エロ
140字もどき
ブログやTwitterで画像を載せているときに、ときどき「あんまりエロくなくてすみません」なんて謝っているのを見かけることがあるけど、そんなに謝らなくていいのになぁと思う。
それは誰に向かって発しているのかな。
特定の誰か?
それとも不特定の人たち?
まあ、百歩譲って、エロい画像を載せますと約束しているなら謝るのもわからなくもないけど。
そもそも万人が等しくエロいと思うものなんてあるのかな。
画像主が『エロくなくて』と謝っている画像にものすごい興奮する人もいるかもしれないし、逆に画像主が渾身のエロを提供しても微動だにしない人もいるはずで、そうなると毎回必ず誰かに謝らないといけなくなっちゃう^^;
(画像の傾向はあるから、似たものをエロいと思う人が集っているのでしょうけどね)
謝る心理と謝らせる雰囲気を作る心理ってなんだろうね。
好きな本を書く作家さんのことを、その本以外で知りたいと思う。
顔写真や経歴やインタビューなどの生の声。
本来は作品だけで評価されるべきなのに、作家さんのパーソナリティがわかるほうがより作品への興味も湧いてくるものだ。
親近感というのは魅力なんだよね。
画像を載せている人のところに画像を褒めたり次を期待したりするコメントを見ると、ちょっと不思議に思っていた。
もちろん、わたしも含め、素人が被写体で素人が撮った(もしくはセルフ)写真なんて、たかがしれてるし、もっとキレイなものや、もっと過激なものや、もっとリアルなものはいまのネット環境だったらたーくさんある。
それなのにどうしてたかがブログの小さな画像を褒めたり疼いたりするのだろうって。
でね、その作家さんへの感覚を思いだして妙に納得したのだ。
きっとコメントする人は、その画像がお好みであることは当然なんだろうけど、その本人の書いた文章を読んだり、コメントしてやり取りをしたりしてより近い存在になることが画像への興味につながるのだろう。
わたしも時々画像を載せる。
プロフィール画像は那智さんが担当してくれているけど、いちおうモデル(?)はわたしだ^^;
反応をもらえることは嬉しい。
肯定的なコメントをいただくと、自分の体の一部を載せることや、それが露出だったり鞭の痕だったりの異常行為に対する罪悪感も和らぐ。
だけど、これはちょっと危険だなと感じる。
最初は見せたい気持ちだった。
ギャラリーができて、その人たちから何かしらのリアクションがある。
リアクションはうれしいから、つい、リクエストに応えたり、より良い反応をもらそうな画像になっていったりする。
そうしているうちに、いつのまにか姿の見えない誰かたちにコントロールされてしまっていることもあり得るよね。
きっと、コメントしているほうは、無意識にコントロールの快感を味わっているのではないかな。
一概にはいえないけど、特に性的な場面で責任を負う必要のない誰かにコントロールされるのは、あまり幸福なことではないと思うし、そこに依存してしまうとなかなかやめられなくてどんどんエスカレートしそうだから、ちょっと危険だなって思うのです。
「ごめんなさい」する必要なんてまったくないのにね。
それに、万人受けするエロなんて、あんまり面白くないような気がするけど、どうでしょう?
<関連エントリー>
『負に巣食う人々』
『コントロール』
『だから私は嫌われる(笑)』
ブログやTwitterで画像を載せているときに、ときどき「あんまりエロくなくてすみません」なんて謝っているのを見かけることがあるけど、そんなに謝らなくていいのになぁと思う。
それは誰に向かって発しているのかな。
特定の誰か?
それとも不特定の人たち?
まあ、百歩譲って、エロい画像を載せますと約束しているなら謝るのもわからなくもないけど。
そもそも万人が等しくエロいと思うものなんてあるのかな。
画像主が『エロくなくて』と謝っている画像にものすごい興奮する人もいるかもしれないし、逆に画像主が渾身のエロを提供しても微動だにしない人もいるはずで、そうなると毎回必ず誰かに謝らないといけなくなっちゃう^^;
(画像の傾向はあるから、似たものをエロいと思う人が集っているのでしょうけどね)
謝る心理と謝らせる雰囲気を作る心理ってなんだろうね。
好きな本を書く作家さんのことを、その本以外で知りたいと思う。
顔写真や経歴やインタビューなどの生の声。
本来は作品だけで評価されるべきなのに、作家さんのパーソナリティがわかるほうがより作品への興味も湧いてくるものだ。
親近感というのは魅力なんだよね。
画像を載せている人のところに画像を褒めたり次を期待したりするコメントを見ると、ちょっと不思議に思っていた。
もちろん、わたしも含め、素人が被写体で素人が撮った(もしくはセルフ)写真なんて、たかがしれてるし、もっとキレイなものや、もっと過激なものや、もっとリアルなものはいまのネット環境だったらたーくさんある。
それなのにどうしてたかがブログの小さな画像を褒めたり疼いたりするのだろうって。
でね、その作家さんへの感覚を思いだして妙に納得したのだ。
きっとコメントする人は、その画像がお好みであることは当然なんだろうけど、その本人の書いた文章を読んだり、コメントしてやり取りをしたりしてより近い存在になることが画像への興味につながるのだろう。
わたしも時々画像を載せる。
プロフィール画像は那智さんが担当してくれているけど、いちおうモデル(?)はわたしだ^^;
反応をもらえることは嬉しい。
肯定的なコメントをいただくと、自分の体の一部を載せることや、それが露出だったり鞭の痕だったりの異常行為に対する罪悪感も和らぐ。
だけど、これはちょっと危険だなと感じる。
最初は見せたい気持ちだった。
ギャラリーができて、その人たちから何かしらのリアクションがある。
リアクションはうれしいから、つい、リクエストに応えたり、より良い反応をもらそうな画像になっていったりする。
そうしているうちに、いつのまにか姿の見えない誰かたちにコントロールされてしまっていることもあり得るよね。
きっと、コメントしているほうは、無意識にコントロールの快感を味わっているのではないかな。
一概にはいえないけど、特に性的な場面で責任を負う必要のない誰かにコントロールされるのは、あまり幸福なことではないと思うし、そこに依存してしまうとなかなかやめられなくてどんどんエスカレートしそうだから、ちょっと危険だなって思うのです。
「ごめんなさい」する必要なんてまったくないのにね。
それに、万人受けするエロなんて、あんまり面白くないような気がするけど、どうでしょう?
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