客観視する依存心
りん子的独り言(生意気)
このブログに遊びに来てくれた熟桃さんがご自身のブログで「その通り!!」と思うエントリーを書かれていました。(「素顔のままで」の「Open Your Eyes」です)
どんなに「隷属願望」のある人でも最後まで自分を守ることができるのは「主」ではなく、自分だと。
両目を見開き自分を見失わないでいてほしい。
と。
「隷属願望」を持ち、その盲目的な感情も自覚してるわたしには、とても耳の痛いお言葉(笑)
そして、いま、なんとか「自分を犠牲」にしないで付き合えるパートナーに出会えて、隷属願望のビフォーアフターを多少理解できてるつもりなので、「隷属願望」故に苦しんでるM女さんには読んでいただきたいなと思うエントリーでした。
両目を見開き冷静に見極める。
自分を守れるのは、自分。
ほんとにその通りで、それができたらどんなにいいか、と思う。
もちろん、それをするには、自立心や自制心、たくさんの努力なくしてはできないこと。
責任も自分で引き受けないといけないから、それも大変。
でも、自分の足でしっかりと立っていられるほうが、絶対に幸福だと思う。
ところが、残念ながらわたしのような「不安定」な女は体質なのか環境からなのか、それができないのです。
火星語を話せと言われているような、途方に暮れてしまうようなことなの。
弱いと言ってしまえばそれまでなのだけど、できない。
自分に価値があると思えなくて、不安で何かにすがっていないと立っていられない。
もし、寄り添える人がいて、それでいいと思えてるなら、それでかまわない(それだって、いつかその人が死んだら…やっぱり一人で立たなくちゃいけないけど)
でも、もしいま、奴隷という形で誰かに依存していて、それでも、漠然とした不安を抱えてる人はやっぱり両目を見開いてほしい。
「「奴隷願望」の矛盾」でも書いたけど、そもそも「奴隷願望」を持つことがすでに「不安定」なのだ。
妄想の中の役割りでしているのなら、それはかまわないことだけど。
誰かに「従いたい」と思うことは、誰かに「依存したい」なの。
まず、それを自覚することからはじめたら、もしかしたら、いつか自立できるんじゃないかなって思うのです。
「従いたい、尽くしたい」のではなく、「依存したい」のだと、自分の気持ちを見極める。
わたしのような「依存体質」は自分がどうしたいのかわからないことが多いけど(ほんと、わからないんだ)、それでも、一生懸命自分の心と向き合って、願望の本質を見極めるの。
隷属願望の強い人は、依存先を失うことが怖くてしかたないから、「主」と名乗る人がそれに値するのか判断するのが怖い。
だから、盲目的になってしまう。
それなら、まず「自分」の心を探ることならできるんじゃないかなって思うのです。
一生懸命、自分を客観視するのです。
まず、自分の依存心を客観視して、それに慣れたら次に「主」が「主(依存先)」に値するか見極めるのだ。
ただ、その盲目的になってしまってる状態だと、冷静な判断ができない。
依存先を失うことが不安でしかたないから、目を瞑る。
「この人しかいない」と思い込む。
(ほんと、客観的に見ればわかるのだけど、できないの^^;)
じゃあ、どうしたらいい?
わたしの経験から、ひとつ判断材料を挙げるなら。
その「主」と一緒にいて「ヒヤヒヤ」した感覚を持っているのならば、それは関係が歪んでると思います。(ご主人様と奴隷という関係自体歪んでるから、それでいいと思われるかたはそれでいいのですけど)
機嫌を伺い、機嫌を損ねないように、気遣う。
機嫌が悪くなったら、それは自分のせいだと責める。
結果的にいつも「ヒヤヒヤ」してるのだ。
「ヒヤヒヤ」してる感覚、それは、不幸な証拠だと思う。
「支配する」「導く」「躾ける」隷属願望を持っている女には甘い言葉。
でも、その言葉で「主」と名乗り、結果M女を「ヒヤヒヤ」させているのは「主」じゃない。
これでは、暴君だ。(「「奴隷願望」の矛盾」で熟桃さんがコメントでおっしゃってた「ママと子供」が一番ピッタリです!!もちろん、これも当人同士が自覚しあっているなら、かまわないのだけど)
「ヒヤヒヤ」して、漠然と不安が解消できないのなら、その関係は歪んでると思っていいのではないでしょうか。
それでも怖いよね、依存先を失うことは。
でも、歪んだ関係を築いてしまっているほうが絶対不幸です。
大丈夫、根拠ないけど、どこかにきっといる。
ちゃんと依存させてくれて、あなたを安心させてくれる人が。
自立は、その後からでも間に合う。
歪んだ関係を解消して、自分を見つめる訓練をする。
いろんな違うタイプの人のブログを読んだり意見を聞いたりして、自分を客観視する。
きっとそしたら、見つかる。
こういうことは普通の恋愛でもいえることなのだけど、SMという特殊な世界では「普通は存在しない上下関係」のようなものが最初から存在してしまってると 勘違いしてしまうことが大きく、またボディピアスや刺青など体を傷付けることも起こりがちなので、ひとりでも傷付く人が減ってくれたらなって思います。
熟桃さんのエントリーを読んで、こんなことを考えたのでした。
あ、そうそう、もうひとつもっと簡単な判断のしかたがあります。
それはね、「わたしは、あなたに従いたいのではなくて、あなたにどっぷり依存したい。」そういって「ご主人様」を探してみてはどうでしょう!?
「奴隷」という都合の良いセックスフレンドを探してる人は一斉に退散すると思います(笑)
このブログに遊びに来てくれた熟桃さんがご自身のブログで「その通り!!」と思うエントリーを書かれていました。(「素顔のままで」の「Open Your Eyes」です)
どんなに「隷属願望」のある人でも最後まで自分を守ることができるのは「主」ではなく、自分だと。
両目を見開き自分を見失わないでいてほしい。
と。
「隷属願望」を持ち、その盲目的な感情も自覚してるわたしには、とても耳の痛いお言葉(笑)
そして、いま、なんとか「自分を犠牲」にしないで付き合えるパートナーに出会えて、隷属願望のビフォーアフターを多少理解できてるつもりなので、「隷属願望」故に苦しんでるM女さんには読んでいただきたいなと思うエントリーでした。
両目を見開き冷静に見極める。
自分を守れるのは、自分。
ほんとにその通りで、それができたらどんなにいいか、と思う。
もちろん、それをするには、自立心や自制心、たくさんの努力なくしてはできないこと。
責任も自分で引き受けないといけないから、それも大変。
でも、自分の足でしっかりと立っていられるほうが、絶対に幸福だと思う。
ところが、残念ながらわたしのような「不安定」な女は体質なのか環境からなのか、それができないのです。
火星語を話せと言われているような、途方に暮れてしまうようなことなの。
弱いと言ってしまえばそれまでなのだけど、できない。
自分に価値があると思えなくて、不安で何かにすがっていないと立っていられない。
もし、寄り添える人がいて、それでいいと思えてるなら、それでかまわない(それだって、いつかその人が死んだら…やっぱり一人で立たなくちゃいけないけど)
でも、もしいま、奴隷という形で誰かに依存していて、それでも、漠然とした不安を抱えてる人はやっぱり両目を見開いてほしい。
「「奴隷願望」の矛盾」でも書いたけど、そもそも「奴隷願望」を持つことがすでに「不安定」なのだ。
妄想の中の役割りでしているのなら、それはかまわないことだけど。
誰かに「従いたい」と思うことは、誰かに「依存したい」なの。
まず、それを自覚することからはじめたら、もしかしたら、いつか自立できるんじゃないかなって思うのです。
「従いたい、尽くしたい」のではなく、「依存したい」のだと、自分の気持ちを見極める。
わたしのような「依存体質」は自分がどうしたいのかわからないことが多いけど(ほんと、わからないんだ)、それでも、一生懸命自分の心と向き合って、願望の本質を見極めるの。
隷属願望の強い人は、依存先を失うことが怖くてしかたないから、「主」と名乗る人がそれに値するのか判断するのが怖い。
だから、盲目的になってしまう。
それなら、まず「自分」の心を探ることならできるんじゃないかなって思うのです。
一生懸命、自分を客観視するのです。
まず、自分の依存心を客観視して、それに慣れたら次に「主」が「主(依存先)」に値するか見極めるのだ。
ただ、その盲目的になってしまってる状態だと、冷静な判断ができない。
依存先を失うことが不安でしかたないから、目を瞑る。
「この人しかいない」と思い込む。
(ほんと、客観的に見ればわかるのだけど、できないの^^;)
じゃあ、どうしたらいい?
わたしの経験から、ひとつ判断材料を挙げるなら。
その「主」と一緒にいて「ヒヤヒヤ」した感覚を持っているのならば、それは関係が歪んでると思います。(ご主人様と奴隷という関係自体歪んでるから、それでいいと思われるかたはそれでいいのですけど)
機嫌を伺い、機嫌を損ねないように、気遣う。
機嫌が悪くなったら、それは自分のせいだと責める。
結果的にいつも「ヒヤヒヤ」してるのだ。
「ヒヤヒヤ」してる感覚、それは、不幸な証拠だと思う。
「支配する」「導く」「躾ける」隷属願望を持っている女には甘い言葉。
でも、その言葉で「主」と名乗り、結果M女を「ヒヤヒヤ」させているのは「主」じゃない。
これでは、暴君だ。(「「奴隷願望」の矛盾」で熟桃さんがコメントでおっしゃってた「ママと子供」が一番ピッタリです!!もちろん、これも当人同士が自覚しあっているなら、かまわないのだけど)
「ヒヤヒヤ」して、漠然と不安が解消できないのなら、その関係は歪んでると思っていいのではないでしょうか。
それでも怖いよね、依存先を失うことは。
でも、歪んだ関係を築いてしまっているほうが絶対不幸です。
大丈夫、根拠ないけど、どこかにきっといる。
ちゃんと依存させてくれて、あなたを安心させてくれる人が。
自立は、その後からでも間に合う。
歪んだ関係を解消して、自分を見つめる訓練をする。
いろんな違うタイプの人のブログを読んだり意見を聞いたりして、自分を客観視する。
きっとそしたら、見つかる。
こういうことは普通の恋愛でもいえることなのだけど、SMという特殊な世界では「普通は存在しない上下関係」のようなものが最初から存在してしまってると 勘違いしてしまうことが大きく、またボディピアスや刺青など体を傷付けることも起こりがちなので、ひとりでも傷付く人が減ってくれたらなって思います。
熟桃さんのエントリーを読んで、こんなことを考えたのでした。
あ、そうそう、もうひとつもっと簡単な判断のしかたがあります。
それはね、「わたしは、あなたに従いたいのではなくて、あなたにどっぷり依存したい。」そういって「ご主人様」を探してみてはどうでしょう!?
「奴隷」という都合の良いセックスフレンドを探してる人は一斉に退散すると思います(笑)
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