道具はどちら?
りん子的独り言(生意気)
『公衆便所』とか『便器』とか、女性を性処理の道具として扱う様子を時々目にします。
積極的に見ているわけではないのでごくわずかなケースしか知らないのだけど、そこから感じること。
経験のないわたしが外側から見て感じたことなので、的外れなことかもしれないですけど。
たくさんの男性が便器を使う。
便器だから、誰のものでもくわえ誰にでも体を開く。
女性には人格はなく、ただ男性の欲望を叶える道具としてだけ存在する。
女性は道具。
そんな女性を称して『公衆便所』。
だけど、本当にそれだけなのだろうか。
合意の上で、体を差し出す女性はただの道具なだけなのだろうか。
(っていうか、合意じゃなきゃ犯罪です!!)
合意の上ということであれば、そこに女性側にも何らかの利益が存在すると思うのだ。
見知らぬ男性に体を開くのだから、恐怖や嫌悪感で直接的な体の快感はないかもしれないけど。
被虐願望を満たしているかもしれないし。
自分をそこに差し出す主の存在が快感になっているかもしれない。
終わった後に、その主に褒めてもらうことが幸福かもしれない。
多分、どんな形にしても、何らかの快感に繋がっていると思うのだ。
『便器』だから表には現れないかもしれないけど、内側に密かな快感が存在しているのではないか。
もしかしたら、差し出す主にもその密やかな快感の存在を知っている人もいると思うけど。
使用している男性たちの中で、それを想像する人はどれくらいいるのだろう。
もし、秘めた快感が存在するとしたら。
その女性にとってそこにいる男性たちは、道具だよね。
双方が、欲望を果たすための道具になっていると思うのだ。
便器に群がる男性たちの中で、便器を使っている自分も実は道具なんじゃないかと想像できている人はどれくらいいるだろう。
そういう想像力のある人が大半だったとしても。
もし自分が道具になっていることに考えが及ばず、一方的に使っているとしか考えず、優越感に浸りながら腰を振っている男性がいるとするなら、わたしはその姿がとても滑稽なものに見えてしまう。
腰を振っているあなたは、道具なのかもしれない。
人格のない便器のバイブレーターになっているだけかもしれない。
道具を使っているように見えて、実は自分も道具なのかもしれない。
なんて思ってしまった。
心の交流のないセックスは女性を深く傷つけると思っている。
愛情でも友愛でも性的嗜好の一致でも、とにかく心の交流を持ってくれる相手とセックスしないと傷つく。
(『秘訣』『秘訣の続き』『もうひとつの秘訣』あたりにいっぱい書いてあります^^)
その意見は変わらない。
だけど、それと矛盾してしまうけど。
願わくば。
男性からは道具と思われている女性が、その男性を道具にするタフさを持ってほしいと思う。
実は自分も道具なのかもしれないと思える想像力のある男性が一人でも多いといいなと思ってしまう。
そして、使っている男性や我々外野の知ることのない、深く密かな快感を味わっていてほしいと思う。
『公衆便所』なんていうのを目にすると、いったいどちらが道具なんだろう?なんてちょっと意地悪な想像をしたるするのだ。
あくまでも合意の上での話です。
合意の上じゃないと犯罪ですし、『イヤよイヤも好きのうち』なんて勘違いしないでくださいね。
『公衆便所』とか『便器』とか、女性を性処理の道具として扱う様子を時々目にします。
積極的に見ているわけではないのでごくわずかなケースしか知らないのだけど、そこから感じること。
経験のないわたしが外側から見て感じたことなので、的外れなことかもしれないですけど。
たくさんの男性が便器を使う。
便器だから、誰のものでもくわえ誰にでも体を開く。
女性には人格はなく、ただ男性の欲望を叶える道具としてだけ存在する。
女性は道具。
そんな女性を称して『公衆便所』。
だけど、本当にそれだけなのだろうか。
合意の上で、体を差し出す女性はただの道具なだけなのだろうか。
(っていうか、合意じゃなきゃ犯罪です!!)
合意の上ということであれば、そこに女性側にも何らかの利益が存在すると思うのだ。
見知らぬ男性に体を開くのだから、恐怖や嫌悪感で直接的な体の快感はないかもしれないけど。
被虐願望を満たしているかもしれないし。
自分をそこに差し出す主の存在が快感になっているかもしれない。
終わった後に、その主に褒めてもらうことが幸福かもしれない。
多分、どんな形にしても、何らかの快感に繋がっていると思うのだ。
『便器』だから表には現れないかもしれないけど、内側に密かな快感が存在しているのではないか。
もしかしたら、差し出す主にもその密やかな快感の存在を知っている人もいると思うけど。
使用している男性たちの中で、それを想像する人はどれくらいいるのだろう。
もし、秘めた快感が存在するとしたら。
その女性にとってそこにいる男性たちは、道具だよね。
双方が、欲望を果たすための道具になっていると思うのだ。
便器に群がる男性たちの中で、便器を使っている自分も実は道具なんじゃないかと想像できている人はどれくらいいるだろう。
そういう想像力のある人が大半だったとしても。
もし自分が道具になっていることに考えが及ばず、一方的に使っているとしか考えず、優越感に浸りながら腰を振っている男性がいるとするなら、わたしはその姿がとても滑稽なものに見えてしまう。
腰を振っているあなたは、道具なのかもしれない。
人格のない便器のバイブレーターになっているだけかもしれない。
道具を使っているように見えて、実は自分も道具なのかもしれない。
なんて思ってしまった。
心の交流のないセックスは女性を深く傷つけると思っている。
愛情でも友愛でも性的嗜好の一致でも、とにかく心の交流を持ってくれる相手とセックスしないと傷つく。
(『秘訣』『秘訣の続き』『もうひとつの秘訣』あたりにいっぱい書いてあります^^)
その意見は変わらない。
だけど、それと矛盾してしまうけど。
願わくば。
男性からは道具と思われている女性が、その男性を道具にするタフさを持ってほしいと思う。
実は自分も道具なのかもしれないと思える想像力のある男性が一人でも多いといいなと思ってしまう。
そして、使っている男性や我々外野の知ることのない、深く密かな快感を味わっていてほしいと思う。
『公衆便所』なんていうのを目にすると、いったいどちらが道具なんだろう?なんてちょっと意地悪な想像をしたるするのだ。
あくまでも合意の上での話です。
合意の上じゃないと犯罪ですし、『イヤよイヤも好きのうち』なんて勘違いしないでくださいね。
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