TPO
140字もどき
『わたしはわたしの着たい服を着る』という言葉が各所?で物議を醸している(笑)
『その言葉だけが一人歩きしている』のと『りん子という女の発言である』の距離感が両極端な原因もあると思うのだけど^^;
それでも、やっぱり描きたいから書こう。
とにかく、法律や条例に違反する格好ではないことはもちろんだし、いちおうTPOを考えた範囲内で着ているつもり。
我が子の参観日には普通の服だし(むしろ地味目)、義理実家に行くときはカジュアルで動きやすい服を選ぶし、冠婚葬祭で礼服やそれに準ずる服を着ている。
だから、『わたしはわたしの着たい服を着る』という言葉の前には『TPOに合わせて』という見えない前提がついていることは、まあ、書かなくてもわかっていただけていると信じております(笑)
ただ、この『TPO』っていうヤツが厄介で。
TPOでも一般常識でもマナーでも、とにかくそういう類いのもの。
(このエントリーでは総称して『TPO』とします)
日常生活の中でジャケット着用などのドレスコードがあるわけではないので、じつは『TPO』的なものは、相当曖昧で、なおかつ主観が多分に含まれるものだからです。
わたしは文化や歴史が詳しいわけではないけれど、その国ごとに、時代ごとに常識やマナーや『TPO』は変化していますよね。
わたしが子どもの頃はタバコにポイ捨てなんて普通だったけど、いまはあり得ないでしょ?
夏にノーネクタイなんて当たり前になったけど、数年前まではそうじゃなかったしね。
わずか何年かの単位でどんどん変わっていくものもあるし、国や地方ではまた違うマナーがあったりするので、ものすごく曖昧なことを言っているんだ。
(これは極端なまとめかもしれないけど、でも、常識なんてこれくらい斜めに見ていたいです
『親世代の真似をしようとするのはやめろ!親の言うことも聞くな!理想と思われる生活はたった一世代の常識』)
さらに、じつは、そこそこ主観も混ざっている。
たとえばね。
住んでいるマンションに女子高生がふたりいたとして、ひとりはエレベーターで会うといつもニコッときちんと挨拶する子で、もうひとりはエレベーターで一緒になってもぶすっとして挨拶もしないような子がいるとしてね。
その子たちが、夏休み明けとかに急に制服のスカートが短くなってて、ちょっと驚くとするでしょ。
そのときに湧く感情は、はたして両方の子に対して寸分違わない感情になるだろうか。
わずかでも、挨拶しない子に対する感情のほうがマイナスになりそうじゃない?
もしくは、挨拶をする子に『おしゃれになっちゃって♪』みたいなプラスの感情が湧かないだろうか。
わたしは、たぶん、湧く。
湧くのはしかたないと思っている。
人は対象人物にもともと持っている印象や感情で、同じ事例でも違う感情を持ってしまうものだと思っています。
絶対1ミリも差はないという人にはこのお話しは当てはまらないので、スルーしてほしいのですが。
残念ながら、わたしはそうです。
(それを自覚しているからこそ、いつも公平でいたいと思っているけどね)
だからこそ、わたしは『高校生らしく』という『TPO』は使いたくないのだ。
このように、『TPO』という曖昧なものは、主観が含まれてより独自のものになっていくと、わたしは思っています。
だから、『TPO』は厄介だし、わたしは使いたくないので、その前提は書きたくないなと思うのです。
ということで、やっぱり、わたしはわたしの着たい服を着ます、としかいえないな~^^
ところで、男性の欲望を刺激する服を着る場合(これだって、どんな服が刺激するかも男性によって違うけど)、それによるメリットデメリットを認識しておくことはとても大事なことですが。
(宗教や国の事情によって、個人の好みでだけでは語れないことのありますよね)
ただ、それによって犯罪や侵害の被害に遭った場合に、当然だと諦めるつもりはないし、加害者側を糾弾することは至極当然の権利だと思っています。
デメリットを認識することと、加害者を糾弾することはひとまとめにして考えないようにわたしはしています。
「等式」感想です。(笑)「男性(全般)の欲望を刺激する服」が存在するなんて女性の妄想ではないかな、大人には嗜好があります。性(生)を知らない「お子さま」にはあるかもしれないけれど。私自身が子供の時を想像したらのお話です。(笑)
『わたしはわたしの着たい服を着る』という言葉が各所?で物議を醸している(笑)
『その言葉だけが一人歩きしている』のと『りん子という女の発言である』の距離感が両極端な原因もあると思うのだけど^^;
それでも、やっぱり描きたいから書こう。
とにかく、法律や条例に違反する格好ではないことはもちろんだし、いちおうTPOを考えた範囲内で着ているつもり。
我が子の参観日には普通の服だし(むしろ地味目)、義理実家に行くときはカジュアルで動きやすい服を選ぶし、冠婚葬祭で礼服やそれに準ずる服を着ている。
だから、『わたしはわたしの着たい服を着る』という言葉の前には『TPOに合わせて』という見えない前提がついていることは、まあ、書かなくてもわかっていただけていると信じております(笑)
ただ、この『TPO』っていうヤツが厄介で。
TPOでも一般常識でもマナーでも、とにかくそういう類いのもの。
(このエントリーでは総称して『TPO』とします)
日常生活の中でジャケット着用などのドレスコードがあるわけではないので、じつは『TPO』的なものは、相当曖昧で、なおかつ主観が多分に含まれるものだからです。
わたしは文化や歴史が詳しいわけではないけれど、その国ごとに、時代ごとに常識やマナーや『TPO』は変化していますよね。
わたしが子どもの頃はタバコにポイ捨てなんて普通だったけど、いまはあり得ないでしょ?
夏にノーネクタイなんて当たり前になったけど、数年前まではそうじゃなかったしね。
わずか何年かの単位でどんどん変わっていくものもあるし、国や地方ではまた違うマナーがあったりするので、ものすごく曖昧なことを言っているんだ。
(これは極端なまとめかもしれないけど、でも、常識なんてこれくらい斜めに見ていたいです
『親世代の真似をしようとするのはやめろ!親の言うことも聞くな!理想と思われる生活はたった一世代の常識』)
さらに、じつは、そこそこ主観も混ざっている。
たとえばね。
住んでいるマンションに女子高生がふたりいたとして、ひとりはエレベーターで会うといつもニコッときちんと挨拶する子で、もうひとりはエレベーターで一緒になってもぶすっとして挨拶もしないような子がいるとしてね。
その子たちが、夏休み明けとかに急に制服のスカートが短くなってて、ちょっと驚くとするでしょ。
そのときに湧く感情は、はたして両方の子に対して寸分違わない感情になるだろうか。
わずかでも、挨拶しない子に対する感情のほうがマイナスになりそうじゃない?
もしくは、挨拶をする子に『おしゃれになっちゃって♪』みたいなプラスの感情が湧かないだろうか。
わたしは、たぶん、湧く。
湧くのはしかたないと思っている。
人は対象人物にもともと持っている印象や感情で、同じ事例でも違う感情を持ってしまうものだと思っています。
絶対1ミリも差はないという人にはこのお話しは当てはまらないので、スルーしてほしいのですが。
残念ながら、わたしはそうです。
(それを自覚しているからこそ、いつも公平でいたいと思っているけどね)
だからこそ、わたしは『高校生らしく』という『TPO』は使いたくないのだ。
このように、『TPO』という曖昧なものは、主観が含まれてより独自のものになっていくと、わたしは思っています。
だから、『TPO』は厄介だし、わたしは使いたくないので、その前提は書きたくないなと思うのです。
ということで、やっぱり、わたしはわたしの着たい服を着ます、としかいえないな~^^
ところで、男性の欲望を刺激する服を着る場合(これだって、どんな服が刺激するかも男性によって違うけど)、それによるメリットデメリットを認識しておくことはとても大事なことですが。
(宗教や国の事情によって、個人の好みでだけでは語れないことのありますよね)
ただ、それによって犯罪や侵害の被害に遭った場合に、当然だと諦めるつもりはないし、加害者側を糾弾することは至極当然の権利だと思っています。
デメリットを認識することと、加害者を糾弾することはひとまとめにして考えないようにわたしはしています。
「等式」感想です。(笑)「男性(全般)の欲望を刺激する服」が存在するなんて女性の妄想ではないかな、大人には嗜好があります。性(生)を知らない「お子さま」にはあるかもしれないけれど。私自身が子供の時を想像したらのお話です。(笑)