満足と嫌い(06/08/28)
宝物
『独特な幸福感』
「次回は『工場でちょっと露出』」なんて言っておきながら、なんだかその気分になれないので、軽い話題でお茶を濁します。
「非日常的な日常」の「矛盾は辛い」で触れましたが、那智さんは、はしたなく感じる私を作り出したいくせに、作り出したときに数%嫌いになるそうです。
この矛盾は、けっこう辛い。
だって、世界中で一番可愛いと、好きだと思ってもらいたい人に、数%嫌われる。
しかも、数%嫌いになるくらいはしたなくなるまで続けられるのです。
「少しでも、嫌われたくない。」
「でも、どうしようもないくらい気持ちがいい。」
「ああ、もう嫌われてもしょうがない〜」
って、なるのです。
自分でVTRを取っているわけじゃないから、感覚なんだけど、「昨日の私は多分凄かったかも・・」という日は、恐る恐る聞いてしまう。
「昨日の私は何%嫌いでしたか?」
そうすると、答えはその時々で違う。
「10%くらいかな・・」
「ちょっとね〜。」
「昨日は、そんな風に思わなかったな。」
などなど。
その都度一喜一憂する私に、「嫌いになる分、満足も大きいんだから、いいでしょ。この満足も得がたいものなんだよ。」となぐさめの言葉をかけてくれますが、やっぱり僅かでも嫌いはいやです。
だったら大満足なんていらないなんて言ってみるけれど、那智さんが大満足を得られることも、捨てがたい。
しかも、嫌われるようなときは、それはそれは気持ち良いのだ。
数年の付き合いで、嫌いになりやすいことと、意外と平気なことの、に違いがあるように思えてきた。
前者は、いわゆるセックスですごーく感じているときで、後者は、縛ったり叩いたり那智さんが施すことで感じてしまうとき(その延長戦上にあるセックスは大丈夫)。
(補足ですが、「いわゆるセックス」でも、乳首をつねったりなんていうのはあるんですけど)
那智さんの上に跨って、激しく腰を振ることを覚えたころなどは、おそらく前者の代表だったのではないだろうか。
ところが最近変化が起こっているような気がする。
質問の答えがだいたい「嫌いになっていないな〜。」なのだ。
何度か試すように確認するけど、同じ答え。
もしかしたら「わんこ」になったときのように、すべてを許してくれているの?
それは、嬉しいことだ。
大好きな人に気持ち良くさせられて、他の人が見たら目を背けたくなるような私になって、それを嫌いにならないでいてもらえる。(欲を言えば、その私を喜んでもらいたい)
これは、とても嬉しいこと。
確信を持ちたくて、思い切って聞いてみる。
「那智さん、最近嫌いにならないみたいですよね。」
「そうだね。」
「なぜだと思います?」
「・・・慣れたんじゃない。」
「愛情が深くなった」なんて甘い答えを期待していた私は、拍子抜け。
それでも、「愛が増えたからとか?」とかなんとか、もう少し食い下がってみる。
「だって、最初の頃より愛は増えていますよね?!変わっているとするならば、その点では?」
「うん、でも、実は最初すぐよりも、しばらくして(今までの時間の中間辺りね)からの方が、嫌いがあったかな。あの頃、覚え初めでよく感じていただろ?」
私としては、中間の頃より今のほうが感じている。
私は「遠くに行く」快感を、普通のセックスでは得られないから、それを得られる最近のほうが感じると認識していた。
だから「今のほうが、感じていますよ。感じ方の種類は違うけど。」と伝える。
この辺りが答えになりそうだ。
「そうだね。感じ方の種類で、そう思うのかもね。」
やっぱり、那智さんは「大して手を掛けていないのに、セックスではしたなくなる私」は嫌いになりやすいみたいだ。
いまでも普通に抱かれて感じることには変わりないけど、あの出会ってしばらくした頃の「発情した猿」のよう状態とは、違うのだろう。
そりゃ、猿は嫌よね。
「わんこ」なんて可愛く言っているのが、照れ臭いです(笑)
だから、正直にお伝えしました。
「そうでしたね。あの頃の私は猿でした(泣)」
嫌いにならない分、満足度も最高潮ではないのか、今度聞いてみよう。
満足度が高くて、嫌いも少しと、嫌いじゃないけど満足もそこそこ、だったら私はどちらを選ぶでしょう(選べるものじゃないけど)
満足も、大好きそんなりん子が見たい(嫌いじゃない)も両方手に入れよう!!
『独特な幸福感』
「次回は『工場でちょっと露出』」なんて言っておきながら、なんだかその気分になれないので、軽い話題でお茶を濁します。
「非日常的な日常」の「矛盾は辛い」で触れましたが、那智さんは、はしたなく感じる私を作り出したいくせに、作り出したときに数%嫌いになるそうです。
この矛盾は、けっこう辛い。
だって、世界中で一番可愛いと、好きだと思ってもらいたい人に、数%嫌われる。
しかも、数%嫌いになるくらいはしたなくなるまで続けられるのです。
「少しでも、嫌われたくない。」
「でも、どうしようもないくらい気持ちがいい。」
「ああ、もう嫌われてもしょうがない〜」
って、なるのです。
自分でVTRを取っているわけじゃないから、感覚なんだけど、「昨日の私は多分凄かったかも・・」という日は、恐る恐る聞いてしまう。
「昨日の私は何%嫌いでしたか?」
そうすると、答えはその時々で違う。
「10%くらいかな・・」
「ちょっとね〜。」
「昨日は、そんな風に思わなかったな。」
などなど。
その都度一喜一憂する私に、「嫌いになる分、満足も大きいんだから、いいでしょ。この満足も得がたいものなんだよ。」となぐさめの言葉をかけてくれますが、やっぱり僅かでも嫌いはいやです。
だったら大満足なんていらないなんて言ってみるけれど、那智さんが大満足を得られることも、捨てがたい。
しかも、嫌われるようなときは、それはそれは気持ち良いのだ。
数年の付き合いで、嫌いになりやすいことと、意外と平気なことの、に違いがあるように思えてきた。
前者は、いわゆるセックスですごーく感じているときで、後者は、縛ったり叩いたり那智さんが施すことで感じてしまうとき(その延長戦上にあるセックスは大丈夫)。
(補足ですが、「いわゆるセックス」でも、乳首をつねったりなんていうのはあるんですけど)
那智さんの上に跨って、激しく腰を振ることを覚えたころなどは、おそらく前者の代表だったのではないだろうか。
ところが最近変化が起こっているような気がする。
質問の答えがだいたい「嫌いになっていないな〜。」なのだ。
何度か試すように確認するけど、同じ答え。
もしかしたら「わんこ」になったときのように、すべてを許してくれているの?
それは、嬉しいことだ。
大好きな人に気持ち良くさせられて、他の人が見たら目を背けたくなるような私になって、それを嫌いにならないでいてもらえる。(欲を言えば、その私を喜んでもらいたい)
これは、とても嬉しいこと。
確信を持ちたくて、思い切って聞いてみる。
「那智さん、最近嫌いにならないみたいですよね。」
「そうだね。」
「なぜだと思います?」
「・・・慣れたんじゃない。」
「愛情が深くなった」なんて甘い答えを期待していた私は、拍子抜け。
それでも、「愛が増えたからとか?」とかなんとか、もう少し食い下がってみる。
「だって、最初の頃より愛は増えていますよね?!変わっているとするならば、その点では?」
「うん、でも、実は最初すぐよりも、しばらくして(今までの時間の中間辺りね)からの方が、嫌いがあったかな。あの頃、覚え初めでよく感じていただろ?」
私としては、中間の頃より今のほうが感じている。
私は「遠くに行く」快感を、普通のセックスでは得られないから、それを得られる最近のほうが感じると認識していた。
だから「今のほうが、感じていますよ。感じ方の種類は違うけど。」と伝える。
この辺りが答えになりそうだ。
「そうだね。感じ方の種類で、そう思うのかもね。」
やっぱり、那智さんは「大して手を掛けていないのに、セックスではしたなくなる私」は嫌いになりやすいみたいだ。
いまでも普通に抱かれて感じることには変わりないけど、あの出会ってしばらくした頃の「発情した猿」のよう状態とは、違うのだろう。
そりゃ、猿は嫌よね。
「わんこ」なんて可愛く言っているのが、照れ臭いです(笑)
だから、正直にお伝えしました。
「そうでしたね。あの頃の私は猿でした(泣)」
嫌いにならない分、満足度も最高潮ではないのか、今度聞いてみよう。
満足度が高くて、嫌いも少しと、嫌いじゃないけど満足もそこそこ、だったら私はどちらを選ぶでしょう(選べるものじゃないけど)
満足も、大好きそんなりん子が見たい(嫌いじゃない)も両方手に入れよう!!
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