おかず
独特な幸福感
わたしのぐるぐるにとことん付き合ってくれる那智さんは愛情深い人だと思う。
わたしだけじゃなくて、関わると決めた人にはかなりしっかりと関わる姿を見ていると父性のようなものを感じずにはいられない。
でも、その深い愛情と愛情表現とは別のもののよう。
感情の上下がないところが魅力のひとつなんだけど、その「好き表現」にも上下がないのです。
時々、愛情表現やほめることをかっこ悪いと思ってるような人っているでしょ?
そういうことではないの、かわいいと思ってくれればそういってくれるし、ちゃんとできたときには「いい子」ってほめてくれる。
ただその表現方法、よくいえばクール、悪くいえば素っ気ない。
「那智さん、だーいすき♪」といっても「はい、はい。」(いや、僕もでちゅ〜って言われても困るけど…)
「わたしのこと好き?」と聞いても「はい、はい。」(いや、だいちゅきでちゅ〜って言われても…)
上下ない感情はありがたいし、魅力なんだけど。
それでも、たまには、抑えようと思ってもどうしようもなく溢れてこぼれ落ちてしまう、みたいな好きがあってもいいのになって思う。
でも、たまーに、溢れちゃってどうしようもない!!に近い状態になるときがある。
それは、酔っぱらいさんになったとき。
「りんっ子ちゃ〜ん♪」
明らかにいつもと違う声に、とほほと思いながらもたまーにのことなので、うふふともなるのだ。
だけど、わたしが味わいたい「溢れちゃう」のは、そんな「まっこちゃ〜ん♪」なんて冗談っぽいのじゃなくて、もっと切羽詰まったような、抑えよう抑えようとしてもどうしても抑えられない必死さが伝わるようなものなんだなぁ。
で、かつて、一度だけそういう那智さんに遭遇できたときがあるの。
それは、はじめて電話で繋がってからの数日間。
前にも書いたけど、那智さんとわたしは正式には出会う半年ほど前、同じツーショットダイヤルで会話しているらしいのだ。
そのときは、単刀直入な那智さんはまず「スカトロ」について話したようで、わたしは速攻で「ごめんなさい」をしてしまったらしいのです。
それで半年後に再会して、今度は絶対切られまいと、那智さん必死モードが発動したのです。
あのときの必死な感じ、女性に対して「上下」してしまうことを、よしとしない那智さんが、「もう好きで好きでたまらない」という精神状態。
その那智さんが、一度だけ、溢れちゃった那智さん。
それから、数年。
よくいえばクール、悪くいえば素っ気ない。
それはそれでいいのだけど、かわってほしくないのだけど、時々あの那智さんを懐かしむのです。
「あのとき那智さん必死でしたよね〜」と反芻するのが、大好き。
那智さんはそれに付き合ってくれけど、あんまりしつこかったり切り口がつまらなかったりすると、「もう、その話題おしまい」と一蹴されてしまうので、いつもいつも味わえるものじゃないんだ。
だから、うまい切り口を見つけたり、図らずもその方向に話題が進んだりすると、わたしは上機嫌。
先日も、那智さんの口説き方という話題が出て、その方法をわたしにもしましたか?と聞いてみた。
「その通りじゃないけど、それに似たことはした、電話で話した3日目くらいから。」
「んん?3日目くらいから!?ってことは?那智さん?」
「最初の2日間は、作戦練る余裕なかった。」
それっ、その話題に繋がるとは〜、すっごいラッキー♪
もっと言ってもっと言って。
わたしは、図らずも降って湧いた大好き話題に、大喜び。
「那智さん、最初の2日間は必死だったんですねぇ。」
「そうだよ、今度は切られまいとね。」
「いや〜ん、那智さん、あのときは、再会できたのが嬉しくてしょうがなかったのですよねぇ!!」
「りん子、この話題好きだよな。」
「はい〜。」
「おかずになってるよな。」
「おかず?」
「そう、何のってわけじゃないけど、確実に何かのおかずになってるよな(笑)」
ああ、そうなの。
男の人が使うエッチな意味の「おかず」じゃないけど。
その話題、わたしの「おかず」なの!!
それで、いくらでもご飯いけちゃうの。
だから、何度も何度も反芻しちゃう。
昨日の「萌えポイント」じゃなけど、わたし(女)にも、「おかず」はあるんだなぁ。
それはエッチなことじゃなくて、思い出すと「むふふ」と上機嫌になってしまうような「おかず」。
那智さんがあんなふうに溢れちゃうことって、もうないでしょう。
よくいえばクール、悪くいえば素っ気ない。
そのまま、かわらないでと思いながら、名残り惜しむように時々反芻するのでした。
わたしのぐるぐるにとことん付き合ってくれる那智さんは愛情深い人だと思う。
わたしだけじゃなくて、関わると決めた人にはかなりしっかりと関わる姿を見ていると父性のようなものを感じずにはいられない。
でも、その深い愛情と愛情表現とは別のもののよう。
感情の上下がないところが魅力のひとつなんだけど、その「好き表現」にも上下がないのです。
時々、愛情表現やほめることをかっこ悪いと思ってるような人っているでしょ?
そういうことではないの、かわいいと思ってくれればそういってくれるし、ちゃんとできたときには「いい子」ってほめてくれる。
ただその表現方法、よくいえばクール、悪くいえば素っ気ない。
「那智さん、だーいすき♪」といっても「はい、はい。」(いや、僕もでちゅ〜って言われても困るけど…)
「わたしのこと好き?」と聞いても「はい、はい。」(いや、だいちゅきでちゅ〜って言われても…)
上下ない感情はありがたいし、魅力なんだけど。
それでも、たまには、抑えようと思ってもどうしようもなく溢れてこぼれ落ちてしまう、みたいな好きがあってもいいのになって思う。
でも、たまーに、溢れちゃってどうしようもない!!に近い状態になるときがある。
それは、酔っぱらいさんになったとき。
「りんっ子ちゃ〜ん♪」
明らかにいつもと違う声に、とほほと思いながらもたまーにのことなので、うふふともなるのだ。
だけど、わたしが味わいたい「溢れちゃう」のは、そんな「まっこちゃ〜ん♪」なんて冗談っぽいのじゃなくて、もっと切羽詰まったような、抑えよう抑えようとしてもどうしても抑えられない必死さが伝わるようなものなんだなぁ。
で、かつて、一度だけそういう那智さんに遭遇できたときがあるの。
それは、はじめて電話で繋がってからの数日間。
前にも書いたけど、那智さんとわたしは正式には出会う半年ほど前、同じツーショットダイヤルで会話しているらしいのだ。
そのときは、単刀直入な那智さんはまず「スカトロ」について話したようで、わたしは速攻で「ごめんなさい」をしてしまったらしいのです。
それで半年後に再会して、今度は絶対切られまいと、那智さん必死モードが発動したのです。
あのときの必死な感じ、女性に対して「上下」してしまうことを、よしとしない那智さんが、「もう好きで好きでたまらない」という精神状態。
その那智さんが、一度だけ、溢れちゃった那智さん。
それから、数年。
よくいえばクール、悪くいえば素っ気ない。
それはそれでいいのだけど、かわってほしくないのだけど、時々あの那智さんを懐かしむのです。
「あのとき那智さん必死でしたよね〜」と反芻するのが、大好き。
那智さんはそれに付き合ってくれけど、あんまりしつこかったり切り口がつまらなかったりすると、「もう、その話題おしまい」と一蹴されてしまうので、いつもいつも味わえるものじゃないんだ。
だから、うまい切り口を見つけたり、図らずもその方向に話題が進んだりすると、わたしは上機嫌。
先日も、那智さんの口説き方という話題が出て、その方法をわたしにもしましたか?と聞いてみた。
「その通りじゃないけど、それに似たことはした、電話で話した3日目くらいから。」
「んん?3日目くらいから!?ってことは?那智さん?」
「最初の2日間は、作戦練る余裕なかった。」
それっ、その話題に繋がるとは〜、すっごいラッキー♪
もっと言ってもっと言って。
わたしは、図らずも降って湧いた大好き話題に、大喜び。
「那智さん、最初の2日間は必死だったんですねぇ。」
「そうだよ、今度は切られまいとね。」
「いや〜ん、那智さん、あのときは、再会できたのが嬉しくてしょうがなかったのですよねぇ!!」
「りん子、この話題好きだよな。」
「はい〜。」
「おかずになってるよな。」
「おかず?」
「そう、何のってわけじゃないけど、確実に何かのおかずになってるよな(笑)」
ああ、そうなの。
男の人が使うエッチな意味の「おかず」じゃないけど。
その話題、わたしの「おかず」なの!!
それで、いくらでもご飯いけちゃうの。
だから、何度も何度も反芻しちゃう。
昨日の「萌えポイント」じゃなけど、わたし(女)にも、「おかず」はあるんだなぁ。
それはエッチなことじゃなくて、思い出すと「むふふ」と上機嫌になってしまうような「おかず」。
那智さんがあんなふうに溢れちゃうことって、もうないでしょう。
よくいえばクール、悪くいえば素っ気ない。
そのまま、かわらないでと思いながら、名残り惜しむように時々反芻するのでした。