お疲れさまでした!!
独り言
過去最高に長いです。
「らしい」と思ってお許しください。
『自信ってどうやって持つことができるのかな。
わたしはわたしに自信がない。
ううん、それはちょっとベタな言い方でそこまで完全自己否定じゃないのだけど。
なんて言うのかな、自信に繋げる根拠を他者の評価に頼ってるとか、そんな感じかな。
わたしの夫は物を作る仕事をしていて、自分の「かっこいい」に自信を持っている。
車のCMを見ては新しい車を「気持ち悪い」なんて一刀両断。
彼だって自分が天才設計士ではないことを百も承知で、同じ物作りをする苦労も知った上で、でも、そう言い切ってしまうのはセンスに自信があるからなんだろう。
そういう、他人がどう思おうと、自分はこう!!と言い切れる自信。
これがわたしにはない。
いつもどう思われてる?か気になるし、他人が「これがいい!!」って言ったら「そうかも?」なんて簡単に流されてしまう。
わたしのブログに「リンク欄」がないのお気付きですよね?
これはブログを始めるときに決めたことでした。(最初は何も考えず付けっぱなしにしてたかな)
なぜやめたかというと、ひとつは、いまでもそうなんだけど、ネットの世界に疎いわたしは「リンク」の意味がいまひとつわからなかったの。
リンクとか相互リンクとか、ブックマークとか区別もわからないし暗黙のルールみたいなものもわからない。
わからないことには、触れない(笑)で、外したの。
それともうひとつ。
仮に、わたしがどこかのサイトに「リンクさせてね」とお願いしたら、きっと相手の方もこちらを訪れてくれるはずで、そこで「こちらはリンクどうしようか」とチラッとでも考えさせてしまうことがいやだったのです。
ばかみたな気遣いと自意識。
そんなもので苦しくなるなら、はじめからやめようと。
読んでくださる方を意識しながらも、書きたいことの書きっ放しは気持ちよかった。
どこにもリンクされず宣伝もせず、それでも日々カウンターの数字が増えていくのは嬉しく励みになり、ほんの少しわたしの「自信」になった。
加えて、少しずつこの世界にも慣れてきて、周りを見渡せるようになった。
リンクを貼ったり、互いに行き来している様子を見ていたら、今度はちょっとお外に出てみたくなったの。
リンク欄も付けられなかったわたしが、はあ、子供みたいね、「いいな〜、楽しそう」って(苦笑)
コメントをしてレスを返してもらう。
嬉しいやり取り。
でも、これが、わたしにとって、はじめて自分のブログを「客観視」するきっかけになったのです。
コメント先の方は快く応じてくださって、それはとても楽しかったの、それとは別の次元でハタと立ち止まり、何を今更なんだけど「客観視」できてしまったのです。
そしたら、そこから一歩も動けなくなっちゃった。
いろんなこと書いてます。
生い立ちも変態もノロケもくだらない話も。
しかも、那智さん曰く「1cmのことを1mにも3mにも書く」というような書き方。
つまずいて擦りむいただけのことを、歩いてる道のりからはじまって、それかどれだけ痛くてどんな傷になったか、大事故のように書いてる。
舞台のお芝居のよう。
書いてることがいろんなことだから、もう全裸で大真面目に宝塚歌劇団って感じかな。
そんなふうに「客観視」できてしまって、それでよそ様のお宅に上がり込んでしまったような「やっちゃった〜」感で、もう恥ずかしくてしょうがなくなっちゃった。
この客観視できてから、日々更新する度に不安の刺がチクッと胸に刺さり続けてた。
変態のことを生い立ちを、宝塚女優のように羽根付けて踊ってる語ってる、しかも全裸で。
そんなふうに思ってしまったから、アップする度に「どう思われているのか」不安でしかたなくなっちゃったのです。
自分はこれでいいと思えない、他者の評価が気になる本来の性格が日々の不安の刺になったのです。
はじめは吐き出したいから書いた。
だから、それはそれで気持ち良かった。
ある程度吐き出して、これからも書きたいことはあるでしょうけど、この「客観視」で生まれた刺はつらくて、書くことの楽しさと天秤にかけてマイナスのほうが大きいと思うようになってきた。
いままでだって、「書くことないよ〜」とか「なんでこんなふうにしか書けないんだろう」とか散々那智さんにぐずっていたけど、それよりも得ることが大きかった。
でも、ほんの少しでもマイナスが多くて続ける理由はないよね。
だから、「薬指の刺青」はおしまいにします。
また、何かしらの形でブログを始めることになると思います。
ぜーんぜん違うHNで、どこかでひっそり変態話を書いてるかもしれません^^』
2ヶ月程前。
わたしはここまで考えた。
その前から、ずいぶんぐずって、最後はかなり冷静に那智さんと話し合った。
で、それでも、やっぱり続けることによる心のマイナスが大きいとわたしが判断して、わたしが決めた。
那智さんも、伝えることは伝え尽くして、それでもりん子の気持ちが変わらないなら、それはしかたがないとわたしの決定を尊重してくれた。
ひとつ、上にも書いてない理由があった。
それは、わたしのこの「不安の刺」は少なからず那智さんのせいだと感じていた。
ブログをはじめたとき、最初は「わたしはこんなことをしてて、こんな風に思ってて、愛し合ってます」ってことだけ吐き出したいと思っていた。
だけど、はじめてすぐ那智さんに「全部書く」と方針を打ち出された。
「わかってもらおう」って。
それは、「変態なことしてるけど、そこには愛情の裏打ちがあるんだよ」ってことをわかってもらうんだって解釈して、それでいろんなことを書いた。
もちろん、それは感じてくださる方には受け入れてもらったと思ってる。
でも、それと同じくらい、客観視すればするほど、恥ずかしく後から後から不安が付いてくると感じてきた。
だから、それは那智さんのせいだと、いつからか思っていた。
そこを那智さんに言わずに、ぐずっていたのね。
上の記事を書いて、アップする前にもう一回那智さんと話す時間があって、そこではじめてわたしは那智さんを責めた。
「わたしが、恥ずかしくて不安を感じるのは、全部書けと言った那智さんのせいだ」って、書いてて気持ち良かったことなんて棚に上げて。
そして、それをずっと心に貯めておいたことを謝った、素直に伝えるという約束を守らなかったから。
那智さんは、まずちゃんと伝えなかったことはよくないと言った。
そして、「そう、俺のせい」とあっさり認めた。
別にネットに世界で「ホント」も「ウソ」も関係ないし、人それぞれでかまわないのだけど、テキストだけで自分たちのことを公開するときに、那智さんは「ホントかよ」って思われたくなかったのだそうだ。
ここに書かれていることはすべてじゃない、不倫だしSMだし「ホントの愛」とはほど遠いかもしれない(遠い近いは関係ないけど)、だけど、ここまで書けば少なくともウソだとは思わないだろう。
那智さんは、ふたりの付き合いに社会性を持たせたいと思ってる。
ハプバーに行ったりするのもそれを感じる方法だし、同じ趣味の人との交流もそうだろう。
那智さんは、この「ウソとは思わないだろう」ということで、わたしたちを見せ、(一方的ではあるけど)これも社会性のひとつにしようと考えていたのです。(むしろ他の方法のほうがいいような感じもしますが^^;)
大げさだけど、片隅でわたしたちが存在してる証にしたかったのです。
薬指にある刺青と同じだ。
2人が一緒に存在してるって印。
(ここまで曝け出さなくても、上手に伝えられている人はたっくさんいらっしゃいます。全部書きゃあいいってものではありません。これが那智さんの望みってだ けです。みなさんそれぞれのやり方でブログをされているわけで、それはまったく否定すてるつもりないです。ああ、言い訳いっぱい。これも那智さんのせい!! 笑)
実は、わたしよりずっと那智さんのほうがこのブログにいっぱいの意味を載っけていたと話してくれた。
散々ぐずっているときから、似たようなことを言われていたけど、この時のお話しは素直にわたしの心に染み込んだ。(わたしも素直に那智さんをい責めたからかな!?)
そして、その時タイミングよく、コメントをいただいた。
評価を気にするわたしには、コメントは嬉しいご褒美だった。(那智さんは、こんなノロケブログに見に来てくれるだけでも充分な「評価」だって言うけど、ご褒美ほしいもん)
もうちょっと続けてみようと、単純なわたしは上の記事をアップするの、やめたのでした。
はあ、ほんとに子供のような性格です。
でも、今回はわたしなりに時間をかけて、それでも「やめるー!」になったの。
なのに、あっさり前言撤回、有言不実行、やっぱり子供です。(事後でアップしてるから有言じゃないかな)
情けないし、恥ずかしいなぁ、でも、書くか。
那智さんは「全部書けば、それは強い」って言ってる。
このブログの評価できる点は「全部書いてることだ」という感想もいただいたことがある。
後先考えず突っ走るところが、わたしの良い所でもあると言っていただいたこともある。
だから、この一連のことも、いまのタイミングでアップしてみました。
子供のようなわたしはめそめそぐずぐずしながらも、書き続けるということで自信とか強さとか持てるかもしれない。
ううん、そんな大げさなことじゃなくて、今回のことで、わたしはもっともっと純粋にブログを書くことを楽しめるようになったと思う。
だって、こんな子供みたいでも裸で宝塚でも、来てくれる人がいるんだもん。
6万件です。
来てくださって、ありがとう。
もしこれが那智さんの言う社会性のひとつなら、どうか楽しんでいってくださね。
まだ続けようと思えたのも、日々のカウンターの数字と時々いただくコメントやメールがパワーになっています。
ありがとう。
そして、ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
ほんとにお疲れさまでした。
読んでくださった方に。
いつもの感謝記念ですが、実は、5万を区切りにもうやめようと思ってました。
募集といっても、那智さんが募集したければ記念もなにも関係なく募集できるわけで。
だから、なんか面白い企画が思いつかなかったらやめよって。
でも、那智さんがね、思いついたの。
「りん子と那智とチャットでお話ししませんか!?」って!!!
ええええ?
それって、どうなの!?
普段、コメントも少ないこのブログでチャットなんてやったって誰か来てくれるのでしょうか!?
第一、何話すの?
全部書いてる、この多岐に渡ったノロケの場で、何について話すの!?
これも那智さんの「社会性」なのでしょうか。
それよりも、まず、中指だけでキーボードを打ってるわたしがチャットなんかできるのだろうかと、それが一番の難題です。
どうなることやら…。
まあ、でも、楽しそうなので、企画します。
「りん子と那智とチャットでお話ししませんか?」
2人が揃う時がまだ未確定なので、決定次第お知らせします。
きっと当日とかになってしまうと思うけど、近日中にはできると思います。
それとね、今日わたし「キリ番」っていうのゲットしてしまいました!!
管理者がゲットしてどうかと思いますが、いままで気付いたら50003とかになっていたから、素直にとっても喜んでしまった。
で、思わず写真に撮っちゃった!!
ね!?
裸で羽根付けて「ゴールデン♪ゴールデン♪た、か、ら、づ、か〜♪」って踊ってるけど、それでも、楽しんでいきたいと思います。
どうぞ、一緒に楽しんでくださね。
で、わたしも時々、おもてに遊びに行かせてもらお^^洋服着て。
いままで、来てくださったすべての人に、わたしに関わってくださった人に、ありがとうございました。
過去最高に長いです。
「らしい」と思ってお許しください。
『自信ってどうやって持つことができるのかな。
わたしはわたしに自信がない。
ううん、それはちょっとベタな言い方でそこまで完全自己否定じゃないのだけど。
なんて言うのかな、自信に繋げる根拠を他者の評価に頼ってるとか、そんな感じかな。
わたしの夫は物を作る仕事をしていて、自分の「かっこいい」に自信を持っている。
車のCMを見ては新しい車を「気持ち悪い」なんて一刀両断。
彼だって自分が天才設計士ではないことを百も承知で、同じ物作りをする苦労も知った上で、でも、そう言い切ってしまうのはセンスに自信があるからなんだろう。
そういう、他人がどう思おうと、自分はこう!!と言い切れる自信。
これがわたしにはない。
いつもどう思われてる?か気になるし、他人が「これがいい!!」って言ったら「そうかも?」なんて簡単に流されてしまう。
わたしのブログに「リンク欄」がないのお気付きですよね?
これはブログを始めるときに決めたことでした。(最初は何も考えず付けっぱなしにしてたかな)
なぜやめたかというと、ひとつは、いまでもそうなんだけど、ネットの世界に疎いわたしは「リンク」の意味がいまひとつわからなかったの。
リンクとか相互リンクとか、ブックマークとか区別もわからないし暗黙のルールみたいなものもわからない。
わからないことには、触れない(笑)で、外したの。
それともうひとつ。
仮に、わたしがどこかのサイトに「リンクさせてね」とお願いしたら、きっと相手の方もこちらを訪れてくれるはずで、そこで「こちらはリンクどうしようか」とチラッとでも考えさせてしまうことがいやだったのです。
ばかみたな気遣いと自意識。
そんなもので苦しくなるなら、はじめからやめようと。
読んでくださる方を意識しながらも、書きたいことの書きっ放しは気持ちよかった。
どこにもリンクされず宣伝もせず、それでも日々カウンターの数字が増えていくのは嬉しく励みになり、ほんの少しわたしの「自信」になった。
加えて、少しずつこの世界にも慣れてきて、周りを見渡せるようになった。
リンクを貼ったり、互いに行き来している様子を見ていたら、今度はちょっとお外に出てみたくなったの。
リンク欄も付けられなかったわたしが、はあ、子供みたいね、「いいな〜、楽しそう」って(苦笑)
コメントをしてレスを返してもらう。
嬉しいやり取り。
でも、これが、わたしにとって、はじめて自分のブログを「客観視」するきっかけになったのです。
コメント先の方は快く応じてくださって、それはとても楽しかったの、それとは別の次元でハタと立ち止まり、何を今更なんだけど「客観視」できてしまったのです。
そしたら、そこから一歩も動けなくなっちゃった。
いろんなこと書いてます。
生い立ちも変態もノロケもくだらない話も。
しかも、那智さん曰く「1cmのことを1mにも3mにも書く」というような書き方。
つまずいて擦りむいただけのことを、歩いてる道のりからはじまって、それかどれだけ痛くてどんな傷になったか、大事故のように書いてる。
舞台のお芝居のよう。
書いてることがいろんなことだから、もう全裸で大真面目に宝塚歌劇団って感じかな。
そんなふうに「客観視」できてしまって、それでよそ様のお宅に上がり込んでしまったような「やっちゃった〜」感で、もう恥ずかしくてしょうがなくなっちゃった。
この客観視できてから、日々更新する度に不安の刺がチクッと胸に刺さり続けてた。
変態のことを生い立ちを、宝塚女優のように羽根付けて踊ってる語ってる、しかも全裸で。
そんなふうに思ってしまったから、アップする度に「どう思われているのか」不安でしかたなくなっちゃったのです。
自分はこれでいいと思えない、他者の評価が気になる本来の性格が日々の不安の刺になったのです。
はじめは吐き出したいから書いた。
だから、それはそれで気持ち良かった。
ある程度吐き出して、これからも書きたいことはあるでしょうけど、この「客観視」で生まれた刺はつらくて、書くことの楽しさと天秤にかけてマイナスのほうが大きいと思うようになってきた。
いままでだって、「書くことないよ〜」とか「なんでこんなふうにしか書けないんだろう」とか散々那智さんにぐずっていたけど、それよりも得ることが大きかった。
でも、ほんの少しでもマイナスが多くて続ける理由はないよね。
だから、「薬指の刺青」はおしまいにします。
また、何かしらの形でブログを始めることになると思います。
ぜーんぜん違うHNで、どこかでひっそり変態話を書いてるかもしれません^^』
2ヶ月程前。
わたしはここまで考えた。
その前から、ずいぶんぐずって、最後はかなり冷静に那智さんと話し合った。
で、それでも、やっぱり続けることによる心のマイナスが大きいとわたしが判断して、わたしが決めた。
那智さんも、伝えることは伝え尽くして、それでもりん子の気持ちが変わらないなら、それはしかたがないとわたしの決定を尊重してくれた。
ひとつ、上にも書いてない理由があった。
それは、わたしのこの「不安の刺」は少なからず那智さんのせいだと感じていた。
ブログをはじめたとき、最初は「わたしはこんなことをしてて、こんな風に思ってて、愛し合ってます」ってことだけ吐き出したいと思っていた。
だけど、はじめてすぐ那智さんに「全部書く」と方針を打ち出された。
「わかってもらおう」って。
それは、「変態なことしてるけど、そこには愛情の裏打ちがあるんだよ」ってことをわかってもらうんだって解釈して、それでいろんなことを書いた。
もちろん、それは感じてくださる方には受け入れてもらったと思ってる。
でも、それと同じくらい、客観視すればするほど、恥ずかしく後から後から不安が付いてくると感じてきた。
だから、それは那智さんのせいだと、いつからか思っていた。
そこを那智さんに言わずに、ぐずっていたのね。
上の記事を書いて、アップする前にもう一回那智さんと話す時間があって、そこではじめてわたしは那智さんを責めた。
「わたしが、恥ずかしくて不安を感じるのは、全部書けと言った那智さんのせいだ」って、書いてて気持ち良かったことなんて棚に上げて。
そして、それをずっと心に貯めておいたことを謝った、素直に伝えるという約束を守らなかったから。
那智さんは、まずちゃんと伝えなかったことはよくないと言った。
そして、「そう、俺のせい」とあっさり認めた。
別にネットに世界で「ホント」も「ウソ」も関係ないし、人それぞれでかまわないのだけど、テキストだけで自分たちのことを公開するときに、那智さんは「ホントかよ」って思われたくなかったのだそうだ。
ここに書かれていることはすべてじゃない、不倫だしSMだし「ホントの愛」とはほど遠いかもしれない(遠い近いは関係ないけど)、だけど、ここまで書けば少なくともウソだとは思わないだろう。
那智さんは、ふたりの付き合いに社会性を持たせたいと思ってる。
ハプバーに行ったりするのもそれを感じる方法だし、同じ趣味の人との交流もそうだろう。
那智さんは、この「ウソとは思わないだろう」ということで、わたしたちを見せ、(一方的ではあるけど)これも社会性のひとつにしようと考えていたのです。(むしろ他の方法のほうがいいような感じもしますが^^;)
大げさだけど、片隅でわたしたちが存在してる証にしたかったのです。
薬指にある刺青と同じだ。
2人が一緒に存在してるって印。
(ここまで曝け出さなくても、上手に伝えられている人はたっくさんいらっしゃいます。全部書きゃあいいってものではありません。これが那智さんの望みってだ けです。みなさんそれぞれのやり方でブログをされているわけで、それはまったく否定すてるつもりないです。ああ、言い訳いっぱい。これも那智さんのせい!! 笑)
実は、わたしよりずっと那智さんのほうがこのブログにいっぱいの意味を載っけていたと話してくれた。
散々ぐずっているときから、似たようなことを言われていたけど、この時のお話しは素直にわたしの心に染み込んだ。(わたしも素直に那智さんをい責めたからかな!?)
そして、その時タイミングよく、コメントをいただいた。
評価を気にするわたしには、コメントは嬉しいご褒美だった。(那智さんは、こんなノロケブログに見に来てくれるだけでも充分な「評価」だって言うけど、ご褒美ほしいもん)
もうちょっと続けてみようと、単純なわたしは上の記事をアップするの、やめたのでした。
はあ、ほんとに子供のような性格です。
でも、今回はわたしなりに時間をかけて、それでも「やめるー!」になったの。
なのに、あっさり前言撤回、有言不実行、やっぱり子供です。(事後でアップしてるから有言じゃないかな)
情けないし、恥ずかしいなぁ、でも、書くか。
那智さんは「全部書けば、それは強い」って言ってる。
このブログの評価できる点は「全部書いてることだ」という感想もいただいたことがある。
後先考えず突っ走るところが、わたしの良い所でもあると言っていただいたこともある。
だから、この一連のことも、いまのタイミングでアップしてみました。
子供のようなわたしはめそめそぐずぐずしながらも、書き続けるということで自信とか強さとか持てるかもしれない。
ううん、そんな大げさなことじゃなくて、今回のことで、わたしはもっともっと純粋にブログを書くことを楽しめるようになったと思う。
だって、こんな子供みたいでも裸で宝塚でも、来てくれる人がいるんだもん。
6万件です。
来てくださって、ありがとう。
もしこれが那智さんの言う社会性のひとつなら、どうか楽しんでいってくださね。
まだ続けようと思えたのも、日々のカウンターの数字と時々いただくコメントやメールがパワーになっています。
ありがとう。
そして、ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
ほんとにお疲れさまでした。
読んでくださった方に。
いつもの感謝記念ですが、実は、5万を区切りにもうやめようと思ってました。
募集といっても、那智さんが募集したければ記念もなにも関係なく募集できるわけで。
だから、なんか面白い企画が思いつかなかったらやめよって。
でも、那智さんがね、思いついたの。
「りん子と那智とチャットでお話ししませんか!?」って!!!
ええええ?
それって、どうなの!?
普段、コメントも少ないこのブログでチャットなんてやったって誰か来てくれるのでしょうか!?
第一、何話すの?
全部書いてる、この多岐に渡ったノロケの場で、何について話すの!?
これも那智さんの「社会性」なのでしょうか。
それよりも、まず、中指だけでキーボードを打ってるわたしがチャットなんかできるのだろうかと、それが一番の難題です。
どうなることやら…。
まあ、でも、楽しそうなので、企画します。
「りん子と那智とチャットでお話ししませんか?」
2人が揃う時がまだ未確定なので、決定次第お知らせします。
きっと当日とかになってしまうと思うけど、近日中にはできると思います。
それとね、今日わたし「キリ番」っていうのゲットしてしまいました!!
管理者がゲットしてどうかと思いますが、いままで気付いたら50003とかになっていたから、素直にとっても喜んでしまった。
で、思わず写真に撮っちゃった!!
ね!?
裸で羽根付けて「ゴールデン♪ゴールデン♪た、か、ら、づ、か〜♪」って踊ってるけど、それでも、楽しんでいきたいと思います。
どうぞ、一緒に楽しんでくださね。
で、わたしも時々、おもてに遊びに行かせてもらお^^洋服着て。
いままで、来てくださったすべての人に、わたしに関わってくださった人に、ありがとうございました。
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- 緊急告知 チャット閉鎖のお知らせ(追記あり) 2014/04/11
- ケンカ 2017/12/01
- 子供 2007/06/29