長い前振り
惹かれ合う理由
那智さんのすることは、結果的にすべて私の幸福に繋がる。
何度かこういう表現をしてきました。
これを上手にお伝えできているか、また、これから書くことも上手に伝えられるか。
たとえば、電話で勝手にすねている私。
理由は些細なこと(お仕事しながらでお返事がぞんざいだったとか、そんな程度。いまなら「そのお返事は淋しい」って訴えられるくらいにまで成長しましたが)、そんな私の機嫌を知ってか知らずか、切り際に「オナニーのかわいい声を聞かせて」と要求されたりする。
すねているモードから、切り替えはできなくて「できません」などと、抵抗してみる。
こんなとき那智さんの取る行動は3通りはある。(那智さんの精神状況や忙しさなどで変わるかな)
ひとつは、有無を言わせず、やらせる。
多少エッチな言葉を言ってくれたりするときもあるけど基本的に「やらせる」。
感じてしまうみじめさや、思い通りになる悔しさ、心が解けていく安堵感で泣きながらすることも、よくある。
感じることと、心が解けていくことと、どちらが先かわからないけど、最後は那智さんの望み通り「かわいい(?)声」を聞かせて差し上げられる。
もうひとつは、きちんとお話ししてくれる。
「なぜ、できないのか」「どうしたら素直になれるのか」そして、遂行しないと悲しくなるであろうことも。
これは、時間もかかって厄介ですが、やっぱり素直になれて、最後には那智さんの意に添える。
そして、向き合ってくれたことで、もっと那智さんが好きになる。(副産物!)
最後のひとつは、「じゃあ仕方ないね」と諦めてしまう。
そのあと、別なお話になるときもあれば、電話が終わりになるときもある。
那智さんは、自分がしたければどんな方法でも仕向ける人だ。
だから、最後の方法を取ったときは「どうしてもしたいこと」というレベルではないのであろう。
そう言った意味では、しないことがイコール意に添わないとは言い難いが。
でも、結果的に最初に示した那智さんの意志に添っているほうが、明らかに私は幸福になっている。
妄信して言いなりになっているのではないことを、説明できているかしら。
意に添わないで電話が終わったときは、淋しくて淋しくて後悔してしまうのだ。
そんなことの積み重ね。
一事が万事、この繰り返し。
さらに、私は「父性に導かれたい」という性質を持っているから、尚のこと意に添うのは喜びになる。
もう数年もこのようなことを繰り返しているから「那智さんが私に向けて発してくれることは、たとえその瞬間は私を傷つけるようなことだとしても、結果的にはどんなことでも私の幸福。」と言えるし、このブログでも何度かお伝えしているのです。
怪しげな宗教みたいで、いやなのですが「神格化」していることとの違いは「意見できる」ということでしょう。
よくご想像されるであろう「絶対服従」、ご主人様に口答えなんてもってのほかのような「SM」とも違うのも、これと同じ。
「意見できる」対等な価値のある関係。
その上で私は、自ら跪くことを選んでいるのだ。
だって、そのほうが断然幸せなんだもの。
え〜っと、「マイナスの感情が結果的に幸福に繋がる」例としての前振りだったのですが、なんだか長くなってしまいました。
すみません。
本当は、その心の変化の最たる事例「スカトロ」の話題が本題になる予定でした。
次回、これに着手です。
「SM 」願望の多少ある人でも、引いてしまうであろう題材です。(私だってそうですよ!)
これを敢えて「非日常的な日常」ではなく「惹かれ合う理由」にしようと思っています。
ああ、上手にお伝えしたい。
二の足踏んでいるから、こんな長い前振りでした・・・。
那智さんのすることは、結果的にすべて私の幸福に繋がる。
何度かこういう表現をしてきました。
これを上手にお伝えできているか、また、これから書くことも上手に伝えられるか。
たとえば、電話で勝手にすねている私。
理由は些細なこと(お仕事しながらでお返事がぞんざいだったとか、そんな程度。いまなら「そのお返事は淋しい」って訴えられるくらいにまで成長しましたが)、そんな私の機嫌を知ってか知らずか、切り際に「オナニーのかわいい声を聞かせて」と要求されたりする。
すねているモードから、切り替えはできなくて「できません」などと、抵抗してみる。
こんなとき那智さんの取る行動は3通りはある。(那智さんの精神状況や忙しさなどで変わるかな)
ひとつは、有無を言わせず、やらせる。
多少エッチな言葉を言ってくれたりするときもあるけど基本的に「やらせる」。
感じてしまうみじめさや、思い通りになる悔しさ、心が解けていく安堵感で泣きながらすることも、よくある。
感じることと、心が解けていくことと、どちらが先かわからないけど、最後は那智さんの望み通り「かわいい(?)声」を聞かせて差し上げられる。
もうひとつは、きちんとお話ししてくれる。
「なぜ、できないのか」「どうしたら素直になれるのか」そして、遂行しないと悲しくなるであろうことも。
これは、時間もかかって厄介ですが、やっぱり素直になれて、最後には那智さんの意に添える。
そして、向き合ってくれたことで、もっと那智さんが好きになる。(副産物!)
最後のひとつは、「じゃあ仕方ないね」と諦めてしまう。
そのあと、別なお話になるときもあれば、電話が終わりになるときもある。
那智さんは、自分がしたければどんな方法でも仕向ける人だ。
だから、最後の方法を取ったときは「どうしてもしたいこと」というレベルではないのであろう。
そう言った意味では、しないことがイコール意に添わないとは言い難いが。
でも、結果的に最初に示した那智さんの意志に添っているほうが、明らかに私は幸福になっている。
妄信して言いなりになっているのではないことを、説明できているかしら。
意に添わないで電話が終わったときは、淋しくて淋しくて後悔してしまうのだ。
そんなことの積み重ね。
一事が万事、この繰り返し。
さらに、私は「父性に導かれたい」という性質を持っているから、尚のこと意に添うのは喜びになる。
もう数年もこのようなことを繰り返しているから「那智さんが私に向けて発してくれることは、たとえその瞬間は私を傷つけるようなことだとしても、結果的にはどんなことでも私の幸福。」と言えるし、このブログでも何度かお伝えしているのです。
怪しげな宗教みたいで、いやなのですが「神格化」していることとの違いは「意見できる」ということでしょう。
よくご想像されるであろう「絶対服従」、ご主人様に口答えなんてもってのほかのような「SM」とも違うのも、これと同じ。
「意見できる」対等な価値のある関係。
その上で私は、自ら跪くことを選んでいるのだ。
だって、そのほうが断然幸せなんだもの。
え〜っと、「マイナスの感情が結果的に幸福に繋がる」例としての前振りだったのですが、なんだか長くなってしまいました。
すみません。
本当は、その心の変化の最たる事例「スカトロ」の話題が本題になる予定でした。
次回、これに着手です。
「SM 」願望の多少ある人でも、引いてしまうであろう題材です。(私だってそうですよ!)
これを敢えて「非日常的な日常」ではなく「惹かれ合う理由」にしようと思っています。
ああ、上手にお伝えしたい。
二の足踏んでいるから、こんな長い前振りでした・・・。
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