嫉妬について
独特な幸福感
那智さんは、全然嫉妬しない。
見事に嫉妬しない。
軽いやきもちのようなものさえ、しない。
それでも私を拘束している。
嫉妬という種類のものでは束縛しないけど、ちゃんと拘束している。
私がだれと食事をしようと「どうぞ〜」と送り出してくれる。(もちろん男の人ですよ!そんなにないけど^^;)
過去の遍歴を書いた時にも、「りん子の馬鹿さ加減に腹が立った」だけで、相手の男性たちに対してはやきもちはやかなかったらしい。
まあ、私が一人でハプニングバーに行ったり(行ったことないけど)したら話は違うかもしれないけど、それでも「危ないから、ダメ」と言われるだけで、嫉妬から来る束縛で否定はしないと思う。
時々、ねえ、もうちょっとやきもち焼いてくださいよ〜って思うくらい、あっさりしたものなの。
なんとなく、束縛されるって、「独り占め」されているみたいに感じられて「あなたのもの」と思いたい私には、味わいたいものでもあるのです。
でも、嫉妬による束縛がなくても充分に那智さんは私を独り占めしているし、私はきちんと拘束されている。
私なんて、私の接していない間に接するすべての女性にやきもちを焼いて「いや〜」って、子供のような独占欲でじたばたしてるのにね。
嫉妬について思うとき、以前那智さんの考え方を聞いて、「へぇ〜、そんな考え方あるんだ〜」と目から鱗だったことを思い出す。(これは那智さんはそう思うというだけのことなので、そうじゃない考え方を否定しているわけじゃないので、ご了承くださいね。このところ「ご了承」ばかり得ているな、私 笑)
「自分だけのもの」だと思って独り占めすることと、やきもちを焼いて束縛することは別のものと思ってるというのだ。
さっきも書いたけど、私なんて独り占め=束縛(嫉妬)と一緒くたにして考えるし、また心も自然にそう動くから、それを違うものとしている考え方に驚いたの。
俺の物だから、貸しても触らせてもかまわない、だからお食事くらい「どうぞ〜」なわけです。
そうしても、俺の物だという事実に変わりない。
確かに辞書で「独り占め」と引いてみると(辞書が手放せないりん子^^;)「それを自分だけのものにすること」とは書いてあるけど、箱に入れてしまっておくとは書いていない^^
自分だけのものを表現するのに、箱にしまっておくような方法を取るのは那智さんとしては「嫉妬心」から来ると感じるらしい。
そして、それは那智さんの美意識が好まない表現方法なのだ。
「嫉妬は格好悪い」そうなのだ。
だから、私を貸すのも晒すのも平気なの。
むしろ自己顕示欲が満たされる。
お気に入りの車をきれいに磨いて、それで街中を走るみたいなことだろうか。
皆に見られてもかまわないし、たまには運転させてあげる。
「まあ、大丈夫だろ〜」って、ちょっと無茶な運転もしてしまう。
そして、汚れたり故障したら、また丁寧にメンテナンスをする。
でもね、那智さん「嫉妬は格好悪い」と言っても、嫉妬なんて自然に湧き上がるものなんだから、心の蓋を一枚剥がしてみませんか?
本当はその下には、理不尽なくらいの嫉妬心がうごめいているのではありませんか?
そんな風に聞いたら「それはない」と言い切った。
独り占めしたいと嫉妬による束縛を分けて考えることを、意識して子供の頃からしていたから嫉妬を露にしないということが染み付いているのだそうだ。
子供の頃と言って、すぐに「違うか、女の子を意識してからと言った方が正しいか」と訂正していたから、その記憶は確かなんだろうなと思えてしまった。
女の子を意識するのは小学生くらいからかな。
そのころから、嫉妬を表に出すことを抑えていた那智少年、元々そういう発想を持っていたのか、それともそう思う何かがあったのか、それはわからないけど、ちょっと胸がきゅっとなる。
その長い時間かけて染み付いて自分のものにした「嫉妬は格好悪いから、自分にはない」という生き方。
もし、抑制しつづけた「理不尽なまでの嫉妬」が那智さんの心の奥底に沈殿しているならば、その皮を剥がして剥き出しにできるのは私しかいないかもしれない。
だから、私はそれを一緒に見てもいいよ、那智さん。
きっと私が世界で唯一の存在だから。
でも、そんなの一緒に見たら、その後が物凄く恐いかもしれない(笑)
那智さんは、全然嫉妬しない。
見事に嫉妬しない。
軽いやきもちのようなものさえ、しない。
それでも私を拘束している。
嫉妬という種類のものでは束縛しないけど、ちゃんと拘束している。
私がだれと食事をしようと「どうぞ〜」と送り出してくれる。(もちろん男の人ですよ!そんなにないけど^^;)
過去の遍歴を書いた時にも、「りん子の馬鹿さ加減に腹が立った」だけで、相手の男性たちに対してはやきもちはやかなかったらしい。
まあ、私が一人でハプニングバーに行ったり(行ったことないけど)したら話は違うかもしれないけど、それでも「危ないから、ダメ」と言われるだけで、嫉妬から来る束縛で否定はしないと思う。
時々、ねえ、もうちょっとやきもち焼いてくださいよ〜って思うくらい、あっさりしたものなの。
なんとなく、束縛されるって、「独り占め」されているみたいに感じられて「あなたのもの」と思いたい私には、味わいたいものでもあるのです。
でも、嫉妬による束縛がなくても充分に那智さんは私を独り占めしているし、私はきちんと拘束されている。
私なんて、私の接していない間に接するすべての女性にやきもちを焼いて「いや〜」って、子供のような独占欲でじたばたしてるのにね。
嫉妬について思うとき、以前那智さんの考え方を聞いて、「へぇ〜、そんな考え方あるんだ〜」と目から鱗だったことを思い出す。(これは那智さんはそう思うというだけのことなので、そうじゃない考え方を否定しているわけじゃないので、ご了承くださいね。このところ「ご了承」ばかり得ているな、私 笑)
「自分だけのもの」だと思って独り占めすることと、やきもちを焼いて束縛することは別のものと思ってるというのだ。
さっきも書いたけど、私なんて独り占め=束縛(嫉妬)と一緒くたにして考えるし、また心も自然にそう動くから、それを違うものとしている考え方に驚いたの。
俺の物だから、貸しても触らせてもかまわない、だからお食事くらい「どうぞ〜」なわけです。
そうしても、俺の物だという事実に変わりない。
確かに辞書で「独り占め」と引いてみると(辞書が手放せないりん子^^;)「それを自分だけのものにすること」とは書いてあるけど、箱に入れてしまっておくとは書いていない^^
自分だけのものを表現するのに、箱にしまっておくような方法を取るのは那智さんとしては「嫉妬心」から来ると感じるらしい。
そして、それは那智さんの美意識が好まない表現方法なのだ。
「嫉妬は格好悪い」そうなのだ。
だから、私を貸すのも晒すのも平気なの。
むしろ自己顕示欲が満たされる。
お気に入りの車をきれいに磨いて、それで街中を走るみたいなことだろうか。
皆に見られてもかまわないし、たまには運転させてあげる。
「まあ、大丈夫だろ〜」って、ちょっと無茶な運転もしてしまう。
そして、汚れたり故障したら、また丁寧にメンテナンスをする。
でもね、那智さん「嫉妬は格好悪い」と言っても、嫉妬なんて自然に湧き上がるものなんだから、心の蓋を一枚剥がしてみませんか?
本当はその下には、理不尽なくらいの嫉妬心がうごめいているのではありませんか?
そんな風に聞いたら「それはない」と言い切った。
独り占めしたいと嫉妬による束縛を分けて考えることを、意識して子供の頃からしていたから嫉妬を露にしないということが染み付いているのだそうだ。
子供の頃と言って、すぐに「違うか、女の子を意識してからと言った方が正しいか」と訂正していたから、その記憶は確かなんだろうなと思えてしまった。
女の子を意識するのは小学生くらいからかな。
そのころから、嫉妬を表に出すことを抑えていた那智少年、元々そういう発想を持っていたのか、それともそう思う何かがあったのか、それはわからないけど、ちょっと胸がきゅっとなる。
その長い時間かけて染み付いて自分のものにした「嫉妬は格好悪いから、自分にはない」という生き方。
もし、抑制しつづけた「理不尽なまでの嫉妬」が那智さんの心の奥底に沈殿しているならば、その皮を剥がして剥き出しにできるのは私しかいないかもしれない。
だから、私はそれを一緒に見てもいいよ、那智さん。
きっと私が世界で唯一の存在だから。
でも、そんなの一緒に見たら、その後が物凄く恐いかもしれない(笑)