露出画像を撮らせるには^^
非日常的な日常
露出は感じると時々言っているけれど。
実は、条件付きなのだ。
(『徒然に「露出のこと」』)
それは『那智さんがいる』ということ。
もともと、人の目で興奮することはわかっていた。
情けないけど、どうしても欲情を収めたくてトイレでオナニーをしてしまい、その行為で更に興奮してしまうなんてこともゼロじゃない。
でも、露出行為=快感になるか言えば、それは違うのだ。
臆病な私はひとりのとき『誰か来るかもしれない』という状態では、興奮よりも怖さが勝ってしまって思うほど快感を覚えられない。
トイレの個室だとしても、ダメ。
人がいようものなら、何かを感じ取られたらどうしようと思うと醒めてしまうのだ。
人の気配や背徳感が快感に繋がることも想像できるのだけど、実際はダメなんだよね。
付き合いはじめの頃。
電話しながら公衆トイレでオナニーをしてと言われたことがある。
電波の悪くない、人が少ないトイレを探すだけで、もういっぱいいっぱい。
音や気配が気になって、濡れるのは濡れるけど(って、濡れるんかい!!だって、指示出されただけで濡れるものね^^)全然快感になってくれない。
しまいには悲しくなって、こんなことをさせる那智さんなんていや!!なんて文句をいってしまった。
だから、私が露出で感じるのは『那智さんがいる』ことが重要。
(那智さんがいればね〜、四つん這いでもおもらしでも感じられるのにね^^;)
だから、那智さんが『露出画像を送れ』という命令をする人じゃなくて、よかったと思う。
だって、部屋の中で乳首死守するくらいなのだもの、どこかでなんか無理。
多分、悲しくなるだけだ。
(『乳首死守』)
ところが、この前、はじめてのことをしてしまった。
ランチデートで那智さんのお仕事場のある街まで出かけた。
まだランチタイムまで時間があるからショッピングモールをウロウロして時間を潰すことに。
ランチタイム10分前に携帯が鳴る。
「もしもし、いまどこ〜?」
「○○で時間潰してます^^」
「今日の服装は?」
「紺のスカートに水色のブラウスです」
「じゃあ、ノーパンになってな」
「はい〜〜〜〜*^^*」
珍しく指示。
トイレに入る。
ここのトイレは人も少ないし、明るくてとてもキレイで好きなの。
個室で下着を取ったら、『毛のないおまんこの私』を私が見つけてしまった。
(前エントリーで書いてますけど、いま那智さんに剃ってもらってるのです^^)
ああ、ちょっと興奮。
那智さんの指示でノーパンの。
那智さんの施しでパイパンの。
私が、キレイなトイレにいる。
興奮と、なんだかモジモジするようなホクホクするような、不思議な気持ちになってしまった。
歪んだ自己愛なんだと思う。
(歪んだ自己愛はいろいろあるかな『コートの下』『ショウウィンドウと洗濯バサミと鞭2』)
撮る?
いや、無理。
恥ずかしいし、シャッター音のタイミングで誰か入ってきたら、困る。
浮かんだ欲望を打ち消して個室を出る。
手を洗い、周囲を見る。
誰も来そうにない。
右手には大きな姿見がある。
ああ、やっぱり撮りたい。
これは、歪んだ自己愛の興奮だ。
パイパンのノーパンのそれをカメラに収める変態の私を、私が見たい。
衝動。
カメラの準備をして。
恐る恐るずいぶん離れた位置で姿見に自分を映す。
さっとスカートをめくり、瞬時に撮る。
一瞬の出来事で、快感も恐怖も感じないほどだった。
それなのに確実に濡れているのはわかる。
だけど、撮る前も撮りながらも、この写真を那智さんに送る気にはならなかった。
でも、話はすると思っていた。
多分、見てほしいとも思うだろう。
でも、送る気にはならないのだ。
なぜか。
それは、これは那智さんのために撮ったものではないから。
撮りたいから撮る、それを見せて那智さんも楽しいという、回り回って那智さんのためになるかもしれないけど、でも、動機は違う。
私のためだから。
そのくせに、伝えて見てもらうことはしたかったの。
それはこんなことしちゃいました〜って一緒に見てもらって、気持ちを収めてほしいと思うから。
結局見せることになったのだけど^^
(会ってから『ほんとにノーパンか確かめていい?』と道ばたで言われたので『証拠写真ならあります〜』と見せたのだ^^;)
で、可愛いとほめてもらったのだけど。
ほめてもらったけど、多分、またすぐ撮ることもないだろうし、撮っても送らないと思う。
だって、露出は『私の欲情』でしないと感じないし、感じないことを褒められるからするのは本意じゃない。
怖さを上回るほどの欲情なんて、そうそう生まれてくれないものね。(あ〜、これで露出画像撮ったら『そんなに欲情してたんだ〜』とからかわれる、那智さんに^^;)
私は、那智さんのために苦手なことをするつもりはない。
那智さんだって、私が苦手なことを頑張るのはを望んでいない、やらせたいなら、まず『苦手なこと』じゃなくなるように仕向けてくれるはずだ。
どうも、私の快感は『献身』からは生まれてくれないみたいなんだ。
献身に憧れはあるのだけど、献身になってしまった途端に恐怖心や必死な気持ちが芽生えて、違う回路が働いてしまう。
全然幸福に繋がらないのだ。
私の快感は『自分のため』にして、それを『那智さんに収めてもらう』ことではじめて快感になるらしいのだ。
だから、ちょっと条件を変更しようと思ってる。
露出で感じるのは『那智さんがいる』ことも大事だけど。
もうひとつ。
『那智さんのため』でしないことと『那智さんに収めてもらう』こと(笑)
私のためにあなたが頼りでいさせてくれれば、快感になると思うのです^^
だって、自己愛がいいんだもん^^
でも、遠くから撮ってる辺りが、怖々な感じ醸し出してるよね。
そこからもわかるように、1人で露出画像を撮るのは、けっこう怖い。(私が過剰反応なのかもしれないけど)
他者の存在も怖いけど、なんていうかな魂を汚すような恐怖も、実は付きまとうと思ってる。
(いつもの、不本意な性行為は女性を傷つける論です^^『秘訣』や『もうひとつの秘訣』や『りん子的独り言って』などなど)
だから、様々な露出画像はあるけれど、端から見るよりも心が疲弊している人も多いのではないかと思うのです。
だから、そんな状態だと画像撮りも長続きもしないし、いい物が撮れないかもしれない?
もし、女性に露出画像を送ってほしかったら、献身よりも命令よりも、自己愛の快感を植え付けるほうが効果があると思うのは、私だけ?
ああ、でも、これちょっと好きになりそうで、怖い^^;
露出は感じると時々言っているけれど。
実は、条件付きなのだ。
(『徒然に「露出のこと」』)
それは『那智さんがいる』ということ。
もともと、人の目で興奮することはわかっていた。
情けないけど、どうしても欲情を収めたくてトイレでオナニーをしてしまい、その行為で更に興奮してしまうなんてこともゼロじゃない。
でも、露出行為=快感になるか言えば、それは違うのだ。
臆病な私はひとりのとき『誰か来るかもしれない』という状態では、興奮よりも怖さが勝ってしまって思うほど快感を覚えられない。
トイレの個室だとしても、ダメ。
人がいようものなら、何かを感じ取られたらどうしようと思うと醒めてしまうのだ。
人の気配や背徳感が快感に繋がることも想像できるのだけど、実際はダメなんだよね。
付き合いはじめの頃。
電話しながら公衆トイレでオナニーをしてと言われたことがある。
電波の悪くない、人が少ないトイレを探すだけで、もういっぱいいっぱい。
音や気配が気になって、濡れるのは濡れるけど(って、濡れるんかい!!だって、指示出されただけで濡れるものね^^)全然快感になってくれない。
しまいには悲しくなって、こんなことをさせる那智さんなんていや!!なんて文句をいってしまった。
だから、私が露出で感じるのは『那智さんがいる』ことが重要。
(那智さんがいればね〜、四つん這いでもおもらしでも感じられるのにね^^;)
だから、那智さんが『露出画像を送れ』という命令をする人じゃなくて、よかったと思う。
だって、部屋の中で乳首死守するくらいなのだもの、どこかでなんか無理。
多分、悲しくなるだけだ。
(『乳首死守』)
ところが、この前、はじめてのことをしてしまった。
ランチデートで那智さんのお仕事場のある街まで出かけた。
まだランチタイムまで時間があるからショッピングモールをウロウロして時間を潰すことに。
ランチタイム10分前に携帯が鳴る。
「もしもし、いまどこ〜?」
「○○で時間潰してます^^」
「今日の服装は?」
「紺のスカートに水色のブラウスです」
「じゃあ、ノーパンになってな」
「はい〜〜〜〜*^^*」
珍しく指示。
トイレに入る。
ここのトイレは人も少ないし、明るくてとてもキレイで好きなの。
個室で下着を取ったら、『毛のないおまんこの私』を私が見つけてしまった。
(前エントリーで書いてますけど、いま那智さんに剃ってもらってるのです^^)
ああ、ちょっと興奮。
那智さんの指示でノーパンの。
那智さんの施しでパイパンの。
私が、キレイなトイレにいる。
興奮と、なんだかモジモジするようなホクホクするような、不思議な気持ちになってしまった。
歪んだ自己愛なんだと思う。
(歪んだ自己愛はいろいろあるかな『コートの下』『ショウウィンドウと洗濯バサミと鞭2』)
撮る?
いや、無理。
恥ずかしいし、シャッター音のタイミングで誰か入ってきたら、困る。
浮かんだ欲望を打ち消して個室を出る。
手を洗い、周囲を見る。
誰も来そうにない。
右手には大きな姿見がある。
ああ、やっぱり撮りたい。
これは、歪んだ自己愛の興奮だ。
パイパンのノーパンのそれをカメラに収める変態の私を、私が見たい。
衝動。
カメラの準備をして。
恐る恐るずいぶん離れた位置で姿見に自分を映す。
さっとスカートをめくり、瞬時に撮る。
一瞬の出来事で、快感も恐怖も感じないほどだった。
それなのに確実に濡れているのはわかる。
だけど、撮る前も撮りながらも、この写真を那智さんに送る気にはならなかった。
でも、話はすると思っていた。
多分、見てほしいとも思うだろう。
でも、送る気にはならないのだ。
なぜか。
それは、これは那智さんのために撮ったものではないから。
撮りたいから撮る、それを見せて那智さんも楽しいという、回り回って那智さんのためになるかもしれないけど、でも、動機は違う。
私のためだから。
そのくせに、伝えて見てもらうことはしたかったの。
それはこんなことしちゃいました〜って一緒に見てもらって、気持ちを収めてほしいと思うから。
結局見せることになったのだけど^^
(会ってから『ほんとにノーパンか確かめていい?』と道ばたで言われたので『証拠写真ならあります〜』と見せたのだ^^;)
で、可愛いとほめてもらったのだけど。
ほめてもらったけど、多分、またすぐ撮ることもないだろうし、撮っても送らないと思う。
だって、露出は『私の欲情』でしないと感じないし、感じないことを褒められるからするのは本意じゃない。
怖さを上回るほどの欲情なんて、そうそう生まれてくれないものね。(あ〜、これで露出画像撮ったら『そんなに欲情してたんだ〜』とからかわれる、那智さんに^^;)
私は、那智さんのために苦手なことをするつもりはない。
那智さんだって、私が苦手なことを頑張るのはを望んでいない、やらせたいなら、まず『苦手なこと』じゃなくなるように仕向けてくれるはずだ。
どうも、私の快感は『献身』からは生まれてくれないみたいなんだ。
献身に憧れはあるのだけど、献身になってしまった途端に恐怖心や必死な気持ちが芽生えて、違う回路が働いてしまう。
全然幸福に繋がらないのだ。
私の快感は『自分のため』にして、それを『那智さんに収めてもらう』ことではじめて快感になるらしいのだ。
だから、ちょっと条件を変更しようと思ってる。
露出で感じるのは『那智さんがいる』ことも大事だけど。
もうひとつ。
『那智さんのため』でしないことと『那智さんに収めてもらう』こと(笑)
私のためにあなたが頼りでいさせてくれれば、快感になると思うのです^^
だって、自己愛がいいんだもん^^
でも、遠くから撮ってる辺りが、怖々な感じ醸し出してるよね。
そこからもわかるように、1人で露出画像を撮るのは、けっこう怖い。(私が過剰反応なのかもしれないけど)
他者の存在も怖いけど、なんていうかな魂を汚すような恐怖も、実は付きまとうと思ってる。
(いつもの、不本意な性行為は女性を傷つける論です^^『秘訣』や『もうひとつの秘訣』や『りん子的独り言って』などなど)
だから、様々な露出画像はあるけれど、端から見るよりも心が疲弊している人も多いのではないかと思うのです。
だから、そんな状態だと画像撮りも長続きもしないし、いい物が撮れないかもしれない?
もし、女性に露出画像を送ってほしかったら、献身よりも命令よりも、自己愛の快感を植え付けるほうが効果があると思うのは、私だけ?
ああ、でも、これちょっと好きになりそうで、怖い^^;
独占欲
独り言
ある夜、少しお酒の入った那智さんからメールが届いた。
さっき『おやすみなさい』と電話を切ったばかりだったのに。
メールには『今、想像する事』というタイトルで、私にしたいと想像することが書かれてあった。
24個。
書かれていることは、すでに一度経験していることもあるし、SMやアブノーマルな世界では比較的定番(?)なこともあったのだけど、電話を切ってからメー ルを送信するまでの時間から考えると、ほとんど迷うことなくそれらを想像したのだなと、想像できる^^(書き貯めておく人じゃないですからね)
その想像のパワーに、ちょっと痺れてしまいながら。
いくつかの、ちょっと引いてしまいそうな想像もあって、『人としてどうか』と思いながらも、どこかで痺れている私もいた。
で、その並んだ『想像する事』を見て、那智さんを駆り立てているのはサディスティックな性癖ではないような気がするのだ。
広い意味で『S』的嗜好だと言えると思うのだけど。
那智さんのそれらを想像させている一番大きなモチベーションは『独占欲』なのではないかと。
ピアスや貸し出しや浣腸や出てくるものは『SM』的なんだけど、根底にあるものは『加虐嗜好』ではなく『独占欲』なんだと、強く感じ取れるのだ。
その強力な『独占欲』を、日頃から感じる。
犬気質の私は独占されることを喜んでいるので、嬉しいことなんだけど。(『犬気質』)
ときどきあまりの強さに、たじろいでしまいそうになることもある。
那智さんに喰い尽くされてしまうんじゃないかと、言葉は不適切だけど恐ろしいと感じることもあるくらい。
『独占欲』というのは、幸せな結末を迎えないような気もするけど。
那智さんは、私の幸せのためにという観点から『父性』(これも定義はあやふやだけど)を使って、独占欲による歪みを矯正して、不幸な道まっしぐらにならずにいると思ってる。
だけど、まあ、強い独占欲と被独占欲の組み合わせは、どうしても歪んでいることは否めないね。
それでも、お互いの求めてやまないもののようなので、互いの幸福を願いながらもこの道を行くのでしょう。
いつか、何かを食べられちゃったとしても、そのぶん物凄く幸せだったからいいですよって。
食べられることもなくこの幸せを知らない人生よりも、こちらを選んでよかったですよって。
たぶん、食べられながら思うと、思う。
那智さんのこの『独占欲』がいつどこで生まれたのか、それはまだわからないのだけど。
歪みを父性で矯正しながら私を幸せにしてくれている那智さんの『独占欲』に、喜んでとことんお付き合いしていこうと思うのだ。
先日、デートのとき、あまりに心が安心して、幸せで、思わずこんなことを言ってしまった。
「那智さん、私幸せ過ぎて、人としてダメになるかもしれない」
こんなことを言えるのだもの、ね。
お付き合いすることが私の本望だと思うのでした。
ある夜、少しお酒の入った那智さんからメールが届いた。
さっき『おやすみなさい』と電話を切ったばかりだったのに。
メールには『今、想像する事』というタイトルで、私にしたいと想像することが書かれてあった。
24個。
書かれていることは、すでに一度経験していることもあるし、SMやアブノーマルな世界では比較的定番(?)なこともあったのだけど、電話を切ってからメー ルを送信するまでの時間から考えると、ほとんど迷うことなくそれらを想像したのだなと、想像できる^^(書き貯めておく人じゃないですからね)
その想像のパワーに、ちょっと痺れてしまいながら。
いくつかの、ちょっと引いてしまいそうな想像もあって、『人としてどうか』と思いながらも、どこかで痺れている私もいた。
で、その並んだ『想像する事』を見て、那智さんを駆り立てているのはサディスティックな性癖ではないような気がするのだ。
広い意味で『S』的嗜好だと言えると思うのだけど。
那智さんのそれらを想像させている一番大きなモチベーションは『独占欲』なのではないかと。
ピアスや貸し出しや浣腸や出てくるものは『SM』的なんだけど、根底にあるものは『加虐嗜好』ではなく『独占欲』なんだと、強く感じ取れるのだ。
その強力な『独占欲』を、日頃から感じる。
犬気質の私は独占されることを喜んでいるので、嬉しいことなんだけど。(『犬気質』)
ときどきあまりの強さに、たじろいでしまいそうになることもある。
那智さんに喰い尽くされてしまうんじゃないかと、言葉は不適切だけど恐ろしいと感じることもあるくらい。
『独占欲』というのは、幸せな結末を迎えないような気もするけど。
那智さんは、私の幸せのためにという観点から『父性』(これも定義はあやふやだけど)を使って、独占欲による歪みを矯正して、不幸な道まっしぐらにならずにいると思ってる。
だけど、まあ、強い独占欲と被独占欲の組み合わせは、どうしても歪んでいることは否めないね。
それでも、お互いの求めてやまないもののようなので、互いの幸福を願いながらもこの道を行くのでしょう。
いつか、何かを食べられちゃったとしても、そのぶん物凄く幸せだったからいいですよって。
食べられることもなくこの幸せを知らない人生よりも、こちらを選んでよかったですよって。
たぶん、食べられながら思うと、思う。
那智さんのこの『独占欲』がいつどこで生まれたのか、それはまだわからないのだけど。
歪みを父性で矯正しながら私を幸せにしてくれている那智さんの『独占欲』に、喜んでとことんお付き合いしていこうと思うのだ。
先日、デートのとき、あまりに心が安心して、幸せで、思わずこんなことを言ってしまった。
「那智さん、私幸せ過ぎて、人としてダメになるかもしれない」
こんなことを言えるのだもの、ね。
お付き合いすることが私の本望だと思うのでした。
徒然に「独占欲」のこと
独り言
前エントリーの『独占欲』をもう少し掘り下げてみます。
いつも書きっぱなしなんだけど、更に思いつくままの『徒然シリーズ』ちょっと気に入ってます^^
まずね、あれを読んで那智さん納得してくれているのだけど、ちょっと疑問に思ったらしくて。
「たじろぐって書いてあるけど、どんな時そうなるの?」と聞いてきた。
実は、はっきりと『こうされたから』とか『こう言われたから』とか具体的な事柄はないんだ。
ただ漠然と感じる。
抱かれているときの見下ろす目に。
おしっこを飲んでいるときの、頭を撫でる指に。
ちょっと元気がなくて沈んでいるときに『どうした?』と聞いてくれる声に。
那智さんの底知れない『独占欲』を感じるときがあるのだ。
「多分、那智さんも『俺の物』とすごーく感じるときがあるますよね?そのときと一致しているかもしれませんよ」
那智さんは普段自分から『俺の物』という言葉を発しない。
(そういうのは『もの』側からいうから成立すると思ってる人なので^^)
だけど、独占欲が満たされ『俺の物』だと強く意識する瞬間があるはずなんだ。
で、全然根拠はないけれど、そのときに醸し出す空気に私はたじろぐのだと思う。
だから、いつというより、那智さんがそう感じたときというのが正解のような感じ。
「じゃあ、独占欲って何?俺そんなに独占欲ある?」
ご本人無意識らしいのだ。
だから、心探り担当の私は日頃感じている那智さんの『独占欲』をお話しする。
那智さんの『独占』の形、多分人が想像する『独占』とは微妙に違っていると推測されるのだけど。
ちなみに辞書で引くと。
独占…ひとりで占有すること。ひとりじめ。
うん、独占ってこういうことですよね。
支配やコントロールというものとは、少し違う。
『俺の物』という感覚。
まあ、俺の物だから、好きなように扱うわけで『コントロール』と違いはないようだけど。
なんていうのかな。
コントロールしたいから独占という方法を使うのと。
独占したくて、その結果コントロールできる場面もある、のでは違うよね。
だから、那智さんの『独占欲』はコントロールではないのだと思う。
(ああ、まとまってない。書きながら考えてる…)
そんなことを考えながら『俺の独占欲って何?』に答えるとするならば。
那智さんは、私の体を那智さんで作りたいとか思いませんか?
どういうこと?
人体的に可能ならば、私の栄養を自分の排泄物だけで摂らせたいと思いません?
那智さんのうんちを食べておしっこを飲んで私は生きていくの。
ああ、うん、そうだね。
極端な例ですけど、そういうことだと思いますよ。
那智さんの独占欲は。
多分、『那智さんで私を生かさせたい(あれ、日本語合ってる?)、那智さんなしでは私は生きられないようにしたい』ということなのだと思うのです。
どうでしょ、コントロールのような聞く女にしたいというのとは違うよね。
だから、那智さんは、私を束縛しない。
これもコントロールと同じなんだけど、独占したいからって行動や交遊を制限したりはしない。
(唯一行動制限したのが『那智さんの嫉妬1234567長いです〜)
『俺がいないと生きていかれない』というのは、叶うかどうかは別にして、もしかしたら健全なことではないかもしれない。
何かに物凄く執着するのは、ある意味すごく幸福だけど、ある意味不幸だ。
だから、『独占欲は幸福な結末を迎えないように思う』と前エントリーで書いたのです。
でも、いまのところ不幸になっていないのは、父性で矯正してなんて漠然と書いたけど、那智さんの『独占欲』は私をコントロールや束縛や制限をしようとしていないからなのではないかと思うのです。
まあ、それでも表に出ない形でコントロールしたり誘導したりはあると思うので、必ずしもゼロじゃないでしょうけどね。
でも、立場や関係による圧力をかけるような形での制限やコントロールは表には出ていないと思います。
全部扉を開け放って、首輪もリードも付けず。
外に出て行きやすいような術を教えたりして時には背中を押してくれたりしているにも関わらず。
あまりに胡座の上が心地よくて、撫で撫でが幸せで、そこから動けない。
『リードつけて〜』とこちらがお願いいちゃうくらい^^
時々出かけていっても『やっぱりここがいい〜』とすぐ膝の上^^;
こうやって、私は喜んで『独占』されていて、那智さんも独占欲を満たしているのではないかと思うのです。
ただ、首輪もリードも付けずに独占して、こちらも幸福に独占されているには、かなり情熱と継続が必要だと思うので、そのパワーを時々垣間見ると、底の深さにたじろぐのです。
その底、ちょっと深そうで。
たじろぐけど、繋いだ手に力が入るのです。
とりあえず、いま幸せな『独占』はこんなふうに成り立っていると思うので、徒然してみました^^
どこに向かうのでしょうね、あなたの独占欲。
『北風と太陽』でいうなら、めちゃくちゃ太陽作戦。
コートどころか、全裸になってしまうかもしれないよ〜、那智さん。
ご一緒に『徒然シリーズ』^^
『徒然に「痛みのこと」』
『徒然に「露出のこと」』
『徒然に「自己嫌悪のこと」』
前エントリーの『独占欲』をもう少し掘り下げてみます。
いつも書きっぱなしなんだけど、更に思いつくままの『徒然シリーズ』ちょっと気に入ってます^^
まずね、あれを読んで那智さん納得してくれているのだけど、ちょっと疑問に思ったらしくて。
「たじろぐって書いてあるけど、どんな時そうなるの?」と聞いてきた。
実は、はっきりと『こうされたから』とか『こう言われたから』とか具体的な事柄はないんだ。
ただ漠然と感じる。
抱かれているときの見下ろす目に。
おしっこを飲んでいるときの、頭を撫でる指に。
ちょっと元気がなくて沈んでいるときに『どうした?』と聞いてくれる声に。
那智さんの底知れない『独占欲』を感じるときがあるのだ。
「多分、那智さんも『俺の物』とすごーく感じるときがあるますよね?そのときと一致しているかもしれませんよ」
那智さんは普段自分から『俺の物』という言葉を発しない。
(そういうのは『もの』側からいうから成立すると思ってる人なので^^)
だけど、独占欲が満たされ『俺の物』だと強く意識する瞬間があるはずなんだ。
で、全然根拠はないけれど、そのときに醸し出す空気に私はたじろぐのだと思う。
だから、いつというより、那智さんがそう感じたときというのが正解のような感じ。
「じゃあ、独占欲って何?俺そんなに独占欲ある?」
ご本人無意識らしいのだ。
だから、心探り担当の私は日頃感じている那智さんの『独占欲』をお話しする。
那智さんの『独占』の形、多分人が想像する『独占』とは微妙に違っていると推測されるのだけど。
ちなみに辞書で引くと。
独占…ひとりで占有すること。ひとりじめ。
うん、独占ってこういうことですよね。
支配やコントロールというものとは、少し違う。
『俺の物』という感覚。
まあ、俺の物だから、好きなように扱うわけで『コントロール』と違いはないようだけど。
なんていうのかな。
コントロールしたいから独占という方法を使うのと。
独占したくて、その結果コントロールできる場面もある、のでは違うよね。
だから、那智さんの『独占欲』はコントロールではないのだと思う。
(ああ、まとまってない。書きながら考えてる…)
そんなことを考えながら『俺の独占欲って何?』に答えるとするならば。
那智さんは、私の体を那智さんで作りたいとか思いませんか?
どういうこと?
人体的に可能ならば、私の栄養を自分の排泄物だけで摂らせたいと思いません?
那智さんのうんちを食べておしっこを飲んで私は生きていくの。
ああ、うん、そうだね。
極端な例ですけど、そういうことだと思いますよ。
那智さんの独占欲は。
多分、『那智さんで私を生かさせたい(あれ、日本語合ってる?)、那智さんなしでは私は生きられないようにしたい』ということなのだと思うのです。
どうでしょ、コントロールのような聞く女にしたいというのとは違うよね。
だから、那智さんは、私を束縛しない。
これもコントロールと同じなんだけど、独占したいからって行動や交遊を制限したりはしない。
(唯一行動制限したのが『那智さんの嫉妬1234567長いです〜)
『俺がいないと生きていかれない』というのは、叶うかどうかは別にして、もしかしたら健全なことではないかもしれない。
何かに物凄く執着するのは、ある意味すごく幸福だけど、ある意味不幸だ。
だから、『独占欲は幸福な結末を迎えないように思う』と前エントリーで書いたのです。
でも、いまのところ不幸になっていないのは、父性で矯正してなんて漠然と書いたけど、那智さんの『独占欲』は私をコントロールや束縛や制限をしようとしていないからなのではないかと思うのです。
まあ、それでも表に出ない形でコントロールしたり誘導したりはあると思うので、必ずしもゼロじゃないでしょうけどね。
でも、立場や関係による圧力をかけるような形での制限やコントロールは表には出ていないと思います。
全部扉を開け放って、首輪もリードも付けず。
外に出て行きやすいような術を教えたりして時には背中を押してくれたりしているにも関わらず。
あまりに胡座の上が心地よくて、撫で撫でが幸せで、そこから動けない。
『リードつけて〜』とこちらがお願いいちゃうくらい^^
時々出かけていっても『やっぱりここがいい〜』とすぐ膝の上^^;
こうやって、私は喜んで『独占』されていて、那智さんも独占欲を満たしているのではないかと思うのです。
ただ、首輪もリードも付けずに独占して、こちらも幸福に独占されているには、かなり情熱と継続が必要だと思うので、そのパワーを時々垣間見ると、底の深さにたじろぐのです。
その底、ちょっと深そうで。
たじろぐけど、繋いだ手に力が入るのです。
とりあえず、いま幸せな『独占』はこんなふうに成り立っていると思うので、徒然してみました^^
どこに向かうのでしょうね、あなたの独占欲。
『北風と太陽』でいうなら、めちゃくちゃ太陽作戦。
コートどころか、全裸になってしまうかもしれないよ〜、那智さん。
ご一緒に『徒然シリーズ』^^
『徒然に「痛みのこと」』
『徒然に「露出のこと」』
『徒然に「自己嫌悪のこと」』
「全部書け」の弊害
独り言
ブログをはじめて2、3日の間に那智さんからスタンスについての指針が出されたことは何回か書いている。
とにかく『書きたーい』と登録や開設を突き進めて、思い立ったその日のうちにスタートさせたのだ。
大げさだけど、それまでほとんどネットをしたことがなかった私にはまさに突き進めるという感じだった。
これも何度か書いているけど、タイトルは立ち上げた途端に却下(笑)
なんと最初はタイトルに『M』と入っていたんだ(だって、そのほうが同じ嗜好の人に受け入れられやすいと思ったのだもの^^)
そこでまず『SMを意識しないで書く』ということを言われた。
で、翌日あたりにもうひとつ言われたことが
『全部書け』
だった。
ここに書かれていることは真実か事実かなんてわかりっこしないけど、少なくとも『ウソじゃないだろう』と思ってもらいたかったのだそうだ。
(全部書けって言葉は『暗闇にならない「あなたのため」』『心のまま』とかに書いてあります)
那智さんは『正直でいることが一番強い』と時々私に言う。
きっと、私がブログを続けるにあたって、この強みを持たせてくれた部分もあるのだと思う。
だから、生い立ちやぐずぐずする気持ちなどもかいてきた。
まあ、実際は『全部』なんて書けるわけないので、言葉通りの全部ではないのだけど。
なんていうかな、『ためらわず書け』とか『都合の良いことだけ書くな』とかそういう意味で言っているのだと思ってる。
結末があって、そこに至るプロセスを『キレイごと』で済ませてしまうのではなく、そこまで書かなくてもというような『ぐるぐる』まで書いて結末に辿り着く、そんな具合かな。
例えば『娘デート』 で私が悲しくなってしまったことなどは、『とても恥ずかしいことを那智さんにされて悲しくなってしまった』とだけ書くよりも、私も恥ずかしいし那智さんの評判 も落としかねないことだけど、『お尻に指突っ込まれて「臭い」とからかわれたから悲しくなった』と書くほうが、悲しさの量や落ち込む正当性、そこから這い 上がるむずかしさなんかが伝わるよね。
こういうことが『全部書け』なのですね。
だから、私はやたらと『ぐずぐず、ぐるぐる』した女になってしまっている(笑)
もちろん、そこまで書かなくても充分伝えられる人もいるし、ほんとは伝える必要もないのだとも思う。
そして、そこに書かれていることが事実かどうかが重要なのでもないとも思う。
だから、いろんなスタンスのブログがあっていいのだけど、『薬指の刺青』はこうだということね。
で、この『全部書く』は、けっこうパワーがいるのです。
だってさ、『最後は幸せでした』を書くために、私はどれだけかなしくて、どんなふうに突っかかったかを書くのだよ。
ったく、面倒な女〜にならないといけないのだもの。
それとか、排泄関係のことだって、書きながら『みんな引いちゃう〜』とヒヤヒヤ、実際『くぅ〜』なんて言いながら書いていたりもするのだ。
だから、ある意味赤裸々なエントリーは、書き終わるとどどっと疲れる^^;
ああ、でも、私のせいでもあるんだな。
『1cmのことを3mにも書く』と那智さんに言われている私の文章は、書いている私も疲れるわね。
しかも、アンテナに引っかかった事柄や感情をできるだけ書きたいと思うと、そりゃあ3mにもなるわけだ。
それでも、この疲労は打ち出した指針の結果。
それをかなりの量裏方で支えてくれて『全部書け』の責任を負ってくれているので感謝しているのですが。
書く労力や赤裸々ゆえの疲労感は、やっぱり私のほうが大きい。
だから、『全部書け』の苦労は私がかなり背負っていると思っていたのですが。
その弊害は那智さんにもあったのだ!!
『娘デート4』のホテルでのこの会話を憶えていらっしゃますか?
「さっきのランチもそうだけど、俺たちふたりでいると周りが優しいだろ?」
「はい;;」
「俺たちがいい人だからだよ^^」
この日はあまりにも幸せで、本気に『娘気分』になってしまっていた私は那智さんの腕の中で、ほんとに娘のように『メソメソ』と泣いてしまっていました。
ともすれば、こんなに幸せだと不幸になるみたいな不安さえ感じ出してしまいそうなほどでした。
それを、不幸に転じないように、幸せなままでいさせてくれるために、那智さんが言った言葉が。
「さっきのランチもそうだけど、俺たちふたりでいると周りが優しいだろ?」
「はい;;」
「俺たちがいい人だからだよ^^」
だったわけです。
これを読んだとき、那智さんテレまくり^^(だから、また二回も載せてみました♪)
「俺キザすぎだよな〜!!」
いま書いたような背景を、もう少し加えていれば多少のフォローになっていたかもしれないけど、あの会話だけじゃね〜、俺何者!?みたいなテレ方。(あ、ここは全部書いていないですね^^)
読んでいる方が、このセリフをどう感じているのか、テレまくりながら気にしていました。
拍手コメントなどでも概ね好評だったこの会話なのですが、どうしても女性からの感想が多く、那智さんとしては同性の目が気になっていたようです。
もし逆の立場だったら『なんだカッコつけて〜』と思うだろうと^^
そこに男性上得意様のパイパン大好きさんからコメントが!!(登場させてくださいね^^)
其れにしても那智さんのお話
>「・・・俺たちふたりでいると周りが優しいだろ?」
>「はい;;」
>「俺たちがいい人だからだよ^^」
まるで月9ドラマのセリフのような、、私などは恥かしすぎて言えない。。
これが、トドメの一撃〜^^
スーパーナイスなツッコミに那智さん心は悶絶状態。
「やっぱりそうだよな〜^^;」
まあ、誰かがツッコンでくれたほうが風通しも良くなるので、テレながらも感謝していましたけど^^
本人、かなりこそばゆかった様子でした。
(パイパン大好きさん、これからも時々心優しいツッコミをお願いしますね^^)
これが『全部書け』の弊害^^
りん子フィルターは基本的に脚色はしていない。
(りん子フィルターってね、『合間の一服』『ほろ酔いです』)
だけど、私のアンテナはいろんなことに振れちゃうから、きっと那智さん白馬に乗った王子様になってしまうこともある^^;
それ故の『那智さん悶絶』。
これが『全部書け』の那智さんに起こる弊害。
それは甘んじて受けると言ってくれたし、那智さんにも疲労があるなら、まあいいか、私ばっかりと思わずにいられるのでした。
で、悶絶ついでに^^
この前那智さんがこんなことを言った。
『薬指』はりん子が書いているから、りん子ファンはいるよな。
まあ、ファンというとおこがましいですけど、好んでくださっている方はいますよね。
じゃあ、那智ファンっていないのかなぁ?
ですって〜〜〜〜〜。
そんなこと気にしていたのですか!?
人の目は気にするなとかいつも私に言っているのに〜^^
この会話、那智さん的にはきっと照れ臭いはずなんだ^^
でも、全部書けと言われているので、ご命令に忠実な従者の私は涙を飲んで従いました。
那智さん、ファンほしいらしいです^^
恐らく、アップされたこれを読んで、今頃那智さん心の中で悶絶しているかもしれません^^
『全部書け』の弊害を甘受してくれている那智さんに、那智ファンさんいらっしゃいましたらエールを送ってくださると嬉しいです^^
ということで、これからもぜーぜーハァハァしながらも全部書いていこうと思うのでした。
ときどき那智さんにも悶絶していただきながら^^
あ、そうそう、那智さんファンほしいらしいです(しつこい 笑)
ブログをはじめて2、3日の間に那智さんからスタンスについての指針が出されたことは何回か書いている。
とにかく『書きたーい』と登録や開設を突き進めて、思い立ったその日のうちにスタートさせたのだ。
大げさだけど、それまでほとんどネットをしたことがなかった私にはまさに突き進めるという感じだった。
これも何度か書いているけど、タイトルは立ち上げた途端に却下(笑)
なんと最初はタイトルに『M』と入っていたんだ(だって、そのほうが同じ嗜好の人に受け入れられやすいと思ったのだもの^^)
そこでまず『SMを意識しないで書く』ということを言われた。
で、翌日あたりにもうひとつ言われたことが
『全部書け』
だった。
ここに書かれていることは真実か事実かなんてわかりっこしないけど、少なくとも『ウソじゃないだろう』と思ってもらいたかったのだそうだ。
(全部書けって言葉は『暗闇にならない「あなたのため」』『心のまま』とかに書いてあります)
那智さんは『正直でいることが一番強い』と時々私に言う。
きっと、私がブログを続けるにあたって、この強みを持たせてくれた部分もあるのだと思う。
だから、生い立ちやぐずぐずする気持ちなどもかいてきた。
まあ、実際は『全部』なんて書けるわけないので、言葉通りの全部ではないのだけど。
なんていうかな、『ためらわず書け』とか『都合の良いことだけ書くな』とかそういう意味で言っているのだと思ってる。
結末があって、そこに至るプロセスを『キレイごと』で済ませてしまうのではなく、そこまで書かなくてもというような『ぐるぐる』まで書いて結末に辿り着く、そんな具合かな。
例えば『娘デート』 で私が悲しくなってしまったことなどは、『とても恥ずかしいことを那智さんにされて悲しくなってしまった』とだけ書くよりも、私も恥ずかしいし那智さんの評判 も落としかねないことだけど、『お尻に指突っ込まれて「臭い」とからかわれたから悲しくなった』と書くほうが、悲しさの量や落ち込む正当性、そこから這い 上がるむずかしさなんかが伝わるよね。
こういうことが『全部書け』なのですね。
だから、私はやたらと『ぐずぐず、ぐるぐる』した女になってしまっている(笑)
もちろん、そこまで書かなくても充分伝えられる人もいるし、ほんとは伝える必要もないのだとも思う。
そして、そこに書かれていることが事実かどうかが重要なのでもないとも思う。
だから、いろんなスタンスのブログがあっていいのだけど、『薬指の刺青』はこうだということね。
で、この『全部書く』は、けっこうパワーがいるのです。
だってさ、『最後は幸せでした』を書くために、私はどれだけかなしくて、どんなふうに突っかかったかを書くのだよ。
ったく、面倒な女〜にならないといけないのだもの。
それとか、排泄関係のことだって、書きながら『みんな引いちゃう〜』とヒヤヒヤ、実際『くぅ〜』なんて言いながら書いていたりもするのだ。
だから、ある意味赤裸々なエントリーは、書き終わるとどどっと疲れる^^;
ああ、でも、私のせいでもあるんだな。
『1cmのことを3mにも書く』と那智さんに言われている私の文章は、書いている私も疲れるわね。
しかも、アンテナに引っかかった事柄や感情をできるだけ書きたいと思うと、そりゃあ3mにもなるわけだ。
それでも、この疲労は打ち出した指針の結果。
それをかなりの量裏方で支えてくれて『全部書け』の責任を負ってくれているので感謝しているのですが。
書く労力や赤裸々ゆえの疲労感は、やっぱり私のほうが大きい。
だから、『全部書け』の苦労は私がかなり背負っていると思っていたのですが。
その弊害は那智さんにもあったのだ!!
『娘デート4』のホテルでのこの会話を憶えていらっしゃますか?
「さっきのランチもそうだけど、俺たちふたりでいると周りが優しいだろ?」
「はい;;」
「俺たちがいい人だからだよ^^」
この日はあまりにも幸せで、本気に『娘気分』になってしまっていた私は那智さんの腕の中で、ほんとに娘のように『メソメソ』と泣いてしまっていました。
ともすれば、こんなに幸せだと不幸になるみたいな不安さえ感じ出してしまいそうなほどでした。
それを、不幸に転じないように、幸せなままでいさせてくれるために、那智さんが言った言葉が。
「さっきのランチもそうだけど、俺たちふたりでいると周りが優しいだろ?」
「はい;;」
「俺たちがいい人だからだよ^^」
だったわけです。
これを読んだとき、那智さんテレまくり^^(だから、また二回も載せてみました♪)
「俺キザすぎだよな〜!!」
いま書いたような背景を、もう少し加えていれば多少のフォローになっていたかもしれないけど、あの会話だけじゃね〜、俺何者!?みたいなテレ方。(あ、ここは全部書いていないですね^^)
読んでいる方が、このセリフをどう感じているのか、テレまくりながら気にしていました。
拍手コメントなどでも概ね好評だったこの会話なのですが、どうしても女性からの感想が多く、那智さんとしては同性の目が気になっていたようです。
もし逆の立場だったら『なんだカッコつけて〜』と思うだろうと^^
そこに男性上得意様のパイパン大好きさんからコメントが!!(登場させてくださいね^^)
其れにしても那智さんのお話
>「・・・俺たちふたりでいると周りが優しいだろ?」
>「はい;;」
>「俺たちがいい人だからだよ^^」
まるで月9ドラマのセリフのような、、私などは恥かしすぎて言えない。。
これが、トドメの一撃〜^^
スーパーナイスなツッコミに那智さん心は悶絶状態。
「やっぱりそうだよな〜^^;」
まあ、誰かがツッコンでくれたほうが風通しも良くなるので、テレながらも感謝していましたけど^^
本人、かなりこそばゆかった様子でした。
(パイパン大好きさん、これからも時々心優しいツッコミをお願いしますね^^)
これが『全部書け』の弊害^^
りん子フィルターは基本的に脚色はしていない。
(りん子フィルターってね、『合間の一服』『ほろ酔いです』)
だけど、私のアンテナはいろんなことに振れちゃうから、きっと那智さん白馬に乗った王子様になってしまうこともある^^;
それ故の『那智さん悶絶』。
これが『全部書け』の那智さんに起こる弊害。
それは甘んじて受けると言ってくれたし、那智さんにも疲労があるなら、まあいいか、私ばっかりと思わずにいられるのでした。
で、悶絶ついでに^^
この前那智さんがこんなことを言った。
『薬指』はりん子が書いているから、りん子ファンはいるよな。
まあ、ファンというとおこがましいですけど、好んでくださっている方はいますよね。
じゃあ、那智ファンっていないのかなぁ?
ですって〜〜〜〜〜。
そんなこと気にしていたのですか!?
人の目は気にするなとかいつも私に言っているのに〜^^
この会話、那智さん的にはきっと照れ臭いはずなんだ^^
でも、全部書けと言われているので、ご命令に忠実な従者の私は涙を飲んで従いました。
那智さん、ファンほしいらしいです^^
恐らく、アップされたこれを読んで、今頃那智さん心の中で悶絶しているかもしれません^^
『全部書け』の弊害を甘受してくれている那智さんに、那智ファンさんいらっしゃいましたらエールを送ってくださると嬉しいです^^
ということで、これからもぜーぜーハァハァしながらも全部書いていこうと思うのでした。
ときどき那智さんにも悶絶していただきながら^^
あ、そうそう、那智さんファンほしいらしいです(しつこい 笑)
球体
りん子的独り言(エラそう)
もしかしたら、ちょっと偏ったことを書いてしまうかもしれない。
物事にはいろんな側面があって、いま見ているものだけが唯一じゃないですよね。
どれが正解かを問いたいのではなくて、こんな側面もあるのではないかな。
そんな反対側からのことです。
こちら側からのことってあまり読んだことないから書いてみますが、そんなこともあるかなと思って読んでいただけるとありがたいです。
半年くらい前になるかな。
少し改まって那智さんに言われた。
まだ、そうじゃないけど、今後そうなる可能性があるから先に忠告しておくね。
りん子は、ずいぶん強くなって自己主張もできるようになった。
強くなることはいいことだ、だけど、自己主張できると優しさが減ってしまうこともある。
強く言えるようになるからね。
だから、りん子の優しさをなくさないように、気をつけること。
ああ、それ、ちょっと危険を孕んでいると思ってました。
確かにこの数年で自己主張する訓練を積めて、その場ででも頭をクリアにして、問題の本質や伝えたいことが多少はわかるようになってきている。
だから、なんでも闇雲に『ごめんなさい』と言わずに済んでいる。
それはとても良いことなんだけど、自己主張してそれがうまくいった場合の爽快感みたいなものも味わっているも確かで、それが危険だなと思っていた。
その爽快感が、人を傷つけていても気づかない無神経さにいつか繋がってしまいそうで。
私も、密かに危惧していた。
でも、見ないフリをしていたことを指摘されたのだ。
那智さん、私、優しさなくなっていますか?
いまは、大丈夫。
ただ、これからその可能性もあるからいまのうちに忠告している。
じゃあ、いつかなくなってしまうでしょうか。
それを意識していれば、大丈夫。
那智さん、あれから半年ほど過ぎています。
私の優しさ減っていませんか?
ずっと昔。
なんだか傷つきやすくて、少しのことで悲しくなって友だちに『もっとしっかりしなよ』『りん子はもう少し強くなったほうがいい』と言われると、いつもひとつのイメージを頭に描いていた。
(すぐ傷ついちゃうことは(『アンテナ』と『チューニング』セットで^^)
それはね、『球体』^^
人の能力というか性格というか、それはその人ごとに体積が決まっていて、それを丸い『球体』で想像していたの。
私の『球』はこの大きさ。
あなたのは、それより大きかったり小さかったり。
人は、その自分の『球体』の体積を大事に抱えて生きていくイメージ。
だから、『もっとしっかりしなよ』『もう少し強くなったほうがいい』と言われるときに。
どうして『強くなれ』『しっかりしろ』とどんどん『こぶ』を増やそうとするの?
まるでそれしか道がないかのように。
じゃあ、この『球体』に強さを出っ張らせたら、きっとどこか凹むよ。
もしかしたら、その凹みは優しさかもしれないよ。
たいして強くなくてすぐメソメソしてしまうけど、人を傷つけたくないといつも思ってる、それだけじゃダメ?
いまだから、それは弱さだけじゃなくて、『アンテナ』の感度のせいでもある(なんでもそのせいだとは思っていませんよ)と思えるから、ずいぶん楽になったけど、以前は、そんなふうに心の中で思っていた。
いまある『球体』でいていいじゃないと、ゴムボールが出っ張ったり凹んだりして歪む姿を想像していた。
那智さんの忠告を聞きながら、この『球体』を思っていた。
なぜ、弱いことは悪いことのように言うのだろう。
なぜ、強く主張できたほうが、弱いほうを正さなきゃいけないんだろう。
那智さんの忠告を聞いて、『球体』を思い、過去といまの自分を交互に比べて、私はどんなふうになれればいいのだろうと、少し困っていた。
ところで、読売新聞に『人生案内』というコーナーがあるのをご存知ですか。
一般の人の悩みに各界の識者が応えるのだ。
いろいろな悩みを抱えている人とそれにそれぞれの個性で応える識者、興味深いのです。
(興味深いお話は別の機会に^^)
先日その中に、ずっと考えていた『球体』のイメージと那智さんの忠告で少し困惑した気持ちに答えてくれるような回答を見つけた。
下記に全文載せます。
<相談>
20歳代前半の女子大学生です。気弱な性格のため、いろいろと損をしてきました。口数が少なく、すぐに泣く。運動が苦手で動作も遅いなど、人から侮られる 要素がたくさんあります。年下の人にも、今までさんざんばかにされ、利用されてきました。小、中、高校と、いじめに遭いました。
大学でも友達がいません。授業で共同作業をすることもあるのですが、また嫌なことを押しつけられるのでは、集中攻撃されるのでは、とビクビクしています。 周囲は、気が強く腹が立つことをされればその場でガツンと言える人たちばかり。私1人、ガツンと言えないために、相手への怒りの気持ちも収まりません。
自分のこんな性格を最近激しく憎むようになりました。何で私をこんなふうに生んだのと、親を恨んでしまうことも。生まれてこなければよかったのにと思ってしまいます。(宮城・R美)
<回答>
ご自分の弱さに対する歯がゆさが、ひしひしと伝わってきます。確かに今は、内向的な人にとっていささか生きづらい世の中なのかもしれない。でも本当は、そ れぞれの個性で生きることこそ、人間に課せられた課題なんです。世の中、みんな勝気な人、明るい人ばかりでは面白くもないし、第一、社会が成立しません よ。
ヒントになるか分かりませんが、中国古代の哲学者・老子が勧める「水のような生き方」を紹介してみます。水は先を争うことなく、あるがままに流れて、人が 好まない低い所にとどまり、万物を潤す。水は柔らかく、突っ張らず、実に弱々しいけれど、硬い岩をゆっくり砕き、長い間に大きな役割を目立たずに果たす。
私もこういう生き方にあこがれているのですが、考えてみると、あなたもあえて強く「ガツンと言える」人に変身する必要がどこにありましょう。ガツンとあち こちで言えば、結局は自分が傷つくんです。小さな自分を声高に主張したって、いくらのものでもありません。対して、控えめで無心で水のようであれば傷つく ことも少ない。
つまり「弱さを貫く」ことこそ、本当の価値ある生き方につながるのではないでしょうか。
(野村 総一郎・精神科医)
http://www.yomiuri.co.jp/jinsei/shinshin/20090913-OYT8T00191.htm
『水のような生き方』『弱さを貫く』
いいな、これ、なんだかとてもスッキリした。
そうなんだ。
弱いことを、なぜ変える必要があるのだろう。
みんなが強ければ成り立たないし、第一みんなが強くなればまたその中で強弱もできる。
そこで、そこでまた『強くなれ』と正し合う。
それは決して幸福なことではないのではないか。
もちろん、私の友人などは本気で心配してくれて、弱い私に付き合うことでいろんな面倒を引き受けてくれた被害者でもあるので、弱いことが正しいと声高にいうつもりはないのです。
だけど、心ない人の『りん子ちゃん、ダメじゃん』という言葉は、その人の優越感に繋がっていないだろうか。
だとすれば、その人は『弱い人』が存在するから、優越感を味わわせてもらえてるとも言えないだろうか。
しっかりしている人にお手数をかけてしまうような弱さは、厄介かもしれない。
だけど、『まったく弱いんだから』と強い人から言われ続ける傷を、言っているほうは気づいているだろうか。
(この辺り、敢えて極端な言い方してますよ^^)
実は持ちつ持たれつで、優劣なんてないんじゃない?
弱い人も強い人もいて世の中は成り立っているのだとしたら、どちらがえらくて、どちらが劣ってるなんて思わないでいいのではないかしら。
弱いことは正解じゃないかもしれない。
だけど、強いだけが、唯一の正解でもないよね。
両方がただ共存してればいだけのこと。
そう思った。
そしたら、私の『球体』の体積、このままでもよかったんだと思えた。
そして、改めて那智さんの忠告を思い出す。
私は、自己主張できるようになってきっと『球体』にこぶがひとつ増えたのだ。
那智さんは、こぶが増えたことを意識していれば凹まないと忠告している。
無理矢理こぶをくっつける必要なんかない。
人は自然に『球体』の体積を増やすことができるみたいなのだ。
で、新聞を読んで那智さんの忠告に応える私の目標を決めた。
『弱さを貫く』こと。
これからも体積に変動はあるかもしれないけど、『水のように弱さを貫く』強さを持ちたいと憧れることにします^^
ああ、でも、どうやれば『弱さを貫ける』のだろう!?
いまだって、私の水は『かーっ』となって沸騰したり『がーん』となって凍ったりしている。
全然、貫けていない^^;
だけど、憧れを持つだけでも、一歩前進だよね^^
こちら側からの一方的な意見でした。
でも、ずっと正論?常識?の正面からしか見ていなくて、主張できない自分を『球体』なんてイメージしてもがいていたけれど、違う側面もあると気づけたことは、とても安心することでした。
『水のように、弱さを貫く』
こんな考え方もひとつの道として、ありなんじゃないかしら。
偏った話にお付き合いくださってありがとうございました^^
那智さん。
あれから半年過ぎていますけど、私の球体ま〜るいままでいられていますか?
少しは、水のように弱さを貫けていますか?
そんなふうに問いかけて、ずっと昔から思い描いていた私の『球体』をもう一度思い出してみる。
いまよりちょっと小さかった球体を忘れないように。
追記^^
前エントリーでは、那智さんファン表明をありがとうございました^^
コメントはもちろん拍手コメントでもいただけて、嬉しかったです。
基本的に拍手コメントにはお返事しないのですが、今回は那智さんに変わってお礼をさせていただきます。
お馴染みの方や『自称女の子』さん(うふふ、6歳児かな?)、男性さんからもいただきました。
なんの前触れもなくいきなりアップしたので那智さんとしては、照れ臭いエントリーになってしまったと思いますが、きっと喜んでくれていると思います^^;
ありがとうございました〜♪
もしかしたら、ちょっと偏ったことを書いてしまうかもしれない。
物事にはいろんな側面があって、いま見ているものだけが唯一じゃないですよね。
どれが正解かを問いたいのではなくて、こんな側面もあるのではないかな。
そんな反対側からのことです。
こちら側からのことってあまり読んだことないから書いてみますが、そんなこともあるかなと思って読んでいただけるとありがたいです。
半年くらい前になるかな。
少し改まって那智さんに言われた。
まだ、そうじゃないけど、今後そうなる可能性があるから先に忠告しておくね。
りん子は、ずいぶん強くなって自己主張もできるようになった。
強くなることはいいことだ、だけど、自己主張できると優しさが減ってしまうこともある。
強く言えるようになるからね。
だから、りん子の優しさをなくさないように、気をつけること。
ああ、それ、ちょっと危険を孕んでいると思ってました。
確かにこの数年で自己主張する訓練を積めて、その場ででも頭をクリアにして、問題の本質や伝えたいことが多少はわかるようになってきている。
だから、なんでも闇雲に『ごめんなさい』と言わずに済んでいる。
それはとても良いことなんだけど、自己主張してそれがうまくいった場合の爽快感みたいなものも味わっているも確かで、それが危険だなと思っていた。
その爽快感が、人を傷つけていても気づかない無神経さにいつか繋がってしまいそうで。
私も、密かに危惧していた。
でも、見ないフリをしていたことを指摘されたのだ。
那智さん、私、優しさなくなっていますか?
いまは、大丈夫。
ただ、これからその可能性もあるからいまのうちに忠告している。
じゃあ、いつかなくなってしまうでしょうか。
それを意識していれば、大丈夫。
那智さん、あれから半年ほど過ぎています。
私の優しさ減っていませんか?
ずっと昔。
なんだか傷つきやすくて、少しのことで悲しくなって友だちに『もっとしっかりしなよ』『りん子はもう少し強くなったほうがいい』と言われると、いつもひとつのイメージを頭に描いていた。
(すぐ傷ついちゃうことは(『アンテナ』と『チューニング』セットで^^)
それはね、『球体』^^
人の能力というか性格というか、それはその人ごとに体積が決まっていて、それを丸い『球体』で想像していたの。
私の『球』はこの大きさ。
あなたのは、それより大きかったり小さかったり。
人は、その自分の『球体』の体積を大事に抱えて生きていくイメージ。
だから、『もっとしっかりしなよ』『もう少し強くなったほうがいい』と言われるときに。
どうして『強くなれ』『しっかりしろ』とどんどん『こぶ』を増やそうとするの?
まるでそれしか道がないかのように。
じゃあ、この『球体』に強さを出っ張らせたら、きっとどこか凹むよ。
もしかしたら、その凹みは優しさかもしれないよ。
たいして強くなくてすぐメソメソしてしまうけど、人を傷つけたくないといつも思ってる、それだけじゃダメ?
いまだから、それは弱さだけじゃなくて、『アンテナ』の感度のせいでもある(なんでもそのせいだとは思っていませんよ)と思えるから、ずいぶん楽になったけど、以前は、そんなふうに心の中で思っていた。
いまある『球体』でいていいじゃないと、ゴムボールが出っ張ったり凹んだりして歪む姿を想像していた。
那智さんの忠告を聞きながら、この『球体』を思っていた。
なぜ、弱いことは悪いことのように言うのだろう。
なぜ、強く主張できたほうが、弱いほうを正さなきゃいけないんだろう。
那智さんの忠告を聞いて、『球体』を思い、過去といまの自分を交互に比べて、私はどんなふうになれればいいのだろうと、少し困っていた。
ところで、読売新聞に『人生案内』というコーナーがあるのをご存知ですか。
一般の人の悩みに各界の識者が応えるのだ。
いろいろな悩みを抱えている人とそれにそれぞれの個性で応える識者、興味深いのです。
(興味深いお話は別の機会に^^)
先日その中に、ずっと考えていた『球体』のイメージと那智さんの忠告で少し困惑した気持ちに答えてくれるような回答を見つけた。
下記に全文載せます。
<相談>
20歳代前半の女子大学生です。気弱な性格のため、いろいろと損をしてきました。口数が少なく、すぐに泣く。運動が苦手で動作も遅いなど、人から侮られる 要素がたくさんあります。年下の人にも、今までさんざんばかにされ、利用されてきました。小、中、高校と、いじめに遭いました。
大学でも友達がいません。授業で共同作業をすることもあるのですが、また嫌なことを押しつけられるのでは、集中攻撃されるのでは、とビクビクしています。 周囲は、気が強く腹が立つことをされればその場でガツンと言える人たちばかり。私1人、ガツンと言えないために、相手への怒りの気持ちも収まりません。
自分のこんな性格を最近激しく憎むようになりました。何で私をこんなふうに生んだのと、親を恨んでしまうことも。生まれてこなければよかったのにと思ってしまいます。(宮城・R美)
<回答>
ご自分の弱さに対する歯がゆさが、ひしひしと伝わってきます。確かに今は、内向的な人にとっていささか生きづらい世の中なのかもしれない。でも本当は、そ れぞれの個性で生きることこそ、人間に課せられた課題なんです。世の中、みんな勝気な人、明るい人ばかりでは面白くもないし、第一、社会が成立しません よ。
ヒントになるか分かりませんが、中国古代の哲学者・老子が勧める「水のような生き方」を紹介してみます。水は先を争うことなく、あるがままに流れて、人が 好まない低い所にとどまり、万物を潤す。水は柔らかく、突っ張らず、実に弱々しいけれど、硬い岩をゆっくり砕き、長い間に大きな役割を目立たずに果たす。
私もこういう生き方にあこがれているのですが、考えてみると、あなたもあえて強く「ガツンと言える」人に変身する必要がどこにありましょう。ガツンとあち こちで言えば、結局は自分が傷つくんです。小さな自分を声高に主張したって、いくらのものでもありません。対して、控えめで無心で水のようであれば傷つく ことも少ない。
つまり「弱さを貫く」ことこそ、本当の価値ある生き方につながるのではないでしょうか。
(野村 総一郎・精神科医)
http://www.yomiuri.co.jp/jinsei/shinshin/20090913-OYT8T00191.htm
『水のような生き方』『弱さを貫く』
いいな、これ、なんだかとてもスッキリした。
そうなんだ。
弱いことを、なぜ変える必要があるのだろう。
みんなが強ければ成り立たないし、第一みんなが強くなればまたその中で強弱もできる。
そこで、そこでまた『強くなれ』と正し合う。
それは決して幸福なことではないのではないか。
もちろん、私の友人などは本気で心配してくれて、弱い私に付き合うことでいろんな面倒を引き受けてくれた被害者でもあるので、弱いことが正しいと声高にいうつもりはないのです。
だけど、心ない人の『りん子ちゃん、ダメじゃん』という言葉は、その人の優越感に繋がっていないだろうか。
だとすれば、その人は『弱い人』が存在するから、優越感を味わわせてもらえてるとも言えないだろうか。
しっかりしている人にお手数をかけてしまうような弱さは、厄介かもしれない。
だけど、『まったく弱いんだから』と強い人から言われ続ける傷を、言っているほうは気づいているだろうか。
(この辺り、敢えて極端な言い方してますよ^^)
実は持ちつ持たれつで、優劣なんてないんじゃない?
弱い人も強い人もいて世の中は成り立っているのだとしたら、どちらがえらくて、どちらが劣ってるなんて思わないでいいのではないかしら。
弱いことは正解じゃないかもしれない。
だけど、強いだけが、唯一の正解でもないよね。
両方がただ共存してればいだけのこと。
そう思った。
そしたら、私の『球体』の体積、このままでもよかったんだと思えた。
そして、改めて那智さんの忠告を思い出す。
私は、自己主張できるようになってきっと『球体』にこぶがひとつ増えたのだ。
那智さんは、こぶが増えたことを意識していれば凹まないと忠告している。
無理矢理こぶをくっつける必要なんかない。
人は自然に『球体』の体積を増やすことができるみたいなのだ。
で、新聞を読んで那智さんの忠告に応える私の目標を決めた。
『弱さを貫く』こと。
これからも体積に変動はあるかもしれないけど、『水のように弱さを貫く』強さを持ちたいと憧れることにします^^
ああ、でも、どうやれば『弱さを貫ける』のだろう!?
いまだって、私の水は『かーっ』となって沸騰したり『がーん』となって凍ったりしている。
全然、貫けていない^^;
だけど、憧れを持つだけでも、一歩前進だよね^^
こちら側からの一方的な意見でした。
でも、ずっと正論?常識?の正面からしか見ていなくて、主張できない自分を『球体』なんてイメージしてもがいていたけれど、違う側面もあると気づけたことは、とても安心することでした。
『水のように、弱さを貫く』
こんな考え方もひとつの道として、ありなんじゃないかしら。
偏った話にお付き合いくださってありがとうございました^^
那智さん。
あれから半年過ぎていますけど、私の球体ま〜るいままでいられていますか?
少しは、水のように弱さを貫けていますか?
そんなふうに問いかけて、ずっと昔から思い描いていた私の『球体』をもう一度思い出してみる。
いまよりちょっと小さかった球体を忘れないように。
追記^^
前エントリーでは、那智さんファン表明をありがとうございました^^
コメントはもちろん拍手コメントでもいただけて、嬉しかったです。
基本的に拍手コメントにはお返事しないのですが、今回は那智さんに変わってお礼をさせていただきます。
お馴染みの方や『自称女の子』さん(うふふ、6歳児かな?)、男性さんからもいただきました。
なんの前触れもなくいきなりアップしたので那智さんとしては、照れ臭いエントリーになってしまったと思いますが、きっと喜んでくれていると思います^^;
ありがとうございました〜♪