穏やかな悲しみ
独特な幸福感
毎日いただく『おはよう』が来ない。
チャットに届く『おはよう』を合図に文字のやり取りが開始できて、状況が許せばお話しできる。
いちおう一方的に送っても大丈夫なアドレスはあるけれど、この『おはよう』は日々のコミュニケーションのはじまりを意味する、わたしにはとても大事なもの。
たまにTwitterの感想に集中して送り忘れていたり、送信ミスがあったりもあるけど、基本は毎日ちゃんといただける。
いつもいただく時間から大幅に遅れていた場合は(りん子的解釈の大幅→45分 笑)送っていい方のアドレスに「おはよういただけていませんよ〜」とお知らせすると「ごめん、ごめん」とチャットに『おはよう』をくれる。
とくに更新日は感想をいただけるから、感想があって『おはよう』がない場合はある意味安心して催促(?)メールを送ることができる。
で、今日は来ない。
来ないだけならまだあることだけど、催促メールを送っても反応ないし、感想もない。
しかもメールを開いた痕跡もない、ついでに昨夜おやすみなさいを送ったチャットさえ『既読』になっていないのだ。
おかしい。
一昨日から泊まりで会議やシンポジウムで大変だったことは知っている。
でも、今朝は通常通りだろうし、仮にどこかに立ち寄ってから出勤するとしても、その移動中にメールやチャットを見る時間くらいはあるはずだ。
百歩譲って『おはよう』を送る余裕がないとしても(それだってトイレの合間とかあるけどね)、スマホを開く時間くらいはあるだろう。
それさえも既読になっていないということは、スマホを開く余裕さえないということだ。
刻々と時間は過ぎる。
朝のお電話タイムの時間が近づく中、メールやチャットの既読を確認し感想をいただけていないかチェックする。
同じところを周り続けるハムスターみたいに、メール→チャット→感想をぐるぐる、ぐるぐる、チェックして回る。
時折、チャットの『送信済み、配信済み、既読』の表示の意味を調べたりして、わずかな情報を頼りにいまの那智さんの状況を推理する。
那智さんが『おはよう』をないがしろにしないということは、もう心の底から信じていられるので、きっと何かあったのだとは思える。
でも、それだと逆に『何が』あったのだ!?とどんどん心配になってくる。
どうしたんだろう。
まさか、バイクで事故?
昨夜の懇親会の後、夜の繁華街で悪い人に刺された!?
妄想女はどんどん最悪のシナリオを考える。
どんどん落ち着かなくなる。
那智さんが死んでしまっていたら。
3日間連絡がなかったら、共通の知り合いに確認をしてもいいことになっている。
いまのわたしは数十分でこれだ。
3日間音沙汰ないなんて、どんな心理状態だろうと想像して恐ろしくなる。
もし、那智さんが死んでしまったら。
ああ、もうあの腕に包まれなら『よしよし』としてもらうことは一生叶わないんだ。
他のどんな男にしてもたっても、叶わない。
絶望的な気持ちになる。
ううん、待って、りん子。
那智さんは『俺が生きている間はとことん依存していいけど、俺が死んだ瞬間からひとりで立てるようにする』とわたしを育ててきたじゃない。
いまここでわたしが絶望してどうする。
那智さんを失う絶望的な喪失感と同じくらい、ううん、それ以上に那智さんが与えてくれたものは大きい。
だから、一回だけお友達に抱きしめてもらって、那智さんのように『よしよし』としてもらったら、その後はちゃんと立とう。
那智さんがくれたものを大切に抱きしめて思い出して、メソメソしながらもちゃんと生きていこう。
と、ここまでうるうるしながら、真剣に考えた(ホントに真剣なんだよ!!)
通常いただける時間より2時間遅れて『おはよう〜』。
はあああ、那智さん、生きてた!!
よかった、死んでいなかった。
生存確認できて、ひとまず胸を撫で下ろす。
ところが、届いたのはチャットではなくメールだった。
念のためチャットを確認すると相変わらず送信済みのまま、これだと那智さん側のスマホが電源オフかアプリを立ち上げていないことになる。(読んでいなくても相手に届いていれば『配信済み』になるそうだ)
どうしても、これが解せない。
メールはスマホからかパソコンからかわからないから、那智さんのスマホがどういう状況にあるのか。
生存確認ができて最悪の事態は免れたけど、また別の心配が生まれる。
『おはよう』は送れる。
でも、詳しい状況を説明する時間やお話しすることは無理のようだ。
そして、チャットアプリを立ち上げることもできない。
アプリ立ち上げなんて一瞬のことなのに、それができない状況ってなんなのだろう。
バイク事故に遭って病院に運ばれて命からがらの『おはよう』だったのか?
悪い人に刺されて警察で事情聴取を取りながらの『おはよう』だったのか!?
(バイクはね、あながち誇大妄想でもないんだよ、那智さん以前事故に遭って病院やら警察やら全部処理が終わってはじめて連絡くれたのだもの)
もしかして、いまじつは那智さんプライベートで重大な懸案事項を抱えていて、それがトラブルに発展してしまったのか!!!
『死』という極端な妄想はじつは甘美なものだと、あらためて思う。
『死』ではないにも関わらず、この状況であることのほうがある意味、一大事、ピンチかもしれない。
そう思うと、むしろとても現実的な焦燥に変わっていく。
いつもいつも那智さんの快適を願うわたしにとって、アプリを立ち上げられないほどの切迫した状況を想像することは『死』よりも心配なことかもしれない。
ご無事ですか?
と送ったメールに『はーい(笑)』と返信が来たのは、それからさらに1時間半経ってからだった。
果たして、午後1番に着信。
なんてことはない、お互いの伝達ミスだ。
那智さんは一昨日から会議やシンポジウムなどが重なりまくりのスケジュールで2泊したらしい。
手のかかる人の相手なども個人的にして深夜就寝、今朝は早くからお偉いさんと会議と会食とこなし、やっと解放されたところだったのだ。
那智さんは(ここまで厳密ではないにしろ)スケジュールを伝えていたと思い、わたしは聞いていないつもりだった。
どちらが原因か、それは追求するつもりはないのだけど、那智さんとしてはいつもと違うことは承認済みだと思っていたのだ。
着信があって状況を聞きながら、みるみる脱力。
安堵でふにゃふにゃだ。
那智さん生きててよかった。
刺されなくてよかった。
大きなトラブルに見舞われていなくてよかった。
会議大変だった〜とお話を聞きながら、ため息と涙がこぼれる。
ああ、緊張の糸が切れると声さえ弱々しくなるんだね、ぜんぜん会話にならなかった。
まあ、人生案外そんな最悪のシナリオはないとは思うけど、那智さんの快適を願い過ぎるわたしは過剰に心配してしまうクセがある。
なかなか短くも長い時間だった。
那智さんが死んでしまったら。
何度か書いているけど、その覚悟はしている。
泣いて泣いて暮らすけど、昔よりずっと強くなれたわたしは間違った依存先に逃げることなく、ひとりも充実させ誠実な友人を頼り生きていかれると思っている。
那智さんのいう『その瞬間からひとりで立てる』ようになれてきているはずだ。
だから、その心配はあまり感じなかったのだけど。
那智さんの死を連想していた2時間。
那智さんに『よしよし』って、もうしてもらえないんだな〜ってとても寂しい想像をしていた。
そして、同時に、ああ、わたしはきっと抜け殻のようになりながらも、那智さんから愛された記憶を何度も何度も思い出して穏やかに悲しむのだろうなとも想像していた。
穏やかな気持ちで悲しめる。
これはこの先那智さんを失う覚悟をしているわたしにとってあらたな温かい指標になったような気がする。
そんな立派なこと言ってるけど実際は2、3時間でギブアップなわけで、もういまのうちにいっぱい甘えていっぱい可愛がっていただいてたくさん蓄積しておくのだ^^
とにかく、伝達は正確に行いましょう^^
<関連エントリー>
生きる
「等式」感想です。確かに私がりん子に対し稀に連絡が取れないときも「想像の鬼」になり心配する。年に1回位かな~しかし、りん子にとってこの手の思いは甘美な部分もあるので全てを額面通りには解釈出来ません!(笑)
りん子(^-^)わーん、額面通り解釈してー(笑)
毎日いただく『おはよう』が来ない。
チャットに届く『おはよう』を合図に文字のやり取りが開始できて、状況が許せばお話しできる。
いちおう一方的に送っても大丈夫なアドレスはあるけれど、この『おはよう』は日々のコミュニケーションのはじまりを意味する、わたしにはとても大事なもの。
たまにTwitterの感想に集中して送り忘れていたり、送信ミスがあったりもあるけど、基本は毎日ちゃんといただける。
いつもいただく時間から大幅に遅れていた場合は(りん子的解釈の大幅→45分 笑)送っていい方のアドレスに「おはよういただけていませんよ〜」とお知らせすると「ごめん、ごめん」とチャットに『おはよう』をくれる。
とくに更新日は感想をいただけるから、感想があって『おはよう』がない場合はある意味安心して催促(?)メールを送ることができる。
で、今日は来ない。
来ないだけならまだあることだけど、催促メールを送っても反応ないし、感想もない。
しかもメールを開いた痕跡もない、ついでに昨夜おやすみなさいを送ったチャットさえ『既読』になっていないのだ。
おかしい。
一昨日から泊まりで会議やシンポジウムで大変だったことは知っている。
でも、今朝は通常通りだろうし、仮にどこかに立ち寄ってから出勤するとしても、その移動中にメールやチャットを見る時間くらいはあるはずだ。
百歩譲って『おはよう』を送る余裕がないとしても(それだってトイレの合間とかあるけどね)、スマホを開く時間くらいはあるだろう。
それさえも既読になっていないということは、スマホを開く余裕さえないということだ。
刻々と時間は過ぎる。
朝のお電話タイムの時間が近づく中、メールやチャットの既読を確認し感想をいただけていないかチェックする。
同じところを周り続けるハムスターみたいに、メール→チャット→感想をぐるぐる、ぐるぐる、チェックして回る。
時折、チャットの『送信済み、配信済み、既読』の表示の意味を調べたりして、わずかな情報を頼りにいまの那智さんの状況を推理する。
那智さんが『おはよう』をないがしろにしないということは、もう心の底から信じていられるので、きっと何かあったのだとは思える。
でも、それだと逆に『何が』あったのだ!?とどんどん心配になってくる。
どうしたんだろう。
まさか、バイクで事故?
昨夜の懇親会の後、夜の繁華街で悪い人に刺された!?
妄想女はどんどん最悪のシナリオを考える。
どんどん落ち着かなくなる。
那智さんが死んでしまっていたら。
3日間連絡がなかったら、共通の知り合いに確認をしてもいいことになっている。
いまのわたしは数十分でこれだ。
3日間音沙汰ないなんて、どんな心理状態だろうと想像して恐ろしくなる。
もし、那智さんが死んでしまったら。
ああ、もうあの腕に包まれなら『よしよし』としてもらうことは一生叶わないんだ。
他のどんな男にしてもたっても、叶わない。
絶望的な気持ちになる。
ううん、待って、りん子。
那智さんは『俺が生きている間はとことん依存していいけど、俺が死んだ瞬間からひとりで立てるようにする』とわたしを育ててきたじゃない。
いまここでわたしが絶望してどうする。
那智さんを失う絶望的な喪失感と同じくらい、ううん、それ以上に那智さんが与えてくれたものは大きい。
だから、一回だけお友達に抱きしめてもらって、那智さんのように『よしよし』としてもらったら、その後はちゃんと立とう。
那智さんがくれたものを大切に抱きしめて思い出して、メソメソしながらもちゃんと生きていこう。
と、ここまでうるうるしながら、真剣に考えた(ホントに真剣なんだよ!!)
通常いただける時間より2時間遅れて『おはよう〜』。
はあああ、那智さん、生きてた!!
よかった、死んでいなかった。
生存確認できて、ひとまず胸を撫で下ろす。
ところが、届いたのはチャットではなくメールだった。
念のためチャットを確認すると相変わらず送信済みのまま、これだと那智さん側のスマホが電源オフかアプリを立ち上げていないことになる。(読んでいなくても相手に届いていれば『配信済み』になるそうだ)
どうしても、これが解せない。
メールはスマホからかパソコンからかわからないから、那智さんのスマホがどういう状況にあるのか。
生存確認ができて最悪の事態は免れたけど、また別の心配が生まれる。
『おはよう』は送れる。
でも、詳しい状況を説明する時間やお話しすることは無理のようだ。
そして、チャットアプリを立ち上げることもできない。
アプリ立ち上げなんて一瞬のことなのに、それができない状況ってなんなのだろう。
バイク事故に遭って病院に運ばれて命からがらの『おはよう』だったのか?
悪い人に刺されて警察で事情聴取を取りながらの『おはよう』だったのか!?
(バイクはね、あながち誇大妄想でもないんだよ、那智さん以前事故に遭って病院やら警察やら全部処理が終わってはじめて連絡くれたのだもの)
もしかして、いまじつは那智さんプライベートで重大な懸案事項を抱えていて、それがトラブルに発展してしまったのか!!!
『死』という極端な妄想はじつは甘美なものだと、あらためて思う。
『死』ではないにも関わらず、この状況であることのほうがある意味、一大事、ピンチかもしれない。
そう思うと、むしろとても現実的な焦燥に変わっていく。
いつもいつも那智さんの快適を願うわたしにとって、アプリを立ち上げられないほどの切迫した状況を想像することは『死』よりも心配なことかもしれない。
ご無事ですか?
と送ったメールに『はーい(笑)』と返信が来たのは、それからさらに1時間半経ってからだった。
果たして、午後1番に着信。
なんてことはない、お互いの伝達ミスだ。
那智さんは一昨日から会議やシンポジウムなどが重なりまくりのスケジュールで2泊したらしい。
手のかかる人の相手なども個人的にして深夜就寝、今朝は早くからお偉いさんと会議と会食とこなし、やっと解放されたところだったのだ。
那智さんは(ここまで厳密ではないにしろ)スケジュールを伝えていたと思い、わたしは聞いていないつもりだった。
どちらが原因か、それは追求するつもりはないのだけど、那智さんとしてはいつもと違うことは承認済みだと思っていたのだ。
着信があって状況を聞きながら、みるみる脱力。
安堵でふにゃふにゃだ。
那智さん生きててよかった。
刺されなくてよかった。
大きなトラブルに見舞われていなくてよかった。
会議大変だった〜とお話を聞きながら、ため息と涙がこぼれる。
ああ、緊張の糸が切れると声さえ弱々しくなるんだね、ぜんぜん会話にならなかった。
まあ、人生案外そんな最悪のシナリオはないとは思うけど、那智さんの快適を願い過ぎるわたしは過剰に心配してしまうクセがある。
なかなか短くも長い時間だった。
那智さんが死んでしまったら。
何度か書いているけど、その覚悟はしている。
泣いて泣いて暮らすけど、昔よりずっと強くなれたわたしは間違った依存先に逃げることなく、ひとりも充実させ誠実な友人を頼り生きていかれると思っている。
那智さんのいう『その瞬間からひとりで立てる』ようになれてきているはずだ。
だから、その心配はあまり感じなかったのだけど。
那智さんの死を連想していた2時間。
那智さんに『よしよし』って、もうしてもらえないんだな〜ってとても寂しい想像をしていた。
そして、同時に、ああ、わたしはきっと抜け殻のようになりながらも、那智さんから愛された記憶を何度も何度も思い出して穏やかに悲しむのだろうなとも想像していた。
穏やかな気持ちで悲しめる。
これはこの先那智さんを失う覚悟をしているわたしにとってあらたな温かい指標になったような気がする。
そんな立派なこと言ってるけど実際は2、3時間でギブアップなわけで、もういまのうちにいっぱい甘えていっぱい可愛がっていただいてたくさん蓄積しておくのだ^^
とにかく、伝達は正確に行いましょう^^
<関連エントリー>
生きる
「等式」感想です。確かに私がりん子に対し稀に連絡が取れないときも「想像の鬼」になり心配する。年に1回位かな~しかし、りん子にとってこの手の思いは甘美な部分もあるので全てを額面通りには解釈出来ません!(笑)
りん子(^-^)わーん、額面通り解釈してー(笑)
- 関連記事
-
- ピアス、その後 2014/03/17
- コルセット 2006/11/28
- もしもわたしが先に死んだら 2013/08/03
COMMENT
ああ、あの「りん子」さんであってさえ、
そういう心持ちになったりすることもあるのだ、と、
ある意味感動に似た気持ちにもなりました。
傍観者としてブログにお邪魔する身としては、
確固たるものを強く強く感じているゆえ。
互いが生きているというだけでギフト、という関係性、羨ましいです。
そういう心持ちになったりすることもあるのだ、と、
ある意味感動に似た気持ちにもなりました。
傍観者としてブログにお邪魔する身としては、
確固たるものを強く強く感じているゆえ。
互いが生きているというだけでギフト、という関係性、羨ましいです。
智薫さん
こんにちは^^
那智さんがメールをないがしろにしないという信頼と、那智さんがいないと困る!!は別物でして^^;
前者においては智薫さんのおっしゃってくださったような確固たるものは持てていると思うのですが、後者はどうしようもなく弱いです。
だから、あまり褒められたものではありません^^;
那智さんの幸せはわたしの幸せななわたしなので、那智さんにはなんとしてでも幸せでいてもらわないといけないのです(笑)
こんにちは^^
那智さんがメールをないがしろにしないという信頼と、那智さんがいないと困る!!は別物でして^^;
前者においては智薫さんのおっしゃってくださったような確固たるものは持てていると思うのですが、後者はどうしようもなく弱いです。
だから、あまり褒められたものではありません^^;
那智さんの幸せはわたしの幸せななわたしなので、那智さんにはなんとしてでも幸せでいてもらわないといけないのです(笑)
りん子さんの
不安の連鎖すっごくわかるよ~~
私もそう。悪い方向に考え出したら
止まらないのぉー
もうコロコロ堕ちていく不の連鎖
イヤ待て考えろ。と、立ち止まっても、
そこからまた始まる不の連鎖。
なんでもかんでも
悪い方向の考えるな!って
お前はキョロキョロしすぎなんや。
こっちだけ見てればいい。
って、どっちが先に死んでも
お前幸せにする。って
言われて毎回泣いてる(^^;
おばちゃんです。
不安の連鎖すっごくわかるよ~~
私もそう。悪い方向に考え出したら
止まらないのぉー
もうコロコロ堕ちていく不の連鎖
イヤ待て考えろ。と、立ち止まっても、
そこからまた始まる不の連鎖。
なんでもかんでも
悪い方向の考えるな!って
お前はキョロキョロしすぎなんや。
こっちだけ見てればいい。
って、どっちが先に死んでも
お前幸せにする。って
言われて毎回泣いてる(^^;
おばちゃんです。
ここさん
そーなのよー^^;
よこそこまでいろいろ思いつくなってくらい悲劇のシチュエーションがごろごろ(笑)
でさ、自分で考えて、自分で悲しくなってるんだよね、とほほ。
まあ、そういう種類の人間だからしょうがない(開き直るな!?)
でも、それを「こっちだけ見てればいい」なんて言葉で包んでくれるなんて、ステキな包容力じゃないか〜〜!!
毎回泣いてもいいじゃな^^
わたしもおばちゃんだけど、心はずっと乙女だもん〜(笑)
そーなのよー^^;
よこそこまでいろいろ思いつくなってくらい悲劇のシチュエーションがごろごろ(笑)
でさ、自分で考えて、自分で悲しくなってるんだよね、とほほ。
まあ、そういう種類の人間だからしょうがない(開き直るな!?)
でも、それを「こっちだけ見てればいい」なんて言葉で包んでくれるなんて、ステキな包容力じゃないか〜〜!!
毎回泣いてもいいじゃな^^
わたしもおばちゃんだけど、心はずっと乙女だもん〜(笑)