もってる女
独り言
夏の暑い日。
盆の入りを迎え家族で父の墓参りにいった。
その夜、夢を見た。
父の夢だ。
夢の中で私は布団に入っている。
体は大人なんだけど、状況は子供の頃のようだ。
幼い頃、姉と布団を並べて寝ていた空気。
隣りに姉の姿があるかどうかわからないけど、夢は「あ、お父さんが来る」という気持ちからはじまる。
私と姉はよく寝る前に布団に入って話しをした。
暗い部屋でひそひそ話すのは、なんだかイタズラをしているみたいで楽しかった。
母に「寝なさい!!」と怒鳴られるまで、ひそひそ遊んでいた。
時々、酔っぱらった父も来るのだ。
階段を上がる足音でわかる。
酔っぱらいの父が来ると面倒なんだ。
起きているのがわかるもんなら、電気をつけ「部屋を片付けろ〜」とか「早く寝ろ〜」とか思いつきの説教がはじまる(電気つけて「早く寝ろ」がすでにヘン!!)
怒鳴り散らすとかではないので、怖いのではなくて『面倒』なのだ。
だから、父の足音が聞こえたら「お父さん、来た!!」と2人して狸寝入りをするのだ。
その「お父さん、来た!!」から夢ははじまる。
姉の姿は確認できない。
でもとにかく寝たフリ。
顔を半分布団に埋めてゆっくりウソの寝息を立てる。
父が覗きに来る気配。
お姉ちゃんと面白半分に、でも真剣に父にばれないように寝たふりをする気分が蘇る。
懐かしい。
父が入ってきた『なんだ、寝てるのかぁ』と酔っぱらいの口調。
ふふ、騙されてる。
近寄ってきた。
顔を覗き込んでるのが気配でわかる。
実際もよくそうされて、私か姉のどちらかが吹き出してバレちゃうなんて面白展開になることもあった。
だけど夢の中では絶対にバレてはいけないことのように思えて、とにかく必死に目を閉じていた。
執拗に覗き込む父。
ドキドキが増していく。
そのドキドキといつもと違う父の様子にだんだん怖くなってきてしまう。
それでも必死に息を潜めて狸寝入り。
いきなり暗闇の中、父が足首を掴んできた。
あまりの驚きに目を開けてみると、足元にいる父が苦しそうにしている。
闘病中の父を何倍もデフォルメさせたような苦しそうな表情で、私にすがりついてきているのだ。
まるで、私をどこかに引きずり込もうとしているように。
私は寝たふりなどすっかり忘れて叫ぶ。
「お父さん、やめて!!」
でも舌を巻き込んで喉をふさいでいるみたいで声にならない。
鉛のように重い唇をこじ開け、叫ぶ。
お父さん、やめて!!
「&#○×%!!」
その言葉になっていない声で目が覚めた。
ああ、夢だったんだ。
とても生々しい夢だ。
心臓がどきどきしている。
夢だったことに、ホッと大きくため息をついたとき。
「…ううぅおぉあうぅぅぅ…」
隣室から大きなうめき声。
どきーん!!
落ち着こうとしていた心臓がまた跳ね上がる。
夫だ。
何か夢でも見たのだろうか、うなされている。
とても切羽詰まったうめき声だった。
静かになった。
なんでもない、ただの寝言だったみたい。
それにしても恐ろしげな寝言だったなぁ。
ドキドキと激しく脈打つ心臓を落ち着かせようと、一生懸命冷静に状況を理解しようとする。
気持ちを鎮めて、寝よう。
明日は旅行にいくのだ。
目を閉じ、再び眠りに就こうとしたとき。
カタカタ…カタッ…
なに?
何かの音。
気のせい?
息を殺す。
…カタッ、カタカタカタッ…
ううん、聞こえる、気のせいじゃない。
じゃあ、なんだろ?
廊下の先、パソコンが置いてある部屋のほうから聞こえる気がする。
なに?
キーボード?
夫がまだ起きているの?
それはない、だっていまうめき声がしたもの、彼は隣りの部屋にいる。
息を殺す。
かすかに夫の寝息。
ほら、いる。
カタカタ、カタ…カタ…
夫じゃない。
泥棒?
まさかね。
心霊現象!?
なわけないよね、こんなにハッキリと。
じゃあ、なに!?
泥棒があんな音を当てるはずない。
もしかして、見知らぬ誰かが普通にキーボードを叩いていたりして?
うう、そのあり得ない状態も怖い。
じゃあ、それは大人?
あ、意外と見知らぬ子供がいたら、一番怖いかも?
ああ、ばか、私ったら、とっても怖いくせに、一瞬想像の羽根を広げてしまう^^;
よけいに心臓が激しく動いちゃうじゃないか。
もう自分の耳に『どっきん、どっきん』と聞こえるほど脈を打っている。
どうしよう。
このままじゃ気になって眠れない。
もし万が一、侵入者だとしたら、パソコン部屋に一番近い部屋の子供のことを考える。
そこは迷う間はなかった。
意を決してドアを開け、寝息をたてる夫の横を静かに抜け、廊下に向かう。
カタ…カタ
その間も物音は止まない。
恐る恐るリビングのドアを開ける。
音のするほうに視線を向けると…
カ、カナブンッ…!!
えええーーー!?
カナブン!?
飛び回って廊下や玄関にぶち当たりまくっているのだ。
それで『カタカタ』
どうやら昼間のうちに入り込んでいたらしい。
がく〜〜〜っ、腰砕け。
さっきまでの『どっきん、どっきん』はなんだったのよ〜。
でも泥棒でも幽霊でも、まして見知らぬ子供でもなくてよかった。
ひとり安堵して腰砕けの深夜だった。
そこからはニキータのわたし。(『戦うりん子』)
殺生せず、でも触れないように外に出すために格闘^^;(うう触れません…)
こちらに向かってくるカナブンにあわあわしながら、なんとか逃がしてた。
まったく人騒がせなカナブン。
この話をしたら友だちが「りん子ってもってるよね」と言った。
その子の友人に話を面白おかしくするために、多少のウソも交えて脚色する人がいるらしい。
それを『話を盛る』といっているのだ。
で、私も盛ってるって。
そしたら、横にいたもう1人の友人が。
「違うよ、りん子はわざと盛ってるんじゃなくて、自然と盛っちゃうんだよ」と言った。
そうなのだ。
わざと脚色するつもりはないのだけど、どうも私は何事も大げさに捉え大げさに反応してしまうみたいなのだ。
この夜の話も、このまんま夜中にひとりで右往左往だった。
ブログでもひとつのことをこーんなに長く細かく書いてしまうのは、すっきりした文章が書けないだけじゃなくて、多分いっぱい盛っちゃってるんだ。
ネタには困らないけど、年がら年中盛ってるのもけっこう疲れます^^
ちなみに。
翌日夫にこの話したら、やはり彼も怖い夢を見ていたらしい。
霊感が強いというほどでもないけど夫もわりとシックスセンスが敏感なときがある。
だから、もしかしたらお墓参りで何か感じちゃったのかねなんて話してた。
お誕生日のときといい、今回といい、少なくとも、私は、また父にいいように翻弄されてしまったらしい。
(『見えないものの力』)
ねえ、お父さん、いい加減私のこと引っ張り回さないでくれる?
ということで、皆さんにはいつも『もってる話』にお付き合いいただいております^^
まったく人騒がせなのはカナブンじゃなくて、わたしかもしれない^^;
夏の暑い日。
盆の入りを迎え家族で父の墓参りにいった。
その夜、夢を見た。
父の夢だ。
夢の中で私は布団に入っている。
体は大人なんだけど、状況は子供の頃のようだ。
幼い頃、姉と布団を並べて寝ていた空気。
隣りに姉の姿があるかどうかわからないけど、夢は「あ、お父さんが来る」という気持ちからはじまる。
私と姉はよく寝る前に布団に入って話しをした。
暗い部屋でひそひそ話すのは、なんだかイタズラをしているみたいで楽しかった。
母に「寝なさい!!」と怒鳴られるまで、ひそひそ遊んでいた。
時々、酔っぱらった父も来るのだ。
階段を上がる足音でわかる。
酔っぱらいの父が来ると面倒なんだ。
起きているのがわかるもんなら、電気をつけ「部屋を片付けろ〜」とか「早く寝ろ〜」とか思いつきの説教がはじまる(電気つけて「早く寝ろ」がすでにヘン!!)
怒鳴り散らすとかではないので、怖いのではなくて『面倒』なのだ。
だから、父の足音が聞こえたら「お父さん、来た!!」と2人して狸寝入りをするのだ。
その「お父さん、来た!!」から夢ははじまる。
姉の姿は確認できない。
でもとにかく寝たフリ。
顔を半分布団に埋めてゆっくりウソの寝息を立てる。
父が覗きに来る気配。
お姉ちゃんと面白半分に、でも真剣に父にばれないように寝たふりをする気分が蘇る。
懐かしい。
父が入ってきた『なんだ、寝てるのかぁ』と酔っぱらいの口調。
ふふ、騙されてる。
近寄ってきた。
顔を覗き込んでるのが気配でわかる。
実際もよくそうされて、私か姉のどちらかが吹き出してバレちゃうなんて面白展開になることもあった。
だけど夢の中では絶対にバレてはいけないことのように思えて、とにかく必死に目を閉じていた。
執拗に覗き込む父。
ドキドキが増していく。
そのドキドキといつもと違う父の様子にだんだん怖くなってきてしまう。
それでも必死に息を潜めて狸寝入り。
いきなり暗闇の中、父が足首を掴んできた。
あまりの驚きに目を開けてみると、足元にいる父が苦しそうにしている。
闘病中の父を何倍もデフォルメさせたような苦しそうな表情で、私にすがりついてきているのだ。
まるで、私をどこかに引きずり込もうとしているように。
私は寝たふりなどすっかり忘れて叫ぶ。
「お父さん、やめて!!」
でも舌を巻き込んで喉をふさいでいるみたいで声にならない。
鉛のように重い唇をこじ開け、叫ぶ。
お父さん、やめて!!
「&#○×%!!」
その言葉になっていない声で目が覚めた。
ああ、夢だったんだ。
とても生々しい夢だ。
心臓がどきどきしている。
夢だったことに、ホッと大きくため息をついたとき。
「…ううぅおぉあうぅぅぅ…」
隣室から大きなうめき声。
どきーん!!
落ち着こうとしていた心臓がまた跳ね上がる。
夫だ。
何か夢でも見たのだろうか、うなされている。
とても切羽詰まったうめき声だった。
静かになった。
なんでもない、ただの寝言だったみたい。
それにしても恐ろしげな寝言だったなぁ。
ドキドキと激しく脈打つ心臓を落ち着かせようと、一生懸命冷静に状況を理解しようとする。
気持ちを鎮めて、寝よう。
明日は旅行にいくのだ。
目を閉じ、再び眠りに就こうとしたとき。
カタカタ…カタッ…
なに?
何かの音。
気のせい?
息を殺す。
…カタッ、カタカタカタッ…
ううん、聞こえる、気のせいじゃない。
じゃあ、なんだろ?
廊下の先、パソコンが置いてある部屋のほうから聞こえる気がする。
なに?
キーボード?
夫がまだ起きているの?
それはない、だっていまうめき声がしたもの、彼は隣りの部屋にいる。
息を殺す。
かすかに夫の寝息。
ほら、いる。
カタカタ、カタ…カタ…
夫じゃない。
泥棒?
まさかね。
心霊現象!?
なわけないよね、こんなにハッキリと。
じゃあ、なに!?
泥棒があんな音を当てるはずない。
もしかして、見知らぬ誰かが普通にキーボードを叩いていたりして?
うう、そのあり得ない状態も怖い。
じゃあ、それは大人?
あ、意外と見知らぬ子供がいたら、一番怖いかも?
ああ、ばか、私ったら、とっても怖いくせに、一瞬想像の羽根を広げてしまう^^;
よけいに心臓が激しく動いちゃうじゃないか。
もう自分の耳に『どっきん、どっきん』と聞こえるほど脈を打っている。
どうしよう。
このままじゃ気になって眠れない。
もし万が一、侵入者だとしたら、パソコン部屋に一番近い部屋の子供のことを考える。
そこは迷う間はなかった。
意を決してドアを開け、寝息をたてる夫の横を静かに抜け、廊下に向かう。
カタ…カタ
その間も物音は止まない。
恐る恐るリビングのドアを開ける。
音のするほうに視線を向けると…
カ、カナブンッ…!!
えええーーー!?
カナブン!?
飛び回って廊下や玄関にぶち当たりまくっているのだ。
それで『カタカタ』
どうやら昼間のうちに入り込んでいたらしい。
がく〜〜〜っ、腰砕け。
さっきまでの『どっきん、どっきん』はなんだったのよ〜。
でも泥棒でも幽霊でも、まして見知らぬ子供でもなくてよかった。
ひとり安堵して腰砕けの深夜だった。
そこからはニキータのわたし。(『戦うりん子』)
殺生せず、でも触れないように外に出すために格闘^^;(うう触れません…)
こちらに向かってくるカナブンにあわあわしながら、なんとか逃がしてた。
まったく人騒がせなカナブン。
この話をしたら友だちが「りん子ってもってるよね」と言った。
その子の友人に話を面白おかしくするために、多少のウソも交えて脚色する人がいるらしい。
それを『話を盛る』といっているのだ。
で、私も盛ってるって。
そしたら、横にいたもう1人の友人が。
「違うよ、りん子はわざと盛ってるんじゃなくて、自然と盛っちゃうんだよ」と言った。
そうなのだ。
わざと脚色するつもりはないのだけど、どうも私は何事も大げさに捉え大げさに反応してしまうみたいなのだ。
この夜の話も、このまんま夜中にひとりで右往左往だった。
ブログでもひとつのことをこーんなに長く細かく書いてしまうのは、すっきりした文章が書けないだけじゃなくて、多分いっぱい盛っちゃってるんだ。
ネタには困らないけど、年がら年中盛ってるのもけっこう疲れます^^
ちなみに。
翌日夫にこの話したら、やはり彼も怖い夢を見ていたらしい。
霊感が強いというほどでもないけど夫もわりとシックスセンスが敏感なときがある。
だから、もしかしたらお墓参りで何か感じちゃったのかねなんて話してた。
お誕生日のときといい、今回といい、少なくとも、私は、また父にいいように翻弄されてしまったらしい。
(『見えないものの力』)
ねえ、お父さん、いい加減私のこと引っ張り回さないでくれる?
ということで、皆さんにはいつも『もってる話』にお付き合いいただいております^^
まったく人騒がせなのはカナブンじゃなくて、わたしかもしれない^^;
りん子に綿棒
独特な幸福感
顔って、とっても大事。
造形のことじゃなくてね。
顔というか首から上かな?言葉は適当ではないかもしれないけど、神聖な場所といか人権の表れみたいな感じがする。
むかーし、仕事の関係で駅とかに貼られる広告ポスターになったことがあるのだけど、鼻の穴とか目に画びょう刺されたりして、なんだかいやな気分になったことがあるんだ。
たかがイタズラだけど、なんとなく顔ってだけでいやな気分が増していたと思う。
これちょっと引かれるかもしれないけど…。
学生時代キライな子がいてね。
私が危害を加えられたのではないのでけど、彼女が他の子に危害を加えるやり方がキライだったの、それで、言葉は大げさだけど『憎んで』だ。
ある日、どうしても気が収まらなくてその子の写真の顔をマジックで黒く塗りつぶして、更に首から上をハサミで切るということをした。
(ああ、いま書いてても暗いヤツだ。若気の至りと思ってお許しください!!)
漠然と『首から上は大事』という感覚をきっと昔から持っていたのだと思う。
だから余計に自分の鼻に画びょうがイヤな気持ちだったんだろうな。
そんな私なので、人の首から上にはまったく気軽に触れることができない。
親しい友だちでも、ツッコミと称して頭をはたくこともできないし、両手で頬を挟んで親愛の情を表すことさえできない。
ごく稀に「いいこいいこ」と髪を撫でる仕草をすることもあるけど、それもかなり遠慮気味だ。
(おしゃべりしてて肩に触れたりは好きなんだけどね)
首から上は大事なもので、無遠慮に触ってはいけないものだと思ってるんですね。
それは那智さんに対しても同じで。
私は、まったく遠慮なしに豚鼻されたり『あっちょんぶりけ』されたりしてるけど、私から那智さんの首から上に手を伸ばすことはほとんどない。
マッサージで首を揉むのが精一杯。
そのまま顔面や頭皮も揉むように言われるけど、遠慮しちゃってできない。
顔や頭のホコリを取るなんて以外は触れない。
唯一遠慮せずに触れるとしたら、くちづけだけだわ*^^*
それは遠慮なくチュッチュしちゃう。
7年付き合ってても、そんな状態^^;
それくらい私の感覚では『顔から上は大事な場所』なのだ。
で、なんでこんな話かというと。
最近、気持ちよくして差し上げる行為がひとつ増えたのだ!!
それは『耳掃除』〜^^
7年間の付き合いで耳掃除をしたのは2回。
一度目は付き合いはじめの頃『やってみて』と言われてしたのだ。
で、それから約7年、再度リクエストされたことがなかったのですが、きまぐれ?にまた要請があったのだ。
それが2度目。
実は、私は耳掃除不得意じゃないの。
だって子供によくやっていたからね。
案の定、気持ちよかったらしい。
目がトロ〜ンとなる那智さん。
「なんで?前やってもらったときは全然気持ち良くなかったのに」
と不思議そう。
それはね、那智さん、少し遠慮がなくなったからですよ。
いまでも膝枕のために腿に頭を乗せるのも顔に手を乗せて掃除するのも、ためらいはある。
耳掃除以外で那智さんの顔や頭に触れることはゼロに近いけど。
7年前よりは、不必要な遠慮はなくなってぎこちない耳掃除ではなくなったのだと思う。
そうなったら鬼に金棒ならぬ、りん子に綿棒^^
かつて、冗談半分で『もう気持ちいいことはりん子で充分かもしれない』と言わしめたわたし。
セックスもフェラチオもマッサージも、どれも完璧とはいえないまでもいろんなことをプラマイしたら、充分だと^^
それにだめ押しのもうひと行為『耳掃除』が加わったのだ。
ねえ、那智さん、これでもっと私から離れられなくなりましたね^^
いつも那智さんから離れられないと言っている私ですが、それだけじゃあ、ちょっと悔しいものね。
たまには、逆パターンで^^
顔って、とっても大事。
造形のことじゃなくてね。
顔というか首から上かな?言葉は適当ではないかもしれないけど、神聖な場所といか人権の表れみたいな感じがする。
むかーし、仕事の関係で駅とかに貼られる広告ポスターになったことがあるのだけど、鼻の穴とか目に画びょう刺されたりして、なんだかいやな気分になったことがあるんだ。
たかがイタズラだけど、なんとなく顔ってだけでいやな気分が増していたと思う。
これちょっと引かれるかもしれないけど…。
学生時代キライな子がいてね。
私が危害を加えられたのではないのでけど、彼女が他の子に危害を加えるやり方がキライだったの、それで、言葉は大げさだけど『憎んで』だ。
ある日、どうしても気が収まらなくてその子の写真の顔をマジックで黒く塗りつぶして、更に首から上をハサミで切るということをした。
(ああ、いま書いてても暗いヤツだ。若気の至りと思ってお許しください!!)
漠然と『首から上は大事』という感覚をきっと昔から持っていたのだと思う。
だから余計に自分の鼻に画びょうがイヤな気持ちだったんだろうな。
そんな私なので、人の首から上にはまったく気軽に触れることができない。
親しい友だちでも、ツッコミと称して頭をはたくこともできないし、両手で頬を挟んで親愛の情を表すことさえできない。
ごく稀に「いいこいいこ」と髪を撫でる仕草をすることもあるけど、それもかなり遠慮気味だ。
(おしゃべりしてて肩に触れたりは好きなんだけどね)
首から上は大事なもので、無遠慮に触ってはいけないものだと思ってるんですね。
それは那智さんに対しても同じで。
私は、まったく遠慮なしに豚鼻されたり『あっちょんぶりけ』されたりしてるけど、私から那智さんの首から上に手を伸ばすことはほとんどない。
マッサージで首を揉むのが精一杯。
そのまま顔面や頭皮も揉むように言われるけど、遠慮しちゃってできない。
顔や頭のホコリを取るなんて以外は触れない。
唯一遠慮せずに触れるとしたら、くちづけだけだわ*^^*
それは遠慮なくチュッチュしちゃう。
7年付き合ってても、そんな状態^^;
それくらい私の感覚では『顔から上は大事な場所』なのだ。
で、なんでこんな話かというと。
最近、気持ちよくして差し上げる行為がひとつ増えたのだ!!
それは『耳掃除』〜^^
7年間の付き合いで耳掃除をしたのは2回。
一度目は付き合いはじめの頃『やってみて』と言われてしたのだ。
で、それから約7年、再度リクエストされたことがなかったのですが、きまぐれ?にまた要請があったのだ。
それが2度目。
実は、私は耳掃除不得意じゃないの。
だって子供によくやっていたからね。
案の定、気持ちよかったらしい。
目がトロ〜ンとなる那智さん。
「なんで?前やってもらったときは全然気持ち良くなかったのに」
と不思議そう。
それはね、那智さん、少し遠慮がなくなったからですよ。
いまでも膝枕のために腿に頭を乗せるのも顔に手を乗せて掃除するのも、ためらいはある。
耳掃除以外で那智さんの顔や頭に触れることはゼロに近いけど。
7年前よりは、不必要な遠慮はなくなってぎこちない耳掃除ではなくなったのだと思う。
そうなったら鬼に金棒ならぬ、りん子に綿棒^^
かつて、冗談半分で『もう気持ちいいことはりん子で充分かもしれない』と言わしめたわたし。
セックスもフェラチオもマッサージも、どれも完璧とはいえないまでもいろんなことをプラマイしたら、充分だと^^
それにだめ押しのもうひと行為『耳掃除』が加わったのだ。
ねえ、那智さん、これでもっと私から離れられなくなりましたね^^
いつも那智さんから離れられないと言っている私ですが、それだけじゃあ、ちょっと悔しいものね。
たまには、逆パターンで^^
徒然に『M女の快感』
りん子的独り言(生意気)
『M女の快感』ではいろいろな反響をいただきましてありがとうございました^^
メールや拍手コメントもいただきまして、それぞれ長文でくださる様子から皆さん思う所があるのだろうなと感じました。
角立ちまくりのエントリーでしたので、表のコメントをくださった皆さんにはとても感謝です。
なぜ、同じ喜びを手に入れるのに『我慢 忍耐』じゃないきゃいけないのだろうとうことを書きました。
鞭で快感を手に入れるのに、喜んでしまうよりも『我慢』のほうが好しとされるのだろう。
それは、周りからの圧力や、もしかしたら本当は『我慢』も『快感』さえもないんじゃないか。
という、それを言っちゃあおしまいよ的な推測。
反響や読み直しをして。
ブログを参考材料にしているから、どうしても『ブログ』が主体になってしまって、私自身の気持ちが散漫になってしまったな〜と反省してます。
私の言いたかったことの半分は『ブログの書き方』であることは間違いじゃない。
だから、書く側の思惑も様々あることも想像できます。
ただ言いたかったことがまだ他にあるので、それを書きます。
今回は、またかなり推測で書きます。
ブログの印象と、個人的にメールでお話しさせていただいたことからです。
私は、たくさんのM女さんとリアルにお話ししたことがありませんので、的外れな推測かもしれないと承知の上で。
毎回言いますが、必ずしもその名前や関係を否定しているのではなく、それで苦しいという人に向けています。
またご自分の性癖を理解されていている方にも当てはまらないお話になると思います。
満たされている人は、よかったね〜と思ってます。
勝手に私が考えたM女区分けの話をさせてくださいね。
いわゆる『M女』と言われている人は3つに分けられると思ってます。
以前は『性癖Mと性格M』なんて言ってましたが、更に分けて^^
ひとつめは『性癖M』と以前から呼んでいるもの。
これはマゾヒストですね。
苦痛を味わいたいという性癖。
この苦痛も広範囲なので、どれとは言えないのだけど、性的な場面での被虐に快感を覚える人。
次は支配されたいという『性格M』から枝分かれした『奴隷嗜好』。
これも私なりの定義なんだけど、M側の快感も人格も無視するような扱いを『M側が』望み快感を覚えるという嗜好。
で、もうひとつも『性格M』からの『依存願望』や『従属願望』。
リードを持っていてもらうと安心する。
性的な場面やそれ以外かは付き合いの形で変わるでしょうけど、とにかく思う存分身を委ね従うことで安心する、それで快感を覚えるという嗜好。
でね、大胆な推測ですけど、マゾヒストといわれる『性癖M』の人って、それほど多くないのではないかと思ってます。
(バイブでよがる程度はマゾヒストじゃないですよね?)
それで、本当に『奴隷嗜好』を持っている人も、多くないと思っています。
(実際人格無視で快感を覚える人は希有な嗜好だと思う←『希有』は賞賛です^^私なんて『片手間』に理由がないとダメだものね)
加えて。
性癖も性格もMではない(被虐も従属も嗜好としてはない)のに、恋愛感情ゆえに『M女』や『奴隷』や『ペット』や『玩具』を受け入れている女性も多いのではないかと思ってます。
「恋人ではなく『奴隷』になれ」と言われて、それを受け入れている人。
まあ、そもそも、『そんなのいや、恋人がいい』と言えずにそれを受け入れ、関係を継続させることにすがってしまう時点で『依存 従属』の要素はありますけど。
とにかく、性的嗜好に被虐も従属もないけど、要請されてM女になったという人。
(ちょっとアブノーマルなことに興味があったりというのは誰でもありますよね。だから多少のSM的なことには対応できる、でもこれは性癖とは呼ばないよね)
『性格Mの依存嗜好』と『恋愛感情故に関係に依存していたいM嗜好のないM女さん』
乱暴ですが、これらをひつつにまとめて『依存体質』としますね。
これは、よく『私のような』と表現しています。
M女さんブログと呼ばれるものは、この『性癖M』と『奴隷嗜好』と『依存体質』の3つのどれかが当てはまる人が多いのではないでしょうか。
で、ブログを書かれているM女さんの何割かは、この『依存体質』なんじゃなかと思っているのです。
もちろん名前が付いていても関係はそれぞれで、当てはまらない人もいるはずです。
概ねの傾向としてご理解ください。
またいろんな要素が混ざって独自の嗜好が出来上がっているのですから、はっきりどれと分けられるものでもないことも理解しています。
ただ、M女の中の『依存体質』の人口比率ってあまり語られないと思うので、こうやって分けたりしてみてます。
で、この『依存体質』(が混ざって人)と世間の求めるM女や『奴隷』には隔たりが生じると思うのです。
これを『奴隷願望の矛盾』や『M女余り』などなどで、ずっと書いてきました。
奴隷願望と依存願望を混同させないでって。
M女=我慢忍耐のイメージが強いと感じるけど、恐らく3つに分けた『性癖M』と『奴隷嗜好』と『依存体質』の中でそれが当てはまり女性側が満たされるのは『奴隷嗜好』が強い人だけなんじゃないかと思う。
『依存体質』は、ただ安心して従いたいだけだ。
別に我慢の忍耐もしたくないのだもの。
だから、世の求めるM女のイメージと実際のM女さんには温度差があると思う。
男性は、ご主人様と名乗り『我慢 忍耐』のイメージ通り都合の良い女性を求め被虐を与える。
『依存体質』の女性は『依存』していたいから、とにかく受け入れる。
だからM女の快感が書けない。
なぜなら、『依存体質』は被虐の喜びも我慢の快感も求めていないし、そもそも嗜好にないのだから快感は得られないものね。
ただ『我慢と忍耐』を書けば、喜ばれるし、喜んでもらえることは依存している実感が持てる、そして、それを続ければホントにほしい『依存』を埋めてくれるかもしれないという期待。
だから書けないのではないかしら。
どんな名前を名乗り、どんなふうに書いてもかまわないのです。
だけど、本当に自分が望むものを自分で理解しなければ、欲しいものは手に入らないよね。
だから自分が求めているものを理解して、それが欲しいともがいてほしいと思ってしまう。
私がM女さんブログで感じた違和感、それを書いた『M女の快感』は、結局毎回訴えている『マゾと奴隷と依存は違うよね』ということに繋がりました^^
世間(男性)の求めるものと女性のそれとのギャップが『M女ブログ』で私が感じた疑問や違和感なんだと思うのです。
私は、マゾで依存体質だと思ってます。
こんなふうに複数絡み合っているわけですから、やっぱり自分は何かを探ってほしい。
そういった意味では、性癖Mや奴隷嗜好が強いM女さんはご自分の嗜好を理解しやすいと思うので、同じようなことが書かれていても苦しくないのでしょうと、想像します。
だから、いつものように『依存体質』の方に気づいてほしいと思ったのですね。
と、書き終わってから思ったので、今日は徒然で補足でした^^
M女さん
あなたはホントにM女?
被虐や人格無視で快感を覚えるマゾ?
我慢も忍耐もしたくないんじゃない?
ホントは、ただただ安心して支えてほしい、好きな人と心を通わせたいと思っていだけじゃない?
もしそうなら、それに早く気がついてほしいと思うのでした。
Mとしてでも、そうじゃなくても『ワクワク』するような快感を味わえますように、と思う。
いつも偏った主張とわかりにくい説明で申し訳ないです。
もうちょっと理路整然と書けたらいいのにな〜と、いつも思います^^;
追伸:
ホントはね、リードを持ってもらって安心するタイプは『犬』でも『わんこ』でも『ペット』でもなんでもよかったんだ。
だけど、その手の名前だと、どうしても『忠誠』とか『従順』とかのイメージが払拭できないから、敢えて恐ろし目の『依存体質』にしちゃいました^^
依存体質、なんか怖いもんね^^;リード安心タイプの皆さん、ごめんなさい。
だって、依存に忠誠を求めるな!!って思うんだもん。
あるとすれば、忠誠は結果だもの!!
あ、いけない、また長くなっちゃう^^;
『M女の快感』ではいろいろな反響をいただきましてありがとうございました^^
メールや拍手コメントもいただきまして、それぞれ長文でくださる様子から皆さん思う所があるのだろうなと感じました。
角立ちまくりのエントリーでしたので、表のコメントをくださった皆さんにはとても感謝です。
なぜ、同じ喜びを手に入れるのに『我慢 忍耐』じゃないきゃいけないのだろうとうことを書きました。
鞭で快感を手に入れるのに、喜んでしまうよりも『我慢』のほうが好しとされるのだろう。
それは、周りからの圧力や、もしかしたら本当は『我慢』も『快感』さえもないんじゃないか。
という、それを言っちゃあおしまいよ的な推測。
反響や読み直しをして。
ブログを参考材料にしているから、どうしても『ブログ』が主体になってしまって、私自身の気持ちが散漫になってしまったな〜と反省してます。
私の言いたかったことの半分は『ブログの書き方』であることは間違いじゃない。
だから、書く側の思惑も様々あることも想像できます。
ただ言いたかったことがまだ他にあるので、それを書きます。
今回は、またかなり推測で書きます。
ブログの印象と、個人的にメールでお話しさせていただいたことからです。
私は、たくさんのM女さんとリアルにお話ししたことがありませんので、的外れな推測かもしれないと承知の上で。
毎回言いますが、必ずしもその名前や関係を否定しているのではなく、それで苦しいという人に向けています。
またご自分の性癖を理解されていている方にも当てはまらないお話になると思います。
満たされている人は、よかったね〜と思ってます。
勝手に私が考えたM女区分けの話をさせてくださいね。
いわゆる『M女』と言われている人は3つに分けられると思ってます。
以前は『性癖Mと性格M』なんて言ってましたが、更に分けて^^
ひとつめは『性癖M』と以前から呼んでいるもの。
これはマゾヒストですね。
苦痛を味わいたいという性癖。
この苦痛も広範囲なので、どれとは言えないのだけど、性的な場面での被虐に快感を覚える人。
次は支配されたいという『性格M』から枝分かれした『奴隷嗜好』。
これも私なりの定義なんだけど、M側の快感も人格も無視するような扱いを『M側が』望み快感を覚えるという嗜好。
で、もうひとつも『性格M』からの『依存願望』や『従属願望』。
リードを持っていてもらうと安心する。
性的な場面やそれ以外かは付き合いの形で変わるでしょうけど、とにかく思う存分身を委ね従うことで安心する、それで快感を覚えるという嗜好。
でね、大胆な推測ですけど、マゾヒストといわれる『性癖M』の人って、それほど多くないのではないかと思ってます。
(バイブでよがる程度はマゾヒストじゃないですよね?)
それで、本当に『奴隷嗜好』を持っている人も、多くないと思っています。
(実際人格無視で快感を覚える人は希有な嗜好だと思う←『希有』は賞賛です^^私なんて『片手間』に理由がないとダメだものね)
加えて。
性癖も性格もMではない(被虐も従属も嗜好としてはない)のに、恋愛感情ゆえに『M女』や『奴隷』や『ペット』や『玩具』を受け入れている女性も多いのではないかと思ってます。
「恋人ではなく『奴隷』になれ」と言われて、それを受け入れている人。
まあ、そもそも、『そんなのいや、恋人がいい』と言えずにそれを受け入れ、関係を継続させることにすがってしまう時点で『依存 従属』の要素はありますけど。
とにかく、性的嗜好に被虐も従属もないけど、要請されてM女になったという人。
(ちょっとアブノーマルなことに興味があったりというのは誰でもありますよね。だから多少のSM的なことには対応できる、でもこれは性癖とは呼ばないよね)
『性格Mの依存嗜好』と『恋愛感情故に関係に依存していたいM嗜好のないM女さん』
乱暴ですが、これらをひつつにまとめて『依存体質』としますね。
これは、よく『私のような』と表現しています。
M女さんブログと呼ばれるものは、この『性癖M』と『奴隷嗜好』と『依存体質』の3つのどれかが当てはまる人が多いのではないでしょうか。
で、ブログを書かれているM女さんの何割かは、この『依存体質』なんじゃなかと思っているのです。
もちろん名前が付いていても関係はそれぞれで、当てはまらない人もいるはずです。
概ねの傾向としてご理解ください。
またいろんな要素が混ざって独自の嗜好が出来上がっているのですから、はっきりどれと分けられるものでもないことも理解しています。
ただ、M女の中の『依存体質』の人口比率ってあまり語られないと思うので、こうやって分けたりしてみてます。
で、この『依存体質』(が混ざって人)と世間の求めるM女や『奴隷』には隔たりが生じると思うのです。
これを『奴隷願望の矛盾』や『M女余り』などなどで、ずっと書いてきました。
奴隷願望と依存願望を混同させないでって。
M女=我慢忍耐のイメージが強いと感じるけど、恐らく3つに分けた『性癖M』と『奴隷嗜好』と『依存体質』の中でそれが当てはまり女性側が満たされるのは『奴隷嗜好』が強い人だけなんじゃないかと思う。
『依存体質』は、ただ安心して従いたいだけだ。
別に我慢の忍耐もしたくないのだもの。
だから、世の求めるM女のイメージと実際のM女さんには温度差があると思う。
男性は、ご主人様と名乗り『我慢 忍耐』のイメージ通り都合の良い女性を求め被虐を与える。
『依存体質』の女性は『依存』していたいから、とにかく受け入れる。
だからM女の快感が書けない。
なぜなら、『依存体質』は被虐の喜びも我慢の快感も求めていないし、そもそも嗜好にないのだから快感は得られないものね。
ただ『我慢と忍耐』を書けば、喜ばれるし、喜んでもらえることは依存している実感が持てる、そして、それを続ければホントにほしい『依存』を埋めてくれるかもしれないという期待。
だから書けないのではないかしら。
どんな名前を名乗り、どんなふうに書いてもかまわないのです。
だけど、本当に自分が望むものを自分で理解しなければ、欲しいものは手に入らないよね。
だから自分が求めているものを理解して、それが欲しいともがいてほしいと思ってしまう。
私がM女さんブログで感じた違和感、それを書いた『M女の快感』は、結局毎回訴えている『マゾと奴隷と依存は違うよね』ということに繋がりました^^
世間(男性)の求めるものと女性のそれとのギャップが『M女ブログ』で私が感じた疑問や違和感なんだと思うのです。
私は、マゾで依存体質だと思ってます。
こんなふうに複数絡み合っているわけですから、やっぱり自分は何かを探ってほしい。
そういった意味では、性癖Mや奴隷嗜好が強いM女さんはご自分の嗜好を理解しやすいと思うので、同じようなことが書かれていても苦しくないのでしょうと、想像します。
だから、いつものように『依存体質』の方に気づいてほしいと思ったのですね。
と、書き終わってから思ったので、今日は徒然で補足でした^^
M女さん
あなたはホントにM女?
被虐や人格無視で快感を覚えるマゾ?
我慢も忍耐もしたくないんじゃない?
ホントは、ただただ安心して支えてほしい、好きな人と心を通わせたいと思っていだけじゃない?
もしそうなら、それに早く気がついてほしいと思うのでした。
Mとしてでも、そうじゃなくても『ワクワク』するような快感を味わえますように、と思う。
いつも偏った主張とわかりにくい説明で申し訳ないです。
もうちょっと理路整然と書けたらいいのにな〜と、いつも思います^^;
追伸:
ホントはね、リードを持ってもらって安心するタイプは『犬』でも『わんこ』でも『ペット』でもなんでもよかったんだ。
だけど、その手の名前だと、どうしても『忠誠』とか『従順』とかのイメージが払拭できないから、敢えて恐ろし目の『依存体質』にしちゃいました^^
依存体質、なんか怖いもんね^^;リード安心タイプの皆さん、ごめんなさい。
だって、依存に忠誠を求めるな!!って思うんだもん。
あるとすれば、忠誠は結果だもの!!
あ、いけない、また長くなっちゃう^^;
最短ルート
独り言
那智さんと出会って2年間くらいは、よくお仕事場に会いに行っていた。
というか、それがメインの会う方法だったのだ。
ホテルに行ったりお出かけしたりということもなくはなかったけど、お休みの関係で圧倒的にお仕事場のほうが多かった。
片道1時間30分。
乗り換えをいくつか。
一緒にいられる時間は3時間ちょっと。
○時の電車の○両目の○番目の扉のこちら側から降りると、すぐ乗り換えの階段があるから、そこからダッシュして△時の△線に乗れる。
△線は△両目こちら側の扉、またダッシュして×線に乗る、乗ったら○○方面に車両移動。
そうすると那智さんの最寄り駅の改札口に一番近い。
限られた時間。
少しでも早く、少しでも長く、一緒にいたい。
いつの間にか最短ルートができていた。
それから環境が変化して。
往復4時間、ランチだけという時期があった。
いつ終わるかわからないその時期が終わり、いまが一番自由に会える環境になっている。
今日ひさしぶりに別の用事で、あのダッシュしたルートを使った。
夕方前の帰り道。
日の傾きかけの空の色、発車メロディ、最短ルートをダッシュして会いに行った帰り道にタイムスリップした感覚になった。
会えた嬉しさ、離れるせつなさ、そして、ちゃんと幸せでいなきゃと気持ちを切り替えるような深呼吸。
昨日のことのように思い出した。
いま、一番ゆっくり会える環境になれている。
ダッシュした朝やランチのための4時間の頃からしたら、とても幸せな時だ。
なんていうかな。
環境や状況は変化するものだよね。
いまが永遠に続くものではない。
もしかしたらまた何か変わるかもしれない。
そしたら、それは『たまたま』で、大きな流れの中の一時だと思おう。
寂しい気持ちを我慢せず、でも、会えることを諦めず。
それでも最初から会いやすい距離や環境だったからとても贅沢な感傷だけど。
いまの環境に感謝して、駅のホームでちょっと感傷的な夕方でした^^
那智さんと出会って2年間くらいは、よくお仕事場に会いに行っていた。
というか、それがメインの会う方法だったのだ。
ホテルに行ったりお出かけしたりということもなくはなかったけど、お休みの関係で圧倒的にお仕事場のほうが多かった。
片道1時間30分。
乗り換えをいくつか。
一緒にいられる時間は3時間ちょっと。
○時の電車の○両目の○番目の扉のこちら側から降りると、すぐ乗り換えの階段があるから、そこからダッシュして△時の△線に乗れる。
△線は△両目こちら側の扉、またダッシュして×線に乗る、乗ったら○○方面に車両移動。
そうすると那智さんの最寄り駅の改札口に一番近い。
限られた時間。
少しでも早く、少しでも長く、一緒にいたい。
いつの間にか最短ルートができていた。
それから環境が変化して。
往復4時間、ランチだけという時期があった。
いつ終わるかわからないその時期が終わり、いまが一番自由に会える環境になっている。
今日ひさしぶりに別の用事で、あのダッシュしたルートを使った。
夕方前の帰り道。
日の傾きかけの空の色、発車メロディ、最短ルートをダッシュして会いに行った帰り道にタイムスリップした感覚になった。
会えた嬉しさ、離れるせつなさ、そして、ちゃんと幸せでいなきゃと気持ちを切り替えるような深呼吸。
昨日のことのように思い出した。
いま、一番ゆっくり会える環境になれている。
ダッシュした朝やランチのための4時間の頃からしたら、とても幸せな時だ。
なんていうかな。
環境や状況は変化するものだよね。
いまが永遠に続くものではない。
もしかしたらまた何か変わるかもしれない。
そしたら、それは『たまたま』で、大きな流れの中の一時だと思おう。
寂しい気持ちを我慢せず、でも、会えることを諦めず。
それでも最初から会いやすい距離や環境だったからとても贅沢な感傷だけど。
いまの環境に感謝して、駅のホームでちょっと感傷的な夕方でした^^
徒然に『女の快感』
りん子的独り言(生意気)
『M女の快感』の更に、極端な補足^^
これはかなり極論なので、できれば半分お遊びくらいに思って読んでください。
M女さんは、本当は自分がなにを求めているか知ってほしい。
男性の求めるものと、あなたの求めるものにギャップがあるのは苦しいと思う。
『M女の快感』の違和感はそんなギャップから感じたんだと書きました。
ほんとはね、もうひとつあって。
『M女の快感』って、ほんとは『女の快感』でもあると思ってます。
世間は、これは男だけじゃなくて女もだけど、『女の快感』に理由をつけたがる。
女には性欲なんてなくて、『俺』にだけ発動する。
女が快感だけを味わうことは許されない。
だから女の快感には、我慢や『俺』などの理由がいる。
『ただ快感』では受け入れ難いようだ。
そういうずっと昔から脈々と続く意識。
で、これって、男性だけじゃなくて、女性にもある意識。
って思いません?
だからね、ほんとは我慢や忍耐や『ご主人様』要素を好しとするSM界の風潮は、実は日本社会の男女の性意識の縮図でもあると思うのです。
だから『M女の快感』の違和感は『女の快感』のそれとも言えるよねと思ってます。
女だって理由なく快感だってあるのにね。
って、この話を書くとフェミニズムみたいなことになって、これに関しては勉強不足で意見交換できそうにないので、これくらいでやめておきます^^
ちなみに、この手の極端な話は那智さんとも意見が合わない^^;
「いまどきは、そんなこともないだろ〜?」
と女性の快感の障壁を信じてくれないのだ。
もしかしたら、確かにいまどきはもっと女性も奔放になれているのかな?
じゃあ、世間(男性)の一部がM女を求めるのは失ったものへの郷愁なのかな?
だとしたら、そんな郷愁押し付けられてM女的には、お応えしかねる場合もありますよね^^
とこんなこと言ってる私ですが。
わたしは那智さんという『理由』が絶対ないとダメなの♪
あー、障壁は私の心の中にある?(笑)
『M女の快感』の更に、極端な補足^^
これはかなり極論なので、できれば半分お遊びくらいに思って読んでください。
M女さんは、本当は自分がなにを求めているか知ってほしい。
男性の求めるものと、あなたの求めるものにギャップがあるのは苦しいと思う。
『M女の快感』の違和感はそんなギャップから感じたんだと書きました。
ほんとはね、もうひとつあって。
『M女の快感』って、ほんとは『女の快感』でもあると思ってます。
世間は、これは男だけじゃなくて女もだけど、『女の快感』に理由をつけたがる。
女には性欲なんてなくて、『俺』にだけ発動する。
女が快感だけを味わうことは許されない。
だから女の快感には、我慢や『俺』などの理由がいる。
『ただ快感』では受け入れ難いようだ。
そういうずっと昔から脈々と続く意識。
で、これって、男性だけじゃなくて、女性にもある意識。
って思いません?
だからね、ほんとは我慢や忍耐や『ご主人様』要素を好しとするSM界の風潮は、実は日本社会の男女の性意識の縮図でもあると思うのです。
だから『M女の快感』の違和感は『女の快感』のそれとも言えるよねと思ってます。
女だって理由なく快感だってあるのにね。
って、この話を書くとフェミニズムみたいなことになって、これに関しては勉強不足で意見交換できそうにないので、これくらいでやめておきます^^
ちなみに、この手の極端な話は那智さんとも意見が合わない^^;
「いまどきは、そんなこともないだろ〜?」
と女性の快感の障壁を信じてくれないのだ。
もしかしたら、確かにいまどきはもっと女性も奔放になれているのかな?
じゃあ、世間(男性)の一部がM女を求めるのは失ったものへの郷愁なのかな?
だとしたら、そんな郷愁押し付けられてM女的には、お応えしかねる場合もありますよね^^
とこんなこと言ってる私ですが。
わたしは那智さんという『理由』が絶対ないとダメなの♪
あー、障壁は私の心の中にある?(笑)