ノロケとトホホなお話
独特な幸福感
数年前、那智さんのお仕事の関係で、自由に会えない時期があった。
それまでは、比較的自由な立場だったから、やりくりすれば平日の昼までも会える状況だった。
それが、ある時期から平日の昼間にはほとんど会えないことになってしまったのだ。
その期間は約一年と数ヶ月。
過ぎてしまえばあっという間だけど、当初は期間もわからなかったので、先の見えないゴールに向かってただ走るような不安な時間だった。
そのお仕事が始まるのが、3月からだったから、2月の後半はとにかく会いまくった。
寸暇を惜しんで会った。
そんなに会っていたら3月からつらくなるんじゃないかと、少し気になってはいたが、それでも会った。
遊園地でデートもした、仕事場にも足繁く通った。
カウントダウンを気にしながらも、それに気付かない振りをして、会いに行った。
2月末、最後のデート。
最後なんて大げさだけど、この次いつ会えるかわからない不安は、つい心を大げさにしてしまう。
那智さんは基本的にいつもと変わらない(振りかな!?)。
ただ、たくさん思い出を作ろうと企画してくれていた。
そこは日帰り温泉で、離れの個室でお食事ができるという場所。
もうすぐ3月とはいえ、その日は北風がとても強く吹いていてお天気は良いのだけど、思わず身震いしてしまうほど寒い日だった。
個室に入って「寒い寒い」と熱燗を頼み、二人してすぐ良い気分になっていった。
(酔うとより大胆になる那智さんが個室で熱燗で大人しくしているはずはなく、仲居さんの目を盗んではあれこれして、しまいには私の押し殺した声が治まったら、仲居さんが入ってくるみたいになってしまっていました。絶対襖の向こうで様子を伺っていたはず、その節はご迷惑お掛けしました^^;)
来週になったら、どれだけ会えてどのくらい会えないのか、わからない不安をお酒で誤摩化して、努めて明るく振る舞った。
外は、強い北風。
風の吹き抜ける音が「ごーごー」と鳴っている。
窓から見える木々が大きく揺れて、傾きかけた日差しに照らされ室内に落ち着きない陰を作る。
その大きく揺れる陰が「いましかない」と、私を追い立てているみたい。
これからの不安な心の表れのようにも見えて、心がざわざわとしてくる。
一方で、木々と風の音がここだけ隔離してくれているようにも感じられて、複雑だ。
いまでも時々、あの北風と木の陰が揺れる景色を思い出す。
あの追い立てられるような焦燥感と、外界から隔離されているような幸福な疎外感。
それから、会えない日々が始まった。
案の定全然会えない。
「いつ?」と聞いてみるけれど、慣れない環境でお仕事をしている那智さんにその質問は「嫌な話題」になってしまうみたいで、「会える時に言う」と苦しそうに答える。
だから、私も極力聞かないようにしたけれど、2ヶ月3ヶ月と過ぎ、ある日私は爆発してしまった。
「会えないのはわかる、でも、まったく先を示してくれないのはつらい。」と。
そうしたら「俺がその環境でいまより少し偉くなったら、休みの融通も利くだろう。」
「それは、いつごろですか?確信持てなくても良いから目安をください。」
那智さんは、期待させてダメだったがっかりを人に味わわせることを極力避ける人だから、曖昧な目安を口にするのは本意ではなかっただろう。
それでも、電話越しに泣いて訴える私を不憫に思ったのか「一年」と答えてくれた。
それで充分。
私は、その日を境に一切「いつ会えるか」ということを口にするのを止めにした。
会える機会を那智さんも探してくれているだろう、それでも話題に出ないということは、いまは会えない。
会えるときが来たら、必ず真っ先に私に会ってくれるはずだ。
そう思って、心を切り替える努力をした。(遠距離で会えない人たくさんいるから、贅沢ですね)
片道2時間かけて、ランチだけしに行った。
お店への移動時間を含めて正味50分足らずのデート。
お昼ご飯を食べるために、往復4時間。
それでも、会いたかった。
時々、テーブルの下で足を踏んで遊んでくれたりする以外は、純粋にランチ。
それでも、那智さんといる安心を味わいたくて、会いに行った。
大きな声では言えないけれど、私の家の方まで会いに来てくれたりもした。
慣れない環境で疲れているだろうけど、会いに来てくれた。
日増しにオイルで黒ずむ愛しい指先を、切ない思いで頬に当てていた。
一年と目安をくれたちょうどその月、また環境が変化して、一人で仕事をすることになった。
それだって、毎日会えるわけじゃないけど、一人なら私が一緒にいても大丈夫だ。
可能な限りどこへでも付いて行った。
お休みも自分で調整できる立場になったから、またデートもできる。
私は嬉しくてたくさん泣いた。
あれから月日が流れて、また環境が変わることになった。
今度は、期限がない。
そのお仕事を続ける限り、自由な時間は週末だけになってしまうのだ。
もしかしたら、平日休める場合もあるかもしれないけど、それはわからない。
良い環境になるから、喜ばしいことなのだけど、やはり先が見えない不安は拭えない。
心細い私にこんな言葉。
「毎日会っていても心が通じ合わなければ寂しい。毎日会えなくても心が通じ合っていれば寂しくない。全然寂しくないだろ!?何かあって呼び出されれば飛んで行くよ。逆もあるだろ。」
その言葉は嬉しくて、私はやっぱり甘えてしまう。
「心が通じていれば寂しくないです。でも、大好きな人に会えるのと会えないなら、会える方が断然いい。」と涙を流す。
再び最後のデート(だから大げさ^^)
別れてからメールが届いた。
「これからもしっかりと生活するんだよ。りん子なら大丈夫。俺がついている。寂しがっても泣いても良いけれど、りん子を失わないように。」
幸い、電波が悪くて、その後の「泣け泣け〜」なんていう意地悪メールとまとめて来たので電車のなかで泣かずにすんだ。
だから、しっかり生活するんだ。
ブログを更新して那智さんに読んでもらうんだ。
腹筋して、コルセットして、きれいでいるんだ。
いまはまだ大丈夫。
ランチにも行く。
今度は2時間も掛からないもの。
先日もランチに行ったら、ちょっとお疲れ気味の那智さんが「これだけの為に、これからも来るの?」なんて、ちょっと意地悪い言い方で聞いてくる。
「私の情熱を甘く見ないでくださいね。」
鼻息荒く言ってやったわ♪
これから私たちはどうなるのか、わからない。
それでも、いつも那智さんがなんとかしてくれる。
だから、私は、安心して泣いたり笑ったり、思い切り情熱を溢れさせていればいいんだ。
で、その溢れる情熱の矛先の一部をこのブログにして、思い切りノロケるのだ!!
ノロケの最後に、那智さんらしい一言。
途中に出て来た「何かあって呼び出されたら、飛んで行くよ」なんて、とろけてしまいそうな言葉の後にもう一言あったのです。
「出したくなったからチンポしゃぶりに飛んで来いは、余裕のある時しか無理だろうけれど」
身もふたもない…。
数年前、那智さんのお仕事の関係で、自由に会えない時期があった。
それまでは、比較的自由な立場だったから、やりくりすれば平日の昼までも会える状況だった。
それが、ある時期から平日の昼間にはほとんど会えないことになってしまったのだ。
その期間は約一年と数ヶ月。
過ぎてしまえばあっという間だけど、当初は期間もわからなかったので、先の見えないゴールに向かってただ走るような不安な時間だった。
そのお仕事が始まるのが、3月からだったから、2月の後半はとにかく会いまくった。
寸暇を惜しんで会った。
そんなに会っていたら3月からつらくなるんじゃないかと、少し気になってはいたが、それでも会った。
遊園地でデートもした、仕事場にも足繁く通った。
カウントダウンを気にしながらも、それに気付かない振りをして、会いに行った。
2月末、最後のデート。
最後なんて大げさだけど、この次いつ会えるかわからない不安は、つい心を大げさにしてしまう。
那智さんは基本的にいつもと変わらない(振りかな!?)。
ただ、たくさん思い出を作ろうと企画してくれていた。
そこは日帰り温泉で、離れの個室でお食事ができるという場所。
もうすぐ3月とはいえ、その日は北風がとても強く吹いていてお天気は良いのだけど、思わず身震いしてしまうほど寒い日だった。
個室に入って「寒い寒い」と熱燗を頼み、二人してすぐ良い気分になっていった。
(酔うとより大胆になる那智さんが個室で熱燗で大人しくしているはずはなく、仲居さんの目を盗んではあれこれして、しまいには私の押し殺した声が治まったら、仲居さんが入ってくるみたいになってしまっていました。絶対襖の向こうで様子を伺っていたはず、その節はご迷惑お掛けしました^^;)
来週になったら、どれだけ会えてどのくらい会えないのか、わからない不安をお酒で誤摩化して、努めて明るく振る舞った。
外は、強い北風。
風の吹き抜ける音が「ごーごー」と鳴っている。
窓から見える木々が大きく揺れて、傾きかけた日差しに照らされ室内に落ち着きない陰を作る。
その大きく揺れる陰が「いましかない」と、私を追い立てているみたい。
これからの不安な心の表れのようにも見えて、心がざわざわとしてくる。
一方で、木々と風の音がここだけ隔離してくれているようにも感じられて、複雑だ。
いまでも時々、あの北風と木の陰が揺れる景色を思い出す。
あの追い立てられるような焦燥感と、外界から隔離されているような幸福な疎外感。
それから、会えない日々が始まった。
案の定全然会えない。
「いつ?」と聞いてみるけれど、慣れない環境でお仕事をしている那智さんにその質問は「嫌な話題」になってしまうみたいで、「会える時に言う」と苦しそうに答える。
だから、私も極力聞かないようにしたけれど、2ヶ月3ヶ月と過ぎ、ある日私は爆発してしまった。
「会えないのはわかる、でも、まったく先を示してくれないのはつらい。」と。
そうしたら「俺がその環境でいまより少し偉くなったら、休みの融通も利くだろう。」
「それは、いつごろですか?確信持てなくても良いから目安をください。」
那智さんは、期待させてダメだったがっかりを人に味わわせることを極力避ける人だから、曖昧な目安を口にするのは本意ではなかっただろう。
それでも、電話越しに泣いて訴える私を不憫に思ったのか「一年」と答えてくれた。
それで充分。
私は、その日を境に一切「いつ会えるか」ということを口にするのを止めにした。
会える機会を那智さんも探してくれているだろう、それでも話題に出ないということは、いまは会えない。
会えるときが来たら、必ず真っ先に私に会ってくれるはずだ。
そう思って、心を切り替える努力をした。(遠距離で会えない人たくさんいるから、贅沢ですね)
片道2時間かけて、ランチだけしに行った。
お店への移動時間を含めて正味50分足らずのデート。
お昼ご飯を食べるために、往復4時間。
それでも、会いたかった。
時々、テーブルの下で足を踏んで遊んでくれたりする以外は、純粋にランチ。
それでも、那智さんといる安心を味わいたくて、会いに行った。
大きな声では言えないけれど、私の家の方まで会いに来てくれたりもした。
慣れない環境で疲れているだろうけど、会いに来てくれた。
日増しにオイルで黒ずむ愛しい指先を、切ない思いで頬に当てていた。
一年と目安をくれたちょうどその月、また環境が変化して、一人で仕事をすることになった。
それだって、毎日会えるわけじゃないけど、一人なら私が一緒にいても大丈夫だ。
可能な限りどこへでも付いて行った。
お休みも自分で調整できる立場になったから、またデートもできる。
私は嬉しくてたくさん泣いた。
あれから月日が流れて、また環境が変わることになった。
今度は、期限がない。
そのお仕事を続ける限り、自由な時間は週末だけになってしまうのだ。
もしかしたら、平日休める場合もあるかもしれないけど、それはわからない。
良い環境になるから、喜ばしいことなのだけど、やはり先が見えない不安は拭えない。
心細い私にこんな言葉。
「毎日会っていても心が通じ合わなければ寂しい。毎日会えなくても心が通じ合っていれば寂しくない。全然寂しくないだろ!?何かあって呼び出されれば飛んで行くよ。逆もあるだろ。」
その言葉は嬉しくて、私はやっぱり甘えてしまう。
「心が通じていれば寂しくないです。でも、大好きな人に会えるのと会えないなら、会える方が断然いい。」と涙を流す。
再び最後のデート(だから大げさ^^)
別れてからメールが届いた。
「これからもしっかりと生活するんだよ。りん子なら大丈夫。俺がついている。寂しがっても泣いても良いけれど、りん子を失わないように。」
幸い、電波が悪くて、その後の「泣け泣け〜」なんていう意地悪メールとまとめて来たので電車のなかで泣かずにすんだ。
だから、しっかり生活するんだ。
ブログを更新して那智さんに読んでもらうんだ。
腹筋して、コルセットして、きれいでいるんだ。
いまはまだ大丈夫。
ランチにも行く。
今度は2時間も掛からないもの。
先日もランチに行ったら、ちょっとお疲れ気味の那智さんが「これだけの為に、これからも来るの?」なんて、ちょっと意地悪い言い方で聞いてくる。
「私の情熱を甘く見ないでくださいね。」
鼻息荒く言ってやったわ♪
これから私たちはどうなるのか、わからない。
それでも、いつも那智さんがなんとかしてくれる。
だから、私は、安心して泣いたり笑ったり、思い切り情熱を溢れさせていればいいんだ。
で、その溢れる情熱の矛先の一部をこのブログにして、思い切りノロケるのだ!!
ノロケの最後に、那智さんらしい一言。
途中に出て来た「何かあって呼び出されたら、飛んで行くよ」なんて、とろけてしまいそうな言葉の後にもう一言あったのです。
「出したくなったからチンポしゃぶりに飛んで来いは、余裕のある時しか無理だろうけれど」
身もふたもない…。
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