逆転現象
独特な幸福感
自分に浣腸をさせて、尊敬も恋情も損なうことなく恥ずかしいと思わせる。
そういう関係を那智さんは作っている。
自分の思ったように私や私との関係を作っていく。
それが彼の独占欲で、この『浣腸事件(?)』もそのひとつの表れだと書いた。
(『浣腸の正当化(笑)』)
一方の私は『わたし』という欲望が強い。(『わたしとお知らせ』)
『わたし』をかまって。
『わたし』で感じて。
『わたし』をあなたでいっぱいにして。
この『わたし』というのは被独占欲だと思ってる。
独占されたい欲。
うまく説明できないのだけど、これは『独占欲』とは違うもののように思う。
那智さんに私だけを見ていてほしいという気持ちはあるけど、独り占めしたいというのとは違うのだ。
どうぞ自由になさってください。
行きたいところに行き、誰かを抱きたければお好きなように。
それによって悲しくなったとしたらその責任は取っていただきますけど^^でも私はあなたを独占するつもりはない。
だって、そもそも独り占めしたいという気持ちから関係を作るということは、独り占めした物を背負わないといけないよね。
性的な部分だけでも、日常を含めても、独り占めする範囲が広ければ広いほど背負う量は増えるはずだ。
それって、けっこうな面倒を背負い込むことだと思うのだ。
私は自分が依存していたい人間なのだもの、誰かを背負い込むなんて嗜好ない。
独占した後の状態を思い描けて、それさえも満足に繋がる人が『独占欲』の強い人というのではないかしら。
だから那智さんは『独占欲』。
『わたし』をあなたでいっぱいにして。
『わたし』の好きをぜーんぶ受け止めて。
こう思う私は被独占欲。
なんとなく違いがありますよね。
那智さんは私を変える、私にどんどん浸食してくる、那智さんから離れられない私を作る。
一日の多くの時間を那智さんのことを思って過ごし、一服タイムの着信音鳴れば携帯まで駆けていく。
何か問題が起きたら『那智さんならどう考えるか』と考え。
最近は『どう考えるか』が染み付いていちいち立ち止まらなくても行動できる回数も増えてる、と思う^^;
ちょっと気合いを入れるとき、薬指の刺青にくちびるを押し当て。
那智さんがくれる快感が私の快感で。
那智さんはくれる安心が私の安心で。
これがあればあるほど、それ以外の場面で私はとても生きやすくなっているのだ。(これはとても大事なこと)
この感覚。
しっかりと自分を持てている人には理解し難い感覚かもしれない。
人から影響され変えられるということは、きっとある意味『癪に障る』ことだと思う。
勝手に私を変えるなと腹立たしい気持ちになるのではないかと思うので、理解し難いかと思うのです。
私自身も『ほんとにそれでいいの?』とよくブレーキを踏む。
このブレーキと『被独占欲』の乖離現象は、ちょっと苦しいけどね。
ただ、こういう感覚は実際存在していまして^^;
メキメキと骨格を変えられるような感覚。
波に足をすくわれるような浸食。
そして那智さんから離れられないと実感するたび、少し恐ろしい反面、被独占欲は幸せを感じているのです。
もちろん誰でもいいわけじゃない、私を幸せにしてくれる人に独占されたい。(ここ重要です〜)
『繋いだ手』というエントリーで山本文緒さんの『恋愛中毒』一節を載せたけど、強く他人の手を握りしめてしまう私に、力加減を教え、時には安心して思い切り握りしめさせてくれる、そんな存在にどっぷりと独占されたい。
40年間生きてきていまの私を作るものは膨大な他者からの影響だから、那智さんだけが私を作るなんていうのは、おこがましくて言えないけど、それでも私は『独占されて幸福』なのだ。
この欲望が『被独占欲』だと思うのです。
ところで那智さんはものすごく『釣った魚にエサをやる』人だ(笑)
それは独占欲の強さからだろうとも思える。
那智さんの独占欲は『那智さんでりん子を作りたい』『那智さんがいないと生きていかれない』というような状態にすること。
だから束縛したり行動制限したりはしないのね。
その代わり、私を変える。
いままでできなかったことができるようになる様子を見るのは、恐らく那智さんの『独占欲』を満足させていると思う。
(『独占欲』『徒然に「独占欲」のこと』)
けれどこれは那智さん自身も言っていたのだけど。
100%独占したと実感できても、一度経験すればもうそれは100%ではなくなるらしい。
今度はいままで120%だと思っていたものが80%くらいになるのだ。
だから一瞬の満足の後は、常に『もっと』の状態になるのだそうだ。
那智さんは独占欲は満たすためにエサをやり続けないといけないのだ。
独占欲のゴールは延々と進化するらしい。
と最近やっと想像できるようになったけど『退路を断つ』と言った付き合いはじめの頃からずっと那智さんは埋まらない独占欲に、少し苦しむ感覚を持っていたそうだ。
だからこそ『退路を断つ』と決めたらしい。
私ったら、今頃やっと気づいてる^^;
那智さんの独占欲のゴールが進化すればするほど、私の被独占欲も進化する。
きっと、ふたりの求めてやまないものが『独占すると独占される』なのだろう。
だから私はもっと『わたし』を独占してと思い。
那智さんは独占できたと思っても、次の瞬間からまた枯渇するように独占したくなる。
だから釣った魚にエサをやり続ける。
『もっと』と独占する那智さん。
ふと。
ねぇ那智さん、那智さんたら私を独占することで、私に独占されていません?
あなたは自由なはずのに、もっと独占したいと思うあまり『余裕』の部分は多分『わたし』でかなりいっぱいじゃないでしょうか^^
独占欲と被独占欲の組み合わせは、こんなふうに表裏一体なんじゃないかしら。
これは『独占欲』のコメントにも登場した『逆独占』状態^^
図らずも、私は那智さんを独占してしまっているとも言えなくもない?
サディストの加虐嗜好でも、奴隷を持ちたいという支配欲とも違うこの独占欲は、独占しているほうが独占されているという逆転現象が起こるらしいのだ^^
(SとMもご主人様と奴隷も、こういう逆転現象はあるのかな?)
そんなふうに思うと、この組み合わせはやっぱりとっても濃密。
本当に求めてやまないものは、底が見えないもののようです。
いや、なんだかお昼のドラマみたいにドロドロになっちゃってるけど、あくまでも心の中のお話しでして、基本的にふたりとも極めて普通の常識人のつもりです、多分^^;
自分に浣腸をさせて、尊敬も恋情も損なうことなく恥ずかしいと思わせる。
そういう関係を那智さんは作っている。
自分の思ったように私や私との関係を作っていく。
それが彼の独占欲で、この『浣腸事件(?)』もそのひとつの表れだと書いた。
(『浣腸の正当化(笑)』)
一方の私は『わたし』という欲望が強い。(『わたしとお知らせ』)
『わたし』をかまって。
『わたし』で感じて。
『わたし』をあなたでいっぱいにして。
この『わたし』というのは被独占欲だと思ってる。
独占されたい欲。
うまく説明できないのだけど、これは『独占欲』とは違うもののように思う。
那智さんに私だけを見ていてほしいという気持ちはあるけど、独り占めしたいというのとは違うのだ。
どうぞ自由になさってください。
行きたいところに行き、誰かを抱きたければお好きなように。
それによって悲しくなったとしたらその責任は取っていただきますけど^^でも私はあなたを独占するつもりはない。
だって、そもそも独り占めしたいという気持ちから関係を作るということは、独り占めした物を背負わないといけないよね。
性的な部分だけでも、日常を含めても、独り占めする範囲が広ければ広いほど背負う量は増えるはずだ。
それって、けっこうな面倒を背負い込むことだと思うのだ。
私は自分が依存していたい人間なのだもの、誰かを背負い込むなんて嗜好ない。
独占した後の状態を思い描けて、それさえも満足に繋がる人が『独占欲』の強い人というのではないかしら。
だから那智さんは『独占欲』。
『わたし』をあなたでいっぱいにして。
『わたし』の好きをぜーんぶ受け止めて。
こう思う私は被独占欲。
なんとなく違いがありますよね。
那智さんは私を変える、私にどんどん浸食してくる、那智さんから離れられない私を作る。
一日の多くの時間を那智さんのことを思って過ごし、一服タイムの着信音鳴れば携帯まで駆けていく。
何か問題が起きたら『那智さんならどう考えるか』と考え。
最近は『どう考えるか』が染み付いていちいち立ち止まらなくても行動できる回数も増えてる、と思う^^;
ちょっと気合いを入れるとき、薬指の刺青にくちびるを押し当て。
那智さんがくれる快感が私の快感で。
那智さんはくれる安心が私の安心で。
これがあればあるほど、それ以外の場面で私はとても生きやすくなっているのだ。(これはとても大事なこと)
この感覚。
しっかりと自分を持てている人には理解し難い感覚かもしれない。
人から影響され変えられるということは、きっとある意味『癪に障る』ことだと思う。
勝手に私を変えるなと腹立たしい気持ちになるのではないかと思うので、理解し難いかと思うのです。
私自身も『ほんとにそれでいいの?』とよくブレーキを踏む。
このブレーキと『被独占欲』の乖離現象は、ちょっと苦しいけどね。
ただ、こういう感覚は実際存在していまして^^;
メキメキと骨格を変えられるような感覚。
波に足をすくわれるような浸食。
そして那智さんから離れられないと実感するたび、少し恐ろしい反面、被独占欲は幸せを感じているのです。
もちろん誰でもいいわけじゃない、私を幸せにしてくれる人に独占されたい。(ここ重要です〜)
『繋いだ手』というエントリーで山本文緒さんの『恋愛中毒』一節を載せたけど、強く他人の手を握りしめてしまう私に、力加減を教え、時には安心して思い切り握りしめさせてくれる、そんな存在にどっぷりと独占されたい。
40年間生きてきていまの私を作るものは膨大な他者からの影響だから、那智さんだけが私を作るなんていうのは、おこがましくて言えないけど、それでも私は『独占されて幸福』なのだ。
この欲望が『被独占欲』だと思うのです。
ところで那智さんはものすごく『釣った魚にエサをやる』人だ(笑)
それは独占欲の強さからだろうとも思える。
那智さんの独占欲は『那智さんでりん子を作りたい』『那智さんがいないと生きていかれない』というような状態にすること。
だから束縛したり行動制限したりはしないのね。
その代わり、私を変える。
いままでできなかったことができるようになる様子を見るのは、恐らく那智さんの『独占欲』を満足させていると思う。
(『独占欲』『徒然に「独占欲」のこと』)
けれどこれは那智さん自身も言っていたのだけど。
100%独占したと実感できても、一度経験すればもうそれは100%ではなくなるらしい。
今度はいままで120%だと思っていたものが80%くらいになるのだ。
だから一瞬の満足の後は、常に『もっと』の状態になるのだそうだ。
那智さんは独占欲は満たすためにエサをやり続けないといけないのだ。
独占欲のゴールは延々と進化するらしい。
と最近やっと想像できるようになったけど『退路を断つ』と言った付き合いはじめの頃からずっと那智さんは埋まらない独占欲に、少し苦しむ感覚を持っていたそうだ。
だからこそ『退路を断つ』と決めたらしい。
私ったら、今頃やっと気づいてる^^;
那智さんの独占欲のゴールが進化すればするほど、私の被独占欲も進化する。
きっと、ふたりの求めてやまないものが『独占すると独占される』なのだろう。
だから私はもっと『わたし』を独占してと思い。
那智さんは独占できたと思っても、次の瞬間からまた枯渇するように独占したくなる。
だから釣った魚にエサをやり続ける。
『もっと』と独占する那智さん。
ふと。
ねぇ那智さん、那智さんたら私を独占することで、私に独占されていません?
あなたは自由なはずのに、もっと独占したいと思うあまり『余裕』の部分は多分『わたし』でかなりいっぱいじゃないでしょうか^^
独占欲と被独占欲の組み合わせは、こんなふうに表裏一体なんじゃないかしら。
これは『独占欲』のコメントにも登場した『逆独占』状態^^
図らずも、私は那智さんを独占してしまっているとも言えなくもない?
サディストの加虐嗜好でも、奴隷を持ちたいという支配欲とも違うこの独占欲は、独占しているほうが独占されているという逆転現象が起こるらしいのだ^^
(SとMもご主人様と奴隷も、こういう逆転現象はあるのかな?)
そんなふうに思うと、この組み合わせはやっぱりとっても濃密。
本当に求めてやまないものは、底が見えないもののようです。
いや、なんだかお昼のドラマみたいにドロドロになっちゃってるけど、あくまでも心の中のお話しでして、基本的にふたりとも極めて普通の常識人のつもりです、多分^^;
理性、邪魔‼
非日常的な日常
『緊箍呪』洗濯バサミ。
乳首とラビアにつけたら、その部分ではなく頭が割れるように痛くなりパニックになってしまった。
それなのにびしょびしょに濡れるし、後からすこーし焦がれたりしていた。
しかも『乳首の痛みは気が散ってしまった』だなんて、遠回しの催促のようなことまでしてしまった。
いままでも痛いことでいろんな感覚になっていた。
痛いことで壊れたり。
痛いことで笑ったり。
痛くされることで気持ちよかったり。
痛いことが、よかったり。
でも痴人状態で呂律が回らなくても高笑いしても、那智さんに荷物を預けたとしても、どこかでまだ理性はある。(『荷物を預けるということ』)
おかしな私を理性が幽体離脱したように見ている。
その理性が、興奮したりブレーキをかけたりしているんだ。(ブレーキはりん子女史て名前『濃い3』)
理性が興奮してしまう状態もかなりの快感ではあるけれど、その俯瞰しているわずかな理性が吹き飛んじゃうようになるのは滅多になくて、いままで記憶にあるのは『ショウウィンドウと鞭と洗濯バサミ』のとき。
あまり『頭が真っ白になる』という表現を使いたくないのだけど、この時は短い時間だったけどそうなったんだ。
恐らく、僅かな理性も吹き飛ぶと真っ白になるとのだろう。
で、滅多にないそれはまだ焦がれるというほど自分の感覚としては身に付いていない、かな。
『緊箍呪』の次のデート。
あんなこと書いたから、またあの洗濯バサミをするだろうか。
それとも那智さんのことだから、わざとしない?
仰向けになる私の頭の上でゴソゴソ。
あの洗濯バサミだ。
ああ、焦がれてるなんて書いたことを後悔する。
あの頭を締め付けられるような苦痛をまた味わうのか。
伸びた手は、乳首へ。
左、右。
それだけ。
那智さん、意地悪。
気が散るとダメだししていた乳首にだけ付けた。
ああ、意地悪。
あの緊箍の苦痛を分散させるほどの痛さは幻じゃなかったんだ。
付けた瞬間から激痛が走る。
どれだけ耐えられるのか自信がない。
那智さんはそのままセックスをした。
ラビアに付けられたときはクリトリスを刺激されても無感触だったけど、乳首だけだと違った。
痛い、痛い、痛い。
そのうち、ぐわ〜っとおまんこが気持ちいい。
また、痛い、痛い、痛い。
しばらくして気持ちいい。
を繰り返すのだ。
気持ちいい瞬間は『痛さ』を感じない。
そしてその気持ちいいは、いろんなことをひっくるめての気持ちいいのようで、膨れ上がるような快感になる。
それが気持ち良くて、痛いことから、それに変換させたくて、もっともっとと腰を振りおまんこを那智さんに押し付けてしまっているのがわかる。
わかっていてもやめられないのだ。
また、わずかな理性が、そのいやらしい私を見て興奮する。
自分の動きで洗濯バサミが揺れて、苦痛が増しているはずなのに、それがわからなくなってくる。
理性、風前の灯火。
洗濯バサミが外された。
外すときの痛みで、また少し覚醒してしまう。
ホッとするようなもったいないような。
そのまま少し抱いて、もうただ抱かれるだけなんだろうと気が緩んだとき。
いきなり両手で思い切り乳首を潰してきた。
ぎやああああああああああああああ
思考の前に絶叫。
あまりの激痛に、絶叫しないと耐えられないのだ。
理性。
いまの絶叫は悶え声なんてレベルじゃない。
どんなにセックスで大きな喘ぎ声を出しても(うう、大きいらしいです^^;)、それは喘ぎ声だ。
鞭でも大声を出すけど、それは瞬間の積み重ね。
いまの絶叫とこの後も続くであろう絶叫は、セックスの域を越えているのではないか。
隣の部屋の客が、ホテルの従業員が、何か『犯罪』でも連想してしまうんじゃないか。
そんなレベルの絶叫に感じた。
自分の叫び声に自分が驚いて、怯んで、これ以上この声は出さないほうがいい、ということはこれ以上この苦痛には耐えられないと咄嗟に判断してしまった。
その間、きっと1秒あるかないか。
「痛すぎます!!」
さっと手は離された。
ああ、理性、邪魔。
かくして、真っ白は味わえずじまい。
後で聞いたら『あれくらいの絶叫はしょっちゅう』なんだそうだ。
まったく。
その判断を私が下しちゃいけないんだ。
そこは那智さんに委ねないといけない。
隣の部屋のカップルがどう思うか。
従業員が驚くか。
なんてことは那智さんに判断を任せないといけないのだ。
私はただ『続けたいか続けられないか』を思考ではなく体で考えればいいのだよね。
これがけっこう難しい^^;
理性の壁はなかなか私を真っ白にしてくれない。
『緊箍呪』洗濯バサミ。
乳首とラビアにつけたら、その部分ではなく頭が割れるように痛くなりパニックになってしまった。
それなのにびしょびしょに濡れるし、後からすこーし焦がれたりしていた。
しかも『乳首の痛みは気が散ってしまった』だなんて、遠回しの催促のようなことまでしてしまった。
いままでも痛いことでいろんな感覚になっていた。
痛いことで壊れたり。
痛いことで笑ったり。
痛くされることで気持ちよかったり。
痛いことが、よかったり。
でも痴人状態で呂律が回らなくても高笑いしても、那智さんに荷物を預けたとしても、どこかでまだ理性はある。(『荷物を預けるということ』)
おかしな私を理性が幽体離脱したように見ている。
その理性が、興奮したりブレーキをかけたりしているんだ。(ブレーキはりん子女史て名前『濃い3』)
理性が興奮してしまう状態もかなりの快感ではあるけれど、その俯瞰しているわずかな理性が吹き飛んじゃうようになるのは滅多になくて、いままで記憶にあるのは『ショウウィンドウと鞭と洗濯バサミ』のとき。
あまり『頭が真っ白になる』という表現を使いたくないのだけど、この時は短い時間だったけどそうなったんだ。
恐らく、僅かな理性も吹き飛ぶと真っ白になるとのだろう。
で、滅多にないそれはまだ焦がれるというほど自分の感覚としては身に付いていない、かな。
『緊箍呪』の次のデート。
あんなこと書いたから、またあの洗濯バサミをするだろうか。
それとも那智さんのことだから、わざとしない?
仰向けになる私の頭の上でゴソゴソ。
あの洗濯バサミだ。
ああ、焦がれてるなんて書いたことを後悔する。
あの頭を締め付けられるような苦痛をまた味わうのか。
伸びた手は、乳首へ。
左、右。
それだけ。
那智さん、意地悪。
気が散るとダメだししていた乳首にだけ付けた。
ああ、意地悪。
あの緊箍の苦痛を分散させるほどの痛さは幻じゃなかったんだ。
付けた瞬間から激痛が走る。
どれだけ耐えられるのか自信がない。
那智さんはそのままセックスをした。
ラビアに付けられたときはクリトリスを刺激されても無感触だったけど、乳首だけだと違った。
痛い、痛い、痛い。
そのうち、ぐわ〜っとおまんこが気持ちいい。
また、痛い、痛い、痛い。
しばらくして気持ちいい。
を繰り返すのだ。
気持ちいい瞬間は『痛さ』を感じない。
そしてその気持ちいいは、いろんなことをひっくるめての気持ちいいのようで、膨れ上がるような快感になる。
それが気持ち良くて、痛いことから、それに変換させたくて、もっともっとと腰を振りおまんこを那智さんに押し付けてしまっているのがわかる。
わかっていてもやめられないのだ。
また、わずかな理性が、そのいやらしい私を見て興奮する。
自分の動きで洗濯バサミが揺れて、苦痛が増しているはずなのに、それがわからなくなってくる。
理性、風前の灯火。
洗濯バサミが外された。
外すときの痛みで、また少し覚醒してしまう。
ホッとするようなもったいないような。
そのまま少し抱いて、もうただ抱かれるだけなんだろうと気が緩んだとき。
いきなり両手で思い切り乳首を潰してきた。
ぎやああああああああああああああ
思考の前に絶叫。
あまりの激痛に、絶叫しないと耐えられないのだ。
理性。
いまの絶叫は悶え声なんてレベルじゃない。
どんなにセックスで大きな喘ぎ声を出しても(うう、大きいらしいです^^;)、それは喘ぎ声だ。
鞭でも大声を出すけど、それは瞬間の積み重ね。
いまの絶叫とこの後も続くであろう絶叫は、セックスの域を越えているのではないか。
隣の部屋の客が、ホテルの従業員が、何か『犯罪』でも連想してしまうんじゃないか。
そんなレベルの絶叫に感じた。
自分の叫び声に自分が驚いて、怯んで、これ以上この声は出さないほうがいい、ということはこれ以上この苦痛には耐えられないと咄嗟に判断してしまった。
その間、きっと1秒あるかないか。
「痛すぎます!!」
さっと手は離された。
ああ、理性、邪魔。
かくして、真っ白は味わえずじまい。
後で聞いたら『あれくらいの絶叫はしょっちゅう』なんだそうだ。
まったく。
その判断を私が下しちゃいけないんだ。
そこは那智さんに委ねないといけない。
隣の部屋のカップルがどう思うか。
従業員が驚くか。
なんてことは那智さんに判断を任せないといけないのだ。
私はただ『続けたいか続けられないか』を思考ではなく体で考えればいいのだよね。
これがけっこう難しい^^;
理性の壁はなかなか私を真っ白にしてくれない。
M女の快感
りん子的独り言(生意気)
M女さんブログを読んでいて疑問を覚えることがある。
今日はその疑問と、それから想像することを書きます。
普段は私の経験に基づいてかなり断定的に書いてるけど、これは未経験のことだから疑問と想像だけで書かせていただきます。
そして、そういう傾向が見られる?と思うことなので、特定のケースがあるわけではありません。
もちろんそうじゃないケースもたくさんあるはずです。
またいつものように、それで満たされている方は、例えその傾向があったとしてもそれは当てはまりません。
私の疑問とは違うと思ってください。
もし、それで苦しんでいるなら、そして同じように疑問を感じているなら、一緒にその疑問に思いを巡らせてほしいなと思います。
M女さんといっても特に主従といわれる関係に多く見られると思うのですが。
例えば。
ご主人様にオナニーを命令されて、恥ずかしくて仕方がないけど『我慢』してオナニーを始めると、ご主人様の目線や声でめくるめく快感が訪れる。
それとか、鞭も怖くて痛いけどご主人様がくださる痛みだから『耐え』ていると、最後にはその痛みが喜びに変わったり、最後に褒めてもらうことで喜びに繋がったりして、また鞭をほしいと思う。
こういう話を目にすると思う。
なぜ、M女の喜びは『忍耐』や『我慢』の上でばかり成り立つのだろう。
なぜ、その我慢はご主人様のための『我慢』なの?
なぜ『忍耐・我慢』→『ご主人様』→『快感』という流れがとても多いのだろう。
マゾは被虐嗜好だ。
『肉体的、精神的苦痛』を望む。
だから『忍耐』や『我慢』はつきものだとは思うのだけど。
でもそれって快感に繋がる『我慢』なんだから、我慢であって我慢じゃないよね。
私なんて鞭を取り出されると、怖くて怖くて仕方がいないけれど『ワクワク』している。
それは自分のための『我慢』だからだ。
なぜ、この『自分のための我慢(ワクワク)』を書いている人があまりいないのだろう。
この『ワクワク』は、もちろん那智さんがしてくれることは大大大前提ですけどね^^
純粋に、快感を期待する『ワクワク』でもあるんだ。
前者は『ご主人様がくださるという喜び』的に表現されている場合もあるけど、後者の『ワクワク』に関しては、かなり少ないと思う。
こんなふうに『喜び』に至るプロセスが『我慢』や『忍耐』に『ご主人様』が加味されているパターンが多いと思う。
えっと、だから、それがいけないと言っているのではなくてね。
それは本当のことなのかな?と思うのです。
本当に『我慢→ご主人様→快感』だけなの?
だって、怖いことでもいずれ快感や喜びに繋がることは経験しているのだから、純粋にそれに対する『ワクワク(自分のための我慢)』はない?
ほんの僅かでもない?
あるなら、なぜ書かない?
で、なんでだろうと想像していくつか仮定してみました。
一番考えられるのは、他者からの圧力。
M女の快感は『我慢→ご主人様』の上に成り立つという風潮の圧力。
『我慢→ご主人様』の上で成り立つと書いたほうが、ご主人様にも周りにも褒められるから?
自分優先の快感を書くと『わがまま』と叩かれるから?
(この場合の『賞賛』もある意味、圧力だよね)
でも、それは少しわかるんだ。
だって人は褒められたいものね。
私だって、那智さんに楽しんでもらいたいから『りん子フィルター』駆使していっぱいノロケているしね。
(M女さん的賞賛は得られませんが^^)
これはなんとなく想像できる仮定。
じゃあ、他者からの圧力じゃなくて『ワクワク』を書かない人がいるとしたら?
『ワクワク』のない『我慢→ご主人様→快感』だけという回路だということになるよね。
だとしたら、別のことを想像する。
ひとつは。
毎回毎回、快感の記憶を忘れるほどの苦痛を強いられているということ。
どんなに怖くても痛くても、快感の記憶の積み重ねがあるから『ワクワク』するわけで、それさえも思い出せないくらいの苦痛を、その都度上乗せしているのであればただの『我慢』は想像できる。
だけどそんなに苦痛の上乗せって毎回できるものなのかな。(体壊れちゃう^^;)
もうひとつ。
実は、それほど『我慢』も『快感』もないのではないかという考え。
だって『ワクワク』もせず、快感に繋がるように『我慢』ができるのならば、それはさほどの『我慢』じゃないとも考えられません?
そもそも『ワクワク』が存在していないのであれば、『ワクワク』するような『快感』をずっと得られていないのではないかとさえ思ってしまう。
ブログを続けるのに。
『書きたいこと』と『耳障り良く』のバランスがあって、私の場合は『書きたいこと』に比重がないと長くは続けられないなぁと思うのだ。
できるだけ素直な気持ちを書きたい。
それは那智さんとの関係を事実として記録したいから。
だから『ワクワク』も書く。
だから前エントリーのように『失敗』も書く^^(『理性、邪魔!!』)
それが『書きたいこと』だから。
じゃあ、なぜM女の快感が『我慢→ご主人様→快感』で語られるところが多いのだろうと、疑問に思うのです。
『ワクワク』が書かれていないところがあるならば。
理由はわからなけど、自分の意志で『ワクワク』は書きたくないのか。
M女の快感は『ご主人様のための我慢や忍耐』の上で成り立つという風潮の圧力なのか。
それとも、そもそも実は『我慢』も『快感』も存在していないのか、故に『ワクワク』もないの?
いつもの強引な極論を思いついてしまったです。
でもこれに関してはブログとして当事者の経験がないので、疑問のままなのです。(勝手な想像してごめんなさい)
ただブログという形では未経験だけど、那智さんに出会う前の相手のときには、やはり『我慢→ご主人様→喜び』回路じゃないといけないと思い込んでいたし。
そもそも『我慢』も『快感』も、している気になっていただけだった。
だから大して『ワクワク』もしてなかったしね^^;
で、もっというと。
この『薬指の刺青』を書きはじめた当初は『我慢→ご主人様→喜び』回路っぽかったと思う。(一所懸命『ご主人様』呼ばわりしてたし^^;)
那智さんと付き合ってしばらくしても、ブログで発信してみるとその染み込んだ回路が出ちゃってたのだよね。
だからブログという形では未経験だけどなんとなく想像できるかなと、極論してしまいました。
ひとつmineさんの『ブログにて』で、ヒントが書いてあった。(こんなエントリーにお名前出しちゃってごめんなさい)
確かに奴隷さんが書き上げたエントリーをまずご主人様のチェックを受けたあとアップする。とか
ご主人様が奴隷さんの了解を得ずに勝手にエントリーを改竄する。とか
意にそぐわないエントリーを削除させる。という話を何度か見かけた。
これには、ちょっと驚いてしまった^^;
チェックは想像できても改竄や削除もあるの?
これが本当なら『我慢→ご主人様→快感』にしかならないのもわからなでもないです。
でも私はそれでは続けられない。
一度でも那智さんに手直しされたら、そこから先一文字も書く気が湧かないと思う^^;
文章の上手い下手ではなくて、少なくとも私は血の通った言葉は書けないな。
なんとなく似たような言葉をM女さんブログで目にすると、本当はどうなんだろうって疑問に思う。
M女だって。
『我慢』の上に成り立つ快感以外の快感を味わったっていいし。
『ワクワク』するような快感を欲してもいいのにね。
そして、それを書いたっていいのにね。
誰がどんなふうに書こうと自由だ。
だから、それで満たされていればかまわないのです。
でも他者からの圧力だったり、ないものをあると書いたり、あるものをないと書いたり、でブログという形で発信し続けるのは大変だろうなと考えてしまった。
M女さんブログを読んでいて疑問を覚えることがある。
今日はその疑問と、それから想像することを書きます。
普段は私の経験に基づいてかなり断定的に書いてるけど、これは未経験のことだから疑問と想像だけで書かせていただきます。
そして、そういう傾向が見られる?と思うことなので、特定のケースがあるわけではありません。
もちろんそうじゃないケースもたくさんあるはずです。
またいつものように、それで満たされている方は、例えその傾向があったとしてもそれは当てはまりません。
私の疑問とは違うと思ってください。
もし、それで苦しんでいるなら、そして同じように疑問を感じているなら、一緒にその疑問に思いを巡らせてほしいなと思います。
M女さんといっても特に主従といわれる関係に多く見られると思うのですが。
例えば。
ご主人様にオナニーを命令されて、恥ずかしくて仕方がないけど『我慢』してオナニーを始めると、ご主人様の目線や声でめくるめく快感が訪れる。
それとか、鞭も怖くて痛いけどご主人様がくださる痛みだから『耐え』ていると、最後にはその痛みが喜びに変わったり、最後に褒めてもらうことで喜びに繋がったりして、また鞭をほしいと思う。
こういう話を目にすると思う。
なぜ、M女の喜びは『忍耐』や『我慢』の上でばかり成り立つのだろう。
なぜ、その我慢はご主人様のための『我慢』なの?
なぜ『忍耐・我慢』→『ご主人様』→『快感』という流れがとても多いのだろう。
マゾは被虐嗜好だ。
『肉体的、精神的苦痛』を望む。
だから『忍耐』や『我慢』はつきものだとは思うのだけど。
でもそれって快感に繋がる『我慢』なんだから、我慢であって我慢じゃないよね。
私なんて鞭を取り出されると、怖くて怖くて仕方がいないけれど『ワクワク』している。
それは自分のための『我慢』だからだ。
なぜ、この『自分のための我慢(ワクワク)』を書いている人があまりいないのだろう。
この『ワクワク』は、もちろん那智さんがしてくれることは大大大前提ですけどね^^
純粋に、快感を期待する『ワクワク』でもあるんだ。
前者は『ご主人様がくださるという喜び』的に表現されている場合もあるけど、後者の『ワクワク』に関しては、かなり少ないと思う。
こんなふうに『喜び』に至るプロセスが『我慢』や『忍耐』に『ご主人様』が加味されているパターンが多いと思う。
えっと、だから、それがいけないと言っているのではなくてね。
それは本当のことなのかな?と思うのです。
本当に『我慢→ご主人様→快感』だけなの?
だって、怖いことでもいずれ快感や喜びに繋がることは経験しているのだから、純粋にそれに対する『ワクワク(自分のための我慢)』はない?
ほんの僅かでもない?
あるなら、なぜ書かない?
で、なんでだろうと想像していくつか仮定してみました。
一番考えられるのは、他者からの圧力。
M女の快感は『我慢→ご主人様』の上に成り立つという風潮の圧力。
『我慢→ご主人様』の上で成り立つと書いたほうが、ご主人様にも周りにも褒められるから?
自分優先の快感を書くと『わがまま』と叩かれるから?
(この場合の『賞賛』もある意味、圧力だよね)
でも、それは少しわかるんだ。
だって人は褒められたいものね。
私だって、那智さんに楽しんでもらいたいから『りん子フィルター』駆使していっぱいノロケているしね。
(M女さん的賞賛は得られませんが^^)
これはなんとなく想像できる仮定。
じゃあ、他者からの圧力じゃなくて『ワクワク』を書かない人がいるとしたら?
『ワクワク』のない『我慢→ご主人様→快感』だけという回路だということになるよね。
だとしたら、別のことを想像する。
ひとつは。
毎回毎回、快感の記憶を忘れるほどの苦痛を強いられているということ。
どんなに怖くても痛くても、快感の記憶の積み重ねがあるから『ワクワク』するわけで、それさえも思い出せないくらいの苦痛を、その都度上乗せしているのであればただの『我慢』は想像できる。
だけどそんなに苦痛の上乗せって毎回できるものなのかな。(体壊れちゃう^^;)
もうひとつ。
実は、それほど『我慢』も『快感』もないのではないかという考え。
だって『ワクワク』もせず、快感に繋がるように『我慢』ができるのならば、それはさほどの『我慢』じゃないとも考えられません?
そもそも『ワクワク』が存在していないのであれば、『ワクワク』するような『快感』をずっと得られていないのではないかとさえ思ってしまう。
ブログを続けるのに。
『書きたいこと』と『耳障り良く』のバランスがあって、私の場合は『書きたいこと』に比重がないと長くは続けられないなぁと思うのだ。
できるだけ素直な気持ちを書きたい。
それは那智さんとの関係を事実として記録したいから。
だから『ワクワク』も書く。
だから前エントリーのように『失敗』も書く^^(『理性、邪魔!!』)
それが『書きたいこと』だから。
じゃあ、なぜM女の快感が『我慢→ご主人様→快感』で語られるところが多いのだろうと、疑問に思うのです。
『ワクワク』が書かれていないところがあるならば。
理由はわからなけど、自分の意志で『ワクワク』は書きたくないのか。
M女の快感は『ご主人様のための我慢や忍耐』の上で成り立つという風潮の圧力なのか。
それとも、そもそも実は『我慢』も『快感』も存在していないのか、故に『ワクワク』もないの?
いつもの強引な極論を思いついてしまったです。
でもこれに関してはブログとして当事者の経験がないので、疑問のままなのです。(勝手な想像してごめんなさい)
ただブログという形では未経験だけど、那智さんに出会う前の相手のときには、やはり『我慢→ご主人様→喜び』回路じゃないといけないと思い込んでいたし。
そもそも『我慢』も『快感』も、している気になっていただけだった。
だから大して『ワクワク』もしてなかったしね^^;
で、もっというと。
この『薬指の刺青』を書きはじめた当初は『我慢→ご主人様→喜び』回路っぽかったと思う。(一所懸命『ご主人様』呼ばわりしてたし^^;)
那智さんと付き合ってしばらくしても、ブログで発信してみるとその染み込んだ回路が出ちゃってたのだよね。
だからブログという形では未経験だけどなんとなく想像できるかなと、極論してしまいました。
ひとつmineさんの『ブログにて』で、ヒントが書いてあった。(こんなエントリーにお名前出しちゃってごめんなさい)
確かに奴隷さんが書き上げたエントリーをまずご主人様のチェックを受けたあとアップする。とか
ご主人様が奴隷さんの了解を得ずに勝手にエントリーを改竄する。とか
意にそぐわないエントリーを削除させる。という話を何度か見かけた。
これには、ちょっと驚いてしまった^^;
チェックは想像できても改竄や削除もあるの?
これが本当なら『我慢→ご主人様→快感』にしかならないのもわからなでもないです。
でも私はそれでは続けられない。
一度でも那智さんに手直しされたら、そこから先一文字も書く気が湧かないと思う^^;
文章の上手い下手ではなくて、少なくとも私は血の通った言葉は書けないな。
なんとなく似たような言葉をM女さんブログで目にすると、本当はどうなんだろうって疑問に思う。
M女だって。
『我慢』の上に成り立つ快感以外の快感を味わったっていいし。
『ワクワク』するような快感を欲してもいいのにね。
そして、それを書いたっていいのにね。
誰がどんなふうに書こうと自由だ。
だから、それで満たされていればかまわないのです。
でも他者からの圧力だったり、ないものをあると書いたり、あるものをないと書いたり、でブログという形で発信し続けるのは大変だろうなと考えてしまった。
冷蔵庫の大掃除
独り言
かなり行き当たりばったりで書いているので、書きたいことがあるときは『ダダーーーッ』と書き貯めできるのだけど、ネタに困るなぁというときもある。
ネタがないというよりも『調理できない』というほうが正しいかもしれない。
例えば。
人参とタマネギとお肉はあるけど何を作ろうかな〜。
おお、じゃがいもも手に入った!!
じゃあ、カレー?肉じゃが?
カレーにしても先にタマネギだけ炒める?それとも手抜きですぐ煮込む?
こんなふうに、ネタはあるんだけどそれをどう調理するかが決まらない状態。
逆に、カレーは決まっているのだけど、キーマにしようかシーフードにしようか迷ったり、ルーがないから手に入るの待ってたりということもある。
ただそれを上手に保管する能力がないので、いざ調理しようとしてしまっておいた『ネタ』を忘れてしまうこともよくある。
いろんな理由で『調理できない』。
ずっと那智さんに『ネタ帳を作れば』と言われているのだけど、どうもその場でパパッとメモしたりというひと手間かけることが苦手なようで、つい頭の中に保存してしまって、結局行き当たりばったりな感じになってしまうのだ。
でもさすがに毎回ゼロからのスタートではしんどいので、出だしやオチだけ書く気がおきた時だけはこの管理画面の中に下書きとして保存しておくようにしている。
ただね〜、これが近々のことなら役立つのだけど、ちょっと古くなるとあまり使えないのだ。
旬の過ぎた食材だったり、そもそも何が作りいんだか不明だったりで。
2008年8月2日(無題)
わたしは思ったことが顔に出やすいらしい。
よく那智さんに『顔に書いてある』と言われる。
酷いころを提案されて『それは無理!!』と首を横に振っても。
『あ、いま感じただろ』とか『嬉しそうだよ』なんて言われてしまう。
昔から『楽しい話題を話し出す前から、顔が楽しそう』などと友人からも指摘されていたので、もともとわたしは顔に出やすいのだと思う。
だけど本人は拒否の気持ちでいても実際濡れているわけだから、那智さんの『感じている』という指摘は外れていないみたい。
ということは、那智さんはわたしのわずかな欲情や2/100の変態さんを見つけるのが得意なのかもしれない。
那智さんには年に数回、とてもとても忙しい時期がある。
その渦中にいても、わたしへの『かまう』頻度や感情の上下にほとんど変化がないことは、ものすごくありがたい。
ただ、その時期はちょっとだけ『理不尽さん』になる。
夜遅くまで仕事して、最後ちょっと一杯やりながら仕事を仕上げているようなとき、その理不尽さんが登場するのです。
その日は少し長めにランチの時間を取ってくれて、美味しい塩ラーメンを食べてからカラオケに。
あれしてこれして^^
その夜、その日のお仕事のゴールが見えて来たあたりで、恐らくちょっと一杯。
お仕事の仕上げをする那智さんとお電話でおしゃべりをする。
「明日も来る〜?」
…ここまで書いて『下書きボックス』保存。
わ、わからない。
この後会話が続くみたいなのだけど、まったく記憶にない^^;
人参の皮をむいて、鍋に火をかけて…あ〜、私は何が作りたかったのだろう!!状態^^
あ〜、でもなんか面白ネタっぽくて、私自身が続きを知りたいくらいだよぉ。
2008年11月8日(無題)
自分で道を選ぶのだ。
誰かに決められた道だと、無理して辛くなってしまう。
自分で選んだ道だから『拘る』ための努力は苦じゃない、面倒な作業も自分の責任。
おいしかったら、自分のおかげ。
誰かに決めてもらったことだと、それは苦労になってしまうかもしれない。
もー熱く語っていますが、きっと『りん子的独り言』を書きながら横道に逸れてしまった言葉ですね。
これはさしずめ、すんごい気合いを入れてまぐろの解体でもしようかとのこぎり片手に息巻いて、で放置、で空回りパターン?
2007年12月16日(無題)
新しい自分の欲望に気付くのは恐い。
ああ、また私は「変態」なことを望んでいると。
こんなものなければいいと、ずっとずっと持て余していた。
酷くされたり、追い詰められたり、従わされたり、庇護だったり。
もう「願望のデパート」だわ^^;
そんなものなくて幸せだったらいいのに。
そんなもの持ってるって、自分を認められたらいいのに。
どちらもできなくて、那智さんに手伝ってもらって徐々に飼い馴らしている感じ。
また、蓋開けちゃいましたね。
那智さんから言わせれば、「とっくに開いてて整理しただけ」なんでしょうけど。
「ああ、私はこれでも感じてしまうの!?」
驚いて、自覚して、諦めて、ちょっと傷つく。
だから、なんとか理由を付けたくなってしまう。
父親の影響だとか、負の感情を出せない性格だとか、いろいろと。
「これをすることで、心の何かを埋めてるんですよね。」
と、おかしいなことで感じてしまうことに、また理由付けをしてみる。
「体の何かも、埋めてるよね。」
…、そうなの、感じてるの。
涙を流し心に空いた穴を埋めるのと同じように、おまんこから溢れて感じて、気持ちがいいということを認めるしかない。
でも、傷付き混乱する。
早く、早く、那智さんに会って、「変態」って言ってもらって、それで私を許したい。
そんなことで感じるなんて変態で、でも大したことじゃない、お遊びのひとつだよってあしらってほしい。
ここに書くのもためらうわ。
いままで散々いろんなこと書いてきて、今更ためらうもないけいど。
私は那智さんに会いに行く、女の子になってお父さんに抱かれに会いに行く。
ああ、やっぱりためらうよ〜、こんなこと書いて引かれちゃう(;;)
なんだか痛いなぁ、わたし。
でも、書かずにはいられないんだなぁ。
これなんか、1エントリー完成してる!!
でもまったく旬を過ぎている典型。
いまさら『いま一番キテるスイーツ』でナタデココを出してしまう気分だ。
だって、この時旬だった『お父さんに抱かれることへの驚愕』は、ああ、もうとっくに快感になって大喜びしてしまっているのだもの^^;
なんだかビフォーアフターのビフォーを見る思いで、ある意味恥ずかしいですアフターなわたし。
で、最後に。
2007年5月23日(無題)
読み手の成熟。
同化のホントの姿。
依存の深度。
地球防衛軍。
こ、これは!!
文章にする気は起こらなかったけど、とりあえずいくつかメモ書きしたんだ!!
だから、それぞれオチっていうか核っていうかだけ書いてる。
うわぁっ、自分でいうのもなんだけど、何やら興味深いお題が並ぶ。
壮大なストーリーが展開しそうだ。
『子羊のポワレプロヴァンス風』とか『伊勢エビの岩塩焼き香味仕立て』(なんじゃそりゃ!?)とか、どんな料理かわからないけど、とにかくなんかスゴそう!!な感じだけはする^^
…、でもレシピはもちろん、出来上がりも、ナゾ…^^;
多分『読み手の成熟』というのは『M女ブログを信じるな』というエントリーになったはずだけど、あとは皆目見当がつかない^^;
ただ、なんかスゴそう…?
こんなふうに、書きかけで二度と日の目を見なさそうな(無題)たち。
削除してしまうのはちょっともったいないので披露してみました。
下書きだからいつもに増してかなり書きっぱなし感もありますが、調理途中の舞台裏をお見せするのもおもしろいかな〜^^
こんなふうに、1日置き更新に精を出す私でした^^
で、たまには冷蔵庫の大掃除みたいなエントリー。
それにしても『地球防衛軍』、…って…?
どんな料理だ?
宇宙食?
かなり行き当たりばったりで書いているので、書きたいことがあるときは『ダダーーーッ』と書き貯めできるのだけど、ネタに困るなぁというときもある。
ネタがないというよりも『調理できない』というほうが正しいかもしれない。
例えば。
人参とタマネギとお肉はあるけど何を作ろうかな〜。
おお、じゃがいもも手に入った!!
じゃあ、カレー?肉じゃが?
カレーにしても先にタマネギだけ炒める?それとも手抜きですぐ煮込む?
こんなふうに、ネタはあるんだけどそれをどう調理するかが決まらない状態。
逆に、カレーは決まっているのだけど、キーマにしようかシーフードにしようか迷ったり、ルーがないから手に入るの待ってたりということもある。
ただそれを上手に保管する能力がないので、いざ調理しようとしてしまっておいた『ネタ』を忘れてしまうこともよくある。
いろんな理由で『調理できない』。
ずっと那智さんに『ネタ帳を作れば』と言われているのだけど、どうもその場でパパッとメモしたりというひと手間かけることが苦手なようで、つい頭の中に保存してしまって、結局行き当たりばったりな感じになってしまうのだ。
でもさすがに毎回ゼロからのスタートではしんどいので、出だしやオチだけ書く気がおきた時だけはこの管理画面の中に下書きとして保存しておくようにしている。
ただね〜、これが近々のことなら役立つのだけど、ちょっと古くなるとあまり使えないのだ。
旬の過ぎた食材だったり、そもそも何が作りいんだか不明だったりで。
2008年8月2日(無題)
わたしは思ったことが顔に出やすいらしい。
よく那智さんに『顔に書いてある』と言われる。
酷いころを提案されて『それは無理!!』と首を横に振っても。
『あ、いま感じただろ』とか『嬉しそうだよ』なんて言われてしまう。
昔から『楽しい話題を話し出す前から、顔が楽しそう』などと友人からも指摘されていたので、もともとわたしは顔に出やすいのだと思う。
だけど本人は拒否の気持ちでいても実際濡れているわけだから、那智さんの『感じている』という指摘は外れていないみたい。
ということは、那智さんはわたしのわずかな欲情や2/100の変態さんを見つけるのが得意なのかもしれない。
那智さんには年に数回、とてもとても忙しい時期がある。
その渦中にいても、わたしへの『かまう』頻度や感情の上下にほとんど変化がないことは、ものすごくありがたい。
ただ、その時期はちょっとだけ『理不尽さん』になる。
夜遅くまで仕事して、最後ちょっと一杯やりながら仕事を仕上げているようなとき、その理不尽さんが登場するのです。
その日は少し長めにランチの時間を取ってくれて、美味しい塩ラーメンを食べてからカラオケに。
あれしてこれして^^
その夜、その日のお仕事のゴールが見えて来たあたりで、恐らくちょっと一杯。
お仕事の仕上げをする那智さんとお電話でおしゃべりをする。
「明日も来る〜?」
…ここまで書いて『下書きボックス』保存。
わ、わからない。
この後会話が続くみたいなのだけど、まったく記憶にない^^;
人参の皮をむいて、鍋に火をかけて…あ〜、私は何が作りたかったのだろう!!状態^^
あ〜、でもなんか面白ネタっぽくて、私自身が続きを知りたいくらいだよぉ。
2008年11月8日(無題)
自分で道を選ぶのだ。
誰かに決められた道だと、無理して辛くなってしまう。
自分で選んだ道だから『拘る』ための努力は苦じゃない、面倒な作業も自分の責任。
おいしかったら、自分のおかげ。
誰かに決めてもらったことだと、それは苦労になってしまうかもしれない。
もー熱く語っていますが、きっと『りん子的独り言』を書きながら横道に逸れてしまった言葉ですね。
これはさしずめ、すんごい気合いを入れてまぐろの解体でもしようかとのこぎり片手に息巻いて、で放置、で空回りパターン?
2007年12月16日(無題)
新しい自分の欲望に気付くのは恐い。
ああ、また私は「変態」なことを望んでいると。
こんなものなければいいと、ずっとずっと持て余していた。
酷くされたり、追い詰められたり、従わされたり、庇護だったり。
もう「願望のデパート」だわ^^;
そんなものなくて幸せだったらいいのに。
そんなもの持ってるって、自分を認められたらいいのに。
どちらもできなくて、那智さんに手伝ってもらって徐々に飼い馴らしている感じ。
また、蓋開けちゃいましたね。
那智さんから言わせれば、「とっくに開いてて整理しただけ」なんでしょうけど。
「ああ、私はこれでも感じてしまうの!?」
驚いて、自覚して、諦めて、ちょっと傷つく。
だから、なんとか理由を付けたくなってしまう。
父親の影響だとか、負の感情を出せない性格だとか、いろいろと。
「これをすることで、心の何かを埋めてるんですよね。」
と、おかしいなことで感じてしまうことに、また理由付けをしてみる。
「体の何かも、埋めてるよね。」
…、そうなの、感じてるの。
涙を流し心に空いた穴を埋めるのと同じように、おまんこから溢れて感じて、気持ちがいいということを認めるしかない。
でも、傷付き混乱する。
早く、早く、那智さんに会って、「変態」って言ってもらって、それで私を許したい。
そんなことで感じるなんて変態で、でも大したことじゃない、お遊びのひとつだよってあしらってほしい。
ここに書くのもためらうわ。
いままで散々いろんなこと書いてきて、今更ためらうもないけいど。
私は那智さんに会いに行く、女の子になってお父さんに抱かれに会いに行く。
ああ、やっぱりためらうよ〜、こんなこと書いて引かれちゃう(;;)
なんだか痛いなぁ、わたし。
でも、書かずにはいられないんだなぁ。
これなんか、1エントリー完成してる!!
でもまったく旬を過ぎている典型。
いまさら『いま一番キテるスイーツ』でナタデココを出してしまう気分だ。
だって、この時旬だった『お父さんに抱かれることへの驚愕』は、ああ、もうとっくに快感になって大喜びしてしまっているのだもの^^;
なんだかビフォーアフターのビフォーを見る思いで、ある意味恥ずかしいですアフターなわたし。
で、最後に。
2007年5月23日(無題)
読み手の成熟。
同化のホントの姿。
依存の深度。
地球防衛軍。
こ、これは!!
文章にする気は起こらなかったけど、とりあえずいくつかメモ書きしたんだ!!
だから、それぞれオチっていうか核っていうかだけ書いてる。
うわぁっ、自分でいうのもなんだけど、何やら興味深いお題が並ぶ。
壮大なストーリーが展開しそうだ。
『子羊のポワレプロヴァンス風』とか『伊勢エビの岩塩焼き香味仕立て』(なんじゃそりゃ!?)とか、どんな料理かわからないけど、とにかくなんかスゴそう!!な感じだけはする^^
…、でもレシピはもちろん、出来上がりも、ナゾ…^^;
多分『読み手の成熟』というのは『M女ブログを信じるな』というエントリーになったはずだけど、あとは皆目見当がつかない^^;
ただ、なんかスゴそう…?
こんなふうに、書きかけで二度と日の目を見なさそうな(無題)たち。
削除してしまうのはちょっともったいないので披露してみました。
下書きだからいつもに増してかなり書きっぱなし感もありますが、調理途中の舞台裏をお見せするのもおもしろいかな〜^^
こんなふうに、1日置き更新に精を出す私でした^^
で、たまには冷蔵庫の大掃除みたいなエントリー。
それにしても『地球防衛軍』、…って…?
どんな料理だ?
宇宙食?
『きょとん』なふたり
独り言
ブログをはじめて、まだほとんど誰とも交流がなく、世の中にこーんなにたくさん『M女さんブログ』があるなんて知らなかった頃。
いくつかのブログを読んで回ってもなんだかお決まりの言葉が並んで違和感を感じていた。
その中で、あ、この人は私と似ているかもしれないとはじめて感じた人がいた。
それが涼音さん。
お相手の越後屋さんとのことが『SM』や『主従』や『わんこ』なんて言葉で綴られているけれど、当時感じていた違和感がない。
とても仲の良さそうで、ラブラブな感じが伝わってくる。
お互いがとても好き〜ってところが、もしかしたら似ているかも?と感じたのだ。
そして、なにより、涼音さんがご自分の言葉で語られているな〜と感じられることが嬉しかった。
(ついでに越後屋さんのコンテンツ『ねた帳』も必見です^^)
それから私のネット世界も広がり、世の中にはいろんなM女さんブログがあっていろんなお付き合いがあるんだな〜と知り、私なりにお付き合いもできるようになった頃。
熟桃さんのオフ会で涼音さんとはじめてお会いすることができたのだ。
その時は席は隣りだったにも関わらず私があちこちの話に加わってしまっていてゆっくりお話しできなかったけど。
別件でメールをいただいたときに涼音さんがぽそっとつぶやかれた『また会いたいですね』という〆の言葉に、恥も外聞もなくあっという間に食いついて^^;再会を果たすことが実現したのだった。
そして、私の『似ているかも?』と直感したことは間違いじゃなかったと確信したのだった。
それは、最初にサイトを拝見して感じた『関係』についてではなく、どちらかというと涼音さんの特性。
もちろん、涼音さんはずっと精神年齢は大人で魅力的な女性なので、一部が似てるということなのだけど。
天然といってしまえばそれまでなのですが。
なんていうか作り出す空気が、似てる?
あのね、多分ね、なんていうか…。
『きょとん』
なのだ。(涼音さん、ごめん!!)
自分自身もそうだし、周囲も陥れる^^
間というか、空気というかが、『きょとん』なのだ。
雨が降る夜。
連れて行っていただいたお店は韓国家庭料理。
(以下、越後屋さん「え」、涼音さん「す」、修さん「青」、まこ「赤」)
はじめて飲むマッコリに大喜び。
キムチもチジミも鍋もボリューム満点でおいしい^^
通路側に座っている涼音さんが取り皿を分けてくれたり鍋をよそってくれたりのいろいろ動いてくれる。
運ばれてきた料理を立ち上がり次々受け取る涼音さん。
お皿をふたつ、左右の手でそれぞれ持ち…でも置くスペースがない…。
す「…あら?」
両手にお皿を持って立ち尽くし『きょとん』。
もちろん、周りがそのスペースを作ればいいだけの話で、実際そうしたのだけど。
なんていうか、その率先した様子と、お皿で両手がふさがっての「あら?」の間が『きょとん』なのだ^^
恐らく、男性陣からしたら『置く場所を確保してから受け取ろうね^^』というツッコミでしょうけど。
ああ、私はわかるのだ。
絶対、私も同じ動きをしてしまうから^^;
話は涼音さんのピアスに。
未知の世界の話で興味津々なわたし。
ラビアやクリトリスやクリトリスフッドにピアスを施す方がいると思うのだけど、涼音さんはクリトリスフッドなのだそうだ。
痛いの?
お店で開けたの?
身を乗り出して聞く。
修さんも興味があるみたい。
いろいろ聞いている。
え「普通は横に開けることが多いけど、横じゃなくて縦に開けたの。」
うぐぐ。
この手の話になると、痛そうでダメなんだ〜、体がよじれちゃう^^;
「縦はめずらしいですね。」
え「そう、横よりもキレイですよ。」
男性陣は話を続ける。
横で、わたしはうぐうぐ。
だけど、私はその『クリトリスフッド』と言われるところが、いまいちわからないのだ。
会話が進む中、割って入る。
「え?どこのことですか?」
え「クリトリスの上の皮のところ。」
「え?上?皮?なんてあるのですか?」
え「そう、クリトリスがあってね、その上のところにある皮をに開けたんだよ。」
根気良くゼスチャー入りで説明してくれる越後屋さん。
うう、痛そう。
身をよじりながら。
「……、で、それって、私にもあります?」
……
え「あ〜、タバコ吸いたくなってきた(笑)」
あまりの『きょとん』ぶりに禁煙中だった越後屋さんにタバコを吸わせてしまった私だった。
だって、私、自分のそこって人生で2回くらいしか見たことないのだもの^^;
なんか見ちゃいけないもののようで。
見たといっても5秒くらい。
だから私は自分のそことトータル10秒くらいしかご対面したことがないのだ。
だから、疑問だったの^^;
そんなふうに終止笑いっぱなしで時々『きょとん』な時間。
お外でわんこのお誘いに必死に抵抗する涼音さん。
しまいには、わんこマップを作る?なんて、あり得ない話。
私、こういうありもしない話を広げるの好きだから、大喜び^^
じゃあマークは私の四つん這いイラストで〜とか、『今日は○○市の○○さんのお宅前で』なんて『きょうのまこ』なんてします?とか^^
チジミが香ばしくて、レバ刺しは濃厚で、鍋は程よい辛さ。
チジミ、マッコリ、レバ刺し、マッコリ、キムチに時々生ビール。
こんな幸せループを延々繰り返していたい時間でした。
で、そのあと、おふたりが行きつけの変態さんが集まるバーに連れ行っていただくことに。
お店を出て、ちょうど来たタクシーを素早く止めてくれる越後屋さん。
雨に濡れずに済みました。
涼音さんが助手席に座ってくれて、修さん私越後屋さんの順番で後ろに。
発車して少し経って、越後屋さんがご自分の手にしていた傘が涼音さんのだということに気づいた。
きっとタクシーを止めてくださるときにバタついてしまったのかもしれない。
え「涼音、俺の傘持ってる?」
す「はい、持ってますよ〜♪」
……
す「あれ!!私、傘ない!!!」
え「俺が持ってる(笑)」
ああ、もう、この『♪』マークから数秒後の『!!!』がとっても『きょとん』なのだ。
で、吸い寄せられるような大きな瞳のちょっと舌足らずな涼音さんから繰り出されるそれは、とってもキュート^^
その涼音さんにツッコミを入れながらも可愛いって思ってるだろうな〜と越後屋さんの気持ちを想像してしまった。
修さんもこんなふうに私の『きょとん』に付き合ってくれてるんだなぁとちょっと嬉しくなっちゃった。
でも、修さんがヘビースモーカーなのは、これのせいだったりして^^;
こうしてタクシーは変態さんバーへ。
そして狂乱(?)の夜ははじまるのであった。
と思わせぶりなことを書いて、ここで一旦終了!!
あまりのまこ狂乱ぶりに穴があったら入りたい状態ですので、とってもためらってる私です。
いつか書く気が起きたら書きます〜。
(って、こっちが読みたいよね〜^^;)
とにかく越後屋さん、涼音さん、楽しい時間をありがとうございました^^
『きょとん』×2ですけど、また機会があったら遊んでくださいね〜♪
ブログをはじめて、まだほとんど誰とも交流がなく、世の中にこーんなにたくさん『M女さんブログ』があるなんて知らなかった頃。
いくつかのブログを読んで回ってもなんだかお決まりの言葉が並んで違和感を感じていた。
その中で、あ、この人は私と似ているかもしれないとはじめて感じた人がいた。
それが涼音さん。
お相手の越後屋さんとのことが『SM』や『主従』や『わんこ』なんて言葉で綴られているけれど、当時感じていた違和感がない。
とても仲の良さそうで、ラブラブな感じが伝わってくる。
お互いがとても好き〜ってところが、もしかしたら似ているかも?と感じたのだ。
そして、なにより、涼音さんがご自分の言葉で語られているな〜と感じられることが嬉しかった。
(ついでに越後屋さんのコンテンツ『ねた帳』も必見です^^)
それから私のネット世界も広がり、世の中にはいろんなM女さんブログがあっていろんなお付き合いがあるんだな〜と知り、私なりにお付き合いもできるようになった頃。
熟桃さんのオフ会で涼音さんとはじめてお会いすることができたのだ。
その時は席は隣りだったにも関わらず私があちこちの話に加わってしまっていてゆっくりお話しできなかったけど。
別件でメールをいただいたときに涼音さんがぽそっとつぶやかれた『また会いたいですね』という〆の言葉に、恥も外聞もなくあっという間に食いついて^^;再会を果たすことが実現したのだった。
そして、私の『似ているかも?』と直感したことは間違いじゃなかったと確信したのだった。
それは、最初にサイトを拝見して感じた『関係』についてではなく、どちらかというと涼音さんの特性。
もちろん、涼音さんはずっと精神年齢は大人で魅力的な女性なので、一部が似てるということなのだけど。
天然といってしまえばそれまでなのですが。
なんていうか作り出す空気が、似てる?
あのね、多分ね、なんていうか…。
『きょとん』
なのだ。(涼音さん、ごめん!!)
自分自身もそうだし、周囲も陥れる^^
間というか、空気というかが、『きょとん』なのだ。
雨が降る夜。
連れて行っていただいたお店は韓国家庭料理。
(以下、越後屋さん「え」、涼音さん「す」、修さん「青」、まこ「赤」)
はじめて飲むマッコリに大喜び。
キムチもチジミも鍋もボリューム満点でおいしい^^
通路側に座っている涼音さんが取り皿を分けてくれたり鍋をよそってくれたりのいろいろ動いてくれる。
運ばれてきた料理を立ち上がり次々受け取る涼音さん。
お皿をふたつ、左右の手でそれぞれ持ち…でも置くスペースがない…。
す「…あら?」
両手にお皿を持って立ち尽くし『きょとん』。
もちろん、周りがそのスペースを作ればいいだけの話で、実際そうしたのだけど。
なんていうか、その率先した様子と、お皿で両手がふさがっての「あら?」の間が『きょとん』なのだ^^
恐らく、男性陣からしたら『置く場所を確保してから受け取ろうね^^』というツッコミでしょうけど。
ああ、私はわかるのだ。
絶対、私も同じ動きをしてしまうから^^;
話は涼音さんのピアスに。
未知の世界の話で興味津々なわたし。
ラビアやクリトリスやクリトリスフッドにピアスを施す方がいると思うのだけど、涼音さんはクリトリスフッドなのだそうだ。
痛いの?
お店で開けたの?
身を乗り出して聞く。
修さんも興味があるみたい。
いろいろ聞いている。
え「普通は横に開けることが多いけど、横じゃなくて縦に開けたの。」
うぐぐ。
この手の話になると、痛そうでダメなんだ〜、体がよじれちゃう^^;
「縦はめずらしいですね。」
え「そう、横よりもキレイですよ。」
男性陣は話を続ける。
横で、わたしはうぐうぐ。
だけど、私はその『クリトリスフッド』と言われるところが、いまいちわからないのだ。
会話が進む中、割って入る。
「え?どこのことですか?」
え「クリトリスの上の皮のところ。」
「え?上?皮?なんてあるのですか?」
え「そう、クリトリスがあってね、その上のところにある皮をに開けたんだよ。」
根気良くゼスチャー入りで説明してくれる越後屋さん。
うう、痛そう。
身をよじりながら。
「……、で、それって、私にもあります?」
……
え「あ〜、タバコ吸いたくなってきた(笑)」
あまりの『きょとん』ぶりに禁煙中だった越後屋さんにタバコを吸わせてしまった私だった。
だって、私、自分のそこって人生で2回くらいしか見たことないのだもの^^;
なんか見ちゃいけないもののようで。
見たといっても5秒くらい。
だから私は自分のそことトータル10秒くらいしかご対面したことがないのだ。
だから、疑問だったの^^;
そんなふうに終止笑いっぱなしで時々『きょとん』な時間。
お外でわんこのお誘いに必死に抵抗する涼音さん。
しまいには、わんこマップを作る?なんて、あり得ない話。
私、こういうありもしない話を広げるの好きだから、大喜び^^
じゃあマークは私の四つん這いイラストで〜とか、『今日は○○市の○○さんのお宅前で』なんて『きょうのまこ』なんてします?とか^^
チジミが香ばしくて、レバ刺しは濃厚で、鍋は程よい辛さ。
チジミ、マッコリ、レバ刺し、マッコリ、キムチに時々生ビール。
こんな幸せループを延々繰り返していたい時間でした。
で、そのあと、おふたりが行きつけの変態さんが集まるバーに連れ行っていただくことに。
お店を出て、ちょうど来たタクシーを素早く止めてくれる越後屋さん。
雨に濡れずに済みました。
涼音さんが助手席に座ってくれて、修さん私越後屋さんの順番で後ろに。
発車して少し経って、越後屋さんがご自分の手にしていた傘が涼音さんのだということに気づいた。
きっとタクシーを止めてくださるときにバタついてしまったのかもしれない。
え「涼音、俺の傘持ってる?」
す「はい、持ってますよ〜♪」
……
す「あれ!!私、傘ない!!!」
え「俺が持ってる(笑)」
ああ、もう、この『♪』マークから数秒後の『!!!』がとっても『きょとん』なのだ。
で、吸い寄せられるような大きな瞳のちょっと舌足らずな涼音さんから繰り出されるそれは、とってもキュート^^
その涼音さんにツッコミを入れながらも可愛いって思ってるだろうな〜と越後屋さんの気持ちを想像してしまった。
修さんもこんなふうに私の『きょとん』に付き合ってくれてるんだなぁとちょっと嬉しくなっちゃった。
でも、修さんがヘビースモーカーなのは、これのせいだったりして^^;
こうしてタクシーは変態さんバーへ。
そして狂乱(?)の夜ははじまるのであった。
と思わせぶりなことを書いて、ここで一旦終了!!
あまりのまこ狂乱ぶりに穴があったら入りたい状態ですので、とってもためらってる私です。
いつか書く気が起きたら書きます〜。
(って、こっちが読みたいよね〜^^;)
とにかく越後屋さん、涼音さん、楽しい時間をありがとうございました^^
『きょとん』×2ですけど、また機会があったら遊んでくださいね〜♪