心の変化2
惹かれ合う理由
那智さんは、主に愛情表現として行うSM的行為をするときに、自分ならできるかという判断基準を持っている。
これに従って言えば、那智さんは私の排泄物を食べられる(興奮するかは別にして)ということになる。
知り合って間もないうちから、愛していると自覚していた那智さんは、当然そのシミュレーションはしていたはずだ。
その上で、私に「食べさせたい」と話題に出すわけだから、自分ができることはさせるというプロットに従えばいつでも実行に移せたはずだ。
初期のころにでも「命令だよ。」って言えば、無理矢理でも塗ったり食べたり(むしゃむしゃなんてすごいことではないですよ)させられたはず。
でも、それは那智さんの望むことではない。
それを切望させるまでの、道のりをお話しします。
はじめから、話題としては上がっていた。
そのうち、質問をされる。
「食べたくない?」
この人を尊敬している、もっと繋がっていたいと自覚していた私に否定の言葉は浮かばなかった。
でも、「食べたいです。」なんて、嘘は言えない。
このころから、ずっと私は那智さんに嘘や演技の言葉は言いたくないと思っていた。
駆け引きや策略なって、もってのほか。
だから正直に伝える。
「食べたいなんて言い切ることはできないし、食べたくないと、頭から拒否する気もしません。でも、それで自分が酔えるのか、冷めてしまうのではないかと、それが危惧されること」
そんなとき那智さんはそのときの映像を想像させる。
「よくできたね。美味しいだろ?嬉しいよ、良い子だねって、頭を撫でるだろうな〜」
その想像に、密かに酔える自分に驚く。
そして、もしかしたら、そんな日が来るかもしれないと漠然と思ってしまっていた。
そんな話題が出たり出なかったり、時間は流れ、徐々に私は「那智さんのしてくれることが私の幸福。那智さんの言葉も愛も、唾液も意地悪も、全部もらいたい」と気が付いてきていた。
(これは、前振りなど、いろんなところでお話しさせていただいている、それです)
はじめのころから、私は那智さん匂いを嗅ぐのが大好きだった。
脇の匂い、下半身(恥ずかしいから、ぼんやりと表現!)の匂い。
そして、アナルの匂い。
幸福と興奮を味わう。
恥ずかしいから、フェラチオの合間にこっそり嗅いでいた。
そして、あるときアナルを舐めながら興奮している自分に気付くより早く那智さんが指摘してきた。
「りん子は匂いを嗅ぐのが好きだよね。アナルを舐めて興奮しているし、舐めるのを止めるタイミングは、匂いや味がなくなった時だろ?」
指摘は恥ずかしく、同時に驚きをもたらした。
私は、まだこの時点でも、自分の心を理解してはいなかった。
ただ、那智さんには、「りん子は、那智さんからもらえるもの(もちろんうんこも)すべてがほしい」と判断するには、充分な材料だったのだ。
「食べたい、塗ってほしい」なんて口にするのは、難しい。
いまだって、そう。
でも、私の心を誰よりもわかる那智さんには、大丈夫というサインを発していたのだろう。
あとは、タイミング。(だって、いつでも出るものじゃないでしょ 笑)
那智さんのお仕事場へ向かう電車の中。
メールが届く。
「今日は、出そうだから、りん子の掌にしてあげるね。引き返したいならどうぞ♪」
青天の霹靂か、いつかくると予感していたことなのか、どちらとも判断できない。
ただ、よく漫画とかで衝撃を表すのに、頭に石が落ちる描写があるでしょ、まさにあんな感じの衝撃だったことは、確かだ。
でも、私に引き返す選択肢はない。
那智さんに会いたい。
那智さんが私にしてくれることは、幸福だ。
たとえ、体が拒否反応を示そうが、心が冷めていこうが、それはわからないし、かまわない。
あとから、必ず幸せになれるはずだ。
那智さんがしてくれるのだもの。
(このとき、那智さんは私の幸福を確信していただろう、私はまだね、遅いのです)
詳しい描写は別な機会で。
那智さんが私の掌の上に排泄した。
果たして、私は感じていた。
喜んでいた。
「舐めたかったら、舐めてもいいよ。」そんな提案。
呆けた私は、首を横に振る。
そして、あとで後悔をするのだ。
「舐めていたら、もっと幸せだったかもしれない。」と。
やはり、那智さんの言うとおりにしていたほうが、幸せだっただろうと舐めなかったことを残念の思ってしまうのだ。
感じて、喜んで、後悔して淋しそうな私を見て、那智さんは興奮して、愛情を確認して、施したいと思えただろう。
次に、その機会が訪れたときには「舐めてごらん」と指示に変わる。
その先に感じるであろう幸福感に後押しされて、一瞬の躊躇は消えてなくなる。
それから、何度か同じような機会に恵まれたときは、私は必ず舐めている。
お願いまではできなくても(お願いするって、かっこわるい)、心の中では望んでいる。
それは、私を幸福にしてくれて、私はあなたのものだと誇りに思えることだからだ。
異様なことだろうか、しかし、私は精神的にも身体的にもそれを完全拒否せざるを得ない人間ではなかったことを喜びに思う。
はじめは否定的だったことも、たくさんの心のやり取りで受け入れられるように、さらに喜びに変わる。
それは、性的なことだけではない。
那智さんという道標は、私を幸福へと導いてくれる。
普通の恋愛(本人たちは普通のつもり)違うところは、この導き、従うという関係が幸福の上に成り立っていることでは、ないだろうか。
心は変化し、より深くなっている。
那智さんは、主に愛情表現として行うSM的行為をするときに、自分ならできるかという判断基準を持っている。
これに従って言えば、那智さんは私の排泄物を食べられる(興奮するかは別にして)ということになる。
知り合って間もないうちから、愛していると自覚していた那智さんは、当然そのシミュレーションはしていたはずだ。
その上で、私に「食べさせたい」と話題に出すわけだから、自分ができることはさせるというプロットに従えばいつでも実行に移せたはずだ。
初期のころにでも「命令だよ。」って言えば、無理矢理でも塗ったり食べたり(むしゃむしゃなんてすごいことではないですよ)させられたはず。
でも、それは那智さんの望むことではない。
それを切望させるまでの、道のりをお話しします。
はじめから、話題としては上がっていた。
そのうち、質問をされる。
「食べたくない?」
この人を尊敬している、もっと繋がっていたいと自覚していた私に否定の言葉は浮かばなかった。
でも、「食べたいです。」なんて、嘘は言えない。
このころから、ずっと私は那智さんに嘘や演技の言葉は言いたくないと思っていた。
駆け引きや策略なって、もってのほか。
だから正直に伝える。
「食べたいなんて言い切ることはできないし、食べたくないと、頭から拒否する気もしません。でも、それで自分が酔えるのか、冷めてしまうのではないかと、それが危惧されること」
そんなとき那智さんはそのときの映像を想像させる。
「よくできたね。美味しいだろ?嬉しいよ、良い子だねって、頭を撫でるだろうな〜」
その想像に、密かに酔える自分に驚く。
そして、もしかしたら、そんな日が来るかもしれないと漠然と思ってしまっていた。
そんな話題が出たり出なかったり、時間は流れ、徐々に私は「那智さんのしてくれることが私の幸福。那智さんの言葉も愛も、唾液も意地悪も、全部もらいたい」と気が付いてきていた。
(これは、前振りなど、いろんなところでお話しさせていただいている、それです)
はじめのころから、私は那智さん匂いを嗅ぐのが大好きだった。
脇の匂い、下半身(恥ずかしいから、ぼんやりと表現!)の匂い。
そして、アナルの匂い。
幸福と興奮を味わう。
恥ずかしいから、フェラチオの合間にこっそり嗅いでいた。
そして、あるときアナルを舐めながら興奮している自分に気付くより早く那智さんが指摘してきた。
「りん子は匂いを嗅ぐのが好きだよね。アナルを舐めて興奮しているし、舐めるのを止めるタイミングは、匂いや味がなくなった時だろ?」
指摘は恥ずかしく、同時に驚きをもたらした。
私は、まだこの時点でも、自分の心を理解してはいなかった。
ただ、那智さんには、「りん子は、那智さんからもらえるもの(もちろんうんこも)すべてがほしい」と判断するには、充分な材料だったのだ。
「食べたい、塗ってほしい」なんて口にするのは、難しい。
いまだって、そう。
でも、私の心を誰よりもわかる那智さんには、大丈夫というサインを発していたのだろう。
あとは、タイミング。(だって、いつでも出るものじゃないでしょ 笑)
那智さんのお仕事場へ向かう電車の中。
メールが届く。
「今日は、出そうだから、りん子の掌にしてあげるね。引き返したいならどうぞ♪」
青天の霹靂か、いつかくると予感していたことなのか、どちらとも判断できない。
ただ、よく漫画とかで衝撃を表すのに、頭に石が落ちる描写があるでしょ、まさにあんな感じの衝撃だったことは、確かだ。
でも、私に引き返す選択肢はない。
那智さんに会いたい。
那智さんが私にしてくれることは、幸福だ。
たとえ、体が拒否反応を示そうが、心が冷めていこうが、それはわからないし、かまわない。
あとから、必ず幸せになれるはずだ。
那智さんがしてくれるのだもの。
(このとき、那智さんは私の幸福を確信していただろう、私はまだね、遅いのです)
詳しい描写は別な機会で。
那智さんが私の掌の上に排泄した。
果たして、私は感じていた。
喜んでいた。
「舐めたかったら、舐めてもいいよ。」そんな提案。
呆けた私は、首を横に振る。
そして、あとで後悔をするのだ。
「舐めていたら、もっと幸せだったかもしれない。」と。
やはり、那智さんの言うとおりにしていたほうが、幸せだっただろうと舐めなかったことを残念の思ってしまうのだ。
感じて、喜んで、後悔して淋しそうな私を見て、那智さんは興奮して、愛情を確認して、施したいと思えただろう。
次に、その機会が訪れたときには「舐めてごらん」と指示に変わる。
その先に感じるであろう幸福感に後押しされて、一瞬の躊躇は消えてなくなる。
それから、何度か同じような機会に恵まれたときは、私は必ず舐めている。
お願いまではできなくても(お願いするって、かっこわるい)、心の中では望んでいる。
それは、私を幸福にしてくれて、私はあなたのものだと誇りに思えることだからだ。
異様なことだろうか、しかし、私は精神的にも身体的にもそれを完全拒否せざるを得ない人間ではなかったことを喜びに思う。
はじめは否定的だったことも、たくさんの心のやり取りで受け入れられるように、さらに喜びに変わる。
それは、性的なことだけではない。
那智さんという道標は、私を幸福へと導いてくれる。
普通の恋愛(本人たちは普通のつもり)違うところは、この導き、従うという関係が幸福の上に成り立っていることでは、ないだろうか。
心は変化し、より深くなっている。
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