感動の乱用
独り言
ちょっと前のことですが、高校野球の決勝戦は面白い試合でしたね!
特にどちらを応援しているわけでもないから、純粋に投手戦を楽しみました。
その試合のドキュメンタリーをNHKで放送していたから、それも見てしまいました。
NHKのアナウンサーがはじめに試合の説明をしてVTRに移る前の締めくくりに「私たちに感動を与えてくれた~」みたいなことを言った。
ああ、まただ…。
私はほんの少し憂鬱になる。
「感動をありがとう」
「感動を分けてもらいました」
よくテレビで聞くフレーズだ。
どうして、そんなに簡単に「感動」するのだろう。
どう感じるかは、人それぞれだとは思うけれど…。
私はそんなにいろんなことには「感動」はしないです。
特にスポーツにおいては「感動」することは稀。
あの試合だけではなく、スポーツ(野球でもサッカーでも個人種目でも)で心が動いたとしたならば、私の場合は「熱狂とか興奮」だ。
メディアのいう「感動」とこれは同じものなのだろうか…。
多分「感動」でくくったほうが都合が良いのだろう。
だけど、見ている側は自分でちゃんと「これは感動、これは熱狂、これは切ない」と分けていないと危険な気がする。
ちゃんと分けてみれば、実は「感動」よりも、面白い感情はたくさんあると思うのだ。
もっと前の話だけど、ボクシングの亀田興毅選手の試合の翌日に様々なメディアが取り上げていた中で(試合内容はボクシングのファンじゃないから何にも言えませんが)、ある女子アナウンサーが「親子愛に感動した」と言っていました。
うーん、私は感動しなかったな~。
あの試合で私が感じたことは、亀田選手の表情が普通の少年の戸惑いの表情に感じられて、なんだかかわいそうになってしまった「哀れみ」でした。
これも人それぞれだなぁと思った。
抱かれながら那智さんの手が私の首に伸びる。
両手で私の首を絞めるのだ。
首を絞めるといっても気管を絞めて窒息死させるわけではなくて、血管を押さえて首から上の血の巡りを悪くさせるのだ。
気管を絞めていないとはいえ、圧迫されて息が苦しい。
絞める指に力が入って首が痛い。
そして、だんだんと頭がぼーっとしてくる。
痛い、苦しい、ああ、でも、気持ちいい、されるがままでいることは幸せ、那智さんを愛している。
もしかしたら、このまま今死んでも後悔はしないのではないかというくらい、気持ち良くて幸せだ。
そう思っていると、静かに一粒の涙が頬を伝う。
泣いている自覚もないほど静かに。
心が打ち震える瞬間を感動というならば(言わない?)、私の感動はこういうことをいう。
ちょっと前のことですが、高校野球の決勝戦は面白い試合でしたね!
特にどちらを応援しているわけでもないから、純粋に投手戦を楽しみました。
その試合のドキュメンタリーをNHKで放送していたから、それも見てしまいました。
NHKのアナウンサーがはじめに試合の説明をしてVTRに移る前の締めくくりに「私たちに感動を与えてくれた~」みたいなことを言った。
ああ、まただ…。
私はほんの少し憂鬱になる。
「感動をありがとう」
「感動を分けてもらいました」
よくテレビで聞くフレーズだ。
どうして、そんなに簡単に「感動」するのだろう。
どう感じるかは、人それぞれだとは思うけれど…。
私はそんなにいろんなことには「感動」はしないです。
特にスポーツにおいては「感動」することは稀。
あの試合だけではなく、スポーツ(野球でもサッカーでも個人種目でも)で心が動いたとしたならば、私の場合は「熱狂とか興奮」だ。
メディアのいう「感動」とこれは同じものなのだろうか…。
多分「感動」でくくったほうが都合が良いのだろう。
だけど、見ている側は自分でちゃんと「これは感動、これは熱狂、これは切ない」と分けていないと危険な気がする。
ちゃんと分けてみれば、実は「感動」よりも、面白い感情はたくさんあると思うのだ。
もっと前の話だけど、ボクシングの亀田興毅選手の試合の翌日に様々なメディアが取り上げていた中で(試合内容はボクシングのファンじゃないから何にも言えませんが)、ある女子アナウンサーが「親子愛に感動した」と言っていました。
うーん、私は感動しなかったな~。
あの試合で私が感じたことは、亀田選手の表情が普通の少年の戸惑いの表情に感じられて、なんだかかわいそうになってしまった「哀れみ」でした。
これも人それぞれだなぁと思った。
抱かれながら那智さんの手が私の首に伸びる。
両手で私の首を絞めるのだ。
首を絞めるといっても気管を絞めて窒息死させるわけではなくて、血管を押さえて首から上の血の巡りを悪くさせるのだ。
気管を絞めていないとはいえ、圧迫されて息が苦しい。
絞める指に力が入って首が痛い。
そして、だんだんと頭がぼーっとしてくる。
痛い、苦しい、ああ、でも、気持ちいい、されるがままでいることは幸せ、那智さんを愛している。
もしかしたら、このまま今死んでも後悔はしないのではないかというくらい、気持ち良くて幸せだ。
そう思っていると、静かに一粒の涙が頬を伝う。
泣いている自覚もないほど静かに。
心が打ち震える瞬間を感動というならば(言わない?)、私の感動はこういうことをいう。