『あなたのために』はしない
りん子的独り言(生意気)
わたしのために。
わたしが気持ちいい。
などなど、かなり自分中心な書き方をしていますが。
実際のわたしは、けっこう健気でね(笑)
那智さんの脱いだ靴は履きやすいように揃えるし〜。
お風呂に入ったらバスタオルの準備するし〜。
タバコを手にしたら、灰皿を良い位置に移動させるし〜。
もうすぐ付き合って7年目になるけど、ずっと敬語は変わらないし〜。
通勤電車が遅れたら、その電車に悪態つくし〜。
(自分フォロー 笑)
それは那智さんのためというよりは、好きな人の快適を願う自然な感情としてある。
『暗闇の安息』というエントリーを書いた。
わたしは自己評価が低く、自分には愛される価値がないと思っていて、それ故に必要以上にへりくだり、求められる以上のものを差し出していた。
そうしないと愛されないと思っていたからだ。
(えっと、かなりそこだけにスポット当ててますよ^^そんな悲劇だけじゃないですよ)
染み込んだ『愛されたいからたくさんあげる』という暗闇は、なかなか抜け出すことができなくて『暗闇の安息』。
いけないとわかっていることから這い上がるのは、実はかなり難しい。
長年に渡り染み付いているなら尚更だ。
思わず、その負の居心地に『もう、わたしはわたしを切り売りしてもいい』と捨て鉢な解決方法を取ってしまうほうが楽なんじゃないかってほど、難しい。
那智さんと出会って、根気強く『価値がある』と教えてもらい、相手を思う気持ちと自己主張することの両立、人に対してへりくだらないように訓練させてもらった。
りん子は、りん子のままがいいと。
そのひとつが『あなたのため』という思考回路をしないことなんだ。
わたしには同化願望があるので基本的に『あなたのため』になりやすい。
那智さんが嬉しいと嬉しい。
那智さんが心地よいと嬉しい。
那智さんが大変そうだと、なんだかわたしまで苦しい。
好きな人同士なんだから、好きな人に心地よくしてもらいたいというのは普通の感情としてある程度は良いことだと思うけど。
暗闇の安息に身を置いてしまいやすいわたしは、過剰に『あなたのために』なりすぎて自分を苦しめてしまうのだ。
相手の喜びのため必死になるあまり、いつの間にか自分の『嬉しい』は置き去り。
相手が大変そうだと、わたしのせいじゃないのに無意味に自分を責めてしまう。
結果的に、相手の顔色だけを伺うことになってしまうのだ。
理解されにくいかもしれないけど、わたしは自分の快不快がわかりにくいみたいだった。
いま、この人が不機嫌なのはわたしが悪いからで、その不機嫌な態度に対して『不快』に思う感情に蓋をしてして、すぐ、自分のせいにしてしまうところがあった。
で、ずっと後になって、ああ、あのときわたしは傷ついていたんだって気がつくのだ。
相手の顔色を伺い、それで自分の快不快を判断してしまう。
で、後で傷つく。
例えば『あなたのために』という関係を目指している人ならばそれで良いのかもしれないけど、那智さんは基本『ふたりのため』という考え方の人なので、多分最初からわたしに『あなたのため』を求めなかった。
りん子がどうしたいか。
りん子は何が嬉しいか。
自分の快不快よりも、相手のそれで物事を判断してしまうところのあるわたしに、生身の直のわたしの感情を表す訓練をしてくれた。
りん子が喜ぶと俺も嬉しい。
俺が嬉しいと、りん子は幸せ(だろ?@那智)
那智さんが喜ぶとわたしも嬉しい。
わたしが嬉しいと、那智さんも嬉しい。
不思議なもので、生身の直の感情を自分で触れる練習をすると、わかってくるのだ。
あ、その言葉いや。
いま、わたし傷ついた。
そして、それを相手にちゃんと伝えると、傷として残らず良好な関係が築ける。
(このときは、『素直に伝える』のが大事です)
逆に。
わたしは、嬉しい。
わたしが心地よい。
自分の快適も意識して触れるようにすると、自分を中心とした心地よさがわかってくるものだった。
こうしていると、ごく自然に、好きな人の幸福を願うという純粋な感情だけで、『那智さんが嬉しいとわたしも嬉しい』と思えるようになってきた。
多分、那智さんが目指しているのは。
快不快が自分で判断できるようになったわたしが自然に思う『那智さんが幸せだと、わたしも幸せ』なんだと思うのだ。
ずいぶん、それに近づけているんじゃないかな。
わたしはもう『暗闇の安息』に身を置きたくない。
自分を削り取ることなく、必要以上に差し出すことなく、それでも互いを思いやり愛し合いたい。
だから、『あなたのため』をしないようにしている。
特にこのブログでは、わざと、していない。
敢えて『わたしのため』と強調しているときもある。
それは、那智さんが、このブログはわたしの生身の直の感情を整理し、自己主張が得意ではないわたしが自己主張をする練習をする場所だと位置付けていると。
そう理解しているから、『わたしのため』。
(最初のころは『わたしのため』に、那智さんも違和感感じてたのです。「基本ふたりだろ」って。でも、最近はわかってくれてる)
いまさらキャラ変更はできないけど(笑)
やろうと思えば、あなたのためという書き方もできると思うのだ。
『あなたのため』と書かれている文章を読むと、可愛らしい、お相手のご主人様はきっと満足だろうなと思う。
『わたしのために』なんて書いちゃって、可愛くなくてごめんなさい那智さんと、ちょっとだけ申し訳ない気持ちになる。
『SMを意識するな』と言われているけど、仮にSM的に判断するならわたしは出来の悪いM女なはずだもの。
だけど、しないの。
自分の感情に蓋をすることが得意だったわたしは、気を抜けばまた『暗闇』に安息を見つけてしまいそうだ。
でも、その安息は、わたしには苦しいものなのだもの。
だから、『あなたのために』はしない。
話が逸れるけど。
先日、わたしは自己主張して、友人にあることをお願いした。
いままでのわたしだったら『いいよ』ってわたしが引き受けていたはずのこと。
もちろん、強引なことは言っていないつもりで、でも、できればわたしは『こうしたい』と伝えてみた。
もし、彼女がどうしても譲れない事柄だったら、そこから話し合いが始まって、わたしが引き受けたかもしれないけど、断念して快く承諾してくれた。
こうやって、人は自分の気持ちを相手に伝えて、話し合いをして、人は良好な関係を築いていくのだなって実感した。
彼女からしたら、本意ではなかったかもしれなけど、わたしが感情に蓋をしてにっこりしているよりも、長い付き合いを考えたらきっとこちらのほうがいいと思ってくれると信じてる。
だって、わたしは快く引き受けてくれた彼女をより一層大切にしたいと思えるのだもの。
相手を思いやる気持ちと自己主張の両立。
それをわたしは『あなたのため』をしないことで訓練しているのです。
だけど、はっきりと『那智さんのため』というのも少ないながらもいくつかあるのだ。
暗闇に繋がらない『あなたのため』もある。
それは、ぐるっと回って『ふたりのため』になる『あなたのため』だ。
この話は次の機会に^^
わたしは、もう、暗闇の安息に身を置くことはしたくないんだ。
わたしのために。
わたしが気持ちいい。
などなど、かなり自分中心な書き方をしていますが。
実際のわたしは、けっこう健気でね(笑)
那智さんの脱いだ靴は履きやすいように揃えるし〜。
お風呂に入ったらバスタオルの準備するし〜。
タバコを手にしたら、灰皿を良い位置に移動させるし〜。
もうすぐ付き合って7年目になるけど、ずっと敬語は変わらないし〜。
通勤電車が遅れたら、その電車に悪態つくし〜。
(自分フォロー 笑)
それは那智さんのためというよりは、好きな人の快適を願う自然な感情としてある。
『暗闇の安息』というエントリーを書いた。
わたしは自己評価が低く、自分には愛される価値がないと思っていて、それ故に必要以上にへりくだり、求められる以上のものを差し出していた。
そうしないと愛されないと思っていたからだ。
(えっと、かなりそこだけにスポット当ててますよ^^そんな悲劇だけじゃないですよ)
染み込んだ『愛されたいからたくさんあげる』という暗闇は、なかなか抜け出すことができなくて『暗闇の安息』。
いけないとわかっていることから這い上がるのは、実はかなり難しい。
長年に渡り染み付いているなら尚更だ。
思わず、その負の居心地に『もう、わたしはわたしを切り売りしてもいい』と捨て鉢な解決方法を取ってしまうほうが楽なんじゃないかってほど、難しい。
那智さんと出会って、根気強く『価値がある』と教えてもらい、相手を思う気持ちと自己主張することの両立、人に対してへりくだらないように訓練させてもらった。
りん子は、りん子のままがいいと。
そのひとつが『あなたのため』という思考回路をしないことなんだ。
わたしには同化願望があるので基本的に『あなたのため』になりやすい。
那智さんが嬉しいと嬉しい。
那智さんが心地よいと嬉しい。
那智さんが大変そうだと、なんだかわたしまで苦しい。
好きな人同士なんだから、好きな人に心地よくしてもらいたいというのは普通の感情としてある程度は良いことだと思うけど。
暗闇の安息に身を置いてしまいやすいわたしは、過剰に『あなたのために』なりすぎて自分を苦しめてしまうのだ。
相手の喜びのため必死になるあまり、いつの間にか自分の『嬉しい』は置き去り。
相手が大変そうだと、わたしのせいじゃないのに無意味に自分を責めてしまう。
結果的に、相手の顔色だけを伺うことになってしまうのだ。
理解されにくいかもしれないけど、わたしは自分の快不快がわかりにくいみたいだった。
いま、この人が不機嫌なのはわたしが悪いからで、その不機嫌な態度に対して『不快』に思う感情に蓋をしてして、すぐ、自分のせいにしてしまうところがあった。
で、ずっと後になって、ああ、あのときわたしは傷ついていたんだって気がつくのだ。
相手の顔色を伺い、それで自分の快不快を判断してしまう。
で、後で傷つく。
例えば『あなたのために』という関係を目指している人ならばそれで良いのかもしれないけど、那智さんは基本『ふたりのため』という考え方の人なので、多分最初からわたしに『あなたのため』を求めなかった。
りん子がどうしたいか。
りん子は何が嬉しいか。
自分の快不快よりも、相手のそれで物事を判断してしまうところのあるわたしに、生身の直のわたしの感情を表す訓練をしてくれた。
りん子が喜ぶと俺も嬉しい。
俺が嬉しいと、りん子は幸せ(だろ?@那智)
那智さんが喜ぶとわたしも嬉しい。
わたしが嬉しいと、那智さんも嬉しい。
不思議なもので、生身の直の感情を自分で触れる練習をすると、わかってくるのだ。
あ、その言葉いや。
いま、わたし傷ついた。
そして、それを相手にちゃんと伝えると、傷として残らず良好な関係が築ける。
(このときは、『素直に伝える』のが大事です)
逆に。
わたしは、嬉しい。
わたしが心地よい。
自分の快適も意識して触れるようにすると、自分を中心とした心地よさがわかってくるものだった。
こうしていると、ごく自然に、好きな人の幸福を願うという純粋な感情だけで、『那智さんが嬉しいとわたしも嬉しい』と思えるようになってきた。
多分、那智さんが目指しているのは。
快不快が自分で判断できるようになったわたしが自然に思う『那智さんが幸せだと、わたしも幸せ』なんだと思うのだ。
ずいぶん、それに近づけているんじゃないかな。
わたしはもう『暗闇の安息』に身を置きたくない。
自分を削り取ることなく、必要以上に差し出すことなく、それでも互いを思いやり愛し合いたい。
だから、『あなたのため』をしないようにしている。
特にこのブログでは、わざと、していない。
敢えて『わたしのため』と強調しているときもある。
それは、那智さんが、このブログはわたしの生身の直の感情を整理し、自己主張が得意ではないわたしが自己主張をする練習をする場所だと位置付けていると。
そう理解しているから、『わたしのため』。
(最初のころは『わたしのため』に、那智さんも違和感感じてたのです。「基本ふたりだろ」って。でも、最近はわかってくれてる)
いまさらキャラ変更はできないけど(笑)
やろうと思えば、あなたのためという書き方もできると思うのだ。
『あなたのため』と書かれている文章を読むと、可愛らしい、お相手のご主人様はきっと満足だろうなと思う。
『わたしのために』なんて書いちゃって、可愛くなくてごめんなさい那智さんと、ちょっとだけ申し訳ない気持ちになる。
『SMを意識するな』と言われているけど、仮にSM的に判断するならわたしは出来の悪いM女なはずだもの。
だけど、しないの。
自分の感情に蓋をすることが得意だったわたしは、気を抜けばまた『暗闇』に安息を見つけてしまいそうだ。
でも、その安息は、わたしには苦しいものなのだもの。
だから、『あなたのために』はしない。
話が逸れるけど。
先日、わたしは自己主張して、友人にあることをお願いした。
いままでのわたしだったら『いいよ』ってわたしが引き受けていたはずのこと。
もちろん、強引なことは言っていないつもりで、でも、できればわたしは『こうしたい』と伝えてみた。
もし、彼女がどうしても譲れない事柄だったら、そこから話し合いが始まって、わたしが引き受けたかもしれないけど、断念して快く承諾してくれた。
こうやって、人は自分の気持ちを相手に伝えて、話し合いをして、人は良好な関係を築いていくのだなって実感した。
彼女からしたら、本意ではなかったかもしれなけど、わたしが感情に蓋をしてにっこりしているよりも、長い付き合いを考えたらきっとこちらのほうがいいと思ってくれると信じてる。
だって、わたしは快く引き受けてくれた彼女をより一層大切にしたいと思えるのだもの。
相手を思いやる気持ちと自己主張の両立。
それをわたしは『あなたのため』をしないことで訓練しているのです。
だけど、はっきりと『那智さんのため』というのも少ないながらもいくつかあるのだ。
暗闇に繋がらない『あなたのため』もある。
それは、ぐるっと回って『ふたりのため』になる『あなたのため』だ。
この話は次の機会に^^
わたしは、もう、暗闇の安息に身を置くことはしたくないんだ。
暗闇にならない『あなたのため』
独特な幸福感
『あなたのため』だけでは幸福になれないわたし。(前エントリー『あなたのため』はしないの続きです。)
だから、『ふたりのため』だったり、ちょっと気合いを入れて『わたしのため』。
まあ、一番適当な言葉は。
那智さんが嬉しいと、わたしは幸せで。
わたしが幸せだと、那智さんは嬉しい。
こんな感じかな。
ふたりのためというよりも、そういう螺旋状態という感じ。
だけど、はっきりと『那智さんのため』というのも少ないながらもいくつかあるのだ。
それは暗闇にならない『あなたのため』。
そのうちのひとつが、このブログ。
あはは、『あなたのため』と書かないブログ自体が『那智さんのため』に存在しているという矛盾!!!
わたしはなんのためにブログをしているのだろう。
最初はとにかく溢れ出る感情を吐露したかった。
しばらくして那智さんが、みんなにわかってもらうためにできるだけ『全部書け』と言い、それからは生い立ちや毒なども書くようになった。
わたしが特殊だとは思っていないけど、書いているうちにどうやら、いろいろアンテナに引っかかってしまうらしいというとはわかってきた。
で、その引っかかってしまうわたしの考えや感性を那智さんが面白いと思ってくれて、更に『ためらわず書く』ことを課せられた。
わたしのほうも、日々、アンテナに引っかかるいろんなことを心の中に溜めておけない性分のようなんだ。
それは、自分の内側で処理できない未熟さゆえか、それとも、時にはいらない雑音まで拾ってしまい整理しきれないゆえの対処方法か、それは自分ではわからないのだけど。
とにかく拾ってしまういろんな音を表に出してガス抜きしている。
ほとんどは、心地よい音楽を拾ってそれを『聞いて聞いて♪』と披露してる(これをノロケというのか!?)
雑音を拾ってしまったときはできるだけ言葉を選んで、ここに書いて頭の中の棚をすっきりさせている、そんな感じかな。
雑音というと聞こえが悪いけど、『疑問』とか『矛盾』という類いの、どちらかというと解決しないと気が済まないみたいなことです。
だからね、他から拾うこともあるけど、けっこう自分の中だけで生まれるものも多いのです。
そんな具合に拾ったり生まれたりする心地よい音と雑音を、ここで吐き出してキャパオーバーにならないようにしているという感じ。
きっとキャパ狭いんだな、わたし^^;
でも、書きたいことを書いているけど、苦しいときもある。
特に、毒を吐くような主張をするときやノロケばかり書いているときや変態なことを書くとき(あれ?ほとんど!?)
読んでいる人はどう思うのだろうと、それを気にし出すと苦しくなる。
最初は吐き出したいからはじめたのだけど、これを継続するのには、とてもパワーがいるのだ。
こんなことを書いて誰かを傷つけないか。
こんな変態なことを書いて、とんでもない女だと思われないか。
だけど、溢れちゃって書きたい。
苦しいと立ち止まって動けなくなる、そんなとき、『わたしは何のためにブログを続けているのですか?』と聞く。
すると必ず。
『俺のため』と返ってくる。
『俺が楽しいだけじゃ書けない?』と、強く背中を押してくれる。
吐き出すため、自己主張の練習、思考の整理、りん子のオモチャ、ふたりの楽しみ、と躓くたびに話し合ってくれたけど。
最後には必ず『俺のため』。
これはね、那智さんが責任取ってくれているんだ。
ときに、那智さんのためとしてしまったほうが、頑張れることもある。
わたしは『あなたのため』で動きやすい女だもの。
だから、敢えて『俺のため』にしてくれている。
そうすることで、わたしの自己主張する場所を存続してくれているのだ。
責任を取る形の『俺のため』。
わたしの力にするための『あなたのため』というものもあるのですね。
でも、
わたしのための『俺のため』、と同時に純粋に那智さんのためでもある。
なぜって、これだけ言葉を駆使して白馬に乗った王子様っぷりを披露してるんだもの^^
っていうのは冗談で。
那智さんは、わたしのこの『だだーーーっ』と書くエントリーを好きでいてくれて、読むのを楽しみにしてくれている。
本当は、もっと題材を精査して、内容を吟味できる力があればいのだけど、どちらかというとアンテナに引っかかるものを千切っては投げ状態の『だだーーーっ』の文章。
例え、打ち間違いがあろうとも、同じようなことを繰り返し書いてしまって『1cmが3m』の文章になってしまおうとも(笑)
むき出しのこのブログを読むことを楽しみにしてくれている。
だから、わたしは那智さんの楽しみのために、一日置きに更新している。
朝の通勤電車の、ランチタイムの、仕事の合間の、楽しみになりますように、と更新している。
那智さんのために日々更新。
『あなたのため』と書かないわたしが『那智さんのため』に書いているけど、実は『わたしのため』の場所なのだ。
そして、同時に『那智さんのため』でもある。
『わたしのため』も『あなたのため』もぐるっと回って『ふたりのため』。
これが暗闇にならない『あなたのため』
ついでに自己チュー女にならない『わたしのため』なのだ(笑)
なんだか、ややこしい^^;
要するに『ふたりのため』だよね。
那智さんが嬉しいと、わたしは幸せで。
わたしが幸せだと、那智さんは嬉しい。
わたしは、必要以上に差し出さず、好きな人を思いやる感情だけでやっと自然にこう思えるようになってきている。
たかがネットの世界ですが。
アンテナに引っかかる宝物のような日々をここに記して、ふたりが『いる』痕跡を残したいなと思っている。
それは、わたしのために『俺のため』だと引き受けてくれる那智さんへの恩返し。
だから、ここは、わたしのための那智さんのため場所なのです。
そして、ここを皮切りに、わたしは那智さん以外の人にも少しずつ必要以上に自分を差し出さず思いやりだけの感情で暗闇にならない『あなたのため』を実践しているところなのです。
リアルなお友達は、わたしが少し変わったように感じているかも?
で、
みなさんには、これからも、そんなややこしい場所にお付き合いいただければな〜と思っております^^
昨日の朝は不具合で、今朝はメンテナンスのためにアクセスできない時間が長かったと思います。
それにも関わらずお越しくださってありがとうございました^^
明日の朝は、きっと大丈夫でしょう!!
『あなたのため』だけでは幸福になれないわたし。(前エントリー『あなたのため』はしないの続きです。)
だから、『ふたりのため』だったり、ちょっと気合いを入れて『わたしのため』。
まあ、一番適当な言葉は。
那智さんが嬉しいと、わたしは幸せで。
わたしが幸せだと、那智さんは嬉しい。
こんな感じかな。
ふたりのためというよりも、そういう螺旋状態という感じ。
だけど、はっきりと『那智さんのため』というのも少ないながらもいくつかあるのだ。
それは暗闇にならない『あなたのため』。
そのうちのひとつが、このブログ。
あはは、『あなたのため』と書かないブログ自体が『那智さんのため』に存在しているという矛盾!!!
わたしはなんのためにブログをしているのだろう。
最初はとにかく溢れ出る感情を吐露したかった。
しばらくして那智さんが、みんなにわかってもらうためにできるだけ『全部書け』と言い、それからは生い立ちや毒なども書くようになった。
わたしが特殊だとは思っていないけど、書いているうちにどうやら、いろいろアンテナに引っかかってしまうらしいというとはわかってきた。
で、その引っかかってしまうわたしの考えや感性を那智さんが面白いと思ってくれて、更に『ためらわず書く』ことを課せられた。
わたしのほうも、日々、アンテナに引っかかるいろんなことを心の中に溜めておけない性分のようなんだ。
それは、自分の内側で処理できない未熟さゆえか、それとも、時にはいらない雑音まで拾ってしまい整理しきれないゆえの対処方法か、それは自分ではわからないのだけど。
とにかく拾ってしまういろんな音を表に出してガス抜きしている。
ほとんどは、心地よい音楽を拾ってそれを『聞いて聞いて♪』と披露してる(これをノロケというのか!?)
雑音を拾ってしまったときはできるだけ言葉を選んで、ここに書いて頭の中の棚をすっきりさせている、そんな感じかな。
雑音というと聞こえが悪いけど、『疑問』とか『矛盾』という類いの、どちらかというと解決しないと気が済まないみたいなことです。
だからね、他から拾うこともあるけど、けっこう自分の中だけで生まれるものも多いのです。
そんな具合に拾ったり生まれたりする心地よい音と雑音を、ここで吐き出してキャパオーバーにならないようにしているという感じ。
きっとキャパ狭いんだな、わたし^^;
でも、書きたいことを書いているけど、苦しいときもある。
特に、毒を吐くような主張をするときやノロケばかり書いているときや変態なことを書くとき(あれ?ほとんど!?)
読んでいる人はどう思うのだろうと、それを気にし出すと苦しくなる。
最初は吐き出したいからはじめたのだけど、これを継続するのには、とてもパワーがいるのだ。
こんなことを書いて誰かを傷つけないか。
こんな変態なことを書いて、とんでもない女だと思われないか。
だけど、溢れちゃって書きたい。
苦しいと立ち止まって動けなくなる、そんなとき、『わたしは何のためにブログを続けているのですか?』と聞く。
すると必ず。
『俺のため』と返ってくる。
『俺が楽しいだけじゃ書けない?』と、強く背中を押してくれる。
吐き出すため、自己主張の練習、思考の整理、りん子のオモチャ、ふたりの楽しみ、と躓くたびに話し合ってくれたけど。
最後には必ず『俺のため』。
これはね、那智さんが責任取ってくれているんだ。
ときに、那智さんのためとしてしまったほうが、頑張れることもある。
わたしは『あなたのため』で動きやすい女だもの。
だから、敢えて『俺のため』にしてくれている。
そうすることで、わたしの自己主張する場所を存続してくれているのだ。
責任を取る形の『俺のため』。
わたしの力にするための『あなたのため』というものもあるのですね。
でも、
わたしのための『俺のため』、と同時に純粋に那智さんのためでもある。
なぜって、これだけ言葉を駆使して白馬に乗った王子様っぷりを披露してるんだもの^^
っていうのは冗談で。
那智さんは、わたしのこの『だだーーーっ』と書くエントリーを好きでいてくれて、読むのを楽しみにしてくれている。
本当は、もっと題材を精査して、内容を吟味できる力があればいのだけど、どちらかというとアンテナに引っかかるものを千切っては投げ状態の『だだーーーっ』の文章。
例え、打ち間違いがあろうとも、同じようなことを繰り返し書いてしまって『1cmが3m』の文章になってしまおうとも(笑)
むき出しのこのブログを読むことを楽しみにしてくれている。
だから、わたしは那智さんの楽しみのために、一日置きに更新している。
朝の通勤電車の、ランチタイムの、仕事の合間の、楽しみになりますように、と更新している。
那智さんのために日々更新。
『あなたのため』と書かないわたしが『那智さんのため』に書いているけど、実は『わたしのため』の場所なのだ。
そして、同時に『那智さんのため』でもある。
『わたしのため』も『あなたのため』もぐるっと回って『ふたりのため』。
これが暗闇にならない『あなたのため』
ついでに自己チュー女にならない『わたしのため』なのだ(笑)
なんだか、ややこしい^^;
要するに『ふたりのため』だよね。
那智さんが嬉しいと、わたしは幸せで。
わたしが幸せだと、那智さんは嬉しい。
わたしは、必要以上に差し出さず、好きな人を思いやる感情だけでやっと自然にこう思えるようになってきている。
たかがネットの世界ですが。
アンテナに引っかかる宝物のような日々をここに記して、ふたりが『いる』痕跡を残したいなと思っている。
それは、わたしのために『俺のため』だと引き受けてくれる那智さんへの恩返し。
だから、ここは、わたしのための那智さんのため場所なのです。
そして、ここを皮切りに、わたしは那智さん以外の人にも少しずつ必要以上に自分を差し出さず思いやりだけの感情で暗闇にならない『あなたのため』を実践しているところなのです。
リアルなお友達は、わたしが少し変わったように感じているかも?
で、
みなさんには、これからも、そんなややこしい場所にお付き合いいただければな〜と思っております^^
昨日の朝は不具合で、今朝はメンテナンスのためにアクセスできない時間が長かったと思います。
それにも関わらずお越しくださってありがとうございました^^
明日の朝は、きっと大丈夫でしょう!!
社会性
独り言
前エントリーと前々エントリーで、暗闇にならない『あなたのため』はあって、このブログもそうだと書きました。
わたしのためであって、那智さんのため。
那智さんの楽しみと、ここにふたりがいる証拠を残したいという那智さんへの恩返し。
その恩返しは社会性を持たせるということなのです。
ブログを通じてオンでもオフでもお友達ができ、そこで交流が生まれるという社会性と。
不特定ではあるけれど、こういうカップルがいるんだよという痕跡を残すことも社会性。
ほとんどコメントが付かない初期の頃でも、痕跡を残すことで社会性が生まれていると那智さんは言っていた。
だから、その社会性を持たせ続けることで恩返しをしているつもりだった。
まあ、その社会性っていうのはかなり一方通行ではありますが。
いま、初期の頃から比べたらリアクションが格段に増えて、お友達も増えて、この環境に感謝の気持ちでいっぱいです。
だけど、それとは別に、いま思えば、ほとんどコメントが付かない頃にポツポツとくださった方々にはまた違った感謝だな〜とも思います。
時々、以前にコメントくださった方はまだ読んでいてくれるのかな、なんて思ったりしています。
初期の頃、読んでいてくれた人がいるということも、社会性かなと。
あ、話逸れちゃった^^;
で、那智さんのために。
基本的に一日置き。
いろいろ引っかかるから、内容の善し悪しは別でネタは尽きないのだけど、よくまあ、次から次へと更新してるよなぁと我ながら感心しているのですが。
もちろん、それはわたし一人ではできないことで、那智さんやいろんな方のご意見があってはじめて成立できている。
だから、それにも感謝なのです。
それこそ、もっと時間をかければ、洗練された物が出来上がるかもしれない。
(洗練された物ができないから、量産でカバーしてる!?)
まあ、那智さんが楽しんでくれているから、基本的に一日置きに書いてます。
で、なんでこんなことを書いたかというと。
けっこうな頻度で更新してますけど、これは那智さんのためなので、皆さんはご自分のペースで楽しんでいただきたいな思うのです。
わたしも時々あるのですが、よそのブログでコメントしたいな〜と思っててもちょっと時間が経ってしまって次が更新されていると、前の記事にコメント付けるのためらうことってありませんか?
うちの場合は、ちょっと気を抜くと(?)続々更新しているので、そういう感じになっていないかなと思ってます。
ですから、皆さんのペースで楽しんでいただければと。
前でも前々でも、理解しづらいことの場合は文中リンクを貼ってますが遡ってそれにでも、何か思うところがあれば遠慮なく、コメントや拍手(コメント)をいただけたら、嬉しいなと思うのです。
コメントや拍手(コメント)は、『あなたのため』同様わたしの力になるから。
過去になっちゃってもいいから、コメントや拍手(コメント)大歓迎です。
社会性、持ちましょー♪
って、実は、これが言いたくて『あなたのため』の話を始めたのでした。
たったこれだけに3エントリー^^;
これが、那智さんのいう『1cmを3mに書く』わたしの才能(?)、いや、才能とは言わないか^^;
前にも書きましたが、コメントを付けるほどでもないけど、面白かったな〜と思ったら、是非拍手をくださいね。
拍手ボタンを押すだけでもかまいませんが、コメントも書けるようになってます。
コメントやお名前だけでも残していただけると嬉しいです。
ただ、基本的に拍手コメントは非公開のためレスを付けることができません。
こっそりのお話には適していますけど、お返事ができないのでご了承ください。
もし、非公開でお返事が必要でしたら、タイトル下のアドレスにご連絡ください。
この場を借りて、拍手コメントありがとうございます。
いつも楽しみにしています。
ちょっとアドバイスをくださった方もいて、個別にお礼ができなくてごめんなさい。
もちろんコメントをくださる方には、最大級のアイ・ラブ・ユー^^
那智さんは、おやすみメールをくれるときに、ときどき『おやすみ』の後に『また明日ね』とか『○曜日ね』とか付けてくれます。
いつもじゃなくて、ちょっとコミュニケーションが不足気味の時だったり、会える予定が立たない時だったりに、特に付けてくれる。
そうすると、『あ、アンテナに引っかかった』って温かい気持ちになるんだ。
『言霊』、言葉には魂が宿るなんて言われてるけど、そんなに大それたことじゃないけど。
ちゃんと思っているからねという那智さんの気持ちが、そこにこめられている感じられるのだ。
何か次を示してくれるということは安心できるし、継続させようという『意志』を感じることができるから、好き。
例えそれがやむを得ず変更になってしまったとしても。
そんなに大それたことじゃないけど。
言葉には気持ちがこもると思って。
みなさん、また明後日ね^^
と、一日置きのハードルを上げてみる!!
そうそう、那智さんへの励ましメールやコメントも大歓迎です^^
日々裏方で頑張ってくれていますから。
前エントリーと前々エントリーで、暗闇にならない『あなたのため』はあって、このブログもそうだと書きました。
わたしのためであって、那智さんのため。
那智さんの楽しみと、ここにふたりがいる証拠を残したいという那智さんへの恩返し。
その恩返しは社会性を持たせるということなのです。
ブログを通じてオンでもオフでもお友達ができ、そこで交流が生まれるという社会性と。
不特定ではあるけれど、こういうカップルがいるんだよという痕跡を残すことも社会性。
ほとんどコメントが付かない初期の頃でも、痕跡を残すことで社会性が生まれていると那智さんは言っていた。
だから、その社会性を持たせ続けることで恩返しをしているつもりだった。
まあ、その社会性っていうのはかなり一方通行ではありますが。
いま、初期の頃から比べたらリアクションが格段に増えて、お友達も増えて、この環境に感謝の気持ちでいっぱいです。
だけど、それとは別に、いま思えば、ほとんどコメントが付かない頃にポツポツとくださった方々にはまた違った感謝だな〜とも思います。
時々、以前にコメントくださった方はまだ読んでいてくれるのかな、なんて思ったりしています。
初期の頃、読んでいてくれた人がいるということも、社会性かなと。
あ、話逸れちゃった^^;
で、那智さんのために。
基本的に一日置き。
いろいろ引っかかるから、内容の善し悪しは別でネタは尽きないのだけど、よくまあ、次から次へと更新してるよなぁと我ながら感心しているのですが。
もちろん、それはわたし一人ではできないことで、那智さんやいろんな方のご意見があってはじめて成立できている。
だから、それにも感謝なのです。
それこそ、もっと時間をかければ、洗練された物が出来上がるかもしれない。
(洗練された物ができないから、量産でカバーしてる!?)
まあ、那智さんが楽しんでくれているから、基本的に一日置きに書いてます。
で、なんでこんなことを書いたかというと。
けっこうな頻度で更新してますけど、これは那智さんのためなので、皆さんはご自分のペースで楽しんでいただきたいな思うのです。
わたしも時々あるのですが、よそのブログでコメントしたいな〜と思っててもちょっと時間が経ってしまって次が更新されていると、前の記事にコメント付けるのためらうことってありませんか?
うちの場合は、ちょっと気を抜くと(?)続々更新しているので、そういう感じになっていないかなと思ってます。
ですから、皆さんのペースで楽しんでいただければと。
前でも前々でも、理解しづらいことの場合は文中リンクを貼ってますが遡ってそれにでも、何か思うところがあれば遠慮なく、コメントや拍手(コメント)をいただけたら、嬉しいなと思うのです。
コメントや拍手(コメント)は、『あなたのため』同様わたしの力になるから。
過去になっちゃってもいいから、コメントや拍手(コメント)大歓迎です。
社会性、持ちましょー♪
って、実は、これが言いたくて『あなたのため』の話を始めたのでした。
たったこれだけに3エントリー^^;
これが、那智さんのいう『1cmを3mに書く』わたしの才能(?)、いや、才能とは言わないか^^;
前にも書きましたが、コメントを付けるほどでもないけど、面白かったな〜と思ったら、是非拍手をくださいね。
拍手ボタンを押すだけでもかまいませんが、コメントも書けるようになってます。
コメントやお名前だけでも残していただけると嬉しいです。
ただ、基本的に拍手コメントは非公開のためレスを付けることができません。
こっそりのお話には適していますけど、お返事ができないのでご了承ください。
もし、非公開でお返事が必要でしたら、タイトル下のアドレスにご連絡ください。
この場を借りて、拍手コメントありがとうございます。
いつも楽しみにしています。
ちょっとアドバイスをくださった方もいて、個別にお礼ができなくてごめんなさい。
もちろんコメントをくださる方には、最大級のアイ・ラブ・ユー^^
那智さんは、おやすみメールをくれるときに、ときどき『おやすみ』の後に『また明日ね』とか『○曜日ね』とか付けてくれます。
いつもじゃなくて、ちょっとコミュニケーションが不足気味の時だったり、会える予定が立たない時だったりに、特に付けてくれる。
そうすると、『あ、アンテナに引っかかった』って温かい気持ちになるんだ。
『言霊』、言葉には魂が宿るなんて言われてるけど、そんなに大それたことじゃないけど。
ちゃんと思っているからねという那智さんの気持ちが、そこにこめられている感じられるのだ。
何か次を示してくれるということは安心できるし、継続させようという『意志』を感じることができるから、好き。
例えそれがやむを得ず変更になってしまったとしても。
そんなに大それたことじゃないけど。
言葉には気持ちがこもると思って。
みなさん、また明後日ね^^
と、一日置きのハードルを上げてみる!!
そうそう、那智さんへの励ましメールやコメントも大歓迎です^^
日々裏方で頑張ってくれていますから。
女の体
独り言
ずーっと頑固な生理不順だった。
10代の頃はじめて生理が来てから約20年間、定期的に来たことがなかった。
早くて3ヶ月、半年来ないなんてことも珍しくなくて、平均して4ヶ月に一度年4、3回というところだった。
で、来たと思ったら二日で終わる^^;
セックスだってしていたから妊娠のヒヤヒヤを伴いそうなんだけど、ずーっと来ないのが当たり前だったからそれほど深刻にはならなかった。
痛くも痒くもなくて二日で終わってくれるので、むしろ、生理痛で辛そうな友人を見ていると、申し訳ないけど気楽だな〜なんて思っていた。
まあ、でも、20歳を過ぎて、将来子供を産むかもしれないと、ほんの少し意識する頃、一度医者に看てもらおうと産婦人科にいったことがある。
ホルモンの薬をもらって、それを起爆剤にすることになった。
でも、それを飲んだその2、3ヶ月は定期的に来るのだけど、やめると途端に来なくなる。
その状態を看た医者は。
どうしても定期的にしたいなら別の治療もするけれど、まあ、年に3、4回来ていればそれほど問題ない。
楽してるくらいに思っていればいいんじゃない。
と、なんともひと事な診断。
わたしのほうも、それほど深刻に考えていなかったから、そのまま通院もおしまいにした。
ただ、排卵日が読めないから妊娠したいと思った時にできにくいかもと言われたことが、ちょっと気がかりだったけど、必ずしも妊娠出産だけが女の人生だと思っていなかったので、結局そのまま。
運良く子供に恵まれて、神様に感謝なのですが。
出産すると生理不順だった人も正常になると聞いていたので、いよいよわたしも毎月人生が始まるかと、妊娠中は複雑な思いでいたけれど。
確かに、出産後最初に来た生理から2、3回は定期的に来た。
でもまた、それからは、不定期。
3、4ヶ月に一度。
忘れた頃に生理になる。
だから、わたしの生理はいつも『びっくり』なのだ。
おお、来たかぁ〜ってね。
出先で生理用品を調達することなんて、何度もした。
那智さんとはじめて会って、抱かれた翌日、忘れもしないその『びっくり』の生理が来た。
(ほんとだよ!!なんの予兆もなく来たの。とってもびっくりしたから覚えてる)
そして、それ以来6年間、約30日、狂うことなくやってくるようになったのだ。
しかもしっかり6日間。
薬でも出産でも、どうにもならなかった頑固な生理不順。
20年間頑固一徹通したそれが、那智さんに抱かれた時から手のひらを返したように従順な様子で毎月やってくるのだ。
それで。
翌日が那智さんとデートで生理がそろそろ始まりそうなんていうとき、デートの前に来ちゃったりするんだよね。
万が一来なくてデートを迎えても抱かれていると途中で来ちゃう^^;
ちょっと恥ずかしいのだけど、那智さんと付き合い出して半年くらいは、おまんこがいつも濡れていて、そのあたりが発情した猿のお尻みたいプクッと腫れていた。
それである日出血したから医者に行ったら、正体不明の(医者もなんだかわからず筋腫の一種というふうに名付けてた)デキモノが子宮の入り口にできていて、手術までしたんだ。
那智さんとの因果関係は不明だけど、あのデキモノはなんだったんだろうといまでも思う。
いまは、腫れることはないけど…よく濡れるのは濡れる^^;
どうしちゃったの〜、わたしの体!?
とにかく出会った当初は特に『女性ホルモン大改造』って感じだった。
タンスの引き出しを引っ張り出してぶちまけまくっているような、わたしの女性ホルモンが上へ下への大騒ぎで体がしっちゃかめっちゃかになっているのが、すごーく感じられた。
まったく、わたしの女性ホルモンは、いったい『何』じゃないと開花してくれないんだ!!と情けなくなるけれど。
女の体は不思議だと思う。
そういえば。
わたしの髪は昔からクセ毛でどちらかというとツヤのない髪なんだけど、那智さんと付き合い出して数ヶ月して美容院に行ったら、馴染みの美容師さんに『髪にツヤが出たけど、どうしたの?』と驚かれたりもしたな。
まあ、これもたまたまかもしれないけど、性的か精神的か、なんらかの満足は女の体に変化をもたらすものなのかもしれないね。
ほぼ一ヶ月ぶりに那智さんに抱かれた。
カラオケはあったけど、ゆっくりは一ヶ月ぶり。
泣いたり『$$$!!』だったりふにゃふにゃだったりの数時間。
さあ、ビールでも飲みに行こうかと着替えはじめたとき。
那智さんがまじまじとわたしを見て。
「りん子、鏡見てご覧、朝と全然違うだろ」
と言った。
近くにあった鏡に映るわたしは。
頬は桜色に染まり艶が増したみたい。
髪も艶やかになって、朝よりまとまりがいい(あんなにボサボサになるようなことしてたのに^^;)
口角も上がってなんだかすっきり、生き生きとした表情を浮かべている。
確かに、その日那智さんに会う直前に駅のトイレで見たわたしとは違うように見える。
自分の女性ホルモンの単細胞さに苦笑してしまうけど。
生き生きとしていられるなら、それに越したことはないよね。
大好きな那智さんの抱かれて甘えて、大声で泣いて叫んでってすると満たされて生きるパワーが湧いてくる。
明日もがんばろうって。
幸福なセックスって。
そういう精神に働きかけるだけじゃないんだね。
肌や髪の艶、顔立ちにまで作用するみたい。
女性ホルモンちゃんをいい気分にさせてあげるのは、トリートメント効果だ(笑)
なんだか女性ホルモンちゃんって恐るべし^^
で、なんだか女の体って不思議。
さてさて。
鏡を眺め、髪をとかし。
お気に入りの下着をまとって。
お気に入りのパンプスに足を滑り込ませて。
高価なアイテムではないけれど、大事なことは『お気に入り』。
わたしの女性ホルモンのやつは頑固で、それくらいじゃびくともしてくれなかったけど、きっと、これだけだって女性ホルモンちゃんをいい気分にさせてあげられるはず。
いい気分にさせちゃって、女っぷりをあげていきましょう^^
ずーっと頑固な生理不順だった。
10代の頃はじめて生理が来てから約20年間、定期的に来たことがなかった。
早くて3ヶ月、半年来ないなんてことも珍しくなくて、平均して4ヶ月に一度年4、3回というところだった。
で、来たと思ったら二日で終わる^^;
セックスだってしていたから妊娠のヒヤヒヤを伴いそうなんだけど、ずーっと来ないのが当たり前だったからそれほど深刻にはならなかった。
痛くも痒くもなくて二日で終わってくれるので、むしろ、生理痛で辛そうな友人を見ていると、申し訳ないけど気楽だな〜なんて思っていた。
まあ、でも、20歳を過ぎて、将来子供を産むかもしれないと、ほんの少し意識する頃、一度医者に看てもらおうと産婦人科にいったことがある。
ホルモンの薬をもらって、それを起爆剤にすることになった。
でも、それを飲んだその2、3ヶ月は定期的に来るのだけど、やめると途端に来なくなる。
その状態を看た医者は。
どうしても定期的にしたいなら別の治療もするけれど、まあ、年に3、4回来ていればそれほど問題ない。
楽してるくらいに思っていればいいんじゃない。
と、なんともひと事な診断。
わたしのほうも、それほど深刻に考えていなかったから、そのまま通院もおしまいにした。
ただ、排卵日が読めないから妊娠したいと思った時にできにくいかもと言われたことが、ちょっと気がかりだったけど、必ずしも妊娠出産だけが女の人生だと思っていなかったので、結局そのまま。
運良く子供に恵まれて、神様に感謝なのですが。
出産すると生理不順だった人も正常になると聞いていたので、いよいよわたしも毎月人生が始まるかと、妊娠中は複雑な思いでいたけれど。
確かに、出産後最初に来た生理から2、3回は定期的に来た。
でもまた、それからは、不定期。
3、4ヶ月に一度。
忘れた頃に生理になる。
だから、わたしの生理はいつも『びっくり』なのだ。
おお、来たかぁ〜ってね。
出先で生理用品を調達することなんて、何度もした。
那智さんとはじめて会って、抱かれた翌日、忘れもしないその『びっくり』の生理が来た。
(ほんとだよ!!なんの予兆もなく来たの。とってもびっくりしたから覚えてる)
そして、それ以来6年間、約30日、狂うことなくやってくるようになったのだ。
しかもしっかり6日間。
薬でも出産でも、どうにもならなかった頑固な生理不順。
20年間頑固一徹通したそれが、那智さんに抱かれた時から手のひらを返したように従順な様子で毎月やってくるのだ。
それで。
翌日が那智さんとデートで生理がそろそろ始まりそうなんていうとき、デートの前に来ちゃったりするんだよね。
万が一来なくてデートを迎えても抱かれていると途中で来ちゃう^^;
ちょっと恥ずかしいのだけど、那智さんと付き合い出して半年くらいは、おまんこがいつも濡れていて、そのあたりが発情した猿のお尻みたいプクッと腫れていた。
それである日出血したから医者に行ったら、正体不明の(医者もなんだかわからず筋腫の一種というふうに名付けてた)デキモノが子宮の入り口にできていて、手術までしたんだ。
那智さんとの因果関係は不明だけど、あのデキモノはなんだったんだろうといまでも思う。
いまは、腫れることはないけど…よく濡れるのは濡れる^^;
どうしちゃったの〜、わたしの体!?
とにかく出会った当初は特に『女性ホルモン大改造』って感じだった。
タンスの引き出しを引っ張り出してぶちまけまくっているような、わたしの女性ホルモンが上へ下への大騒ぎで体がしっちゃかめっちゃかになっているのが、すごーく感じられた。
まったく、わたしの女性ホルモンは、いったい『何』じゃないと開花してくれないんだ!!と情けなくなるけれど。
女の体は不思議だと思う。
そういえば。
わたしの髪は昔からクセ毛でどちらかというとツヤのない髪なんだけど、那智さんと付き合い出して数ヶ月して美容院に行ったら、馴染みの美容師さんに『髪にツヤが出たけど、どうしたの?』と驚かれたりもしたな。
まあ、これもたまたまかもしれないけど、性的か精神的か、なんらかの満足は女の体に変化をもたらすものなのかもしれないね。
ほぼ一ヶ月ぶりに那智さんに抱かれた。
カラオケはあったけど、ゆっくりは一ヶ月ぶり。
泣いたり『$$$!!』だったりふにゃふにゃだったりの数時間。
さあ、ビールでも飲みに行こうかと着替えはじめたとき。
那智さんがまじまじとわたしを見て。
「りん子、鏡見てご覧、朝と全然違うだろ」
と言った。
近くにあった鏡に映るわたしは。
頬は桜色に染まり艶が増したみたい。
髪も艶やかになって、朝よりまとまりがいい(あんなにボサボサになるようなことしてたのに^^;)
口角も上がってなんだかすっきり、生き生きとした表情を浮かべている。
確かに、その日那智さんに会う直前に駅のトイレで見たわたしとは違うように見える。
自分の女性ホルモンの単細胞さに苦笑してしまうけど。
生き生きとしていられるなら、それに越したことはないよね。
大好きな那智さんの抱かれて甘えて、大声で泣いて叫んでってすると満たされて生きるパワーが湧いてくる。
明日もがんばろうって。
幸福なセックスって。
そういう精神に働きかけるだけじゃないんだね。
肌や髪の艶、顔立ちにまで作用するみたい。
女性ホルモンちゃんをいい気分にさせてあげるのは、トリートメント効果だ(笑)
なんだか女性ホルモンちゃんって恐るべし^^
で、なんだか女の体って不思議。
さてさて。
鏡を眺め、髪をとかし。
お気に入りの下着をまとって。
お気に入りのパンプスに足を滑り込ませて。
高価なアイテムではないけれど、大事なことは『お気に入り』。
わたしの女性ホルモンのやつは頑固で、それくらいじゃびくともしてくれなかったけど、きっと、これだけだって女性ホルモンちゃんをいい気分にさせてあげられるはず。
いい気分にさせちゃって、女っぷりをあげていきましょう^^
変な次元の二者択一(修正追記あり)
非日常的な日常
いま、那智さんとわたしはある選択肢で、どちらを選ぶかで迷っている。
それは、ちょっと変な次元の二者択一で、悩みながら楽しんでいるという感じ。
これに共感していただける人はどれくらいいるのかな〜と思いながら。
この変な次元に辿り着くにはいくつかのハードルがあります。
まず、ノーマルかアブノーマルか。
ここでノーマルと思った方は、この先ちょっと厳しいかな。
でも、『薬指の刺青』を読んでいただいているなら、想像力の羽を広げてお付き合いください!!
じゃあ、次。
アブノーマルだとして、インドア派?アウトドア派?
まあ、どちらかだけということはないかもしれないけど、より好きな方は選べるよね。
アウトドア(野外)はかえって冷めるという方は想像しても萌えないと思うから申し訳ないけど、この話は、アウトドアに進みます。
アウトドア、特に露出行為は絶対無理!!と首をブンブンと横に振った人、でも、ちょっと現実から離れて。
実際にそれを『する、しない』じゃなくて、している自分を想像するだけしてみてください。
冷めるという人より『無理!!』の人のほうが、実は種はあるはずなのだ^^
SでもMでも両方でも、ご主人様でも奴隷さんでも、変態さんでもかまいません。
もちろんノーマルもだけど。
想像できそうな人はご一緒に^^
わたしが、露出で感じるは。
従属感、那智さんのものだということをヒシヒシと感じられる満足。
好奇な目に晒されて感じるというマゾ?変態?嗜好、これは羞恥系というのかな、恥ずかしいことが『いい』のではなく、否応なく『感じてしまう』。
(『羞恥系の葛藤』)
それと、異質な自分の様子に感じる、これは歪んだ自己愛。
(自己愛いくつかあります『コートの下2、3、4、5』『ショウウィンドウと洗濯バサミと鞭2
この3つのポイントが多くを占めている。
ちょっと逸れるけど。
好奇の目も歪んだ自己愛も、わたしの場合は『従属感』が土台にないとまったくダメなのです。
それがないと、好奇の目も歪んだ自己愛も、傷つくだけなんだな。
なんでも恥ずかしけりゃいいと思わないでね。
『誰かに見られるかもしれないというスリル』や『従うことで満足していただく喜び』というのはそれほどない。(←これと従属感の違いご理解いただけているかな…。従属感は足下にいる喜びみたいな感じです)
露出を楽しまれている方が少数かどうかわからないけど、上の3つのポイントで感じている人はあまり多くないのかなとも思う…^^;
で、これらを満たしてくれるのが『わんこ』なのです。
あああ、このあたりで理解不能な方々、もう少しがんばって無理矢理『わんこ嗜好』になってみて〜。
下着や肌を露出させるわけでもなく、肌に触れたりローターを仕込んだりの快感を煽ることもなく。
お洋服を着たまま四つん這いになって、ただ那智さんについて歩く。
ホテル街の一般道や百貨店のショウウィンドウや浜辺を。
調教でも躾けでも、虐めでもなく、ただ、ついてくるとついていくという気持ちと、その関係値で幸福と快感を覚える性癖。
こんな性癖で『わんこ』をしている女か、させている男になったつもりで想像をしてみていただきたいのです^^
で、どんな次元の二者択一かというとね。
百貨店のショウウィンドウでわんこをするとき。
リードありとなしと、どちらがいいか。
なのです。
そんなのどっちでも同じ〜!!なんて突っ込まないでね^^
ふたりの間で、この違いははっきりあってね。
リードなしのほうがエロ度が低くなる。
那智さんは、人と違うことで満足するという『変わり者』でして、露出=エロはつまらないと思うのです。
だから、『法に触れない変な露出』を好む。
それだと、よりエロ度の低いリードなしのほうが好みなのだ。
(法に触れない変な露出、例えば『殿のご乱心』『市中引き回しの刑』)
実際ショウウィンドウで6mお散歩の時に『大丈夫』ですかと心配していただいたくらい、エロ度がない。
ただただ『疑問』のまま過ぎ去るという感じがいいらしい。
(『キーパーソンは清掃員5』)
ただ、リードありの場合は、多少エロ度は増すけれど(わかる人にはわかる程度かな)、那智さんはあまりわたしの歩みを気にせず歩けるのだ。
そちらのほうが、自己顕示欲というか、状況を楽しめるはずなのです。
(いっぱいあるからひとつ『最良の選択4』)
リードなしだと、わたしの歩くペースを気にして、合わせないといけないからね。
わたし側からしたら、リードありのほうが、多少の大義名分はできる。
お道具使っているぶん、これは『プレイ』なんですよ〜ってね^^;
恥ずかしいことや申し訳ないことには変わりないけど、なんとなく言い訳ができるのです。
でも、リードなしだと、この人はいったい何をしているんだという『疑問』や『驚き』を与えるわけで、エロからくる甘い(?)恥ずかしさからはほど遠い、変な物に見られる恥ずかしさが増すのです。
那智さん曰く『何だ?あの物体は?』なんですって、物体ですよ、物体。
物体と思われる恥ずかしさ(あ、ちょっと萌えですが^^;)これは、かなりハードル上がる。
だけど、リードなしのいいところは安心感。
前回ショウウィンドウでお散歩したときの、常に那智さんの足が自分のすぐ横、斜め前にあって、こちらを気にしてくれている様子を感じることができる喜びと安心感は、かなり捨て難いものがあるのです。
させる側。
オリジナルの満足か、状況を楽しむ満足か。
する側。
大義名分か、より恥ずかしいけど安心して従属する喜びか。
リードあり、なし。
どちらが、より満足か。
これで悩んでいるのです。
ここまでいくつかのハードルを越えて、ここまでお付き合いくださった皆さん。
かなり無理矢理な想像をしていただいたと思うのですが、もちろん、実際にするのと想像では大きな違いがありますから、『妄想』したとして。
この変な次元の二者択一、どちらが、いいと思います?
やっぱり、どっちも変わらなーい!!が正解、かな?
そんなツッコミありだよね〜と思いながら。
書いていて、この場合那智さんの『オリジナルの満足』が一番理解されにくいのではないかと思うわたしでした。
いま、那智さんとわたしはある選択肢で、どちらを選ぶかで迷っている。
それは、ちょっと変な次元の二者択一で、悩みながら楽しんでいるという感じ。
これに共感していただける人はどれくらいいるのかな〜と思いながら。
この変な次元に辿り着くにはいくつかのハードルがあります。
まず、ノーマルかアブノーマルか。
ここでノーマルと思った方は、この先ちょっと厳しいかな。
でも、『薬指の刺青』を読んでいただいているなら、想像力の羽を広げてお付き合いください!!
じゃあ、次。
アブノーマルだとして、インドア派?アウトドア派?
まあ、どちらかだけということはないかもしれないけど、より好きな方は選べるよね。
アウトドア(野外)はかえって冷めるという方は想像しても萌えないと思うから申し訳ないけど、この話は、アウトドアに進みます。
アウトドア、特に露出行為は絶対無理!!と首をブンブンと横に振った人、でも、ちょっと現実から離れて。
実際にそれを『する、しない』じゃなくて、している自分を想像するだけしてみてください。
冷めるという人より『無理!!』の人のほうが、実は種はあるはずなのだ^^
SでもMでも両方でも、ご主人様でも奴隷さんでも、変態さんでもかまいません。
もちろんノーマルもだけど。
想像できそうな人はご一緒に^^
わたしが、露出で感じるは。
従属感、那智さんのものだということをヒシヒシと感じられる満足。
好奇な目に晒されて感じるというマゾ?変態?嗜好、これは羞恥系というのかな、恥ずかしいことが『いい』のではなく、否応なく『感じてしまう』。
(『羞恥系の葛藤』)
それと、異質な自分の様子に感じる、これは歪んだ自己愛。
(自己愛いくつかあります『コートの下2、3、4、5』『ショウウィンドウと洗濯バサミと鞭2
この3つのポイントが多くを占めている。
ちょっと逸れるけど。
好奇の目も歪んだ自己愛も、わたしの場合は『従属感』が土台にないとまったくダメなのです。
それがないと、好奇の目も歪んだ自己愛も、傷つくだけなんだな。
なんでも恥ずかしけりゃいいと思わないでね。
『誰かに見られるかもしれないというスリル』や『従うことで満足していただく喜び』というのはそれほどない。(←これと従属感の違いご理解いただけているかな…。従属感は足下にいる喜びみたいな感じです)
露出を楽しまれている方が少数かどうかわからないけど、上の3つのポイントで感じている人はあまり多くないのかなとも思う…^^;
で、これらを満たしてくれるのが『わんこ』なのです。
あああ、このあたりで理解不能な方々、もう少しがんばって無理矢理『わんこ嗜好』になってみて〜。
下着や肌を露出させるわけでもなく、肌に触れたりローターを仕込んだりの快感を煽ることもなく。
お洋服を着たまま四つん這いになって、ただ那智さんについて歩く。
ホテル街の一般道や百貨店のショウウィンドウや浜辺を。
調教でも躾けでも、虐めでもなく、ただ、ついてくるとついていくという気持ちと、その関係値で幸福と快感を覚える性癖。
こんな性癖で『わんこ』をしている女か、させている男になったつもりで想像をしてみていただきたいのです^^
で、どんな次元の二者択一かというとね。
百貨店のショウウィンドウでわんこをするとき。
リードありとなしと、どちらがいいか。
なのです。
そんなのどっちでも同じ〜!!なんて突っ込まないでね^^
ふたりの間で、この違いははっきりあってね。
リードなしのほうがエロ度が低くなる。
那智さんは、人と違うことで満足するという『変わり者』でして、露出=エロはつまらないと思うのです。
だから、『法に触れない変な露出』を好む。
それだと、よりエロ度の低いリードなしのほうが好みなのだ。
(法に触れない変な露出、例えば『殿のご乱心』『市中引き回しの刑』)
実際ショウウィンドウで6mお散歩の時に『大丈夫』ですかと心配していただいたくらい、エロ度がない。
ただただ『疑問』のまま過ぎ去るという感じがいいらしい。
(『キーパーソンは清掃員5』)
ただ、リードありの場合は、多少エロ度は増すけれど(わかる人にはわかる程度かな)、那智さんはあまりわたしの歩みを気にせず歩けるのだ。
そちらのほうが、自己顕示欲というか、状況を楽しめるはずなのです。
(いっぱいあるからひとつ『最良の選択4』)
リードなしだと、わたしの歩くペースを気にして、合わせないといけないからね。
わたし側からしたら、リードありのほうが、多少の大義名分はできる。
お道具使っているぶん、これは『プレイ』なんですよ〜ってね^^;
恥ずかしいことや申し訳ないことには変わりないけど、なんとなく言い訳ができるのです。
でも、リードなしだと、この人はいったい何をしているんだという『疑問』や『驚き』を与えるわけで、エロからくる甘い(?)恥ずかしさからはほど遠い、変な物に見られる恥ずかしさが増すのです。
那智さん曰く『何だ?あの物体は?』なんですって、物体ですよ、物体。
物体と思われる恥ずかしさ(あ、ちょっと萌えですが^^;)これは、かなりハードル上がる。
だけど、リードなしのいいところは安心感。
前回ショウウィンドウでお散歩したときの、常に那智さんの足が自分のすぐ横、斜め前にあって、こちらを気にしてくれている様子を感じることができる喜びと安心感は、かなり捨て難いものがあるのです。
させる側。
オリジナルの満足か、状況を楽しむ満足か。
する側。
大義名分か、より恥ずかしいけど安心して従属する喜びか。
リードあり、なし。
どちらが、より満足か。
これで悩んでいるのです。
ここまでいくつかのハードルを越えて、ここまでお付き合いくださった皆さん。
かなり無理矢理な想像をしていただいたと思うのですが、もちろん、実際にするのと想像では大きな違いがありますから、『妄想』したとして。
この変な次元の二者択一、どちらが、いいと思います?
やっぱり、どっちも変わらなーい!!が正解、かな?
そんなツッコミありだよね〜と思いながら。
書いていて、この場合那智さんの『オリジナルの満足』が一番理解されにくいのではないかと思うわたしでした。