おしっこおいしい3
非日常的な日常
ぎゃーー、前エントリーのわたしったら!!
なんて大胆なことを書いてるの〜!!!
ちょっと調子悪くて風邪薬飲んでボーッとする中書いたので^^;
ああ、あれは通常のわたしじゃない〜。
と、言い訳しながら、『おしっこおいしい』の最終エントリー。
私たちの間で『排泄物』は、かなり重要なポイントだと思ってる。
精神的苦痛や羞恥心を煽るものでもなく、汚すという感覚でもなく。
それを喜んで摂取するというカテゴリーとして、重要なポイント。
これは『スカトロ』っていうの?
う〜ん、書いててちょっと違う気がする。
まあ、呼び名はなんでもいいのだけど。
キスをしたい、手を繋ぎたいというのと同じ線の上に成り立っていると思ってる。
キスをしたい人としてほしい人。
おしっこをあげたい人ともらいたい人。
私自身はスカトロの欲望はないつもりだったのだけど、那智さんとしてはかなり重要な願望だったのだ。
(重要っていっても年中そのことで頭がいっぱいってことじゃないですよ<那智さんフォロー^^)
那智さんの重要は、私の重要^^
ということで、ふたりにとって重要なポイント。
この手の話を書くことは、実はかなりためらう。
でも、ブログを書き続ける上で、このことは書きたい、書くべきことであることもわかっていた。
だって、ふたりにとって重要なことだから。
スカトロ(と言わせてね)関係のことを書くたびに、みんな引いてしまっていないかと恐る恐るアップしていた。
実際、読んでる方もどうリアクションしてよいか困ってしまっていたと思う。
で、今回『おしっこおいしい』をアップしたら、たくさんの方がコメントや拍手をくださった。
レスにも書いたけど、こんな日が来るなんて思っていなくて、那智さんも私もかなり感激しています。
共感はできなくても互いに認め合う、そんなスタンスを感じさせてもらえてとても感謝しています。
ということで本題!!
なぜ、おいしいと思ったのか。
これは、那智さんの持論なんだけど。
一貫して『慣れ』だと言う。
コーラやコーヒーなんかは、子供の頃はまずかっただろ?
でも、飲み慣れてくるとおいしいと思えるものなんだよ。
だから、おしっこがおいしいと思う可能性だってある。
あくまで可能性としての話だそうだ。
慣れればおいしく思えるものがあるのだから、おしっこだって可能性はあるだろう
ということ。
確かにね、ビールだって匂いのキツい食材だって、大人になるにつれておいしいと思うようになっている。
でも、おしっこは食材じゃないですよ。
そうだけど、日本で食材ではない物が外国では食べられていたりするし。
食べ物がなかったら、雑草だって食材になるかもしれないだろ?
それも慣れれば、おいしいと感じるような味覚が生まれるかもしれない。
もう少し踏み込んだ聞く。
じゃあ、那智さん、『おしっこの味』に慣れるのだったら、あなたのじゃなくて、見ず知らずの人のだとしても私は飲めることになるの?
可能性はゼロじゃない。
うっそ!!そんなの無理に決まってます!!
リアルに想像して『ひえ〜〜』となる私に
理論の上では、ゼロじゃないだろ?
愛情は必須条件だ。
那智さんだってそんなこと百も承知だし、『那智さんのだから』にしたいはずなんだけど。
『慣れればおいしいと思う可能性はある』と『愛情』を織り交ぜることをせずに、この持論を展開していた。
そして、それを元に、実に根気よく慣れさせたのだ。
慣れるには、何より継続が必要ですよね。
継続させるには、私に拒否の感情があっては始まらない。
だから、那智さんはずーっと『あげるね』『いる?』というスタンスを通している。
私が苦しくならないように飲めそうな量のときだけだし、それだって何回かに一度にしていたはずだ。
だから、毎回飲んでいたわけじゃない。
多くて2回、だいたい1回で、会っているうちの半分くらいの割合で飲ませていた。
たまに飲む適量なので、私にはそれが『飲みにくくてつらい』記憶にならないのだ。
那智さんがしてくれることは何でも嬉しいという回路になっている私にとって、たまに飲む適量のそれは『飲みにくい味だけど、うれしい』ものになる。
これが、『便器』や『処理』としての行為だとしたら、量や回数が多く飲みきるのは大変だし、また『飲みきらなくては』というプレッシャーもあるから私にとって『苦手な記憶』として残るだろう。
ということは、慣れる以前に、それは嫌な行為として拒否の気持ちが強くなってしまうはずだ。
『ちょっと飲みにくかったけど、嬉しかったね』
『今日は多かったね〜、でも、飲めたね、よかったね』
こんなスタンス。
また、このことを敢えて特別なことにもしなかった。
那智さんは極めてフラットな態度でいてくれたのも、重要だったのだと思う。
飲みきれたからといって、特別ほめることもなく。
『苦かったです〜』と訴えても、笑ってくれる。
多いな〜という日に『今日は多かったね〜』と頭をポンポンとしてくれるくらいだ。
日常の一コマとして扱ってくれたことで、私も飲みたくないときには拒否できた。
そして、褒められることがなければ、褒めてほしいがために『無意識』に我慢することもしないでいられた。
第一、那智さん以外の人でもおいしいと思う可能性はあるという『おいしい=慣れ説』は、おいしいと思えないのは愛情が足りないからだ、なんてプレッシャーを持たずにいさせてくれた。
飲むことは義務でもなくつとめでもない。
できればいいし、できなくてもかまわない。
それで『愛情』は計らない。
こんなスタンスでいてくれたから、気持ちの上で肯定できて慣れるまで繰り返すことがきたんだと思う。
こぼさないかな飲みきれるかなと心配するものの、いつしかそれを待ってしまうように、長い時間をかけて仕向けていったという感じなんだ。
那智さんの『おいしい=慣れ』説は、慣れさせる側のスタンスが重要だと思う。
拒否の気持ちがない中で慣れさせてくれれば、成功する確率が高くなるのは、ありかなと思う。
で、慣れたから=おいしいになるかどうかは、もう、これは個人の味覚の問題なので、私はたまたまそう思ったとしか言えないのだけど。
ああ、そこの味覚の不思議が解明できればいいのですが…^^;
私にとって愛情は必須条件だ。
だけど、少なくとも、愛情だけで成功するものではないと思ってる。
いま、振り返るとほんとに、ゆっくり的確に慣れさせてくれたと思う。
ってほど、那智さんにとっては、これは重要事項だったのですね。
那智さんの『好きな人に自分の排泄物を与えたい』という願望。
こうやって振り返ると、それを静かに、でも的確に叶えようとしているのがわかる。
もう、那智さんったら、変態^^
わんこより、こちらのほうに私は那智さんの変態性を感じる。
なんだか、ちょっと、いとおしい。
そして、那智さんの重要事項は、私の重要事項と思うのだ。
ベッドに寝ころぶ那智さんのおしっこを飲んで。
そのまま腕枕に戻る。
全部飲めてよかったと、ちょっと照れ笑いを浮かべて。
「なに笑ってるの」
「ふふ」
あ、多分、私いま那智さんのおしっこの匂いしてるはず。
口から匂い立つ感じがするもの。
いいのかな、那智さん自分のだから、平気なのかな。
那智さんの腕枕に戻り、顔を近づけるのを一瞬ためらう気持ち。
「嬉しそうだよ」
そういってそのままキスをしてくれる。
いま、おしっこを飲んだ口に、そのまま。
変態同士の甘いキス。
こんなふうにしてくれるから、それは汚い物でも特殊な物でもなくなるの。
それを何年も続けたから、おいしいと感じてもおかしくないかな〜って思うのですが、いかがでしょ?(笑)
ぎゃーー、前エントリーのわたしったら!!
なんて大胆なことを書いてるの〜!!!
ちょっと調子悪くて風邪薬飲んでボーッとする中書いたので^^;
ああ、あれは通常のわたしじゃない〜。
と、言い訳しながら、『おしっこおいしい』の最終エントリー。
私たちの間で『排泄物』は、かなり重要なポイントだと思ってる。
精神的苦痛や羞恥心を煽るものでもなく、汚すという感覚でもなく。
それを喜んで摂取するというカテゴリーとして、重要なポイント。
これは『スカトロ』っていうの?
う〜ん、書いててちょっと違う気がする。
まあ、呼び名はなんでもいいのだけど。
キスをしたい、手を繋ぎたいというのと同じ線の上に成り立っていると思ってる。
キスをしたい人としてほしい人。
おしっこをあげたい人ともらいたい人。
私自身はスカトロの欲望はないつもりだったのだけど、那智さんとしてはかなり重要な願望だったのだ。
(重要っていっても年中そのことで頭がいっぱいってことじゃないですよ<那智さんフォロー^^)
那智さんの重要は、私の重要^^
ということで、ふたりにとって重要なポイント。
この手の話を書くことは、実はかなりためらう。
でも、ブログを書き続ける上で、このことは書きたい、書くべきことであることもわかっていた。
だって、ふたりにとって重要なことだから。
スカトロ(と言わせてね)関係のことを書くたびに、みんな引いてしまっていないかと恐る恐るアップしていた。
実際、読んでる方もどうリアクションしてよいか困ってしまっていたと思う。
で、今回『おしっこおいしい』をアップしたら、たくさんの方がコメントや拍手をくださった。
レスにも書いたけど、こんな日が来るなんて思っていなくて、那智さんも私もかなり感激しています。
共感はできなくても互いに認め合う、そんなスタンスを感じさせてもらえてとても感謝しています。
ということで本題!!
なぜ、おいしいと思ったのか。
これは、那智さんの持論なんだけど。
一貫して『慣れ』だと言う。
コーラやコーヒーなんかは、子供の頃はまずかっただろ?
でも、飲み慣れてくるとおいしいと思えるものなんだよ。
だから、おしっこがおいしいと思う可能性だってある。
あくまで可能性としての話だそうだ。
慣れればおいしく思えるものがあるのだから、おしっこだって可能性はあるだろう
ということ。
確かにね、ビールだって匂いのキツい食材だって、大人になるにつれておいしいと思うようになっている。
でも、おしっこは食材じゃないですよ。
そうだけど、日本で食材ではない物が外国では食べられていたりするし。
食べ物がなかったら、雑草だって食材になるかもしれないだろ?
それも慣れれば、おいしいと感じるような味覚が生まれるかもしれない。
もう少し踏み込んだ聞く。
じゃあ、那智さん、『おしっこの味』に慣れるのだったら、あなたのじゃなくて、見ず知らずの人のだとしても私は飲めることになるの?
可能性はゼロじゃない。
うっそ!!そんなの無理に決まってます!!
リアルに想像して『ひえ〜〜』となる私に
理論の上では、ゼロじゃないだろ?
愛情は必須条件だ。
那智さんだってそんなこと百も承知だし、『那智さんのだから』にしたいはずなんだけど。
『慣れればおいしいと思う可能性はある』と『愛情』を織り交ぜることをせずに、この持論を展開していた。
そして、それを元に、実に根気よく慣れさせたのだ。
慣れるには、何より継続が必要ですよね。
継続させるには、私に拒否の感情があっては始まらない。
だから、那智さんはずーっと『あげるね』『いる?』というスタンスを通している。
私が苦しくならないように飲めそうな量のときだけだし、それだって何回かに一度にしていたはずだ。
だから、毎回飲んでいたわけじゃない。
多くて2回、だいたい1回で、会っているうちの半分くらいの割合で飲ませていた。
たまに飲む適量なので、私にはそれが『飲みにくくてつらい』記憶にならないのだ。
那智さんがしてくれることは何でも嬉しいという回路になっている私にとって、たまに飲む適量のそれは『飲みにくい味だけど、うれしい』ものになる。
これが、『便器』や『処理』としての行為だとしたら、量や回数が多く飲みきるのは大変だし、また『飲みきらなくては』というプレッシャーもあるから私にとって『苦手な記憶』として残るだろう。
ということは、慣れる以前に、それは嫌な行為として拒否の気持ちが強くなってしまうはずだ。
『ちょっと飲みにくかったけど、嬉しかったね』
『今日は多かったね〜、でも、飲めたね、よかったね』
こんなスタンス。
また、このことを敢えて特別なことにもしなかった。
那智さんは極めてフラットな態度でいてくれたのも、重要だったのだと思う。
飲みきれたからといって、特別ほめることもなく。
『苦かったです〜』と訴えても、笑ってくれる。
多いな〜という日に『今日は多かったね〜』と頭をポンポンとしてくれるくらいだ。
日常の一コマとして扱ってくれたことで、私も飲みたくないときには拒否できた。
そして、褒められることがなければ、褒めてほしいがために『無意識』に我慢することもしないでいられた。
第一、那智さん以外の人でもおいしいと思う可能性はあるという『おいしい=慣れ説』は、おいしいと思えないのは愛情が足りないからだ、なんてプレッシャーを持たずにいさせてくれた。
飲むことは義務でもなくつとめでもない。
できればいいし、できなくてもかまわない。
それで『愛情』は計らない。
こんなスタンスでいてくれたから、気持ちの上で肯定できて慣れるまで繰り返すことがきたんだと思う。
こぼさないかな飲みきれるかなと心配するものの、いつしかそれを待ってしまうように、長い時間をかけて仕向けていったという感じなんだ。
那智さんの『おいしい=慣れ』説は、慣れさせる側のスタンスが重要だと思う。
拒否の気持ちがない中で慣れさせてくれれば、成功する確率が高くなるのは、ありかなと思う。
で、慣れたから=おいしいになるかどうかは、もう、これは個人の味覚の問題なので、私はたまたまそう思ったとしか言えないのだけど。
ああ、そこの味覚の不思議が解明できればいいのですが…^^;
私にとって愛情は必須条件だ。
だけど、少なくとも、愛情だけで成功するものではないと思ってる。
いま、振り返るとほんとに、ゆっくり的確に慣れさせてくれたと思う。
ってほど、那智さんにとっては、これは重要事項だったのですね。
那智さんの『好きな人に自分の排泄物を与えたい』という願望。
こうやって振り返ると、それを静かに、でも的確に叶えようとしているのがわかる。
もう、那智さんったら、変態^^
わんこより、こちらのほうに私は那智さんの変態性を感じる。
なんだか、ちょっと、いとおしい。
そして、那智さんの重要事項は、私の重要事項と思うのだ。
ベッドに寝ころぶ那智さんのおしっこを飲んで。
そのまま腕枕に戻る。
全部飲めてよかったと、ちょっと照れ笑いを浮かべて。
「なに笑ってるの」
「ふふ」
あ、多分、私いま那智さんのおしっこの匂いしてるはず。
口から匂い立つ感じがするもの。
いいのかな、那智さん自分のだから、平気なのかな。
那智さんの腕枕に戻り、顔を近づけるのを一瞬ためらう気持ち。
「嬉しそうだよ」
そういってそのままキスをしてくれる。
いま、おしっこを飲んだ口に、そのまま。
変態同士の甘いキス。
こんなふうにしてくれるから、それは汚い物でも特殊な物でもなくなるの。
それを何年も続けたから、おいしいと感じてもおかしくないかな〜って思うのですが、いかがでしょ?(笑)