弱虫
独特な幸福感
いつも同じようなこと言って申し訳ないのですが、私は多分とても怖がり。
痛いことに関しては我慢強いほうだと思うのだけど(最近はそうでもないかもと弱気ですが)、とにかく怖がり。
おばけも人も痛そうなお話もダメ。
いろんなジャンルで怖がってしまう。
痛い話は、痛さや血で仰け反るというよりも、もう少し漠然とした怖さで悶絶みたいな感じなのです。
友達がピアスを刺繍針で自分で開けたとか、骨折して足にボルトを入れているなんて話を聞いただけで、背筋がぞぞぞぞ〜っとしてしまうのです。
だから、ボディピアスをされている方に対しては、無条件で尊敬です。
くわえて、物凄い面倒くさがりなので、痛そうで怖そうで、しかもケアも大変そうで、ほんと尊敬です。
だから、耳のピアスさえできないのです。
そんな私に二回だけ、那智さんは針を刺したことがある。
その二回ともブログに書いているのだけど、一回目は選択肢のひとつで私が選んで、もう一回は甘美な時間、縛られて気分も高揚して委ねやすい状態で。(針貫通で検索してくださいね♪)
覚悟を決めるステップがあるとなんとか頑張って従えて、従えたあとで幸せを感じられる。
ある日、那智さんのお仕事場に遊びにいき、そろそろ帰らなきゃって時間になったころ。
那智さんが針を取り出した。
乳首に貫通させたことのある医療用(?)の針ではなくて、普通のお裁縫の針(だったと思う)。
「どお?どこに刺す?」
うりうりと私に見せつけて、怖がらせて遊ぶ。
「…いや…」
小さい声で私の心をお伝えして、あとは大きく首を振り訴え続けるしか作戦はない。
大騒ぎすれば終わりにならないし、酷くなることは、もうわかっているもの。
じゃあ、「どうぞ♪」と平然としたフリをすればいいのかもしれないけど、それができないほど怖い気持ちが抑えられないから、厄介なのです。
おもしろがって遊んでいた那智さんが急に私の頭を抱え込んで懐に押さえつけた。
「きゃあああああああああ、やめて、何するつもり???」(心の声)
押さえつけられているから、ちょっとしか動かない首を必死に振り、少し緩むと顔を上げ哀願の眼差しで訴える。
楽しそうにまた押さえ込む。
ああ、どうしよう、どうしたら何も起こらずにおしまいにできるのか、わからない。
耳たぶに針の先が当たるのがわかった。
ちょんちょん、チクチクといじくるのがわかる。
もう、私の全神経が耳たぶに集中している感じで、不必要に刺激が強まっているみたい。
耳たぶがじんじんとしてきた。
怖いよ、いきなり貫通はないと思うけど、いろんなことが頭をよぎり、身を固くする。
従おう、じたばたを経て、やっと委ねるステップを踏むことができた。
あとは、目をぎゅっとつぶり腕を那智さんの腰に回してくっついているだけだ。
那智さんのよいように。
更に、チクチクされて、痛さが増した頃に解放された。
「血が見たかった」そうだ。
僅かに傷つき血が滲んで、那智さんは満足したみたいです。
それだけで、こんなに怖くて痛いのだから、本当にピアスを開けるなんて、やっぱりどうしてよいかわからないくらい怖い(弱虫ですね)
それでもじたばたしながらも、最終的には委ねられると幸せになれる。
いつもこの繰り返し、委ねられた満足感。
付き合いはじめたころ、よく那智さんが言っていた。
「愛してる、所有している」ということの確認作業、証を探しの繰り返し。
これもできる?
これもついて来られる?
これでも感じられる?
それも嬉しい。
それも感じられる。
全部委ねられた。
こうやって、探している。
法律で守られているわけでもなく、契約を交わしているわけでもない、それでも真剣に所有し所有されていると言い続けるためには、確認して安心したいのだ。
でも、この証探しは、瞬間瞬間の積み重ねで雲を掴むようで、とてももどかしい。
エスカレートしないように調整しつつ、確認する。
怖がりな私はエスカレートしないように、祈るばかりだ。
私のような弱虫は、「俺の物」という一言だけで、充分満足できるのですよ、那智さん!
いつも同じようなこと言って申し訳ないのですが、私は多分とても怖がり。
痛いことに関しては我慢強いほうだと思うのだけど(最近はそうでもないかもと弱気ですが)、とにかく怖がり。
おばけも人も痛そうなお話もダメ。
いろんなジャンルで怖がってしまう。
痛い話は、痛さや血で仰け反るというよりも、もう少し漠然とした怖さで悶絶みたいな感じなのです。
友達がピアスを刺繍針で自分で開けたとか、骨折して足にボルトを入れているなんて話を聞いただけで、背筋がぞぞぞぞ〜っとしてしまうのです。
だから、ボディピアスをされている方に対しては、無条件で尊敬です。
くわえて、物凄い面倒くさがりなので、痛そうで怖そうで、しかもケアも大変そうで、ほんと尊敬です。
だから、耳のピアスさえできないのです。
そんな私に二回だけ、那智さんは針を刺したことがある。
その二回ともブログに書いているのだけど、一回目は選択肢のひとつで私が選んで、もう一回は甘美な時間、縛られて気分も高揚して委ねやすい状態で。(針貫通で検索してくださいね♪)
覚悟を決めるステップがあるとなんとか頑張って従えて、従えたあとで幸せを感じられる。
ある日、那智さんのお仕事場に遊びにいき、そろそろ帰らなきゃって時間になったころ。
那智さんが針を取り出した。
乳首に貫通させたことのある医療用(?)の針ではなくて、普通のお裁縫の針(だったと思う)。
「どお?どこに刺す?」
うりうりと私に見せつけて、怖がらせて遊ぶ。
「…いや…」
小さい声で私の心をお伝えして、あとは大きく首を振り訴え続けるしか作戦はない。
大騒ぎすれば終わりにならないし、酷くなることは、もうわかっているもの。
じゃあ、「どうぞ♪」と平然としたフリをすればいいのかもしれないけど、それができないほど怖い気持ちが抑えられないから、厄介なのです。
おもしろがって遊んでいた那智さんが急に私の頭を抱え込んで懐に押さえつけた。
「きゃあああああああああ、やめて、何するつもり???」(心の声)
押さえつけられているから、ちょっとしか動かない首を必死に振り、少し緩むと顔を上げ哀願の眼差しで訴える。
楽しそうにまた押さえ込む。
ああ、どうしよう、どうしたら何も起こらずにおしまいにできるのか、わからない。
耳たぶに針の先が当たるのがわかった。
ちょんちょん、チクチクといじくるのがわかる。
もう、私の全神経が耳たぶに集中している感じで、不必要に刺激が強まっているみたい。
耳たぶがじんじんとしてきた。
怖いよ、いきなり貫通はないと思うけど、いろんなことが頭をよぎり、身を固くする。
従おう、じたばたを経て、やっと委ねるステップを踏むことができた。
あとは、目をぎゅっとつぶり腕を那智さんの腰に回してくっついているだけだ。
那智さんのよいように。
更に、チクチクされて、痛さが増した頃に解放された。
「血が見たかった」そうだ。
僅かに傷つき血が滲んで、那智さんは満足したみたいです。
それだけで、こんなに怖くて痛いのだから、本当にピアスを開けるなんて、やっぱりどうしてよいかわからないくらい怖い(弱虫ですね)
それでもじたばたしながらも、最終的には委ねられると幸せになれる。
いつもこの繰り返し、委ねられた満足感。
付き合いはじめたころ、よく那智さんが言っていた。
「愛してる、所有している」ということの確認作業、証を探しの繰り返し。
これもできる?
これもついて来られる?
これでも感じられる?
それも嬉しい。
それも感じられる。
全部委ねられた。
こうやって、探している。
法律で守られているわけでもなく、契約を交わしているわけでもない、それでも真剣に所有し所有されていると言い続けるためには、確認して安心したいのだ。
でも、この証探しは、瞬間瞬間の積み重ねで雲を掴むようで、とてももどかしい。
エスカレートしないように調整しつつ、確認する。
怖がりな私はエスカレートしないように、祈るばかりだ。
私のような弱虫は、「俺の物」という一言だけで、充分満足できるのですよ、那智さん!
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