私について(見下しと不安)
2006/6/20
惹かれ合う理由
ずっと違和感を感じていた。
他人のいう気遣いと、私のそれの感覚に違和感を感じていた。
たとえば、学生時代。
学校帰りにアイスクリームショップに数人で立ち寄る。
みんな、そろって二段重ねの「ダブル」を注文するけど、私はさほど甘い物が好きではないから「シングル」にする。
すると、1人の女の子がそれを見て「付き合いわるーい!」と言って周りの子と笑う。
こんな時、私は困ってしまうのだ。
この子は、私を責めているのか。
冗談のつもりなのか。
それが、いけないことで、忠告の意味を込めて責めているなら
、笑うのではなく、他人に悟られぬようにアドバイスするべき
ではないか。
冗談ならば、もう少し違う言い方ができないのか。
アイスクリームショップに行くのを断ったのならば「付き合い悪い」と言われてもしかたない(譲歩して、本当はそんなこと個人の自由のはずだ)。
たかが、アイスクリームが一段足りないだけで、そんなことを言われることに、困惑してしまうのだ。
アイスクリームの段数を揃える気遣いは、私にはない。
でも、周囲の空気を不穏にしない気遣いは、できる。
私の周りの人は、前者の気遣いを重要視するらしい。
私は、不穏な空気が苦手だ。
まして、私の言動でそうなってしまうなんて極力避けたい。
他人を傷つけるような言葉を発することのないように、気遣っている。
だから、無神経な言葉に驚き、言い返すこともできずに、少し傷つきながらも笑って流す。
それと、同時に、そういう言葉しか選べないその子を、心の中でばかにする。
見下しているのだもの。きちんとした人間関係なんて作れない。
まあ、今思えば、そういう集団行動の付き合いは苦手で、付いて行ってはいるものの、心は離れているのだから「付き合い悪い」と思われてもしかたないか。
そのうち、周りは、私に「怒り」や「傷つく」感情がないものと錯覚していく。
それは、男女の付き合いにおいても同じだ。
相変わらず、不穏な空気が苦手な私は、一見すれば、いつも機嫌の良い、素直な女だ。
男性を甘やかせる(ぬるま湯につからせると言っているの)のが、上手い。
些細なことからはじまって、かなりひどいこと(6時間待たされるとか)をしても、感情を爆発させない私に、男はどんどん増長してくる。
はじめは、私が傷ついているか気にしなくなる。
そのうち、私に、傷つくというような負の感情があるかどうかさえも気にしなくなってくる。
その心の動きを目の当たりにしながら、付き合うのは悲しいことだ。
そして、ある時突然私はその男が嫌いになってしまう。
そもそも、好きだったのかさえわからなくなるほどに。
相手にしてみれば、わかる訳ない。
だって、感情を爆発させていないから。
でも、ほんの少しは伝えているつもりだ、空気が不穏にならない程度に。
伝えない心を見抜けない男の人を、見下しているのだもの愛しているなんて感情を持てるはずない。
そして、それには厄介なことに、不安が付きまとう。
見下している相手に対して、私の「見下し」や「負の感情」を見せていないから、本当の私を見せていないから、目の前の男性がいくら私を好きだと言っても、自信が持てない。
この人は、本当の私を好きなのではないと、それを知っても好きでいてくれるはずないと、不安になる。
何度か同じような別れを繰り返して、私は諦める。
「愛してる」と歌を口ずさむ時、生まれ変わっても一緒になりたいと友達のノロケを耳にする時、私は諦めて心の中でため息をつく。
私には、そういう感情は備わっていないらしい。
誰も私をわかってくれないなんて、悲劇のヒロインを気取るつもりもない。
爆発させていなんのだもの、わかるはずもない。
伝えたいと思う感情の有無も含めて、是が非でもという感情が備わっていないらしい。
そう思える男性に出会えていないのではなく、そういう感情を私は持ち合わせていないのだ。
相手を見下し、自分は不安になる。
出口のない迷路に迷い込んでしまったように、悪循環を繰り返す。
「愛している」は諦めたけれど、もうひとつ叶えたいことが私にはあった。
次は、私の性癖についてお話ししますね。
惹かれ合う理由
ずっと違和感を感じていた。
他人のいう気遣いと、私のそれの感覚に違和感を感じていた。
たとえば、学生時代。
学校帰りにアイスクリームショップに数人で立ち寄る。
みんな、そろって二段重ねの「ダブル」を注文するけど、私はさほど甘い物が好きではないから「シングル」にする。
すると、1人の女の子がそれを見て「付き合いわるーい!」と言って周りの子と笑う。
こんな時、私は困ってしまうのだ。
この子は、私を責めているのか。
冗談のつもりなのか。
それが、いけないことで、忠告の意味を込めて責めているなら
、笑うのではなく、他人に悟られぬようにアドバイスするべき
ではないか。
冗談ならば、もう少し違う言い方ができないのか。
アイスクリームショップに行くのを断ったのならば「付き合い悪い」と言われてもしかたない(譲歩して、本当はそんなこと個人の自由のはずだ)。
たかが、アイスクリームが一段足りないだけで、そんなことを言われることに、困惑してしまうのだ。
アイスクリームの段数を揃える気遣いは、私にはない。
でも、周囲の空気を不穏にしない気遣いは、できる。
私の周りの人は、前者の気遣いを重要視するらしい。
私は、不穏な空気が苦手だ。
まして、私の言動でそうなってしまうなんて極力避けたい。
他人を傷つけるような言葉を発することのないように、気遣っている。
だから、無神経な言葉に驚き、言い返すこともできずに、少し傷つきながらも笑って流す。
それと、同時に、そういう言葉しか選べないその子を、心の中でばかにする。
見下しているのだもの。きちんとした人間関係なんて作れない。
まあ、今思えば、そういう集団行動の付き合いは苦手で、付いて行ってはいるものの、心は離れているのだから「付き合い悪い」と思われてもしかたないか。
そのうち、周りは、私に「怒り」や「傷つく」感情がないものと錯覚していく。
それは、男女の付き合いにおいても同じだ。
相変わらず、不穏な空気が苦手な私は、一見すれば、いつも機嫌の良い、素直な女だ。
男性を甘やかせる(ぬるま湯につからせると言っているの)のが、上手い。
些細なことからはじまって、かなりひどいこと(6時間待たされるとか)をしても、感情を爆発させない私に、男はどんどん増長してくる。
はじめは、私が傷ついているか気にしなくなる。
そのうち、私に、傷つくというような負の感情があるかどうかさえも気にしなくなってくる。
その心の動きを目の当たりにしながら、付き合うのは悲しいことだ。
そして、ある時突然私はその男が嫌いになってしまう。
そもそも、好きだったのかさえわからなくなるほどに。
相手にしてみれば、わかる訳ない。
だって、感情を爆発させていないから。
でも、ほんの少しは伝えているつもりだ、空気が不穏にならない程度に。
伝えない心を見抜けない男の人を、見下しているのだもの愛しているなんて感情を持てるはずない。
そして、それには厄介なことに、不安が付きまとう。
見下している相手に対して、私の「見下し」や「負の感情」を見せていないから、本当の私を見せていないから、目の前の男性がいくら私を好きだと言っても、自信が持てない。
この人は、本当の私を好きなのではないと、それを知っても好きでいてくれるはずないと、不安になる。
何度か同じような別れを繰り返して、私は諦める。
「愛してる」と歌を口ずさむ時、生まれ変わっても一緒になりたいと友達のノロケを耳にする時、私は諦めて心の中でため息をつく。
私には、そういう感情は備わっていないらしい。
誰も私をわかってくれないなんて、悲劇のヒロインを気取るつもりもない。
爆発させていなんのだもの、わかるはずもない。
伝えたいと思う感情の有無も含めて、是が非でもという感情が備わっていないらしい。
そう思える男性に出会えていないのではなく、そういう感情を私は持ち合わせていないのだ。
相手を見下し、自分は不安になる。
出口のない迷路に迷い込んでしまったように、悪循環を繰り返す。
「愛している」は諦めたけれど、もうひとつ叶えたいことが私にはあった。
次は、私の性癖についてお話ししますね。
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