているかわからないけど。
わたしは那智さんによって、父性を感じ、女の子として可愛がられ、そうすることで女として愛される価値があると思えるようになってきた。
父親から適正な愛情をもらえなかったとわたしが感じていることで、無価値観が植え付けられてしまった大きな要因だと思っている。
姉を溺愛する子供のような父、その父から愛されなかったから、わたしが陥ってしまっていたのは『女として愛される価値がない』と感じてしまうことだった。
幸いなことに、母からは適正な愛情をもらえていたので、わたしは全自己否定をせずに育つことができた。
世の中にはもっと厳しい状況を生き抜いている人がたくさんいるので、わたしは自分がすごい不幸だったとは思っていません。
ただ、そこを見つめるのが好きだからスポットを当ててみています。
女として愛される価値がない。
幼稚園に入る前後の子供の頃の写真。
そこに写る小さい子は、仮面ライダーのTシャツを着て半ズボンを履いている。
靴は青色の運動靴。
その写真を見るたび母がよく言っていた。
「りん子は男の子みたいな格好ばかり着たがった。」
お決まりの家族の笑い話。
わたしはその男の子のような格好を自ら選んで着ていたのだ。
仮面ライダー、ウルトラマン。
ふと、またパズルのピースがはまった。
わたしの父は子供のような人だった。
幼い頃よく言われた。
「俺は男の子が欲しかった」
「一人目が女だったから、次は男がほしかった」
「俺はりん子が生まれたとき、産院の受付で男か女かを聞いて、女だって言われたからそのまま引き返した」
子供のような父は、これを言ったら相手がどう思うかなんて考えない人。
そして、そのときの発言が本心かも定かではないような人。
子供が、ふと思ったことを口にするように、ただ『そのとき』『そう』思ったから言っただけ。
明日になったら忘れているような人だった。
実際、父の看病をしているときは「娘でよかった〜」としみじみ言っていたし^^;
わたしと姉は「お父さん昔は息子がほしかったって言ってたくせに〜」とからかっていた。
だけど、父親からの愛情が不可欠な幼い少女はその言葉を笑い飛ばすことができず、必死に愛情を求めようとしてしまうことは仕方がないこと。
もしかして。
男の子になればお父さんが喜ぶかもしれないと思ったのかもしれない。
喜んでもらえれば、わたしを好きになってくれるかもしれない。
もっというと、男になれば愛してもらえるかも。
そんなふうに、3、4才のわたしが思ったとしてもおかしくない。
幼稚園に入って、お遊戯会でバレリーナの衣装を着るときすごくすごく喜んだ。
七五三の振り袖が嬉しくて、母親に「頼むから脱いでくれ」と言われるまで着ていた。
そのわたしは仮面ライダーのTシャツを選ぶわたしとギャップがある。
本当はかわいらしいものが好きなのに、お父さんに好かれたいから無意識に仮面ライダーを選んでいたのかもしれない。
行事が免罪符になって、そのときはかわいらしいものを堪能していたとも言える。
こうして、わたしは父親(男性)から『女の子』として可愛がられる時期がすっぽりと抜け落ち。
思春期を迎える。
相変わらず、ショートカットの女子。(でもね、性格は全然男っぽくないし、運動音痴だし、結局かっこいい女の子にもなれなかった^^;)
わたしが中学高校のころはぶりっこ大全盛で、『守ってあげたくなるような』かわいい子がもてはやされた。
背の高いわたしは、そのかわいいからはほど遠い。
後ろを歩く男子から「でっけーなー」と言われたことも。
思春期のわたしも『守ってあげたくなるような』可愛がられる子にはなれなかった。
働きはじめて、華やかな職場で背が高いことはメリットにもなるとはじめて知った。
背が高いと洋服が似合う。
背が高いのはかっこいい。
男性からちやほやさせる。
『女として愛される価値がない』と思っているわたしは、求められれば応じる。
きっと愛してほしいからだ。
だけど、わたしは大人の女だから、男性はわたしを『女』として扱う。
当たり前なんだけど、わたしの根底にあるのは幼い頃にもらえなかった父性の愛情なので、その男性たちがくれようとするものは、必要なかったのね。
だから同じようなことを何度も繰り返す。
男性は、わたしを必要とする。
だけど、その人はわたしが欲しいものはくれない。
求められれば応じ、自分も望んでいたつもりなのに虚無感だけが残るようなセックスをする。
『女の子』として可愛がられる経験ができないまま、男性に『女』を求められても、『愛される価値観』を持つことはできないようだ。
感じることができた『価値』は『商品価値』というものだった。
体を売るということではもちろんないのだけど、わたしの中でわたしは体や尊厳やらをあげないと愛される価値がないのだと思うようになる。
わたしは『女の子として可愛がられ』それにより『女として愛される価値がある』と思えるようなチャンスを逃したまま、大人になったみたいなのだ。
だから、わたしは那智さんに出会って、ずっとずっと『女の子のわたし』を可愛がってもらうことを望んでいる。
女の子のわたしを認めて、愛して、可愛がって。
お父さん、わたしだけを見ていて、わたしだけを可愛いと言って。
女の子のわたしを。
ここでサンプルがふたつしかない大胆な答えのない仮説^^;
にこねこさんは性癖としてMではありますが、同時に内在するS性も自覚されていて、ご自身が苦痛を与えているときにそのS性がそれを与えている視点もお持ちのようです。
その内在する反対の性を『とげぬきぶろぐ』の『<とげぬき>(2)』では、わたしよりも100倍わかりやすく書いていらっしゃいます^^
そこでにこねこさんは、S視点で女である自分を罰しているとおっしゃっています。
それがすべてではないけれどひとつの要因としてこう分析されています。
にこねこさんはお母様に「男の子がほしかった」と、いかに「女であることが損か」と言われ続けたそうです。
それで、女である自分を罰するという視点ができたのではないかと推測されています。(ああ、ごめんなさい、要約下手です)
同じように「男が欲しかった」と言われたM性を持った女がふたりいて。
にこねこさんは、罰するという方法でご自分を肯定する。
だから、罰する側のS男性の視点が生まれる?
わたしは、すっぽりと抜け落ちた『女の子』になり認めてもらうことで、自らを再生しようとした。
自分中心に『わたしだけを見て』と、それ以外の視点が生まれず、自分を見つめるM性の『わたし』しか存在しないのではないでしょうか。
内在する反対の性の有無、道を分けたのはキーパーソンが母か父かということじゃないかなと。
じゃあ、なぜ母親だと『罰して』父親だと『女の子を認めて!!』になるのか?
それがね〜、わからない^^;
だから、大胆で答えのない仮説止まりなの。
すみません。
(にこねこさん、こんな仮説に登場させてしまって、すみません^^;答えのない仮説なので、適当にスルーしていただいてもかまいませんm--m)
だけど、「男の子がほしかった」と言われ続けた記憶と男の子のような身なり、そのふたつが当てはまっていて、とてもすんなりとピースがはまってしまった。
それなのに、視点の違いが不思議で、こんな仮説。
答えは出ていないけど。
すんごい悔しいのだけど、
影響を受けた親の反対の性別で自らを許そうとしているところが、まだ、わたしお父さんに媚びてるの!?と思いたくないけど、そうなのかもしれないなと感じられて、なんだか悔しい(笑)
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