まっとうな欲求
独特な幸福感
「まっとうな欲求」
これって正しい日本語なのかな。
いつもなんとか心を表したくて、知ってる言葉をフル動員させて書いてるけど、これが精一杯。
語彙の乏しいわたしは、つい感覚で言葉を選んでしまっていて、実は日本語として「どう?」みたな表現いっぱいあるだろうなと思いながらも、そのままに書いてしまってるのです。
「制服とおもらし4」で書いた「まっとうな欲求」
これも、そう。
日本語として、正解?
辞書で引いてみました。
まず、「まっとう」=まとも…そもそもまともって何?
じゃあ、「まとも」は?=「まじめ」とか「本気」(「正面」っていうのもあったけど、今回は違うかな)
で、「欲求」も=「なにかを強く心にのぞむこと」ですって。
うう、なんだか墓穴を掘った気がする。
ということで、もう少しお付き合いください。
わたしの「本気で強く心にのぞむこと」のお話^^;
「制服とおもらし4」で痛がりながらも触れた「女の子願望」。(ったく、わたしったら、従属だとか同化だとかいろんなものほしがってますよね!!今度は「女の子」。どれも根底は同じなのかな…)
もうちょっとはっきり書いたら?と那智さんからの指摘がありましたので、更に痛がってみたいと思います。
わたしの「女の子願望」には、みっつの種類があったのですね。
ひとつは、心の欠損を埋めるのに必要だった「女の子」。
父親からもらえなかった「愛される価値」。
その「父性」をもらうための役割りを「女の子」がはたしてくれていたのですね。
「女の子になっちゃえ」といわれて腕の中で号泣したり、名前を変えてたり、「お父さん」って呼んだり、端から見ると非常に「痛い」ことをしていました。
そのおかげでずいぶん、「愛される価値がある」と思えるようになっていった。
女の子になる必要なく、大人のりん子で、ちゃんと愛されていると思えるようになっているのね。
最近は、名前返上してるし。
だから、この心の欠損はずいぶん埋まったはずなんだ。
それとふたつめは、可愛がられる快感。
心の欠損とは別に、女の子のように可愛がられたい。
髪を撫で、包み込まれ「いいこ、いいこ」されたい。
無垢で無防備な女の子にさせてもらえることは、性的な快感とは違う種類の快感がある。
これは、女性全部がというのは大げさでしょうけど、多くの女性が共感してもらえる欲求なんじゃないかなと思うのです。
そして、もうひとつ。
「女の子」になって性的な快感を覚えること。
これは、ずっと認めたくなかったの。
生い立ちなどの原因による「心の歪み」は、痛いけど、ちょっと正当化してしまえる^^;
「可愛がられたい」欲求なんて、女なんだからと胸張って要求できるくらい、一般的(?)。
だけど、それで純粋に「興奮」するなんて、普通じゃないように思えて認めたくなかった。
那智さんの前で「女の子」になり、満たされる。
その最中やそのあとに、那智さんはそこに「性的興奮」があることを指摘していた。
わたしはずっと認めたくなくて、「トラウマ」とか「女なら誰でも」ということではぐらかしていたの。
薄々気づいていて認められなかった欲求を認めることになったのが、「制服とおもらし」のことがあったから。
それを認めるのに、ずいぶん時間がかかった。
なぜ認められたかというと、「制服とおもらし」のあと、那智さんと「あれのなにで、あんなに興奮したのか」いろいろお話ししたの。
那智さんがあれで感じた喜びは、「りん子が喜んでる」とか「露出やアブノーマルな興奮」とか「制服姿がかわいかった」(にゃはは^^)とかいろんなことが重なり合って生まれたものだったそうだ。
そこに「りん子を女の子にする」というものも含まれてた。
それを聞いて、那智さんに共犯になってもらって、はじめて認めることができたのです。
これがみっつめの欲求。
「心の欠損」や「女なら」ということは説明がつきやすい。
みっつめは、理由はわからずに、ただそうだというだけ。
そこに那智さんの共犯も加わるから、「それが気持ちいいから」ということだけが理由だ。
ただ「本気で強く心にのぞむこと」だということだけ。
那智さんと出会う前に、自分にこの種の欲求があるなんて思っていなかった。
一緒に覗いてくれる人がいて、その人もそれを求めてくれると、開花するのか芽生えるのか、とにかく「欲求の宝庫」になってしまう。
だから、「まっとうな欲求」。
でいいよね!?と、自分の言葉選びも欲求も、正当化しちゃおう。
「まっとうな欲求」
これって正しい日本語なのかな。
いつもなんとか心を表したくて、知ってる言葉をフル動員させて書いてるけど、これが精一杯。
語彙の乏しいわたしは、つい感覚で言葉を選んでしまっていて、実は日本語として「どう?」みたな表現いっぱいあるだろうなと思いながらも、そのままに書いてしまってるのです。
「制服とおもらし4」で書いた「まっとうな欲求」
これも、そう。
日本語として、正解?
辞書で引いてみました。
まず、「まっとう」=まとも…そもそもまともって何?
じゃあ、「まとも」は?=「まじめ」とか「本気」(「正面」っていうのもあったけど、今回は違うかな)
で、「欲求」も=「なにかを強く心にのぞむこと」ですって。
うう、なんだか墓穴を掘った気がする。
ということで、もう少しお付き合いください。
わたしの「本気で強く心にのぞむこと」のお話^^;
「制服とおもらし4」で痛がりながらも触れた「女の子願望」。(ったく、わたしったら、従属だとか同化だとかいろんなものほしがってますよね!!今度は「女の子」。どれも根底は同じなのかな…)
もうちょっとはっきり書いたら?と那智さんからの指摘がありましたので、更に痛がってみたいと思います。
わたしの「女の子願望」には、みっつの種類があったのですね。
ひとつは、心の欠損を埋めるのに必要だった「女の子」。
父親からもらえなかった「愛される価値」。
その「父性」をもらうための役割りを「女の子」がはたしてくれていたのですね。
「女の子になっちゃえ」といわれて腕の中で号泣したり、名前を変えてたり、「お父さん」って呼んだり、端から見ると非常に「痛い」ことをしていました。
そのおかげでずいぶん、「愛される価値がある」と思えるようになっていった。
女の子になる必要なく、大人のりん子で、ちゃんと愛されていると思えるようになっているのね。
最近は、名前返上してるし。
だから、この心の欠損はずいぶん埋まったはずなんだ。
それとふたつめは、可愛がられる快感。
心の欠損とは別に、女の子のように可愛がられたい。
髪を撫で、包み込まれ「いいこ、いいこ」されたい。
無垢で無防備な女の子にさせてもらえることは、性的な快感とは違う種類の快感がある。
これは、女性全部がというのは大げさでしょうけど、多くの女性が共感してもらえる欲求なんじゃないかなと思うのです。
そして、もうひとつ。
「女の子」になって性的な快感を覚えること。
これは、ずっと認めたくなかったの。
生い立ちなどの原因による「心の歪み」は、痛いけど、ちょっと正当化してしまえる^^;
「可愛がられたい」欲求なんて、女なんだからと胸張って要求できるくらい、一般的(?)。
だけど、それで純粋に「興奮」するなんて、普通じゃないように思えて認めたくなかった。
那智さんの前で「女の子」になり、満たされる。
その最中やそのあとに、那智さんはそこに「性的興奮」があることを指摘していた。
わたしはずっと認めたくなくて、「トラウマ」とか「女なら誰でも」ということではぐらかしていたの。
薄々気づいていて認められなかった欲求を認めることになったのが、「制服とおもらし」のことがあったから。
それを認めるのに、ずいぶん時間がかかった。
なぜ認められたかというと、「制服とおもらし」のあと、那智さんと「あれのなにで、あんなに興奮したのか」いろいろお話ししたの。
那智さんがあれで感じた喜びは、「りん子が喜んでる」とか「露出やアブノーマルな興奮」とか「制服姿がかわいかった」(にゃはは^^)とかいろんなことが重なり合って生まれたものだったそうだ。
そこに「りん子を女の子にする」というものも含まれてた。
それを聞いて、那智さんに共犯になってもらって、はじめて認めることができたのです。
これがみっつめの欲求。
「心の欠損」や「女なら」ということは説明がつきやすい。
みっつめは、理由はわからずに、ただそうだというだけ。
そこに那智さんの共犯も加わるから、「それが気持ちいいから」ということだけが理由だ。
ただ「本気で強く心にのぞむこと」だということだけ。
那智さんと出会う前に、自分にこの種の欲求があるなんて思っていなかった。
一緒に覗いてくれる人がいて、その人もそれを求めてくれると、開花するのか芽生えるのか、とにかく「欲求の宝庫」になってしまう。
だから、「まっとうな欲求」。
でいいよね!?と、自分の言葉選びも欲求も、正当化しちゃおう。
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